3. パートナーとペット

 人間なら、生まれたばかりの子どもは親によって育てられます。けれども、チャオは違います。タマゴから生まれるチャオにはもともと、子育ての習慣がありません。自然に孵化して、群れの中で成長していたようです。
 これがチャオの原生地である山や森、泉であれば、それほど問題にはならなかったでしょう。でも、ここはステーションスクエア。たとえチャオであっても、複雑な人間社会に関する十分な知識がなければ、生きていくことができません。

 かつてのチャオガーデンは、チャオを保護する施設でした。その名残は、今でも残っています。ここに来ればどんなチャオでも、食べ物と水が手に入ります。別のいい方をすれば、チャオガーデンはある種の社会保障制度……人間なら家族に任せるべきところを、行政に肩代わりしてもらっているのかもしれません……


「なーに書いてるちゃおかっ?」
 後ろから、何かがぺっとりとのしかかってきました。見なくてもわかります。エミーチャオです。
「ちょっと重いんですけど……」
 私が邪険に振り払おうとすると、エミーチャオはますます強くしがみついてきました。
「えー、ひどいちゃおー」
 それは私のセリフです。

 ……このエミーチャオ、最近はいつもこうやって私にすり寄ってくるので困り者です。以前はここまでべたべたしてくることはなかったのに、この頃ちょっとずつ、エスカレートしてきてはいませんか?
 理由に心当たりがないわけではありません。エミーチャオは昔からガーデンに住み着いているチャオなのですが、ここ数年の間に、次々と友人たちが引き取られていってしまったので、古くからの馴染みはもう、私ぐらいしか残っていないのです。
 だから、これもそんな寂しさを紛らわすための遊びなのではないでしょうか。そう考えると、ちょっと面倒ではあるけれど、付き合ってあげるべきなのかなと思います。

「で、さっきから何を書いてるちゃおか?」
「教えてあげるから、その前に、くっつくのをやめてもらえませんか?」
 そういうと、エミーチャオは意外と素直に、私を放してくれました。
「チャオガーデンに始めてきた人のために、もうちょっと詳しい案内があるといいと思ったので、それを書いてみているんですよ」
 昔から文章を書くのが好きだった私にとって、ガーデン案内はちょうどいいネタでした。

 エミーチャオはるんるん体を揺らしながら、私の前に出てきます。私はなんとなく警戒して、ノートを手元にたぐり寄せました。
「読ませて」
「ダメです」
 エミーチャオの頬が、ハリセンボンのようにふくらみました。
「いいじゃないちゃおかー」
「まだ書きかけなんですよ」
 嘘ではないですが、かなりきわどい言い訳でした。

 ……正直にいえば、怖いのです。自分の書いたものを他人に見せるのに、まだためらいがありました。自分ではわかりやすく書けているように思えても、客観的に評価されたときにどうなるのか。
 文章を書いているときに、隣で見ているもう一人の私がいて、文字の運びに反応して、いちいち顔をしかめたり、つまらなさそうしていたりするのを見ると、どんどん自信がなくなっていきます。
 もちろん、いつかは表に出すために、こんなものを書いているはずなんですが……

「受付の人に頼んで、どこかに掲示してもらったらどうちゃお?」
「まだ時間がかかりそうなんですけど……」
「完成したら、読ませてくれるちゃおよね?」
 私はうなずきました。


 今日は土曜日。ガーデンには、朝から結構な数の人が来ています。エミーチャオにはああいいましたけど、よく考えてみれば、受付の方とは話す用事が別にありました。土曜日なら、週刊チャオが届いているはずです。

 エレベーターに乗ってフロントで降ります。このチャオガーデンはホテルの最上階に作られているので、管理についても、ここの従業員の方が兼任しておられるのです。

 朝のフロントは急がしく、ホテルを発とうとする人々の足が交差し、ガラスから差し込む光を蹴って、動的なシルエットを形作っていました。小さな体を活かしながら、その合間を縫うように進んで、私はチェックアウトを待つ行列の最後尾に付きました。

 もう少し飛ぶのがうまければ、と、私は時々思うことがあります。たとえば、人と同じぐらいの高さで飛び続けられたら、今、こうして、人の影に紛れてしまうこともないはずですし……
 両足に力を込めて、目の前にそそり立つ、デイパックを背負った男性の背中を見据えました。足に力を込め、飛び上がります。重力に抗って、必至に羽根をばたつかせます。男性が去っていくと同時に、一気に視界が広がります。

 カウンターにいたのは、いつもの若いボーイさんでした。私はカウンターの縁に手をかけて、少し羽を休ませました。
「ああ、ちょっと待っていてくださいね」
 何もいわずとも、奥の書棚から、新聞と週チャオを引っ張り出して、カウンターの上に並べてくださいます。彼は数ヶ月前に来たばかりの新人なのですが、私の顔をすぐに覚えてくれたので、第一印象はまずまずでした。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 軽く会釈しようとする私に、彼は、にこりと笑っていいました。
「今週は『呪いをかけチャオ』のオチがきれいでしたよ」
「……」
 最近気付いた、この人の良くないところは、さらりとネタバレしてくることです。

 丸めた新聞を引きずらないように注意しながら、私はエレベーターに乗り込みました。エレベーターの中には車椅子用の手すりがあって、操作盤はその下に。だから、私のようなチャオでも手が届きます。毎日カウンターに登るのは大変ですが、好きでやっていることです。
 ボーイさんから新聞や雑誌を受け取って、読み終わったあとはガーデン隅のマガジンラックに入れておく、というのが、私の日課になっていました。

 マガジンラックに入れてある雑誌や新聞を読んでいるのは、私だけではありません。たとえばエミーチャオは、毎週欠かさず週チャオの表紙と読み切りをチェックしているそうですし、ガーデンに来た人が読んでいることもままあります。
 しかし、全体的に見て、読書を趣味にしているチャオは珍しいようです。ガーデンを見渡すと、フットサルをしているチャオがいたり、お絵描きをしているチャオがいたり。そうやって遊んでいる方が、やっぱりチャオとして自然なのでしょうか。

 私はしばしばチャオガーデンを出て、市立図書館へ足を運ぶのですが、そこでは、意外にたくさんのチャオたちを見かけます。特に学生と一緒にいるチャオが多いようなので、彼らの多くは、チャオ共学化が認められた学校に通うチャオなのでしょう。彼らは人間のパートナーとして、人と対等に扱われています。しかしながら、チャオガーデンではまだまだ古風な考え方——チャオは人間に飼われるものだ——が、根強く残っているように感じられます。

 結局、誰かに引き取られない限り、ガーデンのチャオが教育を受けることは難しいのです。いくらチャオも社会進出できる時代になったとはいえ、私たちは経済的に独立できていません。みんなが持っているスケッチブックやクレヨン、私のノートなどは、人から寄付してもらったものなのです。

 ガーデンに戻ると、適切に調整された空気が、私の体をやわらかに支えました。私がどれだけ努力しても、とても離れられないぐらい、心地よい環境です。

このページについて
掲載日
2009年12月23日
ページ番号
9 / 23
この作品について
タイトル
チャオガーデン
作者
チャピル
初回掲載
2009年7月19日
最終掲載
2009年12月23日
連載期間
約5ヵ月7日