<29> 悪鬼
Final dash <29> 悪鬼
「・・・Galeさーん・・・・・・」
薄明かりのさす部屋に、困った声が鳴る。
Liltaが布団に包まった俺を、ゆさゆさとゆすっていた。
分かってる。 起きなきゃいけないのは、ちゃんと分かってる。
しかし、まぶたは鉛のように重く、それに従うように「もーちょっと寝ていよーぜ」と悪魔がささやくのであった。
「Galeさん、もうこんな時間です」
そんな時間か。 確かにギリギリだな。
「いい加減にしないと─」
どれくらいの加減がいいんだ?
「─Mealさんから罰則がつくかも」
がばっ、と、反射的に身を起こす。
Liltaはびっくりして、あわててベッドから飛びのいた。
「やべっ、そんなこと言ってた?」
「言ってません」
「・・・・・・」
ぽりぽりと頭をかいて、寝ぼけ眼で窓の外を覗いた。
瓦礫の城の小さなチャオたちが、路地をきゃあきゃあと駆け回っている。 もうこんな時間か。
「・・・にしても、意外だな・・・」
「何がです?」
「Mealがあそこまでスパルタだとは思わなかった」
数日続きで痛んでいる足をちょっとつまんでみる。
チャオが筋肉痛になるのはごく稀な事で、かつ余程の事らしい。
「学校のコーチよりひでえ・・・アレ以上のがいたとはな」
「あの厳しさはレース界では結構有名ですよ? 銀色の悪鬼って」
「ただ鬼なんじゃなくて、悪鬼、か・・・」
あながち、間違ってはいない。
めちゃくちゃな課題を課し、ヒトやチャオの苦労を喜んでいるようなフシがあるような気がする。
シャークマウスはにこにこで、加えて半目の目が憎たらしい。 絶対悪気があるんじゃねーか。
それでも、俺を確実に成長させているのは確かなので、何も言い返せない。
「もう明日が本番ですよ? 行きましょう」
「そうだな、逝・・・行こうか」
のろのろとベッドを降りる。
明るめの曇り空。 雨は降らないだろう。
A-Preのレースは、そのシーズンの開幕戦でもある。
従って俺以外のランナーも忙しくなる時期なのだ。
そのせいで連日、地下室は事務所のチャオが殆ど総出だった。
悪鬼は、腕をぶんぶん振り回して待っていた。
連日俺を追いかけ回しているのに、Mealは未だ元気満点だ。
猛スピードで走って来たおかげか、少し遅れただけだった。
「おはよっす~」
「おはようございまーす」
「・・・どーも・・・・」
その瞬間、銀色の悪鬼が、視界から消えた。
キラッ、と何かが証明を反射するのが見えた─上だ。
俺はそのままトラックへ入って駆け出した。 やや後方でチャオの足が地面をこする音がする。
「今日は14周逃げ切るっすよ」
声はわりと近い。 寝起きのせいか、今日は完璧に反応し切れなかった。
段々と速度を速める。 そろそろカーブだ。
少し後ろを盗み見て、Mealの様子を伺う。
・・・─地面を蹴った。
上か、横から直線か─横からだ─
Mealは一直線に俺の隣をすり抜けようとした。
もうあと数十センチと迫られたところで、俺も少し横へ踏み出し、前方へ身を投げる。
─これで差は十分に開いた。 しかしまだ油断も出来ないので、加速を続けた。
これを14周─先は思いやられたが、11,2周の自信はある。
「─危ないっ─あ、大丈夫─?・・・あっ、上から─よしっ!」
「Lilちゃん、楽しそうね」
「えっ? 私─」
渡良瀬がすぐ後ろに立っているのに気がついて、Liltaは頬を赤らめた。
ふたりの様子を見ていると、つい夢中になってしまう。
渡良瀬は微笑んで、同じ方を見据えた。
「今何週目?」
「11周を切ったところです」
「へえ、上手になったのね・・・流石だわ」
LiltaはGaleがなんとかMealを引き離したのをみとめて、彼女を見上げた。
「どっちがですか?」
「両方。 Gale君が根気が良くて飲み込みが早いのもあるけど、5日や6日でここまでの進歩なんて・・・」
「でも、コーチ長の師匠って、A-Lifeクラスの突破者なんですよね?」
「世界最高のコーチとしてて有名なチャオって言ってたわ。 Meal以上だなんて、どんなチャオかしら・・・」
ふたりは暫く黙りこくった。
ややあって、Liltaがぼそっと口を開く。
「・・・鬼コーチ?」
「口調があんな感じだったりして?」
「シャークマウスは確実でしょうか?」
「すごいお酒好きで・・・・?」
その弟子はというと、二人の見ていない間にGaleを抜いてしまっていた。
「だいぶ暗くなっちゃいましたね」
「そーだな・・・前日ぐらい休ませてくれっての・・・」
雲は晴れ、三日月は綺麗に輝いていた。
埃っぽい路地。 やがて逆光によるシルエットを掲げ、瓦礫の城の輪郭が見えてくる。
─俺は目を細めた。 入り口の前に、誰かいる・・・
「やー! お帰りGaleっ♪」
「─Track!?」
奴は、機嫌よくこっちに手を振っていた。