第三話 ページ2
ほんの数分の間ではあったが、すっかり銀世界に奪われていた僕の心がふっと僕の体に再び宿ったのは、来客を知らせるチャイムの音がきっかけだった。
「わーかーばー、あーけーてー」
玄関の外から聞こえてくる声で、僕には誰が訪問してきたのかすぐに分かった。
玄関のドアを開けるとそこには、女の子が立っていた。
膝丈まである深紅のコートを着た、ショートヘアの女の子。
「チャイム鳴らせば分かるってば。大声出さないでよ、恥ずかしい」
「誰が来たのか、すぐに分かったほうが良いでしょ?」
目の前の女の子、早苗(さなえ)は、しれっと答えた。
早苗とは幼馴染で、クラスも一緒。お互いの家を行き来する機会も多いが、早苗が僕の家に来るたびに僕は今のように大声禁止令を発令している。
しかし、聞いてくれた事はない。これからも無いだろう。
「もしかして、今起きたの? ぐうたらだなぁ、ワカちゃんは」
起き抜けのままの、間抜けな格好で出迎えたことを後悔した。
もっとも、相手が早苗だと分かっていたからこのまま出迎えたというのもあるけれど。
「その呼び方やめてよ。僕、男なのに」
「昔からそう呼んでるんだから、今更気にしない気にしない」
「……何か用?」
飛び跳ね放題の頭を、今更遅いと思いつつ手で梳かしながら訊いた。
「用があるのは、こっち」
そう言って、早苗は足元から何かを拾い上げた。
それはチャオだった。
「お久しぶりです、ワカバ殿」
「あぁ。あずき君、久しぶり」
早苗に抱き上げられた小豆色のチャオ、あずき君は、早苗の腕の中で僕にぺこりとお辞儀をした。
あずき君は、早苗が育てているダークハシリタイプのチャオだ。僕にもよく懐いてくれている。
少し見ない間に、随分大人びた気がする。首に巻いた深緑色のマフラーも、落ち着いた雰囲気を醸し出すのに一役買っている。
「今日は、ワカバ殿に大切な話があって馳せ参じた次第です」
「た、大切な話?」
あずき君、こんな喋り方だったっけ? と、記憶を遡る暇も無く、あずき君は早苗の腕からぴょんと飛び降りると、小さな体を懸命に折り曲げて土下座の格好になり、大きな声でこう言ったのだ。
「お父様! 僕にカトレアさんを下さい!」
「ふぇ?」
随分と間の抜けた声を出してしまった。
お父様、とは僕のことだろうか。
「こら、あずき」
早苗が、あずき君の首根っこを右手で掴んで持ち上げる。
「物事には順序ってものがあるのよ。――とりあえず、寒いから上がっていい?」