(4) ヘンペルズ=レイヴン
白は闇の中に映えた。ダーク・ヒコウタイプのチャオが再生させた世界。砂の色が戻る。建物が戻る。しかしチャオは戻らない。消えたチャオは消えたまま。世界だけが再構築する。能力。チャオではないものの証。ダッシュは察した。白いダーク・ヒコウタイプのチャオ。
オバは親のかたきを見るような目つきで彼を見ていた。そして身構えている。両手に十字の短剣。"案山子"。ダッシュの脳に戦慄がよみがえる。だが察する。白いダーク・ヒコウタイプのチャオはダッシュとオバを救った。ならば。
「ダッシュ。わたしはヘンペルズ=レイヴン。わたしは真実を求めている。チャオではない我々の存在意義。わたしの生きる目的だ」
握手。オバは警戒をとかない。視線が交差する。ダッシュは気づく。ヘンペルズはチャオではない。ところがかぶりものがない。生存本能を抑えてはいない。ダッシュは不安になる。不安と安心が対立する。自身の内側での戦い。生存本能はどこへ消えたのか。彼が襲い掛かってくる。ありえないことではない。思ったのである。
肌の白は神々しさをかもし出していた。チャオではないものの中ですら異質。威圧感。ダッシュは好奇心に心がはやるのを感じた。しかし警戒もあった。生存本能という未知。身の危機。合わさって進退をためらわせていた。二の足を踏み続けるダッシュに気づいたオバが彼を庇うように立つ。
「おまえ。何したんだ。何するつもりなんだ?」
「わたしは真実を求める。ダッシュの生存本能がない理由。わたしは知りたいのだ。だから助けた。わたしは全ての事実をなかったことにできる」
「じゃあほーねっとをよみがえらせることができるのか」
「既に死んだほーねっとには影響を及ぼすことができない」
「分からない。どういうことだ?」
「説明のしようがない。きみも自分の力を説明することができない」
砂色は維持している。白い家が見える。洞窟の入り口もある。滅び行くだけの世界は再生したのだった。ところがチャオは蘇らない。世界だけが形を取り戻す。そしてダッシュは能力の意味を知る。全ての事実をなかったことにできると言いながらチャオを蘇らせることはできない。ダッシュは矛盾を知った。だが事実ヘンペルズは滅び行く世界をなかったことにした。
「世界はチャオが存在することで維持される。チャオがいなければ世界は維持されない。我々はチャオではない」
世界は成り立たない。成り立つだけの材料を失った。自身らで証明してしまったのだ。自らがチャオではないこと。やがて世界は許容量を越え滅びる。跡形もなく。ゆえにかつてダッシュの生まれた世界は滅びた。チャオの世界との関係性を失った。ダッシュは知識する。無残を思う。自身らがチャオではないことが世界を滅ぼすことに繋がる。生きる意味とは。生きる意味とは。生きる意味とは。
ヘンペルズは歩く。ダッシュは続いた。オバはダッシュの躊躇ない態度に驚きつつも彼を追いかける。真実を知る。欲求はダッシュと同じである。好奇心。知りたい。生存本能より勝る。もしかすると。生存本能より勝る何かさえあれば生存本能は抑制できるのではないか。推測。ダッシュにヘンペルズに生存本能がない理由。つまり。生存本能以外の何かが劣った場合。生存本能が強まった場合。
今のところは大事がない。今後もしも。ダッシュは他のチャオを殺すことになる。しかし恐怖も不安も拒否感もなかった。むしろ好奇心が消えてしまうことを嫌悪した。ダッシュはオバとは違う。チャオではないものたちの命に強い執着を持っていない。他のチャオを殺したところで罪悪感に苛まされることはない。だが生存本能が表層に出た結果好奇心が薄まるのは辛い。思ったのである。
砂色が途切れた。黒色の壁。世界の端なのだ。推測した。果てのない黒色。深いように見える。浅いようにも見えた。しかし壁にしか見えなかった。また洞窟へ繋がるのだろう。連なる無限の世界。生きる意味とは生存本能とは世界の意味とは真実とは見つかるものなのか。ダッシュは知りたい。ヘンペルズも同じだ。思ったのである。チャオではない自身らは本物のチャオになれない。だからこその意味。
