8 チャオ
街中に映像が流れていた。戦争。謎の生命体、コードCHAOと超能力を使う兵器の軍団。連邦政府GUN。二者は争っていた。何かを手に入れる争いではなかった。単純明快な、生存競争。
人々は不安に駆られていた。身近な戦争。もしかしたら、という未知の恐怖。戦争は続いていた。殺し合って、人間の数はどんどん減って行く。
CHAOは可愛らしい姿と反面、なにかに取りつかれたように辺り全てを取り込んでいく。それが兵器だろうと、人体だろうと、例外はなく。
二者はひたすらに互いを削り合っていた。
「ひどい……」
アリシアは呟く。連邦政府GUN。あれは父の軍だ。どうして愚かな事を、と思う。戦争を止める手段として戦争を使うのはあまりに愚かな行為だ。
あれは手に入れるための戦いではなかった。防衛戦でもなかった。残酷な殺し合いなのだ。憎み合う者同士が殺し合う。ただそれだけの戦いだった。
「チャオ、あなたたちは、この為に生れて来たの……?」
仁恵の声に、白いチャオは俯く。
しかし。
だが。
大翔は笑っていた。皆が不安に駆られているから。恐怖に支配されているから。人間が負けているから。絶好の機会だ。まるで狙ったかのようなタイミング。
映像が変わる。世界中のノンマットビジョンがハックされ、一人の少年と液状の生命体が映された。二人は戦う。それは何かを手に入れるための戦いだった。
一方的でもなく。
殺戮でもなく。
二人は己の手に入れたい世界の為に戦っているのだ。
「春樹!」
ああ、そうだと大翔は満面の笑みを浮かべる。戦っているのだ。天才が。誰にも負けない天才が戦っている。人類に滅亡の未来はない。
CHAOSが一歩退いた。液状の腕が伸びる。腕はぐわっと変形し、春樹の背後を取った。電磁ソードを振り回し、腕と本体を分離させる。腕は水滴となり、重力にしたがった。
ところが、斬られた腕は一瞬で再生する。キリのない戦いだ。しかしそれで良かった。春樹は傷つきながらも倒れはしない。決して倒れはしないのだから。
――プリズンアイランド/プリズンレーン/2120時――
戦争は止まった。終わった訳ではない。示し合わせた訳でもない。映像に気を取られていた。人間も、CHAOも。狂った歯車のように機械音を奏でた兵器だけが、おかしくも動いていた。
CHAOSの猛攻を避け、体を切る。液体は何度も再生する。蒸発させようとも、それは水分でしかない。空気中の水分すらことごとく燃やしつくす兵器が必要だ。つまりは核。
だがCHAOSも馬鹿ではない。その前に逃げるだろう。だからこその戦い。そして戦いでは核は撃てず、すばやく逃げられる可能性もある。だからこその奇襲。
エクリプスキャノンのエネルギーをCHAOのキャプチャーによって吸収し、直接ぶつける。目的はただひとつだ。春樹は電磁ソードを盾のように構えた。
『憎いか、ボクが』
春樹は問い掛けた。言葉は通じていないのかもしれない。しかし問い掛けずにはいられないのだ。
『憎め。それごとボクが消し飛ばしてやる』
もしCHAOSが本当に人類の滅亡を望んでいるなら――……。
とっくの昔に、春樹はキャプチャーされて無の空間をさまようこととなっただろう。
もしCHAOSが本当にCHAOを支配の道具と考えていたなら――……。
万能のキャプチャーによってCHAOから自律進化の機能を消滅させていただろう。
もしCHAOSが本当に春樹を殺したいのなら。
フラッシュバックする。研究所――悪寒――視線――緑色の光。導くかのように、誘うように。CHAOSは春樹をここまで連れて来た。
直感でそれを理解する。CHAOSは止めて欲しいのだ。片方で世界の滅亡を計画しつつも、片方ではそれを阻止したがっていたるのだ。
CHAOSの両腕が巨大化する。そうだ。人体にも水分はある。水分が彼の支配下にあるというのなら、人体の水分すら吸収されているはずだった。しかし春樹は無事だ。なぜか。
『自然を殺す人間が憎いか』
期待しているのだ。どうにかして止めてくれと。殺したくはないと。
『分かっているさ。聞こえているとも。ボクが止めてやる』
