4. ラーメン屋

 五月三十日(火)

 しとしとと降り注ぐ雨滴が、ステーションスクエアをもやのように包み込んでいました。こんな日に、好んでガーデンにやってくる人はあまりいません。チャオガーデンは、ちょうど私好みの静けさになっていました。

 私はノートを開きました。いつもならエミーチャオと世間話でもするところですが、それよりも今日は、例の案内文の方を先に片付けてしまいたい気分です。鉛筆と消しゴムを取り出し、じっくりと読み直していきます。

 ……表現の重複が目に付きます。そういう部分を消して、また別の表現で、空いたスペースを埋めてみました。が、どうにもしっくり来ません。
 なんだか出鼻をくじかれたようになって、私は何気なく、ガーデンの天窓を見上げました。のっぺりとした雨雲が、空全体に広がって、何もかもを覆い尽くしてしまっていました。

 特に問題があるのは、無理にねじ込んだ、オトナチャオの引き取りにまつわるところでした。これが、本当の主題なのに……
 かなり前から、案内を書いてみようというアイディアはありましたが、それを後押ししてくれたのは、ケーマくんとの会話でした。客観的な案内文の中に、埋め込まれた作為が、今、急速に、違和感をふくらませていました。

 今までは大雑把に、全員が全員引き取りを望んでいるように書いていましたが、それは正確ではありません。でも、ぼかして書いてしまうと、引き取り主に対するメッセージは弱くなってしまいますよね……

「進んでるちゃおか?」
 エミーチャオが私の様子を見にやってきました。私のジレンマは、まさにこの友人が、引き取りを拒んでいる張本人であるということでした。彼女はカオスタイプなので、死を心配する必要がありませんから、引き取られるよりも、むしろこのガーデンにいる方が都合がいいのかもしれません。

「見ての通り、詰まってます……」
「どれぐらいできてるちゃお?」
「八割、ってとこでしょうか」
 量的には八割でも、質がそれに伴っているとは思えませんでした。
「内容はいいんですけど、もっとブラッシュアップしないと……」
「そんな君に歯ブラシ」
「いりません」
「まあまあ、そういわずに、受け取ってくれちゃお」
「キャッチセールスは間に合ってます」
 視線を逸らして、手元の鉛筆を見つめました。どうすれば、私の欲しいものが書けるのでしょうか。それ以前に、私は一体、どんな文章が欲しいのでしょうか。私の欲求に従って書いてしまって、いいのでしょうか。

 エミーチャオが、寄り添うように私の隣に座り込みました。もう後一歩なのだから、何とかして答えを見つけて、約束を果たしたいものです。
「エミーチャオにも、完成したら見せるっていっちゃいましたしね」
「覚えててくれたちゃおか!」
「当たり前じゃないですか」
 いい終わるや否や、私はエミーチャオに、思い切り抱きしめられてしまいました。そんなに大したことをしたわけではないのに。でも、悪い気はしません。

「よーし、じゃあ……」
 エミーチャオの声量が、急に小さくなりました。
「スランプの時は気分転換に限るちゃお。『ラーメン屋』行かないちゃお? 奢ってあげるちゃおよ」
「へ?」
 ちょっと待ってください。今、信じられない言葉が聞こえたような気がするんですが!
「だから『ラーメン屋』に行かないかって」
「わかってます!」

 「ラーメン屋」といえば、指すものは一つしかありません。ステーションスクエアには、社会進出を果たしたチャオたちがこぞって集まっている一角がありまして、その一番東の入り口に当たるところに、オンボロな小屋が掘っ立てられているのです。それが、「ラーメン屋」です。ラーメン評論家の間でも、とてもおいしいといわれているお店です。
 しかし、風の噂で聞いたのですが、あの店はあまりにもボロかったために、昨年十二月のカオスの襲来で、全部流されてしまったんじゃないでしたっけ。

