7 神様の操り人形
パストールの追悼式は行われなかった。彼は偽名、偽の戸籍を使っていた。本名も知れず、本来の居場所も知れず、家族も不明である。
亡骸は内密に処理された。
肉体の半分が失われていたという。
"チャオ・ウォーカー"の修復作業が行われているのを目の端にとらえ、未来は罪悪感に押しつぶされそうになるのをなんとか堪えていた。
あの声が未来の精神を侵している。
あの声が未来に恐怖を与えている。
そうだ。あの声が未来を蝕み続ける。
どこかから聞こえて来る、あの声が。
未来は体育座りで、腕の中に頭を埋めた。
パストールが死んだ。
誰も未来を責めない。
誰も未来のせいだとは言わない。
それは、未来が子供だからだ。未来がまだ子供で、責任をもつ必要がないから。たった一人の"チャオ・ウォーカー"の搭乗者であるから。
罪から逃れている。
それが罪悪感になっている。
周りの人間が未来を責めている気がした。パストールが死んだのは未来のせいであると。面と向かって責め立てられた方がいいと思った。その方が楽だからだ。
「人間はやっぱり不要だ」
ライトカオスチャオが未来の隣に立っていた。彼は"チャオ・ウォーカー"を見ている。じっと見つめていた。
「内津孝蔵はチャオを排除しようと考えているようだが、それは間違いだ。チャオの進化によって自分の立場が危うくなるのを怖がっているんだろうな、あの男」
未来はライトカオスチャオの言葉に対して、何も感じられなかった。チャオが排除されようと、未来には関係の無いことだ。
たとえ内津孝蔵がその立場を追われても、未来の知った事ではない。
ところがライトカオスチャオはそう思わなかった。
「内津孝蔵は何かを企んでいる。パストールがいなくなったことでよほど動きやすくなったろう。マサヨシが行動してくれてはいるが、時間の問題だ」
彼は何かを伝えようとしていた。
未来にはそれが感じ取れない。今、未来がそれどころではない精神状況だから、というのも理由の一つだが、ライトカオスチャオははっきりと伝えようとしていないのだ。
まだ未来に対する疑いがある。迷いがある。それが核心からぶれさせているのだ。
「チャオをエネルギーに還元するシステムは内津孝蔵が作ったんだ。僕の予感が、予想が正しければ」
ライトカオスチャオは言葉を濁らせる。
「お前はじっとしていればいい。何もするな。どうせ何も出来ない」
人を信じられない、ライトカオスチャオ。主に捨てられたライトカオスチャオ。同情の念は起こらない。むしろ未来は嘲る。
「お前は変わってしまったようだ」
「僕が変わった?」
未来は初めて言葉を返した。ライトカオスチャオは答えず、去って行く。
変わった。
その通りである。
変わらない人間はいない。未来は確かに変わった。レールの上を歩くだけの人間から、自分で道を作り出して行く人間に。
いや、実際には怖いだけなのかも知れないと未来は思った。レールの上を歩いて、また誰かが、自分が傷ついてしまったら。
悪いのは誰なのか、分からなくなってしまうから。
誰を恨めばいいのかも分からなくなってしまうから。
「マサヨシって、誰だよ」
「僕ですが」
未来はばっと振り向いた。
眼鏡をかけた猫背の少年がノートパソコンを手にして立っている。彼はそのまま"チャオ・ウォーカー"の元まで歩いて、機械にパソコンを繋いだ。
しばらく作業を続けていた少年、マサヨシが横目で未来を見て、尋ねる。
「チャオには一定の能力の偏りがあります。ハシリタイプなら脚力、ヒコウタイプなら飛行能力、チカラタイプなら腕力といった具合です。今、それを数値化するシステムを開発しているのですが、なかなかうまくいきませんね。何か良いアイディアはありませんか?」
未来はそっぽを向いた。
「"チャオ・ウォーカー"にはどうやら僕の知らない機能が追加されているようですね。あなたの様子を見れば丸分かりだ。コクピットにいるとき、あなたは何を感じているのです?」
驚愕に目を見張って、未来はマサヨシの方を向いた。
彼は真摯な面持ちで未来を見ている。いや、その表情にはありとあらゆる感情が浮かんでいなかった。機械的、事務的な表情である。
少なくとも未来を責めてはいない。未来は安堵した。
「"チャオ・ウォーカー"に乗ってるとき、変な、変な声が聞こえるんだ」
未来はあの恐怖を思い出す。
絶望の淵にたたき落とされたような。暗い海の底にひとり、佇むような。絶望と、苦痛と、哀しみと、寂しさと、倦怠感。
「声が、僕からいろんなものを奪って行って、僕を、僕が、消えて行くんだ」
「なるほど。だいたい分かりました」
マサヨシは作業に戻る。
本当に分かったのだろうか。未来は彼の言葉を疑った。
「本当なら、僕がこれに乗りたいところです」
唐突に、彼は話し出す。なんらかの感傷的な気分がはたらいたのだろうか。彼は予兆なく話を始めた。
「"サイボーグ"は色々なものを奪って行きますから。どんなに苦しくても、僕は色々なものを守りたい。僕の大切な物、とかを。ですが彼が選んだのは僕ではなかった。僕はあなたのようになりたかったのです」
作業をしながら、彼はつぶやく。
未来はパストールを思い出した。
「こんなことを言うと変に思われるでしょうが、僕には不思議なレールが見えます。そのレールは自分たちの進む先に繋がっていて、そこで起こることをだいたい分かってしまうのです」