電磁ソードが分離する。細長い二本の剣。本来電磁ソードは装甲を突き破る為に作りだされた兵器だ。振動を加えたソード型のチェーンソー。ゆえに高振動電磁ソードの分離システムにそれほど意味はない。
だが、敵が液状ともなれば話は別になる。水に装甲はない。ならば。
「研修生、仲神春樹――これより軍事兵器コードCHAOSを抹殺する」
――SpaceColonyArk/中央制御室/2130時――
切断。液状の体を切る。再生と切断を繰り返す。それでもCHAOSの脳を傷つけるまでには至らない。水分を巧みに使い、防御する。
激流の水圧。高振動電磁ソードが振動によって切り裂くように、CHAOSのそれも水圧によって全てを切り裂く。当たれば即死。避けても危険。
乗っ取られ始めているのか――春樹は俯いた。早く殺してやらねばならない。
がくっと膝が落ちた。あまりにも予想に反した現象だった。CHAOSの液状の腕が迫る。すんでのところで回避し、春樹は両手の電磁ソードを前に構えた。
限界。体力の限界。死ぬわけにはいかない。現実の理論など全て無視しなければならない。なんとか時間を稼がなければならない。
償いか。
あるいは正義の為か。
責任が誰にあるか。どうでも良い事だ。自分のすべきこと。
「限界まで付き合ってくれ、CHAOS……!」
足に力を込める。行けるはずだ。行けなくてはおかしい。電磁ソードを握る手に力を込める。
踏み込んだ。剣を振るう。避けられる。続いて一撃。これも回避。体の反応が鈍くなる。液体の剣が真上に迫った。思考が止まる。反応がない。
死が間近となる。ここで終わるわけにはいかないのだ。
いかないのに。
液体の剣が消滅した。
――GUN日本帝国本部/北門/2146時――
白いチャオの頭上の球体が唐突に輝き始めたのを見たとき、仁恵には何が起こっているのか分らなかった。
しかし映像で春樹の死が迫った時、液状生命体の腕が消えたのを見て、察する。
キャプチャー能力の有効範囲は宇宙まで届くほど万能ではない。逆にいえば宇宙から届くほど万能でもない。
だが、現にキャプチャー能力は発生していた。
「あなた、何を……」
「リンクが戻ったの。あたたかい。冷たい感触じゃない、リンクが戻った」
「リンク?」
ハイパーリンクシステム。CHAOSがCHAOを支配する際に使っていたCHAO同士の記憶を共有するシステム。
「声の人が、泣いてる」
「声の人?」
「助けてって言う声の人が、泣いてる」
仁恵は映像を見た。CHAOSの腕は春樹に近づくことすら許されず、消滅する。キャプチャー能力だとでもいうのだろうか?
春樹の右手首にあるキャプチャーキャンセラーは光っていた。作動中。なのにどうして。
頭上の球体はその輝きを増す。CHAOSの体は消えては再生し、消えては再生し、延々とその繰り返しだった。春樹はもう動こうとすらしない。黙ってCHAOSを見続けるだけ。
「チャオが、やってるの?」
「うん。わたしたちが、やってるの」
わたしたちと言った。
いったい誰なのだろうか。
春樹を守っているのは、いったい――
――SpaceColonyArk/中央制御室最奥部/2150時――
チャオ・リンクシステム。戦闘に集中するCHAOSのハイパーリンクシステムをハックし、独自に改ざんを施した教授のアイディアだった。
コードCHAO。青いコードCHAOの元に収集されたキャプチャー能力の波を接続し、キャプチャー能力の容量を広げる。その中でコードCHAOは、CHAOSの声を確かに聞いた。
「ワタシを止めてくれ――」
「なんだって?」
教授は問い返す。CHAOSは言っていた。違う未来から来た自分だからこそ出来ること。コードCHAOはそれを知っている。
自らを犠牲にして世界を救った仲神春樹。大自然の意思はその時確かに悲しんでいた。コードCHAOは思い出す。
エクリプスキャノンのエネルギーが体に充満する。無限に思われた。自分の器。ひとりではなかった。チャオがいた。誰かがいた。意識が伝わってくる。声が聞こえる。泣いている。