「それがなんと、店長が店を組み立て直して、先週復活したちゃおよ!」
「びっくりです」
 組み立て直せるものなんですか、店って。

 ならば、ラーメンです。前言撤回、案内文はいつでも書けますが、ラーメンは今日しか食べられないのです。
 私たちガーデンのチャオはリングを持っていないので、基本的に外食はできません。毎日つつましく、ヤシの実を食べて暮らしています。
 ところがこのエミーチャオは、なぜかタダであの店のラーメンを食べさせてもらえるのです。理由は知りませんが、エミーチャオは、昔からあの店と仲がよいので、何かよしみがあるんだと思います。

 外は雨だったので、受付ボーイさんにお願いして、傘を貸してもらうことにしました。人間が使うような大きいのを、二人で相合い傘しながら歩いていきます。ステーションスクエアの雑踏も、雨の日となるとさすがに穏やかで、まるで包み込まれるような街並みです。ラーメン屋までは、徒歩三十分ぐらいの道程です。

「あのねえ……」
 エミーチャオが私の左手を、ちらちら横目で見ていました。
「なんですか?」
「気分転換なのに、ノート持っていくちゃおか……?」
 外食する機会なんてめったにないんだから、持っていったっていいじゃないですか。
「これは、身だしなみなんです」
「どっちかっていうと、変に見えるちゃお……」
 エミーチャオはあきれているようですが、私はあえて気にしないふりをします。普段の私はエミーチャオのくだらないジョークを否定するようなことばかりいっていますから、たまには彼女にいわせてあげようかな……と、そこまで考えて、ふっと、頬が緩まりました。

 こういうパワーバランスがあるから、私はエミーチャオと、長く友達でいるのかもしれません。幸い、エミーチャオは足元の水たまりに気を取られていたので、表情を見られてはいませんでした。

 しばらく歩いていると、霧の中から、古びた材木によって組み立てられた小屋——店というよりも、小屋といった方が近いです——が、ぬっと出現します。近づいてみると、柱は傾いていますし、壁は腐食が進んでいて、少し触っただけで、ぼろぼろと崩れてしまいそうです。

 エミーチャオがドアノブをつかんで、慎重に扉を引き開けると、中から一人のヒーローチャオが、転がるように出てきました。
「あっ、エミーチャオ! いいもの持ってる!」
 そういって私たちの傘をひったくったそのチャオは、どうやらウエイトレスさんだったようです。やけに慌てた様子で、私たちをテーブルまで招き入ると、
「これでよし、と」
壁とテーブルの境目に、器用に傘を立てかけました。

「どうかしたちゃおか?」
 エミーチャオの質問に、ヒーローチャオさんは「いやあ」と、困ったふうなことを言いながら、口元は今にも笑い出しそうです。
「実は建物を直したはいいんだけど、雨漏りがひどくってねー」
 その言葉と同時に、ぼつっ、と嫌な音がします。雨粒が傘に当たった音ですか……

 周りを見ると、他にもテーブルに傘をかけてラーメンをすすっている人やチャオがいます。中には雨漏りがしたたる中、体を張ってラーメンを守りながら食べている人もいるぐらいです。
「復活したって聞いて、みんなこぞって来てるちゃお」
「長いこと休んでたから、忘れられてるんじゃないかとも思ったんだけど、全然そんなことなくて良かったよー」
 それはそうでしょうね。この店にはもともと常連客が多い上に、評判もいいので、そう簡単には潰れないと思いますよ。

「注文はいかがいたしましょー?」
 ヒーローチャオさんが、私を見ながら聞きました。
「最新作は何ですか?」
 これは前々から使ってみたかったセリフでした。「通」はこう聞くらしいです。というのも、この店では店長のキバさんが頻繁にメニューを更新しているので、これを聞けばいつでも最新のメニューが食べられるのだそうです。
「たしか、もやしもやしもやしラーメンだったと思うよー」
「じゃあ、それで」
「私も同じのをお願いするちゃお」
「ほーい」
 ヒーローチャオさんは、手を挙げて元気よく返事をし、両手を広げて走っていきました。ソニックがよくやる走り方ですね。

