10 「話がしたいんだ」

 10 「話がしたいんだ」


 検体0012号。それがジュエルピュアに与えられた名前だった。
 実験に苦しみは伴わなかった。そもそもジュエルピュアが意識を持って生み出された時、既に実験は完了していたのだ。
 だが、ジュエルピュアは見た。
 多くのチャオたちが、籠の中で放棄されているのを見た。
 苦しんでいた。声が聞こえた。
 ジュエルピュアは訴えた。しかし誰も彼も、彼を検体0012号以外として見る事はなかった。
 同時期、ジュエルピュアはチャオガーデン・プロジェクトに組み込まれていることを知った。その為の実験であったという。
 チャオガーデン・プロジェクトは仮想現実システムを利用し、チャオにとって住みやすい環境をシステム上に作り出し、現実世界とリンクさせることでチャオを一つのガーデンで管理するというものだった。
 その本質は、実験素材の確保と管理費用の削減。
 ただそれだけだった。
 人はチャオのことを見ることはなかった。
 チャオを通して何かを見ることもなかった。
 チャオは単なる材料だった。
 検体0012号の誕生祭が決定された。
 ジュエルピュアは仮想現実システムに細工を施した。
 制御AIを休眠状態にし、自らが制御体となるように設定した。
 目的はただひとつ。
 愚かな人類に復讐し、チャオだけの神聖なる世界を構築すること。
 それがジュエルピュアの望んだことだった。

