第2話

「坊ちゃま、塾のお時間です」
「えっ?あ、うん」


もうそんな時間か。


時計の針は、八時四十五分を指していた。


塾へと向かう、田中がハンドルを握る車の中。


「坊ちゃま」
「うん?」
「先程の曲は、ドビュッシーでございますか?」
「うん。そうだけど…田中、気づかなかった?もう、三ヶ月もやってるよ」
「すみませんでした。あの部屋は、大変な防音性がありますので」
「ふぅ~ん」


気付か無かった。あの部屋に防音性があったなんて。まぁ、知ろうとしなかった訳だけど。

「大変、上手でしたよ」
「あ、うん。ありがと…」


そんな何気ない会話にも、車が目的地に到着すると同時に、終止符が打たれた。

「終わったら連絡するよ。多分、いつもより遅くなると思うから」
「分かりました。では」


「今日もか…面倒…」

この頃は、毎日のように塾続きだ。

受験って、そこまでしないと駄目なのか?


季節は初夏。
時折、蝉の鳴く声が聞こえる。


伊藤啓作その人は、数時間後に待ち受ける、出会いを知る由もなく、重い扉を開け放つ。


−−−続

このページについて
掲載日
2010年3月28日
ページ番号
11 / 17
この作品について
タイトル
振り返れば、あの日と同じ坂道
作者
チャフカ(エキドゥナファン)
初回掲載
週刊チャオ第328号
最終掲載
2010年5月16日
連載期間
約1年10ヵ月19日