未来は再び驚きにまみれた。
自分以外にレールの見える人間がいたこと。それが彼だったこと。彼が自分のようになりたいと言ったこと。
「レールは世界からチャオがいなくなることを示しています。内津孝蔵の手によってね。分かっていながら、力がないからどうにも出来ない。もどかしい限りです。だがあなたは違う」
世界からチャオがいなくなる。
未来はふと赤い光線が"ヒーローチャオ・ウォーカー"を貫く光景が見えた、あのときを思い出す。あれはレールの向こう側をとっさに見てしまったのだ。
つまり未来が今、さきをみれば、同じように世界からチャオがいなくなることを示しているのだろう。
それを、人は運命と呼ぶのだろう。
「僕はそんなこと、認めたくない。チャオが好きだからです。あなたはどうですか? チャオがいなくなってしまう世界を許容できますか?」
未来は思った。そして考えた。
庭瀬恵夢は哀しむだろう。だが未来は悲しまない。チャオが好きではないから。チャオがそれほど好きではないからだ。チャオをチャオとして見ることが出来なかった。それはライトカオスチャオのせいもあるだろう。
人間と変わるところなどありはしない。
その中で、未来はチャオが特別好きではないだけだ。
しかし恵夢は哀しむ。哀しんで欲しくはない。けれど未来自身はそんな世界を許容できた。チャオがいない世界。拒否感はない。
いや、単純に興味がないのだ。
チャオに対して。
「やれることはやっていますが、どうにもなりません。あなたに託すしかない。彼が託したように」
マサヨシは続けた。
「違いますね。彼が、彼らが託したようにですか。まあ頼みましたよ」
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未来の居場所はどこにもなかった。
学校にも、家にもなかった。"チャオ・ウォーカー"のパイロット。どこへ行っても未来はその烙印を押された。
未来はチャオガーデンに来た。
チャオしかいない。
チャオしかいない場所。
しかし、チャオが少ない。
今までよりもずっと少なかった。
街を見渡す。
人が歩いている。
チャオが歩いている。
しかし少ない。
チャオの姿が少ないのだ。
「こんなに、チャオって、少なかったっけ」
次第にいなくなっていくチャオ。街中に溢れていた、チャオという幸福。それは世界を守るという正当化の下に、失われる尊い犠牲。
仕方のないと受け入れるしかない事実。
仕方がないと受け入れるしかない現実。
魔法の言葉だと未来は感じた。仕方がない。全ての違和感を薄めて、自分のものとして取り入れることの出来る魔法の言葉。水に似ている。水はあらゆるものを薄めてしまう。
受け入れなければ、生きられない。前に進めない。
未来はどこにも行けずにいた。闇の中にいる自分を感じた。暗闇の中で必死に自分が進むべき道を模索している。
ふうっと、風が吹く。
すると人の声が聞こえて、未来はやや身構える。
まわりを見て、少女と目が合う。
彼女は不思議そうな顔をして、すぐに微笑んだ。
「末森くん、こんなところでなにしてるの?」
庭瀬恵夢がラインハットの隣に立っていた。未来はだれもいないと思っていたせいで不意をつかれる。
放課後である。
やや遅い時間だというのに、彼女はそこに立っていた。
「お前こそ、なにやってるんだ?」
未来は自分の口から出た言葉に驚きを隠せない。辛辣な言い方だった。それは未来の内面を映したのだ。
不信感。苦痛。それらが言葉の矢となって、体から溢れでて行く。
だというのに、彼女は笑顔さえ浮かべて答えた。
「ラインハットと遊んでるの。お母さん、まだ仕事だから、時間つぶし」
彼女の言葉を聞いて、未来はようやく思い出す。恵夢は母子家庭なのだとどこかで聞いたことがある。
だから母の帰りを待って、それから帰るのだという。理由は分からない。だが、彼女なりの考えがあるのだ。
「末森くんは?」
未来は答えられなかった。居場所がないからチャオガーデンに来たとはいえない。
「なんで帰らないんだ?」
話題を変えた。気になったことだったからだ。しかしどうしても辛い言い方になってしまう。
恵夢は表情を苦くした。
聞いてはならないことを聞いてしまったと思って、未来は躊躇った。それを解決するだけの労力がしかし惜しい。それを解消するために、何かをする気が起きない。
「家で、一人で待つのが、嫌だから」
暗い声色だった。
未来はあの声を思い出した。コクピットで聞く、あの声だ。恐怖を感じるあの声。絶望に巻き込む、あの声と同じだ。
彼女は辛い思いをしている。絶望している。悲痛な思いを抱えている。未来には分からない。その気持ちのわずかさえ分かち合うことが出来ない。
いや、未来だけではない。
誰かの気持ちを分かち合うことが出来ないのは、誰でも同じだ。
「帰って来ないって、すごく辛いんだよ。お父さんも、アカも、出かけるって言ったきり、結局、帰って来なかったから」
アカ――チャオの名前だろうか。未来は赤色のチャオを想像した。
「末森くんはどうしてここにいるの?」
未来は答えに窮する。
人がいないから。
だれもいないから。
情けなくて、言えなかった。
「チャオがいるからかな」
嘘をつく。
チャオなんていらない。
――じゃあ、何が欲しいんだ?