「今更何を話すことがある?」
 ジュエルピュアは自嘲気味に言う。既に勝敗は決していた。カオスエメラルドを失った今、そして、マザー・コンピューターの力をもってさえマスターエメラルドの超常的な力には対抗できないだろう。
 だが、和利にとって勝敗はどうでもよかった。世界がどうなろうとも知ったことではない。
「俺はお前に共感していたんだ」
 少しずつ、和利は心を開く。
 心の開き方は愛莉から教わったはずだ。愛莉が教えてくれたのは何も自分の目指すべき道だけではない。
「どいつもこいつも仲良しごっこばかりで、まるで宗教みたいなんだよ。そのくせ誰か一人敵を見つけたら徒党を組んで否定し始める。その一人の気持ちなんて、誰も考えさえしない」
 自分はあいつらとは違う、と思っていた。
「みんな仲良し教に入らない人は排除される。罪悪感もない。自分の嫌いを正当化して、自分さえ良ければそれでよくて、人間の九割はそんなゴミとクズしかいない現実に嫌気が差してたんだ」
 でも結局、自分はあいつらとそんなに変わらないと気づいた。
「なんなんだろうな、あいつら。自分と他人が同じじゃないと気がすまないんだよ。同じじゃないやつなんてきっとどうでもいいんだ。身勝手だよ、本当に」
 そうだ。何が自分と違うんだろう。客観的に見てみれば、自分もあいつらも、そう変わりはしない。方向性が違うだけだ。
「俺はゴミとクズしかいない九割を正してくれるなら、そんな世界もいいかなって、考えてた」
 その考えは今も変わっていない。そこに自分がカテゴライズされようと、自分が正される対象にあったとしても、自分がきっとあいつらに納得することは未来永劫ありえないことなのだろう。
「俺はさ、エモさえいればそれでいいと思ってた。エモと一緒に生きていこうって。エモはすごく無邪気で、思いやりもあって、良い子なんだ。九割なんかとは全然違う」
 きっと仮想現実システムを使えば、エモを取り戻すことが出来るのだろう。
 でもそれは仮想現実であって、現実ではない。
 エメラルドの力だってそうだ。こんなものは、自分の現実じゃない。
「でも、エモを守ることが出来なかった。それなのに、もう立ち直ってる。本当のところじゃ、そんなに好きじゃなかったのかもしれない」
 どんなに自分が愛していると思っていても、本当のところではそうじゃないかもしれない。
「だけど、俺はエモと一緒に生きたいって思ったのは絶対に、間違ってなんかいないんだ」
 『一割』になるための通過儀礼のようなものだ、と和利は思った。
 自分は今から『九割』を卒業する。
 誰もみとめてくれないかもしれない。みんなが自分を嗤うかもしれない。けれど、自分で自分を信じられる『一割』になるのはそう難しいことじゃない。
「俺は、自分が間違ってるなんてつゆほども思っちゃいなかった。でも、誰か一人を犠牲にして、自分たちが楽しければそれでいいような奴らだけは間違ってるって思う」
 本当にそうだろうか、とは考えない。
 自分にも他人にも疑問を持ってはならないのだ。
「だから、一緒に」
 エモはいない。二度と帰らない。そのエモを失わせた張本人。それでも。
「一緒に戻ろう」
 ジュエルピュアの表情には何も浮かんでいなかった。
 そうして造り出されたのだ。
 ジュエルピュアに表情が無いのは、ジュエルピュアに感情がないからではない。人の身勝手な都合のせいで、ジュエルピュアは表情を与えられずに生み出された。
 笑うこと、泣くこと、そんな表情変化の機能はない。
 チャオとしての形だけ。
 けれど和利は形だけなんかじゃないと思った。
「全部が元に戻ったら、みんな忘れてるとしても、俺だけは憶えてるから。忘れても思い出すから。一緒に、元の世界に帰ろう」
 言い切った。
 全部が自分の言いたいことだ。一言も欠けてはならない。したいこと。望んだこと。身勝手な行為だと和利は思ったが、どちらにしろ人は身勝手になるしかないのだ。
 自分がしたいことを、するためには。
「今度はお前の番だよ、ジュエルピュア。お前がしたいこと、なんでもいってくれ」
「憎いだろう」
 ジュエルピュアの小さな口を突いて出た言葉は、それだった。
「僕が。エモート君を消した僕が。憎いはずだ。君の愛が偽りだったとしても、それが愛であることに変わりなんてない」
 和利はぽかんと口をあけて目を丸くする。
「君の、たった一人の家族なんだろう」
 ジュエルピュアは罪悪感を覚えているのだ。
 そして、後悔もしている。
 他に方法があったのではないか。
 自分も人とそう変わらないのではないか。
 同じ事をしていては、意味が無い。
 恐らく、と和利は思ったが、なぜだか間違っている気はしなかった。
「エモは大切な家族だったよ。大切な家族だった。今でもそう思ってる」
 でも、と和利は続ける。
「だけど、でも」
 それを認めることは、自分の今までを否定することに等しかった。
 自分の家族はエモ一人だけで、他にはいない。ずっとそうやって生きて来た。
 あいつらは家族じゃない。
 『九割』だ。
 だけど、自分が望むものは。
 自分はただ、みんなで笑いあうことが出来る、そんな場所が。
 そして、それを造るものが自分しかいないのだとしたら。
 最初からそうだったのなら、最初から歪んでいたのならまだしも、どこかで歪んでしまっただけなら。まだ間に合うはずだ。きっと、間に合っていいはずだ。
