7 プロフェッサー・ジェラルド・ロボトニック
――SpaceColonyArk/中央制御室/1935時――
彼は選択した。最強の力を得て、彼は立ち上がった。生きることとは時として勝負に喩えられる。彼にとって、今がその時だった。それだけの話だ。難しい事じゃない。
ただ、彼の敗北は世界の敗北と同義であることは紛れもない事実。世界の敗北とはすなわち人類の敗北を差し示す。
しかし彼は選択したのだ。生きる事を。立ち向かう事を。それは辛い選択。逃げない証。根拠や理由は何でもいい。生きてさえいれば、それは生きているのである。
科学者は人の悪い笑みを浮かべた。にやりという表現よりも、にたあ、という表現の方が似合っていた。科学者は常に孤独である。孤独であるからこそ強いのである。腕っ節で誰にも負けた事のない人間と、孤独に耐え続けて来た人間。総合的な強さで考えれば、断然後者が上回る。
それほどに精神というものは難解で、克服しづらく、成長が難しい。だからこそ科学者は力を生み出した。正義に力を与えようと。世界すら敵に回せるように。
一人では出来ない。キャプチャーキャンセラーはキャプチャー能力を封じる事にのみ効果を発揮し、ホバーシューズも稼動限界の枠は超えられなかった。CHAOSのエネルギーを採取し加工したエネルギー銃も万能ではない。圧倒的な“数”を前にした時、無力と化す。
ところがCHAO。自律を遂げた彼らのキャプチャー能力ならば、人類がどれだけ束になろうとも敵わない事だろう。そして大自然の意思に操られしCHAO軍団。彼らはキャプチャー能力さえなければただの兵器とCHAOでしかない。
彼の敵ではないのだろう。
正義とは孤独だ。誰からも理解されず、誰もが敵対する。だが正義を理解する者が現れた時、その力は何倍にも膨れ上がる。なぜか? 正義を他人の存在によって肯定できるからだ。強固なものとなった正義は揺るがない。心が揺るがなければ正義は一定である。
科学者は笑った。駆け上って来い。戦争など大した事はない。阻止し、上り、そして全世界へ叫ぶのだ。“われが正義だ”と。だから、
「君に授けよう。天才科学者たる俺が生み出した、世界唯一の――!」
――プリズンアイランド/連邦政府軍/1940時――
戦争は小康状態にあった。CHAO軍団と名乗る集団との会話が試みられているが、彼らは応じない。ひたすら立ち塞がっているだけだった。まるで何かを守るようにして。
GUN連邦政府本部の将軍、ウェスカー=メイスフィールドは厳格な表情で考えていた。常に二手、三手を読む思慮深さの名高い男である。
CHAOの能力が不明な以上、下手な攻撃は命取りになる。どちらにしろ勝ち戦だ。つまらぬ誤算で台無しにする訳にはいかなかった。
しかし、軍事兵器コードCHAOの能力とは一体何なのだろうか? ウェスカーは何も知らなかった。知らされていなかった、と言った方がより正しい。命令は二つ。コードCHAOは危険分子であり、それを内包する日本帝国のGUNを叩け。それだけ。
「やむを得ん……各部隊へ伝達! 現時刻1940時より、CHAO軍団の殲滅作戦を――」
ぴぴ、と割り込み通信が入った。えらくタイミングの悪い通信である。ウェスカーは舌打ちして顔をしかめながら通信回線をオンにした。
「こちら連邦政府軍大将、ウェスカー=メイスフィールドである。悪いがこれより発令を……」
「今すぐに全兵力を撤退させろ。これは命令である! 今すぐに全兵力を撤退させ、戦争を停止させろ! 従えない場合は容赦なく攻撃を仕掛ける。繰り返す、これは命令だ!」
連邦政府軍大将の地位は、尋常なものではない。努力の積み重ねによってようやく上り詰めた地位である。しかし今の言葉でその地位は揺らいだ。
曲がりなりにも連邦政府軍の将軍に命令とは……ウェスカーは二度目の舌打ちと共に、顔を一層険しくした。
「何者だ。私は連邦政府軍の、」
「研修生だ。無礼ながらあなた方の主張を聞き分けている暇はない。命令を受容できない場合、今すぐにボクは戦闘行為に移行する」
