10 今の僕には未来が見える
マサヨシは警備を掻い潜る。対"サイボーグ"用の特殊装備で突き進み、内津孝蔵のいる場所へと辿りつく。
「あなたですか、マサヨシくん」
マサヨシは孝蔵に銃を突き付けた。
「護衛、警備の方々は全員沈めました。制御権をこちらにいただけますか?」
孝蔵は高笑いする。マサヨシは舌打ちした。予測通り、予想の通りだった。
液体の"チャオ・ウォーカー"が咆哮する。哀しみの咆哮。金切り声に思わず耳を塞ぎたくなって、マサヨシは目を細めた。
「無理です、無理ですよ! あれは私の言う事を聞かない! 残念でしたねえ」
「"チャオ・ウォーカー"にあんな機能を付けたのはあなたですね」
犠牲となったチャオの、心の声が聞こえる機能。
哀しみの、負の声を増幅し、パイロットと連結させる機能。
「保険ですよ!」
孝蔵は言った。
「搭乗者に勝手をされては困りますからね。今頃彼は絶望の海に沈んでいることでしょう。ゼラフィーネさんは予想外でしたが、まあ、彼女一人では」
「ふう」
マサヨシは溜息を付いた。その態度には余裕がある。あまりにも余裕がありすぎて、孝蔵は眉をひそめた。
「無駄足でしたか。まあそれもいいでしょう」
しばしの逡巡があって、マサヨシは口を開く。
「僕は、出来ることならチャオ・ウォーカーのパイロットになりたかった。正義のヒーローってやつにです」
拳銃を突き付けたまま、眼鏡をかけた猫背の少年は語る。
自らの思いのたけを。
「誰かが傷つくくらいなら、自分が傷つけばいい。そう思っていました。けれど自分一人が傷ついて全ての人が幸せになれる、なんてことはなかった。夢幻だったんです」
努力はした。
それが優しさだと信じ、自分に出来ることは全てやって来て、尚、この結末。
他人に頼るしか出来ない、わずかな抵抗感。
それでも。
「僕は彼らに賭けました。正直、宝くじのような感覚ですよ。ギャンブルは好みじゃなくて。でも」
何かを感じて、マサヨシは銃を下ろす。
孝蔵は笑っていなかった。
「たぶん、まあ、なんとかなるでしょうね」
投げ遣りに言った。
マサヨシは思っていて、思っていない。考えているが、考えていない。
「全ての人が幸福になるべくしてなるのは不可能ですが、僕は彼らに期待しています」
「どうせ結果は分かり切っていますよ。"カオス"は不滅です。無限のエネルギーなのです」
「だとしてもきっと最後に勝つのは、未来を変えようとしているものだと、僕は信じます」
それに、とマサヨシは続ける。
「チャオをエネルギーに還元できるということは、逆もまた然りなのですから」
「逆も、また?」
「ええ。既に道はひらけています。あとは、彼らがそれを創るだけです、なんてね」
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"ヒーローチャオ・ウォーカー"は苦戦を強いられる。
以前の、三機という相手でも、進化を続けた"サイボーグ"に勝つ見込みが薄いどころか、負けかけたのだ。
それが大群。
無数。
無量大数。
"ヒーローチャオ・ウォーカー"は黄金の光を展開して、地上を守る。
だが、守りながら戦わないとして、勝算はない。
ゼロだ。
勝算はゼロ。
液体の"チャオ・ウォーカー"が咆哮する。"ヒーローチャオ・ウォーカー"に向けて、青白い光線が放たれる。光線の乱れ撃ち。黄金の光の盾はその全てを受けて、防ぎきる。
時間の問題だった。
"ヒーローチャオ・ウォーカー"のエネルギーが切れるのは時間の問題だ。
そもそもの性能差がありすぎる。
原動力の差だ。
あの液体の"チャオ・ウォーカー"はほぼ無限にエネルギーを有しているといっていい。街中の、あるいは国中、世界中のチャオをエネルギー還元したのだ。
エネルギーの化け物。
チャオの混ざり物。
カオス・エネルギー。
しかしその絶望にも近い最中で、ゼラは笑った。
とある少年の言っていたことを思い出したからである。
「人の夢が、儚い、か」
人の夢。
人の道標。
それらはいつの時代も失われ、叶うことなく、幕を閉じる。
けれどゼラは笑う。
