<34> 黒いのを追え
「─大きい声で言うんじゃないわい」
ふんっ、とそっぽを向いて、不機嫌そうに短い足を組みなおした。
他に聞こえていないか、少し不安げに周りに目をやるものの、決して二人とは目を合わせようとしない。
「お師匠様はマスコミが怖いんですって。 優秀なお孫さんも居ることだし、世紀のランナーが姿を現したとなれば連中は大喜びで記事を書くだろうねえ」
守越は背後を親指で示してはやしたてた。すぐそばでカメラを抱えた報道陣が、観客席からレースの様子を映している。
「Gale君は何にも知らないっすからね~、教えてあげるべきだと思うっすよ、師匠~」
「ええい、五月蝿い! Charles・Chacron・Aressの名だけでわしの孫などと分かるか!!」
余りにも大きな声だったので、周りは時が止まったかのように静かになった。
無論、他の観客も、カメラを抱えた人々も。
みんな、下のコースで圧倒的に優勢に立っているチャオにそっくりな、チャクロンのほうを振り返る。
あれ? 今、Chacronって言ったよな? あのチャオのミドルネームのとこ。
「・・・馬鹿っすね~、師匠」
「あー・・・とりあえず、逃げようか─」
Final dash <34> 黒いのを追え
<「・・・一番手は依然として6番Charles選手次いで後方に3番Gale選手が続いていますが1番7番を筆頭に徐々に追いついてきますおおっと5番盛大にコケたーっ!4番8番軽々と抜いていきます!申し遅れましたが実況は山際でございますどうですか解説の樋脇さん」
「えっ、私? ・・・えー、いやあ、一体何者なんでしょうね6番のチャールズ選手。 このごろパッとしなかった北見レースチームの最若手ですが、まさかあんな隠し玉がいたとは。 健気にGale選手が後を追っていますが、そろそろスタミナも切れ気味でしょうか? 前半の勢いから見てスタミナには自信があるように感じられましたが、予想外の敵だったようです。 一方他のチャオは温存したスタミナを使って後半の追い上げにかかる様子で─」
「─ここで2番、4番7番1番をカットで一気に抜いたぁーっ!そのまま3番に食らい付くおっとここで5番巻き返しか!?」
「あの、山際さん、さっきの聞いてました? ・・・」>
「この人、すごいマシンガントークですね」
一方、さっきから数名居ないとは露知らず、Liltaたちは落ちる落ちないかギリギリに危なっかしく会場を見下ろす柵に寄りかかっていた。
「あー、話を振る割りに聞かないって有名な奴だよ。 にしてもこれは、危ないな」
実況の通り、Galeの状況は芳しく無かった。
Charlesとの差はじりじりと開き、後方から他のチャオたちも差し迫っている。
「Galeさん、スタミナのアビリティ最低だって、コーチ長が」
「代謝が悪いんだよなあ、自分で分かってるんだか分かってないんだか・・・」
「─やばっ」
すぐ後ろに3番手のチャオが追いついてきているのを見つけて、慌ててコーナーを三本の直線を描いて抜ける。
緩めの角度のせいで、さらにスタミナを消費してしまった。
やばい。 かなりやばい。 こんな調子で、最後まで走りきれるのか?
逃げろ、追え。 いや、今はまず逃げろ。
逃げる、逃げる─Mealは何て言ってたっけ?
─逃げる、ってのはっすね~─
ヘロヘロになった俺に語りかける、シャークマウスを思い出す。
つーか疲れてるときに難しい事言われても、覚えてないっつの・・・
─スタミナも神経も、知らないうちに削り取っちゃうんっすよ。
追い抜かれることで感じる恐怖が大きければ大きいほど。
君が逃げるのが下手なのはスタミナのスキルが低いせいなんっすから、
序盤からきちんと配分考えて走ることっす。
忘れちゃダメっすよ~─
序盤から。
序盤から?
え? 今更? 何で俺こんなこと忘れてたんだ?
あーもう、だから疲れてるときに難しい事言われても覚えて無いっつーの。
でも、もうひとつだけ覚えているのは、
─あとはリラックスして走るっす。
ここに一匹、ものすごくそれが出来ない勿体無い奴がいるんっすけど─
勿体無い奴?
なんだか余計なことまで思い出してしまったが─
「すみませんがー、あのチャオとのご関係はーっ!?」
「待ってくださーい、悪いようにはしませんからー」
「んなこと言われたら余計怖いっす~」
チャオといえど流石プロ級、Mealとチャクロンは守越について、取材陣と一定の距離を保ったまま観客席後ろの通路を逃げ回っていた。
周りの観客は驚いて振り返っては、ざわざわとどよめく。
「おじーちゃん、疲れてない?」
「失礼な、人間じゃあるまいし衰えたりはせん」
「ふーん・・・おっと」
守越が一瞬だけ親指を右に向けて合図をした刹那、横飛びにひとつ踊場のある階段の降りる方、ではなく隣の1.5メートルほどの壁を飛び越えた。 踊場から降りた先の地点へ綺麗に着地して、一足早く1階下へ到達する。
もちろん、重たい機材をもった取材陣は普通に降りるより仕方が無い。
「!? どこに行った!?」
比較的身軽な男性が一番に降りたころには、一人と二匹の姿は跡形も無かった。