6. 二人の大学生
六月五日(月)
ケーマくんは、どうやら本当に引き取り活動を始めるつもりらしいです。私は引活アドバイザーとして、彼の練習に付き合ってあげることになりました。友人Pと近しいなどということをいってしまった手前、そうなるのは当然の帰結でしたが、それにしても、あまり気乗りできる相談ではありませんでした。
「どうすればいいんだ?」
ケーマくんが両腕を広げて、私の前に仁王立ちしています。
「とりあえず、思うようにやってみてくださいよ」
「思うように……」
何かをぶつぶつとつぶやきながら、ケーマくんは芝生の上に、こてんと腰を落としました。最初は、両腕を後ろについていたのですが、そのままではまずいと思ったのでしょうか。両足の間に置いてみたり、はたまた、腕を交差させてみたりと試しています。けれども、最終的には、
「わからん」
そういって、さじを投げました。まあ、そうですよね。私にもわかりません。
「とりあえず、あんまりぶりっ子にこだわらなくてもいいと思います」
適当なことをいいました。
「ダークチャオって、どっちかっていうとかっこいいイメージじゃないですか。だから、男の子にアピールした方がいけますよ」
「なるほど!」
ケーマくんは、私の言葉に、深く感心したようでした。さっそく起き上がって、かっこいいポーズの開発に取り組み始めます。自分で改善しようとする姿勢を、私は評価します。
「しばらく一人でがんばってみてください」
「ああ」
ケーマくんを残したまま、私はいつものように、新聞を取りに行くつもりでした。
「例のパンフレットだけど、作ってもいいことになったよ」
「本当ですか?」
受付ボーイさんに会うと、真っ先にそのことを告げられました。何となく予想はしたので、驚きこそありませんでしたが、実際にそういわれると嬉しいものです。
「おまけにこのノートを、ガーデンのチャオたちが書いたものだといって紹介したら、オーナーにえらく気に入ってもらえてね」
そういう見方も、あるのかもしれないと思っていました。一般には、ガーデンのチャオが書いた文章なんて、珍しいでしょうからね。
「だから、パンフレットについても、チャオたちに作らせてみたら面白いんじゃないかという話になった」
「はい?」
予想外の言葉に、ふぬけた返事が漂いました。
「もちろん、僕も賛成したよ。おかげで資金もある程度裂いてもらえることになった」
受付ボーイさんはきゅっと目を細めて、ノートの上に新聞と、茶封筒を加えて乗せてきます。思わぬ重量に、私はよろめき——とっさに羽を広げて、空中で何とか姿勢を持ち直して、床に足を落ち着かせました。
「大丈夫?」
受付ボーイさんの声がします。
「な、なんとか……」
つい、反射的にそう返してしまいましたが……おそらく、彼は誤解しているんです。彼は、私たちとあの女子大生さんとが知り合いだと思っているのです。私たちが作る、というのは、彼女と作るという意味なのです。
ガーデンに戻って、エミーチャオにこのことを相談しました。私が意見を求めると、エミーチャオは、あっけらかんといいました。
「じゃあ、君が作っちゃえば?」
……たしかに、そうすれば「ガーデンに住むチャオが作った」という肩書きが付きますし、ホテル側にしてみれば費用も削減できますから、メリットはあるのかもしれません。けれども、私としては、下手に色眼鏡をかけて読まれたくはありませんでした。私の文は、私から離れて、自由でなくてはいけないんです。
この依頼を断って、かつ、余計な肩書きを付けるなと、受付ボーイさんに釘を刺すのはどうでしょう? そんなことをするぐらいなら、自分で作ってしまった方がむしろ、いや、でも……
「大学に行くというのもありちゃお!」
エミーチャオは、時々、まったく脈絡を無視したことをいいだします。
「昨日の人を捜すなら、大学に行けばきっと見つかるちゃお!」
大学、ですか……
私は前に一度だけ、オープンキャンパスに行ったときの記憶を引っ張り出しました。かなり広かったように覚えています。そんな中で、名前もわからない一個人を、見つけることができるんでしょうか?