「人の夢が儚いんじゃないよ。人のすぐ、すぐ傍に夢があるから、儚いのさ。そう、手を伸ばせば届くはずなんだ」
"ヒーローチャオ・ウォーカー"が黄金の光を放つ。"サイボーグ"のうち何機かに"流れ弾"があたって、機械の破片と化した。
ゼラの心に、悲痛なあの声は聞こえない。
もう、聞こえていない。
なぜならば。
「お膳立てはしてあげたよ、未来。君の手は限りなく……そうさ! 限りなく伸ばすことが出来るんだ」
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風が吹き抜ける。
道が見える。未来の目には見えている。ただひとつの、敵を倒すべき道筋が。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は起動する。
二つの心を受けて。
「気分はどうだい?」
「不思議と、嫌じゃない」
未来はあたたかななにかに包まれていた。あたたかななにかに守られている。そうだ。見えていなかっただけなのだ。
ラインハットは自分に残してくれた。あたたかなそれを。未来は自覚する。
自分は一人で闘うわけではない。
「行くぞ、アカ」
心を感じる。
誰か、別の心を。
心がひとつに重なる。
誰か、別の心と。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は飛翔する。
"サイボーグ"の大群に突撃する。
右腕の砲口から青白い光線が放たれ、"サイボーグ"の一機が沈む。左腕の砲口から青白い光線が放たれ、"サイボーグ"の一機が沈む。
大群が"ライトカオスチャオ・ウォーカー"を認識した。
機体を旋回させて、両腕のレーザーを乱れ撃つ。照準は確かだった。次々と頭数を減らしていく。
「右!」
未来は気付く。右から光線が迫っていた。機体をわずかにずらしてそれを避ける。
「攻撃はこっちに任せろ!」
「分かった!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は疾走する。"サイボーグ"の海を掻い潜り、敵を殲滅しながら駆ける。
一機、また一機と撃墜し、飛ぶ。
空へ。
「アカ、後ろだ!」
即座に右腕のレーザーが反応した。背後に向けてレーザーを放つ。未来の目には見えない、けれど見える敵を、確かに撃墜する。
未来とアカイロの心は今、ひとつに繋がっていた。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"が"サイボーグ"に接近される。大きく突き放して、両腕のレーザーで撃墜する。
次第に数が減る。
"サイボーグ"が戦法を変えた。機体が"ライトカオスチャオ・ウォーカー"を囲っている。光線が四方八方から迫る。未来は見た。そして、避ける。
青白い光線が左腕のレーザーを掠めた。
「遅いっ!」
「分かってる!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は下降し、敵軍の一辺をなぎ倒す。その性能差で突き放し、液体の"チャオ・ウォーカー"を目指す。
未来はそれを見る。
上昇し、赤い光線をかわす。
ぐるりと機体を回転させて、アカイロが同じタイミングで両腕のレーザーを連射した。
「このままじゃキリが」
「キリをつける!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"の肩部に装着された、青い装甲板が外れ、意志を持っているかのように空中を舞う。
"サイボーグ"の光線を掻い潜り、それは敵を切り倒して行く。
飛翔する。駆ける。未来は駆ける。
液体の"チャオ・ウォーカー"にレーザーを放つ。それはたしかに"チャオ・ウォーカー"を貫いた。
ところが、破壊された機体は即座に修復されてしまう。
元の形状だ。
未来は舌打ちした。
「こいつっ!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"に、"チャオ・ウォーカー"のレーザーが迫る。周辺の"サイボーグ"を撃ち倒しながら、回避行動を続ける。
