9. 就活大作戦

「大学辞めちゃったぜ」
 そういって、遠藤さんは目をぱちぱちしました。
「はい?」
「なんかね、もっと社会に役立つことやろうと思って、それで大学辞めちゃった」

 朝早くからチャオガーデンにやってきた遠藤さんは、開口一番、とんでもない発言を口にしました。一瞬、新手のジョークかとも疑いましたが、彼女がそんな嘘をつく意味がありません。

 どうしてそんなに目をぱちぱちしているんですか。そんなかわいい顔をされても、変なだけですよ。理由を説明してください。……いろんな言葉が出かかったけれど、押し殺して、はやる心を落ち着かせました。相手がおかしいときほど、自分は冷静にならなければいけない。本人は冗談っぽくいっていますが、本当はもっと、真剣に考えるべき話題なんじゃないでしょうか。

 遠藤さんは、しゃがみこんだ膝の上に両腕を組んで、さらにその上に顔を載せて、お日様のようにほほえんでいます。まるで、自分の置かれている状況を、楽しんでいるかのような笑顔です。
「大学辞めたって、退学届けを出したってことですか?」
「そうだよ」
「仕事を始めるつもりなんですか?」
「たぶん」
「たぶんって、仕事決まってないのに辞めちゃったと?」
「そういうこと」
 ああ、仕事決まってないのに大学中退ってなんですか……古代エジプトの言葉ですか……

「とりあえず今日は、ハローワークにでも行ってみようかと思うんだけど」
 遠藤さんは急に真面目な顔になって、私の目を見つめてきました。ニートになるつもりではないようで、その点だけ取り出せばいいことなのですが、でも、やっぱり不安です。私は見つめ返すのがつらくなって、口元に目線を逸らしました。
「どんな仕事を探すつもりなんですか?」
「キーワードはインテリア、店舗、空間デザイン、だね」
 よくわからない言葉たちが、彼女の口から流れ出てきました。なんですか、それ?

 ……聞けば、どうやら彼女は、この間チャオガーデンのパンフレットを設置したときにしたようなことを仕事にするつもりであるようです。顧客の要望に合わせて、建物の内装、外装をデザインする仕事だそうです。
 もしかして、私たちは結果的に、彼女の背中を後押ししてしまったんでしょうか。だとすれば、私の心からは、罪悪感が拭えません。そんなマニアックな仕事に対してどれだけ需要があるのかわからないのに、彼女が早々に大学を辞めてしまったのは、私たちの失敗でもあるのかも。

 私は、遠藤さんと一緒に、ハローワークに行ってみることにしました。


 チャオガーデンからハローワークまでは、歩いて数分で行くことができます。小ぎれいなビルのフロアに、資料の載った机が島のように並んでいて、そこで調べものをしている人や、職員の方と相談している人がいます。年齢や、顔つきもバラバラで、職というのは、本当にあらゆる人たちに関係することなのだなと、私は今更実感していました。
 私たちは、一番近くの窓口に行って、遠藤さんのいうような仕事があるかどうか、調べてもらうことにしました。

 少し検索すると、建築関係の職はたくさん出てきます。しかし、遠藤さんは建築士の資格を持っていないとのこと。それらの中から慎重に、デザイン系の職種だけを選別しなければいけませんでした。
 結局、三件の募集にまで絞り込むことができました。最近ステーションスクエアの景気は上向きだ、なんて、たしかにいわれていますけど、こんなニッチな募集があるとは思いませんでした。

 小粒の事務所ばかりで不安もありましたが、何はともあれ、遠藤さんは、その中の一つ——アパートから最も近いというところに、挑戦してみることにしました。試験の日程は五日後。思ったよりも早急です。

 次に私たちが向かったのは、キャンパスでした。遠藤さん曰く、大学に行けば何か作品選考に提出できそうなものがあるかもしれないそうです。
「たぶん、学校祭で作品展示をレイアウトした時の写真が、どっかにあるはずなんだけど……」
 そんなあやふやな記憶を頼りに、私たちは、キャンパスの門戸をくぐりました。