生意気な口調だった。それどころかまだ若い声だ。悪戯だろうか? 皮肉のひとつでも言ってやろうと、ウェスカーはこめかみに青筋を立てながら咳払いする。
「もう一度聞こう。何者かね?」
「研修生だ」
「将軍、緊急事態です!」
別の回線が割り込む。緊急事態なのは承知済みだ。またもや気分を損ねたウェスカーの怒りはあとわずかで頂点に達するところだった。
だが、部下の言葉でそんなことは些細な感情だという他でもない証明になってしまうことになる。
「交戦予測地点に、少年が! どうされますか、将軍!」
開いた口が塞がらないとはこの事だ。送られて来た映像ファイルに、しっかりと映し出されている。軍服の少年の姿が。
彼は両手に拳銃を持っていた。驚くべきは単騎であること。どこを探しても、CHAO軍団と連邦政府軍の間には彼しかいなかった。
この数を相手に単騎。頭が悪いとしか言い様がない。ウェスカーは罠だとも考えたが、ヒーロー気取りの馬鹿はどこにでもいるものである。
「なに、放って置けば良い。各部隊へ伝達! 現時刻1944時より、CHAO軍団の殲滅作戦を開始せよ!」
――プリズンアイランド/プリズンレーン/1945時――
なぜCHAO軍団のCHAOは誰にでも見えて、コードCHAOは見えない人と見える人がいるのか。それは密度にある。
CHAOは一人しかいなければ、“生かすか殺そうとする者”にしか見えない。しかし集まれば見える。認識とはそういうものだ。路傍の石ころには気づかないが、大量の石は目障りだろう。
――と、春樹は解釈していた。だからこの行動には意味がある。今、彼らにとって仲神春樹は『目障り』であり、敵なのだ。注目を浴びている。注目を浴びているということは見せしめに殺される可能性もあるということだ。
チャンスは一度。春樹は拳銃を構えたまま、他に見える者はいないコードCHAOにアイコンタクトを送った。今、コードCHAOは春樹から若干離れた場所にいる。キャプチャー能力の有効範囲拡大。自律進化によって入手した力。
自律。教授は言った。一部のCHAOは自律しているのだろうと。大自然の意思によって操られていたCHAO。CHAOSの駒であったCHAO。何らかの原因で、自律したCHAO。条件は不明。しかし自律進化は能力の向上のために、必要なものである。
警告はなかった。突然だった。銃の発砲音。春樹は微動だにしなかった。信じていたからなどと大層な事ではない。コードCHAOはやるだろう。キャプチャーする。
春樹の心臓を確実に射抜くはずの弾丸は、春樹に命中する前に消滅した。ように見えた。ありえない――GUNの人間は驚愕に目を見開く。消えた。
それは見えない壁に阻まれた、魔法に近い何か。GUNの隊員は各々に恐怖を表す。恐怖は人間を相手にするときに限りかなりの武器となる。
恐怖に蝕まれた精神は身体を動かすのにタイムラグが生じる。当たり前だ。何かを考えている時に別の何かに集中できるか否か。まして子供を殺すのに罪悪感を感じない訳がない。
先刻まで単なる少年に過ぎなかった仲神春樹は、一転して悪魔となった。
「もう一度告げる。撤退しろ」
メイスフィールド。アリシアの父か誰かだろうか? 知った事ではなかった。上官だろうと間違っていることは間違っているのだ。
間違いは正す。至極当然。
だが、うまくいっていたはずの作戦は一瞬で終わることとなった。一発の弾丸。春樹の遥か横を通り過ぎ、CHAO軍団の兵器に命中――正確には命中することなく、目前で消滅した。
戦争において、先に手を出したのはどっちだ、なんて理屈は通用しない。勝者は正義となる。一発の弾丸がきっかけとなっただけ。
GUNが一斉に声を張り上げる。恐怖を振り払う声を。押し寄せる。春樹は一瞬で判断を下した。この数は防ぎきれない。ならばと春樹はホバーシューズとキャプチャーキャンセラーを起動した。
キャプチャーキャンセラーの有効範囲は自分を中心に半径30m空間。非常に広い空間を無効化する。しかしこれは諸刃の剣だった。コードCHAOのキャプチャー能力すら封じてしまうのだから。