機体の上側に敵機が待ち伏せしていた。
未来は怖じ気づいて、舌打ちする。
「慌てるな!」
「そっちこそ!」
レーザーの大砲が分離し、四つの砲口がその姿を見せる。
「「 上っ! 」」
機体上部に集中していた敵の大群を、四線のレーザーで破壊した。
機械の破片が散る。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は"チャオ・ウォーカー"にレーザーを放った。黄金の光に無力化され、青白い光線を跳ね返される。
「威力が足りない!」
「分かってる!」
青白いレーザーに赤い光が充填される。
未来は放った。
黄金の光の盾を突き破って、赤いレーザーが"チャオ・ウォーカー"の機体を貫く。
「周りの敵は僕が引きつける!」
「その間に叩きのめす!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"の周囲を青い装甲板が舞って、"サイボーグ"からその機体を守る。
そのまま駆けて、"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は"チャオ・ウォーカー"の眼前に舞い降りた。
砲口を突きつける。
そのとき。
そのときだ。
未来の中に、何かが流れこんで来る。
何かの、感情が。
助けを求める、悲痛な声が。
未来の心を、蝕んでいく。
「未来! どうした!」
"チャオ・ウォーカー"が距離をとった。
未来の意識はない。
「未来!」
未来は目を覚まさない。
感情の奔流に呑み込まれたままだ。
"チャオ・ウォーカー"の右腕の砲口に、黄金の光が充填される。
未来の目は、何も映していない。
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庭瀬恵夢はアカイロが未来と手を取り合うのを見た。
ほっと、息をなでおろす。
空で、闘う二人を見る。
二人を間近に感じた。
気のせいじゃない、と思った。
二人は戦っている。
恵夢は祈った。
液体の"チャオ・ウォーカー"の正体に、彼女は感づいていた。
だから、祈る。
「未来くん、お願い。私の全部をあげるから」
だから。
「だから、私たちのチャオを、助けてあげて」
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「負けないよ。負けない。僕は欲しい物を全部手に入れなきゃ気が済まないんだから」
未来は話す。
"チャオ・ウォーカー"は黄金の光を放っていた。それをレーザーで防ぎながら、未来は語る。
「僕は誰かのあやつり人形だった」
そう、神様の、都合のいい操り人形だった。
何者でもなく、誰のものでもない、ただの操り人形だった。
「僕は何もしていないのに、嫌な思いをするのはいつも僕だった。選ぶのは僕じゃなかった。僕は何も望んでなかった」
そうだ。
未来はいつでも、何一つ望んではいなかった。
しかし、本当にそうだろうか。
あのとき。あのとき。あのとき。あのとき。
未来は確かに、何かを望んでいたはずだ。
「ずっと、誰かに歩かされて来た」
――だけど。
「僕は、望んでたんだ」
未来は打ち明ける。
その心の、ほんとうを。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"の砲口に亀裂が入る。黄金の光の出力が上回っていた。だが、アカイロは静かに聞き入る。
痛いほどに、伝わって来るから。
その心の、かっとうが。
「諦めきれないものがある。どうしても欲しい人がいる。変えたい現実がある。僕にはまだ、未来がある」
その目に心が宿る。
操縦桿を握る。
隣にはライトカオスチャオがいた。
友達がいる。
「出来るはずさ。出来なくちゃおかしい。きっと出来る!」
そうだ。
何もおかしいことなんてない。
「だって、そうだろ!」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"のバック・パックが展開していく。
