7. デザインとは
六月十日(土)
「デザインとは、実用性である」
ミッションストリートを歩きながら、遠藤さんは、そう、大仰にいってみせました。
「実用性ですか?」
「うん。たとえば今回でいえば『チャオガーデンのことをよく知ってもらいたい』とか、そういう目的を達成するために、最も効果的な表現を追求するのがデザインだってことだよ」
ステーションスクエアの街は、様々な色彩、意匠、自然に彩られています。少し空を見上げれば、突き抜けるようなブルーがあり、目を落とせば、あちこちに並んだビルの窓や、商店の看板が、所狭しと自分の存在を主張しています。そんな街を、力強い海風が吹き抜けていきました。暑い日差しを和らげるような、すがすがしい風でした。
話は一週間前にさかのぼります。小柴さんと私たちが、パンフレットのデザインを約束したあのあと、私は、再会の日程を組んでおくことを提案しました。彼女たちにとっては蛇足かもしれませんが、私としては、デザインの進捗状況がわからないのは不安だったのです。
最初聞いたときは、あまり魅力を感じなかった、「自分でパンフレットを作る」という状況も、うまく動き始めると、がぜん面白くなってくるものです。ノートは小柴さんに渡してしまいましたから、チャオガーデンに帰ってからは、あまりできることはなかったのですが、具体性を帯びてきた未来をイメージすると、なんだか無性に、わくわくしてしまうのです。
しかし、それとは逆に、まったく成功しそうにないのが、ケーマくんの引き取り活動でした。ケーマくんは、その悪魔のような羽を広げて、チャオガーデンの空を飛び回る練習を続けていましたが……これは本当にいいにくいのですが、燃えさかる太陽の下で飛ぶコウモリは、かなり、まぬけでした。
ある日、私がそんなケーマくんをぼんやりと眺めていたところへ、遠藤さんがやってきたことがあります。
「なにしてるの?」
私がケーマくんの練習のことを教えると、彼女は「へぇ」という、とらえどころのない返事と共に、天窓を見上げました。
ガーデンの案内文の原稿には、直接、引き取り活動のことを書いたわけではないものの、それを引き起こす前提については、字数を裂いていました。だから、割とすんなりと、理解してもらえたのではないかと思います。
「君は、しないの?」
遠藤さんが、芝生の上に三角座りしながら、私に聞いてきました。
「私は——人に引き取りを押しつけるのは、何かが違うんじゃないでしょうか」
また、きわどいことを。そう、一瞬自分を省みましたが、次の遠藤さんの言葉で、そんなことはどうでもよくなってしまいました。
「あのダークヒコウチャオ、ちょっと、かっこいいかも」
えええええー!
……そんなことがあったものだから、今朝、遠藤さんと小柴さんが、約束通りチャオガーデンにやってきたときも、この人の趣味を疑ってしまったのです。到着してすぐに、小柴さんは二手に分かれようといいだしました。
「私は印刷所を探してくるから、千晶は大道具を買ってきなよ」
そういえばすっかり忘れていましたが、あの計画でいくなら、パンフレットを置くためのテーブルのようなものが必要でしたっけ……
一度やると決めた小柴さんのリーダーシップには、すさまじいものがありました。正直、私とエミーチャオは足手まといなのではないかとも思ったんですが、小柴さんがいうには、最後には私たちがしっかり監修して、デザインの整合性を保つべきなのだそうです。
私は遠藤さんについていくことにしました。エミーチャオがパンフレットの完成品を見たがり、小柴さんについていくといい張ったのも理由の一つでしたが、遠藤さんが変な物を買わないか、見ていないと不安だとも思えたからでした。
街へ出てすぐに、遠藤さんが私の両脇をつかんで、ひょいと担ぎ上げました。当惑する私にもお構いなく、遠藤さんは、パーカーのフードを開いて、中にすとんと、私を放り込みました。
「こうすれば、互いに見失わないでしょ?」
それはそうですけど……がんばれば私だって、人についていけるぐらいのペースで走れるのに、わざわざ手をさしのべてもらえるのは、ありがたいのか、おせっかいなのか……もしかして、この状況を予想した上で、パーカーを着てきたということなんでしょうか。
私がそのことを聞くと、遠藤さんの頭が、こっくりとうなずきました。
「デザインとは、実用性である」
「実用性ですか?」
「うん」
そうして、歩きながら、冒頭の言葉を口にされました。