 部室に向かう途中で、小柴さんに会いました。私と遠藤さんが一緒にいるのを見て不思議に思ったのでしょうか。声をかけられました。
「どうしたの?」
「あのー、部室に前にやった学祭の時の写真ってありましたっけ?」
「あったと思うけど、何に使うの?」
「就活です」
 小柴さんが、ぽかーんとしました。まさかとは思いますが、サークルの先輩にも、大学辞めたことをいってなかったんですか?
「あたし先週、大学辞めたんです」
 そのまさかでした。小柴さんが何度も問い返しています。それはそうでしょう。今朝、私が初めてそのセリフを聞いた時も、同じくらいショックでしたから。でも、遠藤さんは本当に辞めてしまっていたようだったので、しかたなく言葉を呑んだのです。

 小柴さんが納得するまでには、私より多くの時間を要しました。小柴さんのように常識的な人であるほど、遠藤さんのような非常識な行動を理解しがたいのかもしれません。
 と、そういう一悶着はありましたけれど、最終的に小柴さんも、就活を応援してくれることになりました。

 私は、遠藤さんに耳打ちしました。
「他にも大学辞めたって伝えてない人がいるんじゃないですか?」
「あんまりいってないね」
 遠藤さんはけろっとした顔で答えました。
「一応、両親には電話でいった。すごい怒られた」
 両親に伝えてあるなら、問題ないですね。……って、本当に、問題ないですか?

 今朝からずっと、遠藤さんが何を考えているのかわからないのが不安でした。私はわりとすぐにうなずいてしまいましたが、本当は小柴さんのように、すぐには飲み込めないのが自然なはず。どうして彼女は、大学を辞めるなどという結論に至ってしまったのでしょうか。私の心の中で、何かが点滅しました。

 私たちは、芸術サークルの部室へとやってきました。あのごちゃごちゃと積んである作品群に紛れて、学祭のときのアルバムがあったかもしれないと、小柴さんはいいました。静物画の描かれたカンバスを数枚、机によけて、棚を捜し始めます。勝手のわからない私には、見ていることしかできません。

 ……そういえば、芸術とデザインは違うということを、遠藤さんは何度も口にしていました。固い信念として持っているようでしたから、彼女はずっと前から、空間デザインの職に就きたいと思っていたのかもしれません。それはつまり、別のいい方をすれば、この大学に入ったのは一時的な決断だったということ。でも、就活は大学を卒業してからすればいいことなのでは? それとも大学生活に、何か不満でもあったんでしょうか。

「……ほんとは芸大に行きたかったんだけど、親に反対されてね」

 不満からの脱出、それは一番理解しやすい目的です。自分のやりたいことと大学の実際とのギャップが、思った以上に大きかったのかもしれません。私は思い出します。他の部員たちの活動について話そうとするときの、あの何ともいえない顔を。初めて部室を訪問したときも、あからさまに、退屈な講義に辟易しているふうだったではありませんか。

 複数の理由があれば、それはより強い意志となって、人を行動に追いやります。大学生活が嫌になったので辞めた。それだけでは、悪いことのようにしか聞こえません。けれども、それが彼女が徹底的に空間デザインとやらにこだわっているからこそだと考えれば……どうなんでしょうか。一概に良いことであるとはいえませんが、彼女は彼女なりに、軌道の修正を図っているのかもしれません。

 それならば、と私は思いました。遠藤さんを応援してあげよう。口にこそ出しませんが、十分な動機とこだわりがあれば、夢を叶える事ができるかもしれません。それに、周りの応援があれば、きっと彼女にはいい結果が舞い込んでくるはずです。これまでの付き合いの中で、なんとなく感じ取っていました。遠藤さんは自分の内面にある目的よりも、他人から認められることが、強いインセンティブになる人です。
 だから、一人でも彼女を認めてあげれば、それがきっと、彼女の力をぐんと高めてくれる。そう、確信しました。

 作品群の中から、目的のアルバムが出てきました。遠藤さんは飛び跳ねるくらい喜んでいました。
「じゃあ、就活がんばって」
「はい、がんばります」
 遠藤さんは、もう二度と来ることのないであろう部室に、口惜しそうに、別れを告げました。

 私はガーデンに帰って、今日の出来事をエミーチャオに伝えました。エミーチャオは案外驚いたふうでもなく、軽くうなずくと、
「じゃあ、私がサポーター第三号ちゃおね」
そういってくれました。あとは彼女が職に就けることを祈るのみです。

このページについて
掲載日
2009年12月23日
ページ番号
16 / 23
この作品について
タイトル
チャオガーデン
作者
チャピル
初回掲載
2009年7月19日
最終掲載
2009年12月23日
連載期間
約5ヵ月7日