両手の拳銃を構える。止められない。まだやれることはある。春樹は走って来たコードCHAOの腕を掴んで飛行した。オーバー・テクノロジーに驚愕したのは人間だけではない。CHAO軍団のCHAOも同様だった。
「急ごう。アイアンゲートはもうすぐだ」
やれることはやった。こうなれば最後の手段だ。
CHAOSを止める。
――プリズンアイランド/アイアンゲート/2001時――
警備メカは機能していなかった。さしずめ教授の仕業だろう。アイアンゲートの深部。隠された場所に、スペースシャトルはあった。
白い塗装を施された縦長の巨人。圧倒されるほどの大きさに、春樹は思わず溜息を漏らす。入り口までには梯子が掛かっていた。さっと登り行き、船内に身を割り込ませる。コードCHAOが付いてきたことを確認して、春樹は奥へ進み、操縦席に座った。
出来る限りすばやくシャトルを起動させる。システムをオートパイロットモードに切り替えて、カウントダウンが開始する。
「スペースシャトルは動かしたことがあるのか、春樹?」
「本で見た。経験はない」
Gが掛かる。地面が揺れているような感覚。実際に揺れているのは地面ではない。飛ぶ。システムが遠隔操作モードに切り替わる。教授か、あるいはCHAOSからのハッキング。賭けだった。教授であることを祈る。
地球から離れるごとに、春樹は郷愁を感じた。走馬灯と似たような感覚も得た。宇宙。いつしか人は宇宙へ飛び立つ日が来るのだろうか?
永遠に近い長い時間を経て、スペースシャトルは宇宙を飛ぶ。大気圏を突破し、目前に茶色い外殻を持つコロニーが見える。Ark。始まりの地にして終わりの地。
シャトルが着陸する。轟音が唸る。そして。
春樹は体を投げ捨てるように飛び降りた。コードCHAOを連れ立って。中央制御室。Arkの内部地図は頭に入っていない。
ひたすら走る。立ち止まっていられない。走る。中央制御室へ。走る。無人の宇宙コロニー。不気味な雰囲気は確かにあった。しかしそれ以上の使命感に囚われていた。
窓からは黒い空間が見えていた。きらきら光る星と、青くて丸い故郷。感動的、と言ってもいい。自分は宇宙に来たのだ。
ようやく、辿り着く。長い道のりだった。だけど着いた。道に迷った。それでも着いたのだ。春樹は溜息をつく。思えばコードCHAOと出会ってからまだ一日すら経っていない。よくもまあ一日で計画が進むものだと感心して、笑う。
変わった。自分が。何より変わった。中央制御室は開けた場所だった。そのぴったり中央に、彼はいた。教授である。
「初めまして、仲神春樹くん。俺がプロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックだ」
「初めましてプロフェッサー。単刀直入にたずねます。CHAOSはどこにいますか?」
ふ、と教授は笑った。コードCHAOと春樹はそろって顔を見合わせる。
「ずっと君と一緒にいたさ。そして、今もここにいる」
「今も……?」
「知っているかい? 彼は――CHAOSは液状生命体なんだ。俺は彼のメインコンピュータへアクセスできる。といっても、彼の居場所や視界を少し覗く程度だがね。おっと許しておくれ、俺は科学者だ。つい話が長くなってしまう。すまないな」
そんな謝罪はどうでもよかった。それより問題は……。
「思い出してみるといい。水滴、光る目、どこから感じるでもない悪寒と視線。そうだ、CHAOSは君の後ろにいたんだよ」
刹那、春樹は確かにそれを感じた。戦士の本能か、あるいは経験か。
後ろを振り向いて電磁ソードを構える。水滴が飛び散った。水は切れない。敵は、絶望するほどに強敵だ。液状生命体というだけで。
「あのとき、研究所で感じた恐怖は……緑色のライトも……ところどころで感じた悪寒も……すべて、こいつだったというわけか」
液状。水分によって構成された体。透けた脳。緑色の目。人と変わらない大きさ。
電流は通用するだろうか? あの脳は弱点なのか? 能力は? 蒸発はさせられるか? 水分を土の中に染み込ませる事は?