「エクリプスキャノンのエネルギーに限界はない」
「なぜ」
「そういう永久機関を使っているんだ、動力にな」
教授は宝石を見上げた。目の前に嵌っている七つの石。不可能と言われた永久機関。
「大自然の意思と接続したときのデータからサルベージした。奇跡を起こす石、だそうだ」
コードCHAOの体の周りに、きらきらした光が舞う。力が沸いて来る。無限の力。コードCHAOは宝石をキャプチャーしようと手を伸ばした。
七つ。石が舞う。教授はそれを驚きの眼で見つめる。コードCHAOが微笑んだ。キャプチャーしきれないエネルギーが、CHAOを中心にぐるぐると回転する。
そして、消えた。
見た事もない場所を通って、CHAOは春樹の元へ走る。遅くてもいい。とにかく走る。
出口が見えた。飛び込む。宝石は未だCHAOの周囲を回っていた。
その先に、CHAOSがいた。
「コードCHAO!」
「準備は出来た」
CHAOSの体は何度にもわたる吸収によって、水が人の形に固形化していなかった。春樹は体の底から力を振り絞って跳び退く。
電磁ソードをかなぐり捨て、春樹は二丁の拳銃を手にした。セーフティロックを外して、引き金部分を収納し、取っ手を回転させ、細長いようにした。
もうひとつの拳銃に接続する。さしずめ小型の狙撃銃のようだった。
「エネルギーを!」
一瞬だった。膨大な金色のエネルギーが蓄積する。銃身からあふれ出るがごとく、エネルギーは肥大化する。
CHAOSは動かない。避けようとすらしない。どこか待ちかまえている雰囲気もあった。
「CHAOS。ワタシは人と共に生きて行く。大自然が滅亡の一途を辿ろうとも」
銃身から溢れるエネルギーが青く光り出す。行ける。春樹は引き金に指を掛けた。チャンスは一度きり。外しはしない。的あては得意技だった。外すわけがない。
狙いを付ける。出来るはずだ。集中する。世界が自分一人になる感覚。聞こえる音も、見える世界も、全てがどこか遠い。そんな世界に、一人で春樹はいた。
目的は、ただひとつ。
命中させる。
キャプチャーキャンセラーの輝きが解け、中央制御室にキャプチャー能力の空間が張り巡る。エクリプスキャノン。青いレーザーはCHAOSの体を貫き、水分を消し飛ばす。
反動で春樹が一瞬よろめいた。だが床に根を生やしたようにぴたりと足を付ける。エクリプスキャノンによって放出したエネルギーは張り巡らせたキャプチャー能力により吸収され、吸収されたエネルギーはエネルギー銃に充填されて行く。
永久機関。
「CHAOS、ボクは少数派なんだ……!」
叫ぶ。
「お前の意志はボクが受け継ぐ! だから!」
叫ぶ。
「消えろ! 大自然の意思と共に!」
――プリズンアイランド/プリズンレーン/2212時――
「終わったのか」
ウェスカーは呟いた。映像に見入ってしまっていた自分がいることに、驚く。だが自分たちの目の前に現れ戦争の停止を要求し、オーバーテクノロジーを見せつけて去って行った彼が、まさかSCA計画に関連していたとは。
先程から入る部下からの指令要求も、CHAO軍団が完全に停止した事も、謎の生命体コードCHAOの戦意が喪失したらしく、各々好き勝手に遊び始めた事も。
耳に入らなかった。ウェスカーは彼が放った、あのエネルギーに恐怖していたのだ。恐らくあれはSCA計画の最終段階に搭載される予定だった――
ふと、映像が切り替わる。いまわしい科学者の映像だった。プロフェッサーと呼ばれる天才。SCA計画の第一人者。
『こんにちは、みなさん。私の名はジェラルド・ロボトニック。先程の映像で見て頂けたとは思いますが、あれは衛星破壊兵器エクリプスキャノンです』
やはりか、とウェスカーは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
『現在、この兵器は私の制御下にあります。この意味がお分かりですね。その上で私は、現在起こっているCHAO軍団との戦争の停止、GUNの軍事力縮小、およびCHAOと人類の共存を提案したい』
――GUN日本帝国本部/北門/2214時――
