3 大倉仁恵

 ――GUN日本帝国本部/西区詰め所/1130時――


 ばん! 机を思い切り叩いた少女の名は、アリシア。アリシア=メイスフィールド中尉である。連邦政府のGUNから来た『精鋭』であるが、その外見から苦労は人の三倍と噂される。
 面と向かっているのは、特待研修生、仲神春樹――と、コードCHAO。念のためコードCHAOはアリシアの死角にいたが、どちらにしろ彼女には見えていないだろう。コードCHAOの存在を認識出来るのは、それを“生かすか殺そう”としているものに限定される。
 最も、今はむしろ矛先をそちらへ向けてくれた方が春樹にとって都合が良かった。アリシアの説教はとにかく長い。他の数人(居残り組)には小言しか言わないが、特別春樹にだけは厳しいのだ。

「どうして遺伝子研究所などにいたのです! 一体、何の任務で!」
「お言葉ですが中尉、任務ではありません。少々見識を広めようと街を見回っていたところ、門番の挙動がおかしかったものですから。案の定研究所内部は崩壊していました」

 アリシアは言葉に詰まった。確かに不審な点は多い。研究所内部の崩壊だけでなく、外壁に戦闘痕がない事や崩壊の事実が報告さえなかった事。何より怪しいのは門番がその事に気付かなかった事だ。
 定時連絡はなかったのか。内部に侵入した者はいなかったのか。また脱出者は? 物音は? そう、全てが怪しいのだ。それを考えれば、春樹がいた事など些細な事である。
 キッ! とアリシアは目を吊り上げた。体が震える。悪寒が走る。小さな体から醸し出される威圧感に、恐怖する。

「今後一切、勝手な行動は慎んで下さい! もし異変があれば支給されている端末で私に連絡する事! よいですね、cold-blooded!」
「はっ! 了解しました!」
「下がってよろしい!」

 さっと回転椅子に身を投げるアリシア。そういう行動が『子供っぽい』と思われる原因なのではと思ったが、何も言わずに敬礼して、春樹は退室した。
 その陰に隠れてコードCHAOも退室する。廊下を歩きながら二人は目を見合わせた。

「収穫は?」

 研究所。アリシアに見付かった直後にコードCHAOが発見した文書を、キャプチャー能力により吸収したのだった。便利なものである。コードCHAOは右手から波紋のようなものを発生させて、そこから文書を取り出した。

「教授から電子文書が届いていた」
「内容は?」
「SCAにて待つ」

 SCA? 春樹は記憶を呼び起こそうとして、やめた。研究所に送られて来たものなら、春樹宛ではないだろう。知っているはずがない。よほど予測力に長けた者でなければ、不可能である。特待研修生、仲神春樹があの研究所へ侵入するなどというのは。
 ちらりと見れば、ファックスの送られた時間は10時40分。ちょうどアリシアが春樹を見付けたくらいの時間だった。どこかに監視カメラがあったなら別だが、天井はほぼ崩壊していたためにそれもないだろう。そもそも、教授は自分の事を知っているのだろうか?
 コードCHAOが話したのなら別だが……いや、コードCHAOは教授からのファックスだと言ったが、文書のどこにも教授の名前は書いていない。信用もできない。罠かもしれない。

「どうして教授からだと?」
「指定された場所には教授しかいない」
「どこだか分かるのか?」

 無言。答えられない、という事だろうか? 言われてみればコードCHAOには答えられない事があまりにも多い。『自分と同じ』だからとはいえ、信用できるかと問われれば答えはNoだ。
 何を信じれば良いのだろう。春樹は立ち止まる。幼い頃、もっと世の中は簡単で単純だったはずだ。世界を肌で感じ、触れ合う心地好さ。いつの間に歪んでしまったのだろう。いつから、変わってしまったのだろう。
 黙る。人は信用できない。コードCHAOも信用できない。だから黙る。不信感がそうさせる。不安になる。恐怖を覚える。そうしていずれ忘れるのだ。そこに適応してしまうから。

「今は話せない」

 言い訳のように、CHAOは繰り返した。


 ――日本帝国/帝都北区/1147時――


 吐息が白く濁る。肌を刺すような寒さ。気分をも曇らせる空。大倉仁恵はぎゅうっと両手を合わせた。暖房設備の整った現代といえど、外は冷え込む。中が暖かいせいで余計だ。右手で髪の毛に付いた霜を振り払う。
 珍しく今日の午後からは非番だったので、仁恵は帰宅する事にした。春樹の様子は気になるが、きっと彼ならば大丈夫だろう。むしろ体調を考えて休息を取った方が良い。
 仁恵はクリスマスソングを口ずさんで歩きだした。技術と文化の発達した現代だが、残念というべきか未だ四輪自動車の交通量は多い。二輪自転車の規制によって事故自体は減っているものの、やはり事故は起こるものだ。
 だからその時も、自然に注意して見ていたのが幸いした。
 横断歩道に白い生き物がいる。自動車の接近に気付いているようだが、その場でおろおろと戸惑っていた。とっさの判断、仁恵はガードレールを飛び越えてその生き物を抱え込む。クラクションの音と同時に反対側へと飛び込んだ。
 耳をつんざくブレーキ音がして、自動車が止まる。

