5. パンフレット作り

 六月四日(日)

「ふぅ」
 やっとできました。二週間かけて、ちょっとずつ制作していたチャオガーデンの利用案内です。本当はもう少し推敲するべきなのかもしれませんが、やれることはやったという実感があります。さて——
 私はノートを持って立ち上がりました。

 ウォーキング中のエミーチャオはすぐに見つかりました。私が説明文を読んでほしい旨を伝えると、彼女の顔がほころびました。
「じゃあ、行こうちゃお」
 ノートを抱えたまま、どこかに歩きはじめます。
「どこに行くんですか?」
「あれ、受付の人に読んでもらうんじゃないちゃおか?」
 なんだかとんでもない勘違いをさせてしまったみたいです。たしかに、最終的には受付の人にも見せて了承を得なければいけないんでしょうけど、まだその段階ではないつもりです、私は。
「善は急げちゃおよお」
 エミーチャオが盛んに手を引くので、しかたなく、私もエレベーターに乗り込んでしまいました。うーん、これはうまくはめられてしまったような気もしますが……しかたありません。
 所詮積極性においては、私がエミーチャオに敵うはずがないのです。

 フロントには、誰もいませんでした。ちょうど朝の忙しい時間帯と昼の忙しい時間帯との境目に当たったようで、ただ一人、受付ボーイさんだけが、カウンターの向こうで直立しています。私たちは、彼の元へと飛んでいきました。

「チャオガーデンの利用者の手助けになる文章を書いてみたちゃお。感想を聞かせてほしいちゃお」
 いいながら、エミーチャオがノートを差し出します。受付ボーイさんは「へぇ」と少し驚いた様子で受け取ると、さっそくぺらぺらとめくり始めました。
「もうちょっと推敲が必要なんですけど……」
 私も一応、付け加えます。

 私の文をただ斜め読みしていただけに見えたボーイさんでしたが、しばらくすると、だんだんと身を注ぐように、集中して読み解き始めました。冷たい指が、心臓をつかむような心地がしました。そのまま見ているのが無性に苦しくなって、私は床にぺたんと座り込みました。

 エミーチャオは、私の文が読まれている様子を、楽しそうに眺めています。彼女は私より、飛ぶのがはるかにうまいのです。そんなに楽しそうにしなくてもいいのに。他人に自分の文を読まれるのには、恥ずかしいような恐ろしいような、不思議な切迫感がありました。
 私は心を落ち着かせるために、向かいの壁をじっと見つめました。すっと、あたりの物が目に入らなくなって、外を行き交う自動車の残響と、エミーチャオの羽音だけが、やけにろうろうと聞こえました。

 フロントに赤いパーカーを着た女性がやってきました。彼女は私を見つけると、目を丸くしながら、
「どうしたの?」
と聞いてきます。
 はて、私はこの女性と、前に会ったことがありましたっけ? 記憶が定かではありません。いずれにせよ、早く帰ってもらわなければ。もし知り合いとわかったら、エミーチャオはきっとこの人にも、私のノートを読ませようとするでしょう。
「ちょっとフロントに用事がありまして……」
 ……と、いいかけて、思い出しました。この人は何週間か前に、スケッチを描く場所を探して悩んでいた、あの女子大生さんじゃないですか。

「知り合いちゃお?」
 頭上からエミーチャオの声がします。
「いえ、この人は……」
「こないだチャオガーデンで会って、ちょっとスケッチの構図について聞いたんだよね」
 女子大生さんのスニーカーがずいと近づいて、寄りかかった片手が、カウンターに橋のようにかけられました。エミーチャオの表情は、下からだとよくわかりませんが、なんだかきょとんとしているみたいです。

「スケッチって、何のことちゃお?」
「私、大学で芸術サークルってのをやってて……っていうか、ほとんど趣味なんだけど、いろんな建物のスケッチを描いて回ってるの」
「芸術サークル!」
 言葉尻からぴんぴんと、好奇心が伝わってきます。嫌な予感がしました。

「それならばこの案内をどのように掲示すれば見栄えがするのか、すべてご存知のはずちゃお!」
「案内って?」
「この子がガーデンの利用者向けに書いたちゃおよ!」
「へぇー、そんなことやってるんだ」
 そんなことをわざわざ教えなくても……と思っても、後の祭りでした。女子大生さんの目が興味深そうに、ノートの表紙を舐めました。

 私のノートが、ぱたんと閉じられました。どうやら受付ボーイさんが、すべてを読み終えたようです。私は思わず、身構えます。
「いや、これはよく書けているよ」
 エミーチャオに返しながらいいました。
「このままガーデンのどこかに掲示してしまっても、問題ないんじゃないかな」
 エミーチャオが私を見下ろしてウインクしてくれます。女子大生さんもニコニコしています。もう、後戻りできないところまで来ているいうことを、私はこのとき、悟りました。

「掲示ってどうやればいいちゃお? ヒントテレビを使うとかちゃお?」
 エミーチャオは、さっそくどこかに載せるつもりみたいです。
「あれはなあ、使えることは使えるんだけど、支配人さんに聞いてみないと、書き換え方がわからないんだ」
「そもそもヒントテレビって、たまにボールがぶつかったりしているし、あそこにあるのは危なくないちゃおか?」
「そうだね。あまり役に立っていないようだし、テレビは撤去した方がいいかもしれない」
 なんだか勝手に話が進められています。

「こういうのはどう?」
 話に耳を傾けていただけだった女子大生さんの手が、カウンターの上をまさぐりました。
「チラシと小冊子を作るの。チラシはエレベーターの中に貼っておいて、ホテルに来る人全員が気付くようにしておく。小冊子はガーデンの入り口横にサイドテーブルみたいなものを置いて、そこにまとめる」
 いいながら、カウンターの上に置いてあったメモ帳に、何かを書いているようですが、私のところからは見えません。

「マガジンラックに入れておくんじゃ、目立たなさすぎるし、それに小冊子は自由に持って帰れるようにした方がいいから、持ち帰り禁止のマガジンラックと場所を共通にすると、使う人は混乱するでしょ。念のため、小冊子のそばに『ご自由にお取りください』ポップでもつけておけばいいんじゃないのかな。こうすれば、利用者はまずエレベーターで概略を把握してから、任意に詳しいパンフレットを入手できるっていう、理想的な情報入手の流れができあがる」
 いきなり具体的ヴィジョンを提示されると、驚きます。想像力の違いとでもいうのでしょうか。なかなか一度にそんなにイメージできるものではありませんよね。でも、たしかに、そのプランでいけば問題なさそうです。
「いいんじゃないですか?」
「うん! すっごくいいちゃお!」
 エミーチャオも同意してくれています。

「僕があとでオーナーに提案しておいてあげるよ」
 受付ボーイさんがメモをちぎって、ノートの間に挟みました。
「じゃあ、お任せするちゃお!」
「うん」

 肩の荷は降りたはずなのに、いざ、苦労して書き上げたノートを明け渡すとなると、この文章の行く末が、無性に心配になりました。
 いや、決して受付ボーイさんには任せられないとか、そういう意味ではないんですけど……

このページについて
掲載日
2009年12月23日
ページ番号
11 / 23
この作品について
タイトル
チャオガーデン
作者
チャピル
初回掲載
2009年7月19日
最終掲載
2009年12月23日
連載期間
約5ヵ月7日