「僕たち人とチャオで、つくりは違くても……心は一つだ!」
心が重なる。
未来と、アカイロの心が、ひとつになる。
「そうだな、確かに、本当にその通りだよ、未来!」
「さあ、行こうぜ、アカ!」
"チャオ・ウォーカー"の黄金の光が赤いレーザーを突き破る。
その光線が、"ライトカオスチャオ・ウォーカー"に向かって行く。
風が、吹き抜ける。
光が湧き出す。
あたたかななにかが、未来に力を与えている。
心が、重なった。
「「 カオス・ドライブッ! 」」
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"に紫色の光の翼が轟く。
飛行し、飛翔し、それは黄金の光の光線を避け続ける。
"チャオ・ウォーカー"が咆哮した。
紫色の光が緑色に変わって、"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は空を駆ける。
レーザーを放つ。"チャオ・ウォーカー"は回避し、その先にレーザーを"置く"。
"チャオ・ウォーカー"の右腕を貫いた。
光より速く、緑色の残光が"チャオ・ウォーカー"に接近する。
「今の僕には、未来が見える」
至近距離の攻撃を黄色の光で受け止め、赤色の光を放出して、その機体を突き破る。
何度も。
何度も。
何度も。
突き破って、修復し、突き破る。
"チャオ・ウォーカー"の機体を掴んで、放り投げる。
空へ。
空へ。
遠くへと。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"の赤色の光が、七色へと変色する。
七色の、光の、翼。
それを広げて、"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は巨大な光を掲げる。
「消えて、なくなれえええええええええ!!」
七色の光が"チャオ・ウォーカー"を、そのエネルギーごと吹き飛ばした。
エネルギーの欠片が、雪のように、桜吹雪のように、降り注ぐ。
その中に、"ライトカオスチャオ・ウォーカー"は屹立していた。
エネルギーはチャオの形となって、地上に舞い降りていく。
それは、祝福の雨のようだった。
未来はアカを身近に感じる。
「はっ……はっ……アカ、大丈夫か」
あたたかななにかが、胸のうちに広がっている。
あたたかななにかは、未来に何かを伝えようとしていた。
ゆっくりと、はらはらと、未来の心を形作るように、それは動いて。
今はもう分からない。
「アカ……、おい、アカ?」
今は、もう分からない。
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内津孝蔵にとって、チャオは悪魔のように見えていた。
彼はチャオが嫌いで、チャオを忌み、疎み、恨んでいた。だからチャオを消して行ったのだ。分からない話ではない、と未来は思った。
けれど、共感は出来ない。未来は同じ経験をしていないから、共感できるはずもない。内津孝蔵はチャオを嫌い、チャオを歴史上から消そうとした。
そして、それは失敗したのだ。
末森未来と、もう"ひとり"のチャオによって。
終わった話だ。
未来にはレールが見えている。自分の家に繋がっているのだろうか。分からないが、多分そうだった。たまには辿って帰ってみようとも思っている。
そんなことを考えていたせいではないが、頭をはたかれた。
「ちーっす」
斎藤朱美である。
さすがに一週間も経つと、あれほどのことがあった後だというのに、みんながみんな既に他人事になってしまっている。余韻があったのは最初の三日だけだった。
だから、元通りだ。
とはいえ、完全に元通りというわけでもない。
だいたいそんな感じだ。
別に設定を考えるのが面倒くさくなったからではない。
「あれ、いつものあの子は一緒じゃないの?」
彼女は未来の周りをぐるぐると回りながら尋ねる。いないものはいないよ、と一言指摘してから、
「今日は朝から出掛けて行ったよ」
と答えた。
朱美はさほど興味もなさそうに相槌を打つ。