 私は待ち時間を利用して、ラーメン屋の様子や店員さんの言動を書き留めておくことにしました。
「いや、あれはソニックじゃなくてアラレちゃんちゃお!」
 見ていたエミーチャオがいちゃもんつけてきました。なんですか、それ。

 しばらくすると、先ほどのヒーローチャオさんが、ラーメンを運んできてくれました。この店のラーメンには、チャオの口にも人間の口にも合うという、特許取得済みの麺が使われているそうです。
 二人でいただきますをして、レンゲをスープの中に沈めました。味見がてらに、一口だけすすってみると、冷えていた体の芯まで、温かいスープが染み渡ります。

「これはおいしいですね」
 ヒーローチャオさんが胸を張りました。
「でしょー」
「毎日食べたくなるのもわかります」
 私が冗談めかしていうと、ヒーローチャオさんは頭をぷるぷると振って否定しました。
「毎日タダで食べられてたら、この店もたないよー」
「建物がちゃおか?」
「そう。またぐちゃぐちゃのバラバラに……」
「いっそのこと、建て替えたらいいんじゃないですか?」
「あー、だからそうだからダメなのー! ちゃんと貯金してるんだからー!」
 この店員さんのリアクション面白い。

 エミーチャオがテーブルに身を乗り出しました。
「いつ頃するつもりちゃお?」
「うーん、わかんないけど、もうちょっとかかるんじゃないかな」
 どうやら建て替え自体は、すでに決定しているようです。私と一緒に、ずっと慣れ親しんできたこの店の風貌も、なくなってしまうってことですか……
「このボロいのも、なかなか味があっていいと思うんですけどね」
「ボロいまま建て替えるちゃおか!」
「ナイスアイディア!」
「なんでそうなるのー!?」
 エミーチャオは、なんだかとても嬉しそうに、ヒーローチャオさんを眺めています。

 ここ——ラーメン屋は、チャオがまだ社会の一員として認められていない頃から、営業されていた店でした。私は今でも、そのことを尊敬しています。こういう店の存在が、社会を動かし、結果的に、チャオの権利獲得へとつながったのです。

 だから、昔から続くこの店の外観も、一つの立役者だと思っていました。客との距離が近かったことが、この店の成功の一因だと。
 エミーチャオも、他の常連さんも、たぶん同じことを思っていて、いくら頻繁にメニューが更新されるためとはいえ、店員さんに毎回聞かなければならないというのは、どう考えても面倒です。でも、このチャオ相手と世間話を始めるための定型句だと考えれば、案外許されるような気がしました。

 ガーデンの案内も、そんなものかもしれません。ちょっとぐらい内容に不備があっても、ガーデンのチャオに直接聞けるような雰囲気があれば大丈夫。そう考えると、私のパンフレット制作も、そんなにストイックに考えなくてもいいように思えてきました。
 ……帰ったら、もっと親しみを込めた文体にしてみようと、私は、心に決めました。

 食べ終わってからもしばらく話をして、ゆったりくつろいだあとで、私たちはラーメン屋をあとにしました。外に出てみると、雨はすでに上がっていて、雲の切れ間から太陽が顔を出しつつありました。

「あっ」
 エミーチャオが、私を見ました。手には、ドアノブが。
「取れちゃったちゃお……」
 何をやっているんですか……
「ノートチョップ!」
「キーーーン!」
 なんと、避けられました。

「アラレちゃん式ダッシュちゃお!」
「待ってください!」
「待てといわれて待つバカはいないちゃお!」
 エミーチャオが笑いながら逃げていきます。意外に速いアラレちゃん式ダッシュを、私は、一生懸命追いかけました。

このページについて
掲載日
2009年12月23日
ページ番号
10 / 23
この作品について
タイトル
チャオガーデン
作者
チャピル
初回掲載
2009年7月19日
最終掲載
2009年12月23日
連載期間
約5ヵ月7日