 だって、自分が欲しいものは、結局のところ。自分が嫌だと思ったことは、結局、最後まで。
 それが本当に欲しいものなら、自分の力で手に入れなければ、その気持ちが嘘になってしまうから。
 だから。
「それでも、俺にはまだ——家族がいるんだ」
 自分が無力だとしても、まだ家族がいる。家族と話すことが出来る。まだやれることはある。
 その言葉を最後に、和利は黙した。
 既に話したい事は終えた。
 あとはジュエルピュア次第だ。
 ジュエルピュアが選ばなければ、自分は前に進むことは出来ない。ジュエルピュアを見捨て、切り捨てた先など、そんな未来に希望は持てない。
 ふっと、ジュエルピュアがマザー・コンピューターに近づいた。
「何を!」
 浩二が叫ぶ。それを先輩が手で制す。
 ジュエルピュアはコンピューターを操作して行く。疎い和利には何をしているのか分からなかった。
 だけど、ジュエルピュアが納得しないまま強制的にリセットしても、意味が無いのだ。それじゃあ、『九割』と変わらない。
 みんなで笑いあうことが出来る世界が欲しい。
 それだけなのだ。
「リセットシステムは」
 ジュエルピュアがキーを指し示す。
「発動した人間以外の記憶はシステム起動時までリターンする。つまり、僕がこれを押せば、僕以外は全てを忘れるということだ。最も制御AIはコンピューターとリンクしている。そこの二人は問題ないだろう」
 発動した人間以外の記憶がリセットされるということは、この期間の出来事を自分しか憶えていない状況になるという意味である。
 つまり。
 制御AIである浩二と、愛莉には二度と会うことは出来ないだろう。よくは分からないが、システムの影響で体を現実化させているに過ぎないのだ。和利が仮想現実システムに関わる機会も、ありそうにない。そもそも関わりがなかったフィールにも会うことは出来ない。
 先輩に会うことはできても、この出来事は一切憶えていないのだ。
「予定通り誕生祭が行われるが、僕が同じことを繰り返すことはないと思う。そもそも制御AIにそんなことをさせてもらえないはずだけどね」
 だけど、自分が押すしかないと和利は思った。
「僕にも分からないよ。記憶を失ったら、心はどうなるのか。変わった人格は記憶がなくてもそのままなのか」
「和利くん!」
 愛莉が叫ぶ。
 平和な世界を取り戻したことで、あと二回のうち一回はパスだろう。
 最後の一回。
「あと一回。今度、何かの形で返すよ。もう会えないかも知れないけど、絶対」
「そうじゃないの、そうじゃ……」
「ジュエルピュア、俺がやる」
 自分が忘れる事は無い。忘れたくはなかった。全部憶えていたかった。フィールが愛莉を止める。先輩は既に別の方を向いていた。浩二が俯いている。
「あなたには、感謝してもしきれません。私がすべきだったことを、」
「こっちこそ、助けてくれてありがとう。それから、フィール」
 挑戦的な視線をフィールへと向ける。フィールは分かっていたように笑って、腕を組んだ。
「俺はお前みたいにはならない」
「分かっているよ。君は俺『みたい』にはならない。恐らくね」
 コンピューターへ向けて歩き出す。マスターエメラルドを置くと、石は光を失った。和利は深呼吸する。
 何か言い忘れた事はないか。
 まだ話す事が残っているんじゃないのか。
 柊たちは大丈夫だろうか。別れの挨拶も出来なかった。
 和利は振り返って、愛莉を見る。心配げなまなざし。制御AIである彼女とは、たぶん、全てを記憶していながら会うことは出来ない。
 仮想現実システムそのものが遠すぎる。
「もう大丈夫だ」
 まだ話したい事はたくさんあるはずなのに、言葉がうまく出てこなかった。
「うん」
「ゆっくり休まないとダメだぞ」
「うん」
「色々とごめん」
「うん」
「じゃあ、じゃあな」
「うん」
 和利は涙が出そうなのを堪えて、ジュエルピュアと目を合わせる。
 できれば、みんなで一緒に戻れたらよかった。
 エモや愛莉と、永遠に、ずっと一緒にいられたらどんなによかったことか。
 ジュエルピュアとだって、きっと気が合うと思うのに。
 でも、決めたことだ。
 まだ自分には家族が残されている。
 二人。
 ずっと喧嘩ばかりで、子供のことなんて全く考えてくれない親がいる。
「じゃあ、な」
 キーを押す。
 光の波。
 景色が消える。
 人が消える。
 暗闇に取り残される。
 自分の感覚がなくなる。
 意識がぼやける。
 七つの光が見える。
 七色に輝く、七つの光だ。
 その光は何かを形作る。
 何かを。
 失ったはずの何かを。
 ぼんやりとしか理解できない。
 何か伝えようとしているのかもしれない。
 導いてくれているのかもしれない。
 お礼を言っているのかもしれない。
 分からない。
 でも、悪い気はしなかった。
 意識が薄れる。
 光が消える。
 そして。


 そして。

このページについて
掲載日
2010年12月23日
ページ番号
11 / 14
この作品について
タイトル
Deus ex machina's CHAO world~はい、私は御都合主義が大好きです~
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2010年12月23日