「あのさー」
未来は首を傾げた。彼女は言い淀む。しかし急かさない。最近の彼女のこういう行動はよく見るもので、決まってこの後、なんでもない、と繋がるのだ。
ところが今日は違った。
「えっとさ、そういえばさー、庭瀬さんがチャオガーデンに行くって言ってたよ」
「なんで僕に言うの?」
困ったように笑って、朱美はもう一度頭をはたく。
彼女の様子から考えると、多分本当に言いたかったことは別にあるのだろう。未来は急かしたりしない。興味がないとも言い換えられるが、彼女の尊厳に関わるので口をふさぐ。
「じゃ、また明日!」
「うん、また明日」
大手を振るのもいつものことで、未来はなぜだか寂しくなった。
"チャオ・ウォーカー"は今も共同学園の地下に眠っているのだろうか。
分からないが、恐らくそうだろうと考えて未来は帰路に着くことにした。
レールが見える。
そのレールがまっすぐ続いている。
辿る。
エレベーターの前に着いたところで、ゼラに待ち伏せをくらった。
「やあ、救世主になった気分はどうだい、少年?」
「またそれか。別にどうもないよ」
既に潜入捜査は終わったためか、彼女は既に女生徒用の制服を着用していた。その方が彼女には似合う、と未来は感じる。
しかし何人の女生徒を哀しみの淵に追い込んだことだろうか。友達の伝によって聞いたところ、いわく数十人では済まないほどの女生徒がショックを受けたとか。
「あれ、彼は一緒じゃないのかい?」
「またそれ……ごめん、違った。今日は朝から出掛けて行ったよ」
「ああ、ついに実行するのかな」
「知ってるのか」
ずいっとゼラの顔が未来に近づく。キスでもしかねない勢いだった。未来は一歩退いて頬を引きつらせる。
すると彼女は普段の彼女のように、おおらかに笑った。
「いやいや、もう君と個人的に会うのもこれが最後になるだろうからね。ちゃんとやるんだよ。いいね?」
「分かったよ」
話が面倒な方向に進みそうだったから、未来は適当に相槌を打った。
ゼラがエレベーターのボタンを押して、一緒に入る。
「ちょっとチャオガーデンに寄って行かないかい?」
「なんで?」
「大事な用事があるんだよ」
未来はあくびをした。"チャオ・ウォーカー"の経験が異質すぎて、日頃から退屈が抑えられない。
"ライトカオスチャオ・ウォーカー"の中で、心をひとつにしたときの高揚。
"サイボーグ"と戦った経験が、未来を日常に戻してはくれない。
最初でこそ一瞬一瞬がフラッシュバックして夜も眠れなかったが。
「さ、ここからは君の出番だ」
「何のこと?」
エレベーターが止まって、チャオガーデンのフロアに出る。急遽修復があったチャオガーデンは、かつてと変わらない形をしていた。
かつてと何も変わらない。
一面の緑をチャオが埋める。
そうやって呆けている間に、エレベーターのドアが閉まった。
「あれ、おい! ゼラ!?」
大事な用事があったんじゃなかったのかよ、という言葉を呑みこんで、更に未来は目の前にいる人を見て息を呑んだ。
チャオの中で楽しそうに笑う少女。
たくさんのチャオの笑顔に囲まれて笑う少女。
そう、未来は思い出した。
未来は彼女が好きだった。
チャオを好きな彼女が好きなのだ。
"チャオ・ウォーカー"の中で掠れた思いが、ようやく未来の中に戻って来る。
「末森くん?」
「あ、うん」
「元気?」
「元気、だね」
一週間振りになる。
彼女と話すのは。
「アカは?」
「あー、朝から出掛けて行ったよ」
「そっか。そうだよね」
何がそうなのか分からなかったが、未来は黙っていた。
チャオが未来を見ている。
一度はあの"カオス"の中に取り込まれたチャオたち。
未来を敵視してもおかしくはない。
だがその心配は不要だった。
「ちゃうー?」
「あ、この人は私の……」
なぜかそこで黙る彼女。
未来はレールを辿るべきだと後悔した。
非常に気まずい。
そもそも未来と彼女は元々親しいわけではないのだ。
それに未来はチャオのことが好きではないし、彼女と趣味が合うわけでもない。
「じゃあ、僕はこれで帰るから」
「う、うん。またね、末森くん」