「まあ、君には無理ちゃおね」
いらっとしました。
「私にはできるちゃおけど」
……要するに、自分もついていきたいっていってるんですよね。長い付き合いですから、それくらい察しますよ。
キャンパスへ行くために、私たちは路面電車を利用することにしました。普段なら一時間以上かけて歩いていくところですが、今の私には、茶封筒があるのです。ちょっと中身をのぞいてみると、ガーデンに暮らすチャオにとってはとんでもない量のリングが入っていて、目がくらみそうになりました。精神を統一して、切符を買いました。
十数分ほど電車に揺られていると、大学の正門が見えてきました。たくさんの学生さんやチャオが行き来していて、下手をすれば迷ってしまいかねないと思うのですが、エミーチャオは、一体どうするつもりなんでしょうか。
「ふっふっふ、任せておけちゃお」
やけに自信満々にいい放ったエミーチャオは、まっすぐに奥の方へと飛んでいって、そこを歩いていた学生を捕まえました。少し会話をしたのち、戻ってきました。
「右に見える、背の低い建物に行けばいいらしいちゃおよ」
いわれるがままに中に入ってみると、そこは事務室でした。事務員のお姉さん(四十代後半ぐらい)にお願いして、芸術サークルの部員一覧を見せてもらったんですが、名前がわからないのでどうしようもありません。
「これはもう、行ってみるっきゃないちゃお!」
エミーチャオの判断により、私たちは直接、芸術サークルの部室に乗り込むことになりました。
事務員の方に描いてもらった地図に従って歩いていくと、古い木造の校舎が見つかります。この二階の「芸術サークル」の看板がかかった部屋が、目的の部室だそうです。エミーチャオが少し飛んで、小さな手製のドアノッカーを叩きました。
「誰かいるちゃおかー?」
こんな昼間に誰かいるとは思えなかったのですが……意外にも、中からかさかさと小さな音が聞こえてきました。まもなく扉が開いて、出てきたのは、細身の女性。シンプルな縞模様のシャツに薄手のボレロをひっかけています。
……どうやら目的のあの人ではなさそうです。彼女の視線は一度宙に浮かんだエミーチャオを捉えたのち、足元の私へと移りました。
「どちら様?」
「チャオガーデンから来ました。人を捜してるんです」
「誰を?」
「芸術サークルに所属してるって聞いてます。ちょっと丸顔な、ショートカットの女の人です」
こんな説明で伝わるのかどうか不安でしたが、相手の方は、ああ、あの子ねといった様子でうなずきました。
「今はいないけど……とりあえず、上がってくださいな」
彼女に誘われて、私たちは部室へと入りました。
芸術サークルの部室は、おそらく原型はレトロな木造校舎なんでしょうけど、いろんな作品や道具に彩られて、ごちゃごちゃしている印象を受けました。中央に長い机一つと、大きさや色の様々な椅子が並べられていて、私たちはその中の最も大きな二つに腰を降ろしました。私は黄色、エミーチャオはピンクです。床が悪いのか、それとも椅子がそうなのか、わかりませんが、私が乗ったそれは、少しぐらぐらと揺れました。
彼女は小柴と名乗りました。話によれば、私たちが探している女性——遠藤千晶さんというそうです——は、今ちょうど講義中で、しばらくしたら呼びにいってくれるとのことです。
私とエミーチャオの方からは、今回訪問した理由や経緯などを説明しました。遠藤さんがそんな提案をしていたという事実は、彼女をたいへん驚かせたらしく、びっくりだけど、でも応援してあげなくちゃ、というようなことを口にされていました。
「ずいぶんたくさん、変なものがあるちゃおね」
エミーチャオはこの部屋に入ってからというもの、不思議そうにあたりを見回しています。たしかに、見慣れない物ばかりが陳列されたこの部屋は独特で、好奇心をそそられます。
「この部屋にあるのは、みんなこのサークルの生徒の作品で……他人のだから、あんまり詳しく解説とかはできないけど」
その言葉を、私は意外に思いました。芸術サークルというぐらいだから、共通の感性を持つ人同士が集まっているものと思っていたのですが……どちらかというと、個人主義的な人たちの集まりなのでしょうか。
「私は芸術サークルっていうと、いかつい顔した、気難しいオヤジばっかりいるものだと思ってたちゃお」
エミーチャオが意味不明なことをいいだしました。
「しかも、料理と息子にうるさい」
海原雄山かよ。
しばらくして、小柴さんが時間を見計らって電話すると、遠藤さんとはすぐに連絡が取れました。小柴さんが携帯電話を渡して、声を聞かせてくれました。
「この人であってる?」
小柴さんの確認に、私たち二人はうなずきました。
やってきた遠藤さんは、ものすごく眠たそうでした。あくびをしたり目をこすったりしているので、この人は講義中寝てたんじゃないかと私は推測します。彼女もまた、適当な椅子に座って、
「なんでこんなとこにいるの?」
というようなことを聞いてきました。
私がオーナーの意向を説明すると、彼女の眠気が吹き飛びました。
「それ、まじでいってるの?」
遠藤さんが真顔です。エミーチャオを見ると、もう役目は終わったといわんばかりに、学生作品の鑑賞に浸っています。せっかく連れてきてあげたのに、最後まで協力してくれないんですか……まあ、いいですけど。
「普通そういうのは専門の会社に注文して、作ってもらうものなんじゃないのかな」
「そうですよねぇ」
私も基本的には同意しますが、この人が作っても、結構面白いものができるんじゃないかと思えてきましたよ。
「たしか、パンフレットとチラシを作ろうって、あのときいったんだっけ」
私はうなずきます。持ってきたノートを机の上に広げると、先日のメモが、そのままはらりと出てきました。机の上を滑らせて、遠藤さんに渡します。
ちらりと、遠藤さんの眼球が動きました。
「そういうのは、先輩の専門分野なんじゃないですか?」
「わ、私?」
小柴さんが驚いた様子で、私たちの顔を見比べました。
「この人はほんとにすごいんだよ。平面デザインについては右に出る者なしだよ」
「さすがにそこまでじゃ……」
「だってここの大学案内とかも、全部この人が見てるんだから」
それはすごい。大学案内って、事務室にたくさん積まれていたやつじゃないですか。
遠藤さんが立ち上がって、小柴さんの片手をつかみました。小柴さんが、うろたえました。
「ま、まあ、つたないものでよければ、いくらでもやってあげるけど……」
小柴さんの言葉に、私は拍子抜けしました。なんだかんだいってやっていただけるんですね。案外、褒められるのに弱いタイプなのかもしれません。
窓の外から強い日差しが、棚の上のガラス細工を照らしていました。プリズムのように屈折したそれが、遠藤さんの頬を虹色に染めました。
「先輩が全部やってくれるなら、一安心だね」
「千晶もやるんじゃなくて?」
「巨匠にお任せしますよ」
「いいだしっぺなんだから、何かしてくれないと」
「ぬぅ」
ひとたび動き始めると、小柴さんは人が変わったみたいに明るくなります。なんだ、結構、楽しそうじゃないですか。
私も時々口を挟みながら、その日は、今後の日程を話し合うことで、時間が過ぎていきました。