13. 勝負
ラーメン屋には、明かりが点っていました。静かに扉を開けて中に入ると、千晶が食堂のテーブルに向かって、いろいろな書類を準備しているようでした。
「おはようございます」
んっ、と、声にならない反応があります。徹夜で疲れているのでしょうか。
「どういう方向性でいくつもりなんですか?」
何気ないふうを装いながら、隣の椅子に腰掛けました。
「……とりあえず、今のラーメン屋にあるアットホームな雰囲気をなるべく崩さずにいけたらと思って、いろいろ考えてるんだ」
いいながら、千晶は私に、準備中の資料を見せてくれました。ラフなタッチで描かれているのは、新しい建物の内装や外装、平面図みたいです。
「でも、新築してかっこいい建物になったら、自然と今までの雰囲気は失われちゃうんじゃないですか?」
「そこをなんとかするのがデザイナーなのだよ」
千晶は自信ありげに胸を張りました。それを見て、私は用意してきた質問をためらいました。初めての仕事にこんなにも意欲を燃やしている千晶に、水を差すのは悪いように思われたからです。
コンビニ弁当の朝食をとったあと、千晶の発注していた建築会社の人たちがやってきました。若い男性と、中年女性との二人組です。千晶は目を丸くしました。
「お、お前は……!!」
「知り合いですか?」
「知り合いも何も、こいつは昨日同じ試験会場で会った、あの専門学校生じゃないか!!」
千晶があんまり大きな声を出すものだから、その専門学校生の人も、千晶の存在に気がついたようです。にこやかに会釈しながら、車から降りてきます。千晶は彼を、厳しい視線で見据えました。
「イケメンは人類の敵だ」
ええええー! 何いっちゃってるんですかこの人は。ろっどさんごめんなさい。
「なんでお前がこんなところに!」
「先日の事務所は滑り止めだったんでね」
専門学校生さんが、あくまでスマイルを崩さずにいいました。そういういい方をされると、落ちた側からすればムッとします。千晶の心臓の脈打つ音が、私の肌でも、感じ取れるかのようでした。
千晶は深呼吸を三回して、なんとか気分を落ち着けたようでした。適当な席に二人を招き、あらかじめ清書しておいた資料を渡します。これは相手がメモをする手間を省いてあげるというデザイナーズテクニックだそうです。そうしておいてから、千晶は専門生さんたちに、今回の建て替えの方向性を伝えてます。資料には雰囲気を想像させるイラストを主に散りばめておいて、口頭では、あまり資料内の言葉に頼らないように説明していきます。これは長文を読むのはめんどくさいという人の心理をついたデザイナーズテクニックだそうです。最後に、昨夜徹夜で書き上げた設計図をばーんと突き出しました。完成像を前面に押し出すことで、自分のデザイナーとしての資質を表現するというデザイナーズテクニックだそうです。スリーコンボが決まりました。完璧です。千晶を見ると、これでどうだといわんばかりに鼻息荒いです。
受け取った設計図をおばさんがちらりと眺めて、それから専門生さんに渡しました。そして、平然と告げました。
「わかりました。当社の側で考慮させていただきますので、本日夜六時半時頃にはデザイン原案をお渡しします」
「ムキャーーー!!!」
「千晶、落ち着いて」
建築会社の人たちが帰ってからというもの、千晶は荒れていました。いや、ラーメン屋にはアルコールはないはずなのですが、千晶自身、予想外の専門生さん登場に混乱しているようでした。
「とりあえずあのイケメンをコテンパンにしなきゃ気がすまねぇ」
「暴力はダメです……」
「だからさ、デザインで勝負だよ!」
「どうやって?」
「六時半までに、さっきよりもっといいデザインを、あいつのところに叩き付けるんだ!」
千晶は私からノートを借ると、アイディアを一生懸命描いていきました。しかし、ちょっと描いたと思ったらちぎって捨て、またちょっと描いたと思ったらぐちゃぐちゃに塗りつぶして……
「……ごめんね」
唐突に、千晶の手の動きが止まりました。
「あたしなんかに付き合わせちゃって」
「そんなこと、気にしなくていいですよ」
私は今朝から千晶の初仕事を見ているうちに、心を動かされていました。なんとかして千晶の仕事を成功させてあげたい。エミーチャオの言葉尻についての心配なんて、今するべきではないんです。千晶を目の前にしていると、私の悩みや自意識が、ちっぽけなもののように思えました。
でも、千晶の方は、どうしても自分に納得がいかないらしく、ぼんやりともの思いにふけったり、頭をかきむしったりしながら、そのまま正午になってしまいました。
店長のキバさんが持ってきてくれたラーメンを、二人ですすります。
「食べ終わったら、食器は流しに置いといてくれ」
立ち去ろうとするキバさんを、何を思い立ったか、千晶が呼び止めました。そして、今朝の建築事務所の人たちに見せたのとまったく同じラフを、キバさんにも見せました。キバさんは首をひねりました。
