第六話 ページ3
——よほど照れていらっしゃるのでしょうね。えぇ、わかります。
純情なカトレアさんは、狭い空間で僕と二人っきりという事実に、戸惑いを隠せないのです、そうに違いありません。そこがまたカトレアさんの魅力なのです。
しかし、このままではお近づきになれません。少し、別方向からアプローチを掛けることにしましょう。そうですね、例えば……。
カトレアさん、先程から熱心にファッション雑誌を読まれていますが、気になるアイテムでも見つけられたのでしょうか。
「……お前には関係ない」
初めて反応がありました。心の奥底に染み渡る、とても冷徹で刺々しいトーンでした。さすがですカトレアさん。
さて、巡ってきたチャンス、ふいにするわけにはいきません。どうやらファッションの話題が脈ありのようですので、どんどん攻めて行きましょう。
カトレアさん、なにか欲しいものでもあるのですか。
「うるさい」
コーディネートでお悩み、とか。
「だまれ」
僕も、サナエ殿と一緒に暮らしていますから。そこらのチャオよりは身だしなみに気を遣えると自負しております。
「……」
きっと、ご相談に乗って差し上げることが出来るはずです。
「……」
さぁ、僕にあなたの胸の内をお聞かせプリーズ。
「……これ」
僕の熱意に負けたのか、カトレアさんは手に持っていた雑誌を、読んでいたページを開いたまま、ばさっ、とテーブルの上に置きました。
僕は身を乗り出して、テーブルの上の雑誌を見ます。そこには、可愛らしい人間の女の子が、お洒落な洋服を着こなした写真が載っています。
カトレアさんには、いかにも僕がファッションに精通しているように思わせることに成功しましたが、実際の所さっぱりです。
ここから先は、僕の卓越した話術の出番です。嘘も方便と言います。カトレアさんとお近づきになれるのなら、僕は手段を選びません。
さぁ、どんな内容のご相談もどんと来いです。ついでにカトレアさん自身も僕の胸にどんと来いです。
「……おかしいと思うか?」
申し訳ありませんが、主語が不在ゆえに仰りたい意味がわかりません。カトレアさん、主語を連れて来てからもう一度お願いします。
「だから、その……。ぺ、ぺあるっく、って、おかしいと思うか?」
カトレアさんが床に視線を落としてもじもじしながら振り絞った言葉。それは、なんとも可愛らしい響きの言葉でした。
ペアルック。主に、恋人同士なんかがお互いお揃いの服を着たりする、アレですね。
僕に言わせれば、おかしい所など何一つありません。それこそまさに、どんと来いであります。
なるほど、カトレアさんは、『どなたか』とペアルックをしたかったんですね。
「ち、違うぞ! 私がしたいんじゃなくてだな!」
カトレアさんの、元々鮮やかな桃色の頬に、ほんの少し赤みが差しているように見えます。必死で否定する様もなんと愛らしいことか。
わかりますわかります、確かにペアルックはなかなか勇気がいるものです。恥ずかしがらずともよろしいですよ。
家の中で着てるだけならまだしも、外出するとなると否が応でも注目されますからね。それも、あまり好意的ではない視線の割合の方が多い場合がほとんどでしょう。
ですが僕に言わせれば、その程度の障害など障害にあらず。嫉妬だか羨望だか殺意の波動だか知りませんが、愛する二人の空間を邪魔立てしようなどとは笑止千万。
路傍に捨て置かれた空き缶を蹴り飛ばすが如く、周囲からの好奇の視線も笑い飛ばしてやればよいのです。まぁ、空き缶はきちんとくずかごへ捨てなければなりませんが。
なので、僕はちっともおかしくなんか無いと思いますよ、カトレアさん。
「……ほんとに?」
勿論ですとも。
「……そう」
そう言って、再び雑誌に視線を落とすカトレアさん。
今はテーブルの上に開かれていますから、僕も一緒に覗き込むことが出来ます。
なるほど、ここに載ってる服装を、『どなたか』とお揃いで着てみたい、と。
「別に服とかはどうでもいいけど、その」
はい。
「……帽子が、可愛いから」
この、クリーム色の帽子のことですね。
雑誌上でポーズをとる女の子の頭部を示しながら僕がそう訊くと、カトレアさんは、こくり、と頷きました。
淡い色使いで、天辺に小さなぽんぽんがついている、なんとも可愛らしいニット帽です。
この帽子を、『どなたか』とお揃いで被りたいわけですね、カトレアさんは。
帽子だけではペアルックと呼ぶには若干の力不足を感じますが、さり気なさの演出という面では、全身を同じ服装にしてしまうより高いといえるでしょう。
とにかく、カトレアさんは『どなたか』と一緒に、この帽子を被りたいようです。その『どなたか』は、大変な果報者と言えるでしょう。
