第六話 ページ2
急なお願いにも関わらず、二つ返事で快諾してくださったワカバ殿はじめご家族の方々には多大な感謝を気持ちを捧げると共に、今日一日、カトレアさんと一つ屋根の下で暮らせると言う事実は僕の心に満点の幸福感を与えてくれること請け合いなのです。
そのカトレアさんはというと、先程からファッション雑誌か何かに読みふけっていて、まるで僕など存在しないかのごとく動かざること山の如し、ソファの上にてなんとも愛らしい置物と化しています。素敵です。
僕としては、明日までこのままカトレアさんを眺めていられるだけでも十二分に満足なのですが、今日はこの僕、主役なのです。主人公補正掛かりまくりなのです。
貴重な機会なのですから、もう少し踏み込んでいきたいところ。積極的にアタックを仕掛けていきたいところです。
しかし、あまり無茶を敢行しようとしては、ワカバ殿にご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんし……。
さて、どうしたものでしょう。体調の芳しくないワカバ殿に気を遣わせず、尚且つカトレアさんとお近づきになれるようなシチュエーションを作り出せないものでしょうか。
ポヨをクエスチョンマークにして考えていると、ある考えが浮かびました。
ワカバ殿、お話が。
「ん、なに?」
どうでしょう、風邪を早く治すためには十分な睡眠が不可欠です。ここはひとつ、お休みを取られてはいかがですか?
「うーん……でも、大丈夫だよ? そんなに酷くないし」
いけません。その油断が、命取りになるのです。風邪は万病の元と言います。打てる手は打っておかなければ。
「う、うん。それは確かにそうだね」
カトレアさんのことでしたら、ご心配なく。ワカバ殿がお休みになられている間、僕がしっかりお守りいたします。
僕がそう言った瞬間、カトレアさんは『はぁ!?』と素っ頓狂な声を上げて、ファッション雑誌からその凛々しいお顔を覗かせてくれました。怒気に満ちているような気がしますが、気のせいでしょう。
さて、ワカバ殿は僕の提案を受け入れてくれるのでしょうか。ワカバ殿の顔色を伺う……つもりが、何故か逆に、ワカバ殿にじっと顔を覗き込まれています。
その裏表のない水晶のように透き通った瞳で見つめられると、心の中を見透かされているようで若干居心地が悪いです。
もっとも、居心地悪く感じると言うことは、僕自身にやましい部分がある証拠に他ならないのですが。
「……あぁ、そういうことか。じゃあ、お言葉に甘えて休んでようかな」
ワカバ殿がそう言った瞬間、カトレアさんは『んが!?』と素っ頓狂な声を上げて、ファッション雑誌から覗くお顔を驚嘆の表情に変化させました。
そして、頭上のポヨを台風のようにして、台風のようにファッション雑誌を放り出し、台風のようにワカバ殿に食って掛かります。
「なんで! たいしたことないなら、ここに居ればいいだろ!」
「んー、僕がいると、お邪魔みたいだから」
「邪魔なのは、コイツのほうだろ! この黒いの!」
「あずき君は、カトレアにお熱なんだよ」
「熱出してるのはお前だろ! バカワカバ!」
お熱、とは、ワカバ殿もなかなかお洒落な言葉をご存知ですな。
カトレアさんは言葉の意味を汲み取れなかったようですが、むしろそのおかげで素晴らしい突っ込みが生まれましたから、結果オーライでしょう。
そしてどうやら、僕の『ワカバ殿にお休みになって頂いて、その間にカトレアさんと二人きりになる』という魂胆は、ワカバ殿に早々に見抜かれてしまっていたようです。その上で、僕の望むシチュエーションに移行させてくれようとしているのです。
お断り申し上げておきますが、ワカバ殿に早く良くなって頂きたい、という気持ちは本心なのですよ。当然です。
ただ、ここでワカバ殿にお休みになって頂ければ、ワカバ殿に気を遣わせることもなく尚且つカトレアさんとお近づきになれるという、非常に合理的なな状況を思いついたが故に提案させてもらったまでなのです。
ほら、そんなことを考えている間に、ワカバ殿とカトレアさんの話し合いもそろそろ終わるようです。
「うーん、そんなにうるさくされると風邪が悪化しそう……」
「ぐっ!」」
「ちょっと寝たらよくなると思うからさ、ね」
「……わかった」
「じゃあ、ちょっと休んでくるね。何かあったら呼んでね」
わかりました。ゆっくり休んでください。
ワカバ殿はそう言い残して、二階へ上がっていきました。
まったく、ワカバ殿にはかないません。落ち着き払っていて、常に周囲に気を配っていて。サナエ殿とはまるで違います。
いや何も、サナエ殿は落ち着きがないとか、気配りが出来てないなどと言っているのではなくてですね。
同じ学年でも、性格はまるで違う、ということを言いたいのです。
サナエ殿のあの笑顔と、それを周囲に振りまく様子。ワカバ殿の落ち着きっぷりと、周囲への気配り。
サナエ殿もワカバ殿も、素晴らしい魅力に溢れる方です。先程から言い訳がましいことばかり言っている気がしますが、気のせいでしょう。
さて、なにはともあれ、カトレアさんと二人きりです。
何度も言いますが、僕はこの機会に、カトレアさんとの距離をつくばエクスプレス開業後の秋葉原~つくば間の如く縮めたいと考えています。
そのためには、積極的にアプローチを仕掛けていくことが第一と考えます。
カトレアさん、僕とお話しませんか。
「……」
いつの間にか、先程放り出したファッション雑誌を再び手に持ち、ソファの上で熟読中のカトレアさん。
その可憐なお顔を雑誌で懸命に覆い隠しています。まったく、シャイなお方です。
照れる必要など、どこにもありませんよ。
「……」
ワカバ殿がお休みになられている間、この僕がしっかりカトレアさんをお守りいたします。
「……」
最近、肌寒くなってまいりました。カトレアさんも、風邪など引かぬようお気をつけ下さい。
「……」
否、カトレアさんを脅かそうとする病原菌など、この僕が片っ端から退治します。
「……」
否、病原菌に限らず、カトレアさんを脅かすもの全て、この僕が撃退して見せましょう。
「……」
ひとたび、僕の名を呼んで頂ければ、たとえ火の中水の中草の中森の中土の中雲の中あの子のスカートの中、むしろあなたのスカートの中、いつどこであろうと必ずやあなたをお守りするナイトとして馳せ参じ、剣を振るいましょう。
「……」
あなたの笑顔を守れるのなら、僕の命など喜んで溶岩の海にでも投げ入れましょう。ですから、あなたの輝く笑顔を、どうかこの僕に振りまいてはくれませんか。
「……」
どのような言葉を投げかけても、カトレアさんはそのお顔を覆い隠したままです。これは——。