第五話 ページ4
「チャオ!」
突然声を上げたのは、カトレアだ。
カトレアは、ほんの少し苦しみに顔をゆがめて、小さな体を前に屈める。
両手で貯金箱を、しっかり胸の前に抱いて。
「どうしたの!」
カトレアに起きた突然の異変に、若葉は慌ててカトレアに駆け寄る。
カトレアは前かがみの姿勢を崩さず、ぎゅうっと目を瞑(つむ)っている。
何が起きたのか分からず、突然の出来事に、若葉の心臓は鼓動を早める。若葉の頭の中では、カトレアにとって良くない事が怒ったのだという考えばかりが駆け巡った。
しかし、事実はそうでないことをすぐに理解する。
カトレアは、繭に包まれた。
初めは、薄くてほぼ透明な繭だった。それはやがて、色濃く立派な繭となる。カトレアの姿は、繭に隠れて完全に見えなくなった。
そして若葉の見つめる前で、繭は消えていく。ゆっくり時間をかけて、時の流れに身を任せて。
溶けるように消滅した繭の中から出てきたのは、鮮やかな光沢を持つ、ピンク色のチャオ。
頭部が左右に分かれるように伸びていたり、背中の羽が大きくなっていたりと、ほんの少し容姿に変化があるが。
——それは、紛れも無くカトレアだった。
「カトレア……大丈夫?」
若葉は、チャオを育てる上での最低限の知識は持ち合わせている。今起きた現象は、一次進化と呼ばれる現象であろうと、若葉は思った。
しかし、進化前に見せた、ほんの少し苦しげな表情が気になって、若葉はカトレアに訊いた。大事(だいじ)ないかどうか。
若葉は、カトレアの顔を覗き込む。カトレアは、自分を覗き込むその視線を見つめ返す。
そして、俯き、そして、言った。
「——ワカバ。ごめんなさい」
目を真ん丸くして驚いたのは若葉である。
「カトレアが、喋った……」
じぃっ、とカトレアの顔を覗き込んだままの若葉。俯いていてもそれが分かったカトレアは、耐えかねて顔を横に向ける。
なんともばつが悪い。その気持ちが、ポヨに表れた。
「カトレア! もう一回喋って!」
逆に、目を眩(まばゆ)いばかりに輝かせているのは、若葉である。
もう一度、と言われても、カトレアは何を言えばいいのかわからなかった。しかたなく、もう一度謝罪の言葉を口にする。
「ごめんなさい」
「もう一回!」
間髪入れずに再リクエスト。
戸惑いながらも、受理するカトレア。
「ごめんなさい」
「もう一回!」
「だから……ごめんなさい」
「もう一回!」
「……ごめんなさい!」
「もう一回!」
「いい加減にしろー!」
五回目のリクエストで、とうとう堪忍袋の緒が切れる。
寂しがり屋で——プライドの高いカトレアとしては、これ以上謝らされるのは我慢ならなかったのだ。
ふいに、カトレアの体が宙に浮かび上がる。
若葉が、ひょいとカトレアを持ち上げたのだ。
「あははっ! カトレアが喋ったぁ!」
カトレアを高く掲げて、喜びを爆発させる若葉。
さっきまでの悲壮感など、すでに狂喜の風に吹き飛ばされた。
掲げられたカトレアは、若葉の手の中で、じたばた暴れている。
貯金箱を抱いたまま暴れるものだから、カトレアの手の中で貯金箱は余計にくしゃくしゃになってしまったが、それに気づく者は居なかった。
また、離せ降ろせと喚くカトレアの頭の上で、ハートの形をしたポヨがぽよんぽよん飛び跳ねているが、それに気づく者も居なかった。
そして、いつの間にか雨が止んでいることに気づく者も、居なかった。
…
……
………