エレベーターに乗って一階におりる。
未来にはレールが見えていた。
レールを辿っている。
帰るべきなのだ。
だから帰ろう。
そう思った。
「さあ、もう一度だ」
ライトカオスチャオが学園の入り口に立っている。
物珍しそうに、周りの人達がその様子を見ている。
カオスチャオは全世界でも有数の――以前にも話した気がするので省く。
「君は欲しい物を手に入れるべきだ。それが君なんだから」
「何の話だよ?」
「分かるだろ?」
未来は思い返す。
斎藤朱美は庭瀬恵夢がチャオガーデンにいると示唆した。ゼラは大事な用事があるといった。アカイロは欲しい物を手に入れるべきだと言った。
そしてチャオガーデンで、未来は庭瀬恵夢と出会った。
そういうことかと納得して、未来は首を横に振る。
「いいよ、別に」
「君はそれで良くないはずだ」
「何で僕のことがお前に――」
「分かるとも」
未来は思い出す。
目の前にいるのがライトカオスチャオだということを、アカイロだということを。
彼は自分のことをよく知っている。
一度は心を重ねた仲である。
「レールなんて気にすることはない。これからは君の歩いた道こそがレールだよ」
「いや、でもさ、僕」
「二年、何も出来なかったんだ。ここから変えて行くのも悪くはないんじゃないか?」
アカイロは未来を通せんぼする。
自分のやりたいことをして来いと言っている。
そうでなければここを通すことは出来ないと言っている。
未来はレールを逸れた。
「どうなっても知らないよ」
「元からそうだったろう。全く、人間というのはかくも愚かなものだよ、本当に」
踵を返す。エレベーターに乗る。気持ちが急かされていた。緊張が体を強ばらせる。
だけど、これが僕のしたいことなのかもしれない。
自分が何をしたいか、というのはなかなか難しい。自分ではよく分からないものだ。けれど自分の心がこれほど晴れないのなら、多分、彼の指摘であっているのだろう。
いや、既にそういう事ではない。
未来はチャオガーデンに着く。
好きなこと。
好きなもの。
未来は手に入れたいと思っているのだ。
それが未来だから。
「あれ?」
庭瀬恵夢が不思議がる。
未来は言い淀んだ。
「あー、僕は一つ嘘を吐いてたんだ」
挙動不審になってはいないだろうか。
未来は気にしないつもりではいても、気になってしまう。
「僕はチャオが好きなわけじゃない。チャオなら好きってわけじゃなくて、ほら、人が好きっていうのも、人によるでしょ。そんな感じで、チャオは好きだけど、好きなチャオはチャオによるっていうか」
不明瞭であるとは自覚したが、恵夢はじっと聴いていた。
「ラインハットのこと、ごめん」
「ううん。私の方こそ」
まだ言いたいことがあるはずだ。
自分の中にある感情に従う。
きっとそれは、眼に見えるレールよりも重要なものだから。
「アカと再開できて良かったな。驚いたよ」
「私も。末森くんと知り合いだっただなんて。でも、うれしいな」
「なんで?」
「なんとなく」
恵夢は笑っていた。
チャオと一緒にいるときのように笑っていた。
未来は自覚する。
笑っていて欲しいと感じる。
そのためならなんでもできるとも思う。
自分の中に多くの感情が渦を成す。
「色々酷いことも言った。ごめん」
「私の方こ……」
言いかけて、くすりと彼女は笑った。
未来は首を傾げる。
「謝ってばっかりだね」
「あ、うん。そうだね」
自分はまだ、やれることをやっていない。
まだ出来るはずのことをしていない。
二年間ずっとそうだった。
レールの上を歩いていなくても、レールに歩かされて来た。
しかしそれも今日までだ。
今までの末森未来と、これからの末森未来は異なる。
かといって新しいわけではない。
上書き保存である。
その存在の基盤をフォーマットせずに大幅書き換えし、入れ替えたもの。
諦めきれないものがある。どうしても欲しい人がいる。僕にはまだ、未来がある。
出来るはずだ、出来なくちゃおかしい。
だって。
「君のことが好きだ」
「え?」
「君のことが好きなんだ」
誰かに強制される人生なんて、真っ平御免だろ。
おわり