「ちょっと壁が多くないか?」
壁ですか? たしかに、今のこの店には、あまり目立った壁はありませんが……
「俺の店は、私のラーメンを食べた連中の笑顔が見えるような場所にしたいんだ」
キバさんはそういって、殺風景な空間を見回しました。「臨時休業」の貼り紙のあるこの店には、私たちの他に誰もいません。けれどもキバさんの目には、見えない客の姿が映し出されているかのようでした。
「……キバさんのいいたいことはわかるんだ」
ラーメンを食べ終わってから、千晶はぽつりとつぶやきました。
「客がいるから、店ができる。そういうことだと思うんだけど……」
デザイナーは、顧客の漠然としたイメージを具体的な形にもっていかなければならない。千晶はどうやら、その行程で詰まっているようでした。私も、何かヒントを出してあげられないものか……
「……あの、前にこのラーメン屋に来たときに思ったことなんですけど」
千晶が不思議そうに顔を上げました。
「そのときは例のパンフレットの原稿に行き詰まってて、気晴らしもかねてここに来たんです。それで、この店って、メニューがないじゃないですか。店員さんとのコミュニケーションが大事、っていうか、そのためのこの店の雰囲気がうまいっていうか……」
ヒントを出そうとしたのに、自分で自分の言葉に詰まっています……
でも、千晶は構わずに、私の話を促しました。
「えっと、だからその、今回も奇遇ですよね。ガーデンで偶然パンフレットを作ることになって、その後もまた、ラーメン屋の建て替えを手伝わせてもらって。そういうのは、やっぱり同じ考え方……自分たちは場の提供に徹して、他は利用者の人に任せようっていうのが、どちらにもあると思ったんです。だから……」
歯切れが悪いです。千晶はしばらく黙っていました。何を、どう伝えるのか。続く言葉を、一生懸命考えるのですが、浮かんできません……
やがて千晶が、ゆっくりと腰を上げました。
「私たちも、チャオガーデンに、帰ってみよっか」
「はい」
チャオガーデンには、今日も人がたくさん来ています。一番多いのは親子連れです。昨日は一人もいなかったのに、どうしてこんなに? 私が不思議に思っていると、聞き覚えのある声が、耳に届いてきました。
「ああ、どこに行ってたんだ!」
それは、ケーマくんでした。
「どうしてこんなに人が来ているんですか?」
「そんなことより聞いてくれ! 俺もついに、引き取られることになったんだ!」
やっぱり話しかけなければ良かった……と思っても、後悔先に立たず。
「今日はエイプリルフールじゃないですよ」
「嘘じゃねーし!」
引き取られたことについての自慢が始まりました。なんでこんな話を聞いてるんでしょう、私。
「普通の小学生なんだけどさ、いや、これがさ、サッカー部のエースなんだ」
「どうでもいいです。さようなら」
「待ってくれよ! 人が来てる理由、教えてあげるから!」
最初からそうしてくれればいいのに。
ケーマくんはは、とうとうと説明し始めました。
「噂では、ソニックたちがエッグマンを追ってスペースコロニーに飛び立ったらしい。でも、今回は本当にピンチなんだ。なんてったって、七つのカオスエメラルドはすべてあのアークに集まっているようだし……」
いいながら、彼はガーデンの天窓を見上げます。ここからでも、あの月を割ったアークの様子は、よく見て取れました。つまり、私たちはいつでもエッグマンのキャノンによって殺されてしまう可能性があるということです。
私には、それとは別に、気付くことがありました。あの真っ赤に燃える月の下で、翼を広げるダークチャオ。なるほど、これなら多少は、かっこいいかもしれません——
「で、最期はチャオと一緒に過ごしたいって人たちが、チャオガーデンに集まってきているんだ!」
こんなにたくさんの人が、人生の最後かもしれない瞬間を、私たちと一緒に過ごそうとしてくれている。それは嘘のような本当の話でした。チャオを連れた人たちが、あちこちで談笑しています。頭上からキャノンを突きつけられているのは、決して幸せな状況ではありません。けれども、そんな中で、人とチャオとがささやかな幸せを噛みしめていました。
「そうか、家なんだ!」
千晶が突然叫びました。何事かといぶかしがる、周りの人たちの視線を尻目に、千晶はその場にしゃがみこんで、ノートに何かを描き始めました。まもなく概形ができあがりました。普通の、どこにでもあるような一軒家。それを自信満々に、私に突き出して見せました。
「チャオガーデンは、君の帰る家でしょ?」
私はうなずきます。
「チャオラーの帰るガーデン、客の帰る店、人が帰ってくる家。これってみんな同じじゃない。だったらデザインだって、それに寄り添うように作られるべきなんだ!」
それからの千晶は、まるでそれ以前が嘘だったかのように、慌ただしく作業し始めました。外装、内装のイメージを丁寧に描いて、明かり取りの窓や照明の種類などを、事細かに指定していきます。残り時間はあまり多くはありません。徐々に斜陽が照ってきています。でも、千晶は妥協しませんでした。私はそんな千晶の様子をずっと眺めていました。