「わたしは真実の眠る地へと赴く。付いて来い。きみの求める真実もあるはずだ」
ヘンペルズは黒色の壁に入る。底のない地。あるいは水が三つのチャオではないものを受け止める。洞窟ではないのか。ダッシュは疑う。世界は黒に満ちていた。ヘンペルズとオバの姿は見えない。ダッシュが黒色の世界に落ちる。方向が分からない。上に落ちているのか。あるいは右に落ちているのか。自身を固定する基準がない。世界の狭間。ダッシュはやがて地に着いた。
街。"商人"の言葉を思い出す。チャオでにぎわう街である。極彩色にあふれる建物。剣。盾。チャオが持つべきではないもの。チャオではない。あるはずの姿が二つともなかった。ダッシュははぐれたのだ。ダッシュはまるで川の流れを分ける大岩のようであった。灰色の地面を歩く。おぼつかない足取り。激流に戸惑う。右も左も分からない。何が起ころうと助けてくれる仲良しはいない。
ダッシュには目もくれない。ダッシュにしか表情がない。チャオではないものたちは全てという一つだった。一つ一つに与えられぬ個。記号。ダッシュは奇怪さを感じた。自身らチャオではないものたちとも違うチャオ。不快だった。ダッシュは歩いた。歩くのは骨の折れる作業だった。
「これは夢だ。きみの知っている夢だ」
見知った姿。"商人"。ダッシュは再会に驚く。そして彼の紡いだ言葉を反すうする。夢。多くのチャオは夢だというのか。確かに夢のようではある。思ったのである。触れてしまえば消えそうな枠。線。集合体。"チャオ"というかぶりものを被った彼ら。ダッシュはチャオの波の中で俯く。目を合わせると吸い込まれそうであった。
「これはかつてのきみ。あるいはこれからなるきみ。生きるから死するへ。彼らは願われた。そうして失った」
「何を失ったんだい」
「意味を」
意味。意味とは。意味の意味。ダッシュは知りたがった。"商人"は分かっていながら教えたがらなかった。二つには距離があった。願い。ほーねっとも口にしていた単語。生まれた理由。ダッシュは焦る。知るの欲求が先行していた。尋ねようとする。思わず口をつぐむ。"商人"は笑った。
チャオとイコールで結ばれることのない自身。そして無表情の彼ら。しかし自身と彼らにさえ差がある。意志。ではチャオと彼らはイコールか。異なっている。理由を分からない。知らない。"商人"は答えない。夢。ダッシュの見ている夢か。あるいは。
「きみはチャオだ。しかしチャオではない。彼らも。きみはチャオと近しい。きみは決断しなければならない。チャオになるために。チャオとして生きるために」
音は反響する。"商人"の姿はかすむ。機械化されたチャオたちの流れは乱れない。一つ消えようと二つ消えようと流れは止まらない。願われたから彼らは意味を失い流れと化した。わずかな願いに示された、ただ反復するチャオ。まさに"案山子"。役割を持っていながら語らない。ダッシュは気づく。"案山子"とはチャオを殺すものたち。フールが率いる黒い毛糸のマスクを被った大軍。同じく"案山子"。
流れは一定の役割を持つ。何かのため。役割の個は除外される。何かのため。自身らの意味。何かのため。必要な知識が欠けている。"何か"の不足。全てを関連付けるための糸。いわく真実。ダッシュは灰色の地面を歩く。願われた生存本能。願われた能力。願われた意志。そして願われているはずの役割。灰色の地面は薄れる。役割を持たないものたち。意志を持たないものたち。能力のないものたち。生存本能を持たない。灰色の地面は消える。夢は終わる。潰える。ダッシュは転ぶ。世界は綻ぶ。
ダッシュを迎えたのは"にじいろの階段"であった。見知った二つの姿がある。泡沫の夢。はじけて消えるだけの役割。時の流れに楔を打てない。"にじいろの階段"はとわに続いているように見えた。終わりのない。なければいい。思ったのである。
「向こうに真実が潜んでいる。わたしは見つける」
透き通る階段をのぼる。あたりは黒。深い黒。そして光。光の点。はやる気持ちを抑える。慎重に進む。真実へ。