私の体は、フードの中で揺られています。道路をどんどん、後ろ向きに歩いて行きます。やがて赤信号にでも鉢合わせたのでしょうか、遠藤さんの体が、止まりました。地平線の果てでビルの輪郭線が収束して、一点を指し示していました。
信号が変わり、また足が一歩前に出ると、収束していた一点が、周りの風景を飲み込んで、また新たな景色が立ち現れます。
「芸術サークルも、実用性を追求してるんですか?」
私は部室に置いてあった、たくさんのオブジェを思い出しました。あれに意味があるとは、とても思えなかったんですけど……
「いや、あれは、どうなんだろう?」
遠藤さんの声が、揺らぎました。
「なんていうのかな。デザインと芸術ってそもそも方向性が違うんだよね。私や先輩みたいなのは、明らかにデザイン側の価値観だから、優劣がすぐにわかるんだけど、他の人たちはなあ…… 一概には、いえないよ」
芸術サークルにも、いろんな派閥(?)があるんでしょうか。
目的地まではほとんど一本道なのに、遠藤さんはやたらときょろきょろしながら歩いていきます。そういえば、遠藤さんはいつもスケッチブックを持ち歩いて、建物を描いて回っているような方だったことを、私は思い出しました。
「面白い建物でも、あるんですか?」
「チャオと人との共生の街、ステーションスクエア。あんまり気にかけてないかもしれないけど、いろんなところに、工夫が凝らしてあるよ」
私もまた、遠藤さんの視線をまねるように、近くの物に視線を落としました。普段、こんな角度で物を見ることがないだけに、その高さに驚きます。
「街を作っているのも、デザイナーだよ。人に気に入ってもらえるために、クライアントが何を望んでいるか、しっかりと理解した上で、最も効果的な表現を探す。芸術家は自分の主張をもたなくちゃいけないけど、デザイナーはむしろ、それを捨てなくちゃいけない。私の専門は、そういうジャンルなんだ」
……最も効果的な表現、と聞いて、私はとっさに文章をイメージしました。比喩や修辞技法を駆使した詩のような文章と、他人に自分のいいたいことを確実に理解してもらうためのプレゼンのような文章とでは、書き方がまったく違う。遠藤さんは「表現」という言葉を使いましたが、文章だって表現ですよね。
「でもデザインを専門にするんだったら、芸大とかに入るのが普通じゃないですか」
この間、遠藤さんは社会学部だと、いっていたように記憶しています。小柴さんは、マーケティングとかなんとかいっていましたから、少しはデザインに関係があるのかもしれませんが、私には、実用性にこだわる遠藤さんと、社会学部の学生としての遠藤さんが、どうにもうまく結びつきませんでした。
「……親に反対されてね。でも、私はこの街に来て良かったなと思ってる」
遠藤さんは、何となくいいにくそうに答えました。あまりこの話題には触れない方が良かったのかもしれません。
「あ、あったあった」
遠藤さんは、目的のお店に駆け込むと、無味乾燥なボックス型のテーブルを選びました。私が見る限りでは、なんの変哲もない、普通のデザインです。
「これがいいんですか?」
「大事なのはパンフレットであって、テーブルは地味な方がいいと思うんだ。それに、これなら角が丸くなっていて、子どもが怪我することもないし」
なるほど、これがデザイン系の価値観ですか。
チャオガーデンに彼女の選んだデスクが運び込まれて、その上にパンフレットが並べられました。よくある縦長のパンフレットですが、水色を基調にしたかわいらしいデザインで、チャオガーデンっぽさがよく出ています。あんな駄文でも、こうしてレイアウトを整えるとそれっぽく見えてくるものなんですね。私としては、一安心です。
印刷班の二人にお礼をいっておこうかと思ったのに、エミーチャオときたら、向こうで遠藤さんとなにやら話し込んでいます。しかたがないので、私は小柴さんを捕まえて、頭を下げておきました。小柴さんは照れたような口ぶりで、どうやら、謙遜しているようです。
そこへ、エミーチャオがやってきました。
「記念撮影するちゃおよ!」
見れば、向こうで遠藤さんが携帯電話を構えて、私たちを撮ろうとしています。
「これじゃあ遠藤さんが入らないじゃないですか!」
「えー、じゃあ……」
遠藤さんは周囲を見回して、頭の上を周遊していた、ケーマくんを見つけました。
「よし、君が撮るんだ!」
「お、俺?」
遠藤さんが彼にケータイを押しつけて、私の後ろに立ちます。さすが、デザイナー。最も効果的な立ち回りです。
ケーマくんは、なんだかんだいいながらも、結構いい写真を撮ってくれました。