そうこうしているうちに、周りの大人たちの様子が、なんだか騒々しくなってきました。
「だんだん大きくなってきてないか?」
空に浮かんだスペースコロニーの見た目が、だんだん大きくなってきている。それはつまり、コロニーの落下を意味していました。このままでは助からない。そう気付いたとき、人々の顔を、恐怖が埋め尽くしました。
「みんな落ち着くちゃお!」
どこからかエミーチャオの声が聞こえました。が、周りの声がうるさすぎて、すぐに掻き消されてしまいます。このままでは、パニックになってしまう。
「できた!」
千晶がぱっと立ち上がって、私たちにノートを掲げます。急がないと、約束の時間に間に合いません。
人の波を掻き分けて、なんとかエレベーターに乗り込みます。ホテルを出ると、そこにもたくさんの人たちが、よってたかって空を見上げていました。しかし、躊躇している時間はありません。とにかく人を避けながら、ラーメン屋に向かって走ります。私は両腕を左右に開きました。
「キーーーン!!!」
道路では誰もが車を止めて、窓から空を眺めています。どこかで道を渡らなければいけないのですが、走っても走っても、延々と車の列は続いています。
「どうやって横断すれば……」
後ろから翼を広げたダークヒコウチャオが、私たちを追いかけてきました。私たちがラーメン屋を目指してるなんて、一体誰から聞いたんでしょう?
「受付ボーイさん」
「あのおしゃべりめ……」
「ま、いいからさ、掴まれよ」
私たちは、ケーマくんの両手をしっかりと握りました。彼はヒコウタイプの大きな翼をはためかせて、私たちを持ち上げると、道路を一気に飛び越しました。
「ありがとう!」
短距離の飛行でも、人とチャオを運ぶという荒技に、ケーマくんはさすがに疲れたのでしょうか。息を切らしながら足を降ろして、私たちを見送りました。
「貸し付けたからな!」
私たちはケーマくんに軽く頭を下げて、また走り出しました。
ラーメン屋は商店街のはずれにあります。人ごみを避けるために、普段は通らない裏通りへと駆け込みます。野良猫が一匹、足元を駆け抜けていきました。息が苦しいけれど、足が重くなってきたけれど、私たちはとにかく前を目指しました。
ラーメン屋が見えてきました。すでに建築会社の人たちがついていることは、車でわかりました。ドアを勢いよく引き開けて、中に駆け込みます。六時二十七分です。間に合いました。
「これを……」
千晶が、私のノートを、建築会社の女性に渡しました。家の外観の描かれた、あのページを。
「なんですか?」
「改築の、イメージ図です」
千晶は息も絶え絶えになりながら、それだけ伝えて、席に座りました。
イケメンさんがクリアファイルから書類を取り出しました。
「これが、当社の改築プランです」
互いに設計図を交換しました。
私は専門生さんの出した方を千晶に見せてもらいます。コンピューターで描かれたきれいな図は、どこかのファミレスにありそうなやつです。
「俺にも見せてはもらえないか」
キバさんがやってきました。二人から書面を受け取って、じっくりと眺めました。
「俺には建築はわからんが、雰囲気が継承されているのは、こっちだな」
千晶と私のノートを、上に掲げました。
「そうね」
それまで黙っていた、中年女性の方が、不意に口を開きました。
「悪くないと思うわ。このまま採用しても、差し支えないぐらいよ」
「ええ、でも」
専門生さんの動揺は、おばさん社員に無視されました。
「あなた、設計はやったことあるの?」
「いいえ、きちんとやったのは今回が初めてです」
千晶の言葉に、おばさん社員はちょっと拍子抜けしたようでした。でも、すぐに気を取り直して、
「どうしてこんなラーメン屋に?」
そう、聞かれました。千晶は私の顔をちらりと見ます。私はうなずき返しました。
「実は私、この間別のデザイン事務所の募集を受けたんですが、落ちてしまって…… それでどうしようかと思ったときに、チャオガーデンにいた二人のチャオたちに、ここを紹介してもらったんです。ここなら設計の仕事があって、経験を積めるだろうって。だからお願いします! 私を雇ってください!」
予期せぬお願いに、おばさん社員は目を丸くしていました。千晶はずっと頭を下げたまま動きません。おばさん社員は、そんな千晶の様子をじっと見ています。
おばさん社員が、やさしくほほえんだように見えました。
「バイト枠で、最初はつまらない事務仕事ばかりになると思うけど、それでもいい?」
「よろしくお願いします!」
千晶は両手をしっかりと握り返しました。
拍手の音が聞こえてきます。この優しい音はキバさんです。つられて、私も拍手しました。千晶は照れくさそうに頭をかきながら、でも、しっかりとそのおばさん社員に、謝辞を述べていました。