「なに考えてんだー!」
「こっちの台詞よ! なに考えてんの、あんた!」

 すると運転手は奇妙なものでも見る目つきでそそくさと自動車を発進させた。
 回りを見れば、通行人の注目の的になっている。ひそひそと話している雰囲気から、仁恵はただ事ではない何かを察した。救急車を呼ぶ人がいてもおかしくはないというのに、誰一人そういった行動を起こさない。
 どうしてだろう? 仁恵は抱き抱えている生き物を見た。目が合う。確かに――見た事もない生き物かもしれない。だからといって見捨てるだろうか? ありえない、と仁恵は思った。
 生きているなら、死なせてはならない。当たり前のことだ。仁恵は冷たい街の住人にそれと同じくらいの冷たい視線を投げかけて、走り出した。


 ――帝都北区/大倉仁恵宅/1210時――


 その生き物の体は冷たかった。白い体。頭の上に変なものが浮いているが、仁恵は気にしないことにした。この生き物は風邪を引くのだろうか? 分からない。薬は効くのか? 不明。
 とにかく温かくしなければならない。タオルをお湯に濡らす。あたたかい。ベッドに寝転がらせて、タオルを額に置いてみた。布団を被らせる。
 元気になって欲しい。そういえば、前にも同じような事があった気がした。ずっと前だ。小学生の頃だったか。叔父に連れられて行った先の研究所の近く。思い出せない。何か大切な事があったはずなのに。
 ストーブを付けた。灯油はない。現代、灯油を使ったストーブは使用率が減っている。ほとんどが電気ストーブだ。だんだんと暖かくなる。
 うとうとと舟を漕ぎ始めた。眠い。きっと長く続いていた仕事が終わってゆっくりと出来る時間があまりとれなかったせいだろう。春樹は大丈夫だろうか? 本当はとても心配だった。出来る事ならずっと付いていたかった。出来ない。しかし出来ない。彼がそれを望んでいなかったから。
 眠ってしまえば、この白い生き物の面倒は誰が見るのか。駄目だ。仁恵はすっと立ち上がった。両手で挟むように頬を叩く。

「大丈夫……?」

 どうして誰も助けようとしなかったのだろう。どうして。“目に入らなかった”のか。違う、と仁恵は思った。“目に入れようとしなかった”のだ。
 人は無関心だ。周りに目を向けようとしない。どうでもいい人が幸せだろうと、救いを求めていようと、それはどうでもいい人に他ならない。まして人ではない者など。
 怒りが湧いてきた。

「わ、わたしは……」
「大丈夫?」

 白い生き物が口をぽそっと開けた。それより頭の上のふわふわした丸いものが気になる。仁恵は白い生き物の頭を撫でながら、ちらちらとそれを見ていた。ふわふわ。これは何なのだろう。

(ちょっと触るだけなら……いや、駄目! う、でもちょっとだけなら……)

 つん。突いてみる。柔らかい。もう一回突いてみる。柔らかい。リハビリボールのような柔らかさだった。
 連続で突く。面白い。白い生き物がぴくっと反応した。これ、神経通じてんの? とありがちな疑問を浮かべる。がしっと掴んだ。

「おおー……」
「や、やめて……」
「ごめんなさい! 触っちゃいけなかった?」

 ばっと手を離して仁恵は立ち上がった。どうやら触っちゃいけないらしい。むう、と口をへの字に曲げるもつかの間、再びその生き物の頭を撫でる。

「あなたは、誰?」
「わたし、わたしは……CHAO。コードCHAO。大自然の……あれ?」

 CHAOは起き上がった。ぺたぺたと自分の体を触る。何かおかしいところでもあったのか? それとも何か落としたのか?
 ベッドの上に立って、CHAOはジャンプした。何がしたいのか。確かに仁恵もたまにやる。柔らかいベッドはジャンプすると跳ねて気持ちいい。だが、そういう訳でもないようだ。

「リンクが、切れてる……?」

 よく見ると頭の後ろに髪の毛のような……、とにかく頭が伸びていた。髪の毛のように。不思議なUMA、CHAO。

「わたしは、自由……?」
「自由よ。自由じゃないなんてこと、ないわ」

 頭を撫でる。本当に何が起こったのか分からない表情をして、CHAOは口をぽっかり開けていた。
 リンクとは何なのか。まったく分からないが……今はそっとして置くべきだという仁恵の思いと裏腹に、CHAOはぼそぼそとしゃべり始める。