「キャプチャーは……出来るか?」
「奴はキャプチャー能力を持つ。その上、奴はキャプチャーしても分離出来る。体の分離も可能だ。やれそうか? 無理だろうな。無理だと思ってたよ。でも諦めないんだろ? 痺れるね、そういうところ」
だから、と教授は続ける。
「小洒落た兵器を用意させてもらった。中央制御室の最奥部へ来い。超特大のエクリプス・キャノンがあるぜ」
「エクリプス……キャノン」
名前だけは大層な代物だ。だが賭けてみる価値はある。春樹はコードCHAOに目配せすると、頷きあった。電磁ソードを腰のホックに引っ掛け、エネルギー銃を構える。
教授とコードCHAOは駆け出した。相手はキャプチャー能力を持っている。キャプチャーキャンセラー起動。水色の光が腕輪から発された。ホバーシューズ起動。一陣の風が舞う。
勝てるかどうか、ではなく。負けるわけにはいかない、でもなく。春樹は勝つ。不死の敵だろうと。あらゆる攻撃を無効化されようと。
そういう天才になったのだから。
射出。水滴が飛ぶ。CHAOSは液状ならではの不規則な動きで春樹に近づいた。とっさに電磁ソードを掴む。胴を真っ二つに居合い切り。しかし、CHAOSは飛び散った水分さえ吸収して元の体を取り戻した。
では、と電磁ソードを再び腰に掛けた。銃は乱射できない。コードCHAOのキャプチャー能力がなければ動力は無限ではないのだ。
エネルギー銃をホルダーにしまい、春樹は素手で構えを取る。
「お前はそれで満足か」
会話が通じるかどうかはわからない。わからないのなら実践すればいい。
「なら、一生縮こまっていろ」
通じるまで。
「ボクは諦めないぞ」
――SpaceColonyArk/中央制御室最奥部/2035時――
最奥部には、エクリプスキャノンの制御装置が設置されていた。コードCHAOは自らの役割を把握する。本来そのような巨大な砲台を、室内に置く事は出来ない。だがエネルギーだけを持ち出すなら可能だ。
キャプチャー能力ならば。コードCHAOは教授の後に黙って続く。
「キャプチャー能力には、確かリミッターがあったな」
「そうだ。ある」
「エクリプスキャノンを可能な限りキャプチャーしてみてくれ。……出来るといいが」
教授にしては後ろ向きな発言に、コードCHAOは首をかしげる。そこには七つの綺麗な宝石が埋め込まれてあった。
キャプチャーする。底知れない何かが自分の中に溢れて来る。膨大なエネルギー。それは自分の器を埋め尽くす。
ポヨが変色しつつあった。黄色からオレンジへ。オレンジから赤へ。ついにリミットが来る。だがまだ行けると、コードCHAOはキャプチャーを続けた。体が熱くなる。奥底から熱が沸き起こる。
透き通るような鈴の音がする。キャプチャーが唐突に解除された。振り向くと教授がにっこりと笑っていた。
「どうし……」
「だめだ。中止中止。たった一人のキャプチャーでは奴を吹き飛ばせない。細胞と水分の残す限り、奴は不滅だ。空中に飛散する水分ですら例外ではない。スペースシャトルは一機。今から行って帰ってきて、間に合うか? 戦争はどうなる? 計算ミスだ。だが諦めんよ。ほかの方法を探そう」
「ワタシは可能だ。出来る」
その瞳には意思があった。大自然の意思ではない。コードCHAO自身の意志。自律を遂げた『チャオ』。しかし出来ないものは出来ない。無謀と無茶は違うのだ。
万事休す。プロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックは考える。天才的頭脳を持ち合わせているのなら何か打開策が練られるはずだ。考えろ。考えることにだけ人生を使ってきた。ならば答えは出るはずだ。考えろ。
そもそもCHAOSはどうやって計画を立てて来た? CHAOだ。大自然の意思とリンクしたCHAOS。CHAOSはCHAOとリンクさせた。リンク。ハイパーリンクシステム。
「出来るかもしれない」
教授は目の前のコンピュータを動かし始めた。パネルをタッチするごとに画面がころころと変わる。ハイパーリンクシステムによって共有するのは記憶とCHAOSの支配下にあるという点。
能力は共有できるだろうか? わからない。だが出来ると信じたかった。共有できれば、その容量は何十倍にも、何百倍にも膨れ上がるだろう。
賭けるしかない。教授はキーをタッチした。
「チャオ。お前の力で、チャオの発するキャプチャー能力をキャプチャーしてくれ」