第一話 ページ3
僕が透明なガラスの扉の前に立つと、来客を迎え入れるため、扉は自ら左右に割れていく。
一歩足を踏み入れると、僕の体は冷ややかな空気に包まれる。暑い日のデパートは、都会のオアシスである。
僕は、このデパートの一階部分の片隅、チャオ育成のための商品が多数陳列されている方へ歩いていく。
木の実や玩具、それに勉強道具など。
チャオ育成に欠かせないもの、あるいはチャオ育成をサポートするものなど色々あるが、僕の手の中でカトレアは、無言で木の実コーナーを睨み付ける。
そして、すっ、とそのまん丸な右手を差し出す。手で示した方角へ移動しろと言う命令だ。勿論、僕に対しての。
「はい。どれが欲しいの?」
木の実が陳列されてる棚の前に移動した僕は、カトレアに尋ねた。
チャオと同じぐらいの大きさの木の実が、白い包装紙をその身に纏って、ずらりと並んでいる。一口に木の実といっても、その種類は多種多様だ。
味が違っていたり、栄養素が違っていたり。さらに、進化の際に何らかの影響を与えると言う、特殊な木の実も存在する。詳しいことは知らないけれど。
さて、先ほどカトレアにどの木の実が欲しいか尋ねた僕だが、実はその答えはもう知っている。そして、多分合ってる。
カトレアは、無言の舵を取り続ける。僕は、それに忠実に移動する。着いた先には、青くて大きな、丸い木の実。
カトレアは、自分と同じほどの大きさであるそれを、両手でがっしりと掴み取る。カトレアは、昔から青くて丸い木の実が大好きだ。そして、それ以外の木の実を食べようとしない、頑固者だ。
「それでいいの?」
一応、確認は取る。カトレアは首だけ後ろに捻り、無言で頷いた。
僕は、会計を済ませるために、レジへと向かう。
「いらっしゃいませ」
若い女性の店員さんが、笑顔で応対してくれた。
カトレアに、木の実を放すように言う。しかし、カトレアは両手にしっかり持った木の実を手放そうとはしなかった。
「こら、離せよ」
左手でカトレアを抱えたまま、右手でカトレアから木の実を引っぺがす。
一度手にしたものは、意地でも離さない。本当に、変なところで頑固なのだ、こいつは。
僕は、木の実を店員さんに渡す。その際、店員さんは柔らかな微笑みの表情をしていた。
僕とカトレアのやり取りを見て、思わず笑顔がこぼれたのだろうか。
その笑顔の由来はともかく、僕は店員さんの笑顔を間近で見てしまい、自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じた。
腰まで伸びた、美しい黒髪。見事なまでにさらさらのロングヘアーが、店員さんが僅かに頭を動かす度、静かに、繊細に踊る。
色白の肌に、白魚のような指。端正な顔立ちの中でも、一際存在感を放つ、澄んだ大きな瞳……。
――と、こんな感じに、僕は店員さんに見とれてしまっていた。
「あの」
「は、はいっ」
突然店員さんに呼びかけられて、僕は思わず、素っ頓狂な声を出してしまった。
見ると、僕と店員さんの間を隔てる机の上に、ビニール袋に入った青くて丸い木の実が置いてあった。
どうやら僕は、かなりの間、店員さんに見とれて、惚けていたらしい。
「あの……」
店員さんが、何かを言おうとしたときだった。
「ワカバ! ぼさっとしてないでさっさと金を払え! この暑さで脳が溶けたか! 死ね! 口内炎が痛くて死ね!」
カトレアが、僕の左手に抱かれたまま、大声で喚き散らす。心臓が飛び出るほどに驚き、そして焦った。
「ち、ちょっと、静かにしてよ」
周りの人たちから、一斉に視線が向けられる。それらは「一体何事か」と言う好奇の視線であったり、「やかましいな」と言う白い視線であったり。
一刻も早くその場を離れたくなった僕。そうだ、代金を払わなければ。
「えっと、お金、お金……あっ」
僕は黒い財布から小銭を取り出そうとして、焦って床に数枚の硬貨をぶちまける。
ちゃりちゃりといやらしい音が鳴り、さらに周りの視線が集まる。僕は、穴があったら入りたいというのは、今のような心情を表しているのだと思った。
小銭を拾い集め、店員さんに木の実の代金をお釣りが発生せぬようぴったり渡す。木の実入りビニール袋を掻っ攫うように右手で掴み、呆気にとられている店員さんにかまわず、僕は脱兎の如き勢いでその場を駆け出した。
一刻も早くこの場を去りたい。デパートから出る直前、後方から店員さんの大きな声が聞こえた。
「ありがとうございましたー!」