Scene:7
「…さて、聞かせてもらおうか。何を思ってこんなことをしたのか、ね」
刑事のその問いかけに対して、少女はこう切り出した。
「…私は、チャオが憎い。憎くて憎くてしょうがない…!」
「だから、こんなことを…?」
少年が不思議そうに、そう返した。そもそも、「チャオが憎い」という言葉を、概念では理解したが、現実味のある言葉としてあまり理解ができなかった。
元いた世界でも、ペットが嫌い、という人は確かに存在したが、だとしても憎むほどのものだったろうか。
そんな少年の疑問をよそに、彼女はこうまくし立てる。
「あたしの家族はチャオに壊された!母親はチャオ育てに夢中になって育児放棄、挙句の果てにはチャオを通じて知り合った男と浮気して蒸発、その上裁判沙汰の末に父親は借金背負ってその日暮らしの果てに親子心中…こんな環境で、チャオを憎まずにいろっていうの!?チャオさえいなかったら、あたしと家族は普通の家族で居られたのに!!」
「………」
彼女の勢いに、思わず黙ってしまう少年。さらに彼女はこう続ける。
「あなたもわざわざこの世界に漂流してきたのなら知ってるでしょう?チャオはただのゲームキャラクターでしかないってことを!たかがゲームの1キャラクターに、あたしの家族は滅茶苦茶にされたのよ!?」
「ゲームの…キャラクター…?」
少年が首を傾げる。
「まさか…そんなことも知らないのにこの世界に漂流してきたの!?」
その反応に対して、少女は逆に驚く表情を見せた。
そしてさらにこう続ける。
「あなた、この世界に漂流する前に神様に言われなかったの?『漂流者が向かう世界は、その人間のパーソナリティや生い立ちをある程度反映した世界になる』って。『チャオの世界』であるこの世界に、チャオを知らないで漂流してくるなんて、有り得ないわ!」
そういえば漂流する時に神様のような少女にそんなことを言われた気がする、と彼は何となく思い出した。しかし、チャオについては何も思い出せない、というかそもそも記憶にないままである。
今までこの世界で生きていくことに必死ですっかり忘れていたが、確かに一部の漂流者はこの世界を『チャオの世界』と呼んでいるらしい、というのは最初に出会った漂流者の支援をしている女性から聞いている。だとすれば、元々いた世界でも自分とチャオに何らかの関わりがあったのかも知れない。…しかし、チャオなんて生き物は、元の世界にはいなかったはずである。
「まぁいいわ。本当に知らないのか、知らないフリをしてるのか、忘れてしまったのか知らないけれど…それなら教えてあげるわ。ここはゲームの世界。元いた世界で20年ぐらい前に出た、古いゲームのね。チャオはそのゲームにいた、ただのキャラクターよ!そのゲームキャラ1匹で、あたしの人生は滅茶苦茶になった…!」
「20年ぐらい前のゲームの世界…」
そこで、彼はある光景がフラッシュバックした。
最初に彼女に殴られて気を失った際に見た、夢のようなビジョン。
両親らしき人物と、その中央にいる幼い自分、そしてモニター越しのチャオ。
『ひょっとして』、という推測ではあったが、この瞬間、彼の中で点と点が繋がった。
(あぁ、そうか)
(両親は、チャオが出てくるゲームをやっていたのか)
(幼い頃の自分と一緒に…)
果たして両親がどうしてそのゲームで遊んでいたのか、そしてそもそもチャオが出てくるゲームとはどういうゲームなのか、彼は知らない。知らなかったが、自分とチャオとの関わり、何より自分がこの世界に来た理由が分かった。胸のつかえが取れたような気がした。
そこで、今まで彼女を取り押さえたまま黙っていた刑事が口を開いた。
「…おいおい、どういう理由かと思って黙って聞いてりゃ…俺には細けぇ事情は分からねぇが、自分で不幸の上塗りをしてどうすんだって話だ」
「今更不幸なことを恨むつもりはないわ。でも、ここがチャオの世界だと知った時から、どうしてもこの憎しみはぶつけたかった…!」
それに対する彼女の独白に、少年は思わずこう反論した。
「確かにあなたはチャオによって人生を壊されたかもしれない。でもきっと、チャオによって救われた人、幸せになった人だっているはずだ!そんな人たちの幸せまで壊すのは、間違ってる!」
「そんなことは百も承知よ!だけど…それでも…私は…っ!!」
彼女はそう叫ぶが、そこから先の言葉が紡げずに、押し黙ってしまった。
「…ま、塀の中で頭を冷やすんだな。そして外に出たら、どんな形でもいい、幸せになる努力をしろ。それがお前さんの本来やるべき復讐だ。…いいな?」
「………」
刑事の問いかけに対し、少女は何も言わず黙ったままだった。刑事は彼女の答えを聞くまでもなく、彼女に立ち上がるように促し、ポケットから手錠を出して彼女の両腕にはめ、連れ出すようにチャオガーデンから出ていく。彼女は抵抗する様子もなく、刑事の横を歩いていった。
少年は、その様子をただ見守っていた。
(ゲームのキャラクター1つで、人生を壊された、か…)
何となく、少女の言葉を反芻していた。
彼は今まで元々いた世界でサッカーをしてきた人間だから、サッカーに人生を狂わされた、あるいは壊されてしまった人間があの世界にはたくさんいる、という事をよく知っている。だけど、ゲームキャラクターに人生を狂わせた人間がいるとは、まさか夢にも思っていなかった。
でも冷静に考えれば、逆の立場、つまりゲームが好きでサッカーに興味がない人間にしてみたら、サッカーで人生が壊される人間がいるなんて夢にも思わないだろうし、そもそも両親がチャオのいるゲームを遊んでいた自分も、チャオに人生を変えられた人間、なのかもしれない。
…そんなことを考えているうちに、だんだんと意識が遠のき、気が付いた時には、既に目の前が真っ暗になっていた。