問題は、その『どなたか』の部分に当てはまる人物なのですが……。
えぇ、勿論。僕にはすでにわかっています。
わからないわけがないじゃないですか。先程までのカトレアさんの態度を見れば一目瞭然です。
『どなたか』の部分に当てはまる人物。それは——。
——僕しかいないじゃないですか。
えぇ、そうですとも。きっとカトレアさんは、僕がこの部屋にやってきたときからずっと、いつ帽子の件を切り出そうか考えていたに違いありません。
最初、僕など存在しないかのように振舞っていたのも、照れ隠しだったのです。
僕と二人きりになったあとの、中田英寿のスルーパスを髣髴とさせるスルーっぷりも、勿論照れ隠しです。本当にシャイなお方です。
僕としては今すぐにでも『カトレアさん、僕とお揃いの帽子を買いにいきましょう』と、カトレアさんの手を取って盗んだバイクで走り出したい所なのですが、今回はあえて自重してみます。
カトレアさんの奥ゆかしい部分は、カトレアさんの魅力を構成する上での重要な要素の一つであり、そこを尊重するために、僕はあえて一歩引いた態度で挑みたいと思います。
つまり、カトレアさんのほうから、お誘いして頂けるのを待つ、ということですね。
カトレアさん、僕はいつまでも待っていますよ。
「……は?」
あなたの口から本心が聞けるまで、ずっと待っていますよ。
「……何が?」
あぁ、でも、これから寒くなりますし、なるべくなら早い方がいいかもしれません。冬を過ぎてしまうと、あの暖かそうな帽子は出番も少なくなってしまうでしょうし。
「……ぜんっぜん、意味が分からない」
恥ずかしがらずともよろしいのに。でも、そこがカトレアさんの魅力なのです。
大丈夫、僕にはすでに見えています。
凍えるほどの寒さをものともせずに、お揃いのクリーム色の帽子を被った僕とカトレアさんが、ぴったり寄り添って歩いている姿が——。
——楽しい時間は、瞬く間に過ぎていきました。
夕方頃に二階から降りてきたワカバ殿を交えて三人でTVゲームに興じたり、その後は、ワカバ殿のお母様の手料理に舌鼓を打ったり。
もっとも、ワカバ殿は体調を考慮して喉を通りやすいお粥を食していまして、そのお姿を見ていると、充実したおもてなしを受けている自分に多少の後ろめたさを感じずに入られませんでしたが、遠慮なく食べてくれというありがたい言葉も頂戴し、食卓に談笑の花が咲いたこともあって、夕食が終わる頃には、僕のお腹は満腹感と満足感で一杯でした。せめてものお礼に、食器洗いの方を手伝わせていただきました。
あぁ、僕達チャオは木の実しか食べない、と思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、実はそうでもなくてですね。
ご飯でもお味噌汁でも、おいしく頂きますよ。木の実は、そうですね。おやつのような感覚で食べるチャオが多いと聞きます。
ただ、木の実には僕たちの身体能力に即時に影響を及ぼす場合があるという、チャオ用ならではの側面を持ち合わせているのですが……まぁ、この話はまたの機会でいいでしょう。
さて、夕食の後は、入浴タイムです。カトレアさんに『入浴の方、お供しましょうか』とお尋ねした時に飛んできたぐるぐるパンチは、夕食の際に頂いた炊き込みご飯に勝るとも劣らない味わいでした。
結局カトレアさんが最初に入浴を済ませ、そのあと僕が入浴し、最後にワカバ殿が入浴を済ませることになりました。
あぁ、風邪を引いている時は入浴してはいけない、とはよく聞きますが、実はそうでもなくてですね。
体力を消耗しないように入浴時間を短時間に抑える、入浴後に湯冷めしないようにする、等のポイントに気をつければ、風邪を引いている時の入浴は問題ないそうです。勿論、症状の程度や本人の気分などにもよると思いますが。
幸いワカバ殿の症状は軽いものですし、ご本人も汗を流してさっぱりしたいとのことだったので、風邪を引いた時の入浴法として、僕の知る限りでの注意すべき事を助言し、実践して頂きました。
シャワーでさっと汗を流し、湯船に浸かる時間も短めにし、湯冷めしないように入浴後にすぐに布団に入ることです。
なので、ワカバ殿が入浴を済ませている間に、僕とカトレアさんで二階のワカバさんの部屋に布団を出しておきます。
その際、カトレアさんに『よろしければ添い寝しましょうか』とお尋ねした時に飛んできた回し蹴りは、夕食の際の頂いた茄子の味噌炒めに勝るとも劣らない味わいでした。
そんなわけで、ばっちり準備OKの布団に入浴を済ませたパジャマ姿のワカバ殿を迎え入れ、その両脇に僕とカトレアさんが入り込み、三人仲良く夢の世界へ旅立っていきます。
おやすみなさい、ワカバ殿。カトレアさん——。