「CHAOは大自然の意思体。素体の分子。人類を滅ぼすために生み出された。CHAOSによって」
「人類を滅ぼすって、……あなたが?」
「わたしたちが。そのはずだったの。でも、わたしはリンクが切断された。ロックも解除されてるの。どうして?」
「さあ? だけどそれはきっと良いことよ。自由になったんでしょ?」

 思いっきり笑顔でCHAOを見つめる。笑顔は伝染するのだ。明るさとか、幸せな気持ちとか。そういうものは伝染する。共有できる。
 笑顔で育った子は上手に笑う事が出来る。信じられて育った子は信じることを覚える。幸せな家庭で育った子は幸せを生み出す事が出来る。そうして伝染していく。
 だから仁恵は笑う。相手の笑みを引き出すための、幸せの鍵。少しロマンチックすぎるかなと、仁恵は自嘲気味に笑った。

「でも、わたしは大自然の意思……」
「あなたの生き方を決めるのはあなたよ。大自然のナントカじゃないわ」

 しばらくの沈黙があった。少しずつCHAOは話し始めた。自分のして来たこと。人が何人も死んだこと。それを可能にしたキャプチャー能力。自分は命令されていたこと。そして、それは誰にされていたのか分からないこと。
 ゆっくりと話した。

「わたしの中に、声が響いてるの。助けてって。誰でもいいからって。でも、わたしはいっぱいの人を殺して来た。――殺して来たの」

 罪。それを感じるのは『高尚』な人間だけではなかったのか? 科学者も大したことないなと仁恵は思った。叔父を叱りつけるしかない。

「だから、わたしは助けなきゃいけない。でも、わたしに出来るか分からない。わたしは元々人を殺すために生まれたから」

 思いっきり笑いたい気分だった。それは小さな悩みだ。ほんの少しの悩みなのだ。別に大したことはない。問題を難しくしているのは、いつだって自分だから。

「でも、わたし」
「でも、でもって、そうじゃないでしょ」

 考えないで行動するのは、ただの馬鹿だ。何も考えず、死地に赴き、自らの過ちに気付かず、全てを失う。それは馬鹿だ。
 だが、仁恵は知っていた。全てを知った上で死地に赴き、自らの過ちから目を背けず、全てを手に入れようと努力する人間を。それは馬鹿だろうか? Yes、馬鹿である。
 だけどその馬鹿で救われる人がいるだろう。その馬鹿で何かが変えられるだろう。その馬鹿が戦う理由になるだろう。その馬鹿が力になるだろう。その馬鹿が、

「あなたはどうしたいのよ?」

 尋ねる。どうしたいか。どうしなければならないか、ではなく、どうした方が良いか、でもない。自分の素直な意見を、気持ちを。
 当たり前のことだ。自分がどうしたいか。ダメなのは無関心になることだ。自分はどうもしたくない、“どうでもいい”と思うことこそ、人生のガンである。
 仁恵は続けた。

「あなたは大自然の意思なんかじゃないわ。あなたなの。私は大倉仁恵よ。GUN日本帝国本部本部軍代表、大倉仁恵。それで、あなたの名前は?」
「CHAO……わたしは」
「それが、あなたの名前?」

 CHAOははっとする。そうだ。CHAOは自分だけの名前ではない。人間が人間だと名乗るくらい、それは不自然なことだ。自分という個性。アイデンティティ。大自然の意思は、自分ではない。

「助けたいんでしょ?」
「でも、これもCHAOSに植え付けられたものかもしれない。そう思うと……!」
「助けたいと思っているなら、馬鹿をやってみてもいいんじゃないの? それが例え嘘でもね」

 馬鹿で人が救えるならと、馬鹿になった人がいる。滑稽だろう。誰からも理解されないだろう。苦しくてたまらないだろう。逃げ出したくなるかもしれない。しかしその孤独と自分の正義を天秤に掛けるのだ。そうすると決まった方向に天秤は傾く。
 CHAOは黙した。そんな姿も愛らしい。仁恵は微笑みながらそれを見続けた。言いたいことは全て言ったから。答えを出すまで、じっと待つ。
 ようやくCHAOは俯いていた顔を上げた。その表情には希望があった。いい顔よ、と仁恵が撫でると、CHAOはくすぐったそうに笑った。

「あなたの名前は、決まったかしら?」
「――教授が言ってた。わたしはチャオなんだ、って。コードCHAOじゃなくて、わたしは」
「じゃあ、行きましょうか」

 CHAOが――チャオが目を丸くする。

「どこに……?」
「あなたの助けたい人を、助けに!」

このページについて
掲載日
2009年12月31日
ページ番号
14 / 19
この作品について
タイトル
コードCHAOを抹殺せよ
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
週刊チャオ第331号
最終掲載
2010年1月6日
連載期間
約1年5ヵ月12日