『今すぐ受け容れろというのも難しいでしょう。しかし我々には彼らを救う義務がある』
「叔父さん!?」
教授のしようとしていることは単純明快だ。
エクリプスキャノンを材料に、全世界を脅迫している。
やり方は卑怯だが、確かにあの威力は驚異だった。そして宇宙からいつでも撃てるという事実も、また。
『CHAOにもはや戦意はありません。彼らは保護されなくてはならない。世界中のみなさん、よろしいでしょうか。彼らは人類の敵ではない。ただ自然を守ろうと立ち上がった者たちです。その気持ちは、私たちも同じなのではないでしょうか』
「詭弁ですね……あんな大量殺戮兵器を振りかざしておいて」
「まあいいじゃねえか」
――SpaceColonyArk/中央制御室/2216時――
「事実上の世界征服か」
春樹は疲労困憊の体を叱咤して最奥部へ向かっていた。七つの宝石はいまやその色を失っている。コードCHAOも無理なキャプチャーを続けたせいか、普段よりもやつれて見えた。
演説の内容は春樹にも聞こえていた。エクリプスキャノンの脅威をネタに世界を支配するつもりだろう。裏からではなく表からというところが彼らしい。
『その他の件については、私が派遣するSpaceColonyArkのエージェントが担当しましょう。では、第一回CHAOサミットにて、再びお目にかかります』
「そのエージェントというのは、ボクか?」
にっこりと教授が微笑んだ。無言の肯定に、春樹は笑いながら溜息をつく。隣でコードCHAOの頭上の球体が疑問を表しているのに気が付いて、春樹はもう一度笑った。
突如として出現したCHAO軍団と戦争、そしてSpaceColonyArk。エクリプスキャノンの脅威。
後にこの一日は、動乱のイレブンとして語り継がれることになる。
――epilogue/0000時――
雪の降る街を、一匹のチャオが駆けていた。たび重なる研究の結果、彼らは特定の環境下においてしか生存できないことが発表されたのだ。
チャオのタマゴが高価で売買されるようになった。良い傾向なのか、悪い傾向なのかは分からない。ただ、チャオが着実に受け容れられていることは、確かである。
何回にもおよぶサミットにより、GUNはその規模を縮小された。代わりとして各国には軍事力に使用しない事を条件とする疑似永久機関の提供を約束した。
話を現在に戻す。雪の降る街を、一匹のチャオが駆けていた。青いチャオである。彼は一心不乱に走る。チャオのために作られた街が、世界中のいたるところにあった。ここもその中のひとつである。これはとある少年のおかげだ。
だから彼は走っているのだった。ノンマットビジョンでは各地の異変が報道されている。なんでもチャオが――特に人に飼われていない『一世代目』のチャオたちが大移動を開始している、との情報だ。
雪の降る街を、一匹のチャオが駆けていた。その反対側から、チャオが飛んで来る。空から、次々と集まってくる。
少年は異変を感じて目を覚ました。
声が近付いて来る。なんだろう、と疑問に思って、彼は腰のホルダーに手を掛けた。
そこには、もう拳銃はない。
絶対な安全の確保された街。
チャオガーデン。
ふっと微笑んで、彼は後ろを見る。一人の女性が起き上って窓の外を見た。きゃっきゃと体全体で喜びを表現している。そのあほらしさに微笑みを増して、何事かと窓の外をのぞきこんだ。
「 」
ああ、久しぶり。
「 」
元気だったよ。
「 」
帰れる保証はあるのか?
「 」
そうだったな。
「 」
では、行こうか。
「どこか行くのね、また」
女性が呟いた。少年は頷く。多くのチャオに期待され、少年の姿はその体よりも大きく見えた。
いつも持ち歩いている銃も、本当は、殺すための銃じゃないのだろう、少年にとって。
だけどそうしなければならないときが来るから。
少年は雪の積もった街に並ぶチャオたちに、微笑みかけた。
「必ず帰ってきて」
頷く。
そうして少年は、絵具をぬりたくったような白い空に飛び込んだ。
コードCHAOを抹殺せよ/The-Temporary-Truth
THE END