第二話 ページ2
「ほら、すっごい綺麗だよカトレア」
「……」
僕は今、カトレアを胸の前に抱きかかえて、イチョウ並木を見上げていた。
黄葉し、鮮やかに色づいたイチョウが、秋晴れの空を覆いつくす。
風に吹かれて、数枚のイチョウの葉が空中で舞い踊る。
イチョウの葉で遊んだ風は、僕の頬を撫でていく。頬に感じる冷ややかさが、秋の深まりを感じさせる。
綺麗な景色を見れば、心穏やかになり、自然と幸せな気持ちに慣れると思って連れて来たのだが。
「カトレア、どう?」
「……」
さっきから、無言を貫くカトレア。
黄色に染まった上空を見つめ続けるだけで、何も言わない。
しばらく、僕とカトレアは黙っていた。
「ワカバ」
「ん、なに?」
「寒い」
その一言で、僕とカトレアはイチョウ並木を後にした。
あっけなく最初の作戦が失敗に終わり、意気消沈した僕は、とぼとぼと家路を辿っていた。
カトレアが寒いと言っている以上、このまま連れ回しても確実に逆効果だろう。ハートどころか、ぐるぐるになってしまう。
どうすればカトレアを喜ばすことが出来るだろう、と思案しながら歩いていると、自販機が見えてきた。
ちょうどいい。カトレアが寒いと言っていたから、何か温かい飲み物を買ってやろう。僕は、カトレアを地面に降ろし、自販機に小銭を投入した。
すると、足元から怒声が聞こえた。
「ワカバ! 無駄遣いもいい加減にしろ! 節約という言葉を知らんのか! 死ね! 猫にゲーム機蹴られて死ね!」
「お茶がいい? それともココア?」
「ワカバ! 無視するな!」
「じゃあ、お茶でいいね」
「ワカバ!」
「何?」
「……ココアがいい」
結局、イチョウを見て、ココアを買ってあげただけで帰ってきてしまった。当然、カトレアのポヨがハートになることは無かった。
ソファに座りながら、僕は先ほどカトレアに買ってあげたココアを飲んでいる。
カトレアが玄関先に着くなり、もういらないといって半分ほど中身の残っているココアを差し出してきたからだ。
現在時刻は、正午ちょうど。お昼を食べてから、また何か作戦を考えよう。
…
「カトレア、一緒に遊ぼう」
「テレビ見てる、邪魔するな」
…
「カトレア、何か欲しい物ある?」
「ない」
…
「カトレア、何かして欲しい事」
「ない」
…
「カトレア」
「うるさい」
…
「カトレア、一緒にお風呂入ろう」
「……」
「カトレア?」
「……ふ、風呂ぐらい一人で入れっ!」
…
――と、こんな感じに今日という日は過ぎていった。現在時刻は午後十一時。
僕は、電気の点いていない真っ暗な自分の部屋のベッドで、仰向けになって布団を被っている。
隣には、一緒の布団を被って、すっかり寝入っているカトレアがいる。枕元の時計が時間を刻む音と、カトレアの小さな寝息が、今、この部屋のBGMだ。
結局、最後までカトレアのポヨがハートになることは無かった。
隣のカトレアを見る。真っ暗の中、カトレアのツヤピンクの体は、うっすら輝いているように見える。
カトレアは、こちらに寝顔を向けて、すやすや寝息を立てている。
僕は考える。カトレアが、ポヨを変化させない理由。
カトレア自身の性格も関係しているかもしれないけれど、本当の理由は、僕にあるのではないだろうか。
オトナになって、僕と一緒に居るのがつまらなくなったのではないだろうか。
コドモの時のカトレアを思い出す。頭の上にハートを浮かべて、いつも笑っていたカトレア。
時間が経過するにつれて、オトナに成長するにつれて。
僕に愛想を尽かしたのかも……。
「……」
何かが、聞こえた。小さな小さな何か。
僕は、息を潜めて、耳を澄ます。
「……うぅん……」
カトレアの寝言だった。むにゃむにゃと、甘えるような声。
微笑んでいるところをみると、きっと、楽しい夢を見ているんだろう。
カトレアの寝顔を見ていると、さっきまで抱えていた大きな不安が、不思議と吹き飛んだ。
僕も寝よう。
ゆっくり、目を閉じようとした、その時だった。
「……ワカバ……」
笑顔で、気持ちよさそうに寝ているカトレアの頭の上に、大きなハートが一つ浮かんだ。