自問する。
答えられなかった。
「ほんとに、チャオが好きなんだね」
チャオが好き。ずきりと心が痛んだ。未来はチャオに愛着がなければ執着もない。ただの生きている物でしかなかった。
ただ、未来は自分の力で生きたいと思っただけだ。誰かに歩かされる生き方が嫌で、誰かの言う事を聞くのが嫌だった。自由さえあればなんでも出来るような気がしている。
だが、それは間違いだ。
未来の心は蝕まれている。絶望に侵食されている。闇の中にいる。"チャオ・ウォーカー"の中から離れられない。その心を囚えて、離さない。
恵夢に対する恋心は欠片も残っていなかった。
あれほど焦がれていたのに、ほんの少しも。
ふふっと彼女が笑った。
未来は首を傾げた。
「末森くんって、私が前に飼ってたチャオに似てるんだ」
彼女はラインハットを腕に抱える。ラインハットはポヨを「はてなマーク」にした。豊満な体がふよふよと揺れている。
「アカっていうんだけど、私がずっと小さい頃に出て行っちゃってね。なんていうかな、不器用なのに優しいところとか、すごく似てるの」
未来は罪悪感を覚えた。
「僕はそんな人間じゃないよ」
優しい人間というのがいたとして、それはどういう人間だろうか。誰かを思いやることの出来る人間だろうか。パストールのような偽善者だろうか。
優しいという言葉そのものに定まった意味などないのだ。彼女にとって優しくても、未来にとって自分は優しくない。
「そんなことないと思うけど」
「お前に僕の何が分かるんだ?」
自分はこのような人間だっただろうか。未来は自問する。辛辣な言葉。相手を傷つけるための言葉。
違う人間であったと言い切ることが出来ない。今までと何も変わらない人間であるとも言えない。
自分は何者なのだろう。
末森未来。出席番号九番。十七歳。高校三年生。誕生日は九月十三日。
"チャオ・ウォーカー"のパイロット。
唯一の生体認証システム照合者。
しかし自分はそれすらも全うできない。世界を守るという使命を果たせないのだ。街を焼き尽くし、一人の大人を殺し、何が人類の救世主だろうか?
自分は何者でもなかった。
レールの上を歩き続けて来た、神様の操り人形。
自分の運命を踏み外し、さ迷い続ける心なき霊体。
「うん、そっくり」
彼女は笑った。ラインハットも彼女の笑い声に影響されて、笑う。未来は自分が彼女と違う次元にいることを感じた。
"サイボーグ"の襲来。"チャオ・ウォーカー"の危険性。そんな事実を跳ね除けて、まるで他人事のように笑う。
「アカもよく言ってた。そんな子じゃないでしょ、って言うたんびに僕はそんなんじゃない! って」
けれど、自分が何者なのかも分からないのだ。
「そういえば末森くんは」
「放っておいてくれないか? なんでそんなに、僕に構うんだよ」
びくり、と彼女の体が震える。
再び罪悪感の渦へ。
心が沈む。
取り残される。
恵夢は泣きそうな表情をした。
「だって、末森くん、辛そうだから」
「もういいよ。お前が帰らないなら僕が帰るから」
行く場所なんてないのに。
未来はチャオガーデンを後にした。
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寒風が未来を襲う。行くあてもなく、未来は歩き続ける。すれ違うたびに、奇異の視線を向けられていた。自分のチャオを庇うように隠す人が見えた。
彼らにとっては、未来が悪魔に見えるのだろう。自分たちからチャオを奪う悪魔。まるで悪魔だ。やっていることは正しいはずなのに。
瞼の裏にパストールの姿が見えた。馬鹿な大人だったと思う。偽善者は偽善をはたらいていればいいのだ。誰かを助ける必要なんてない。
マサヨシは未来を羨ましいと言った。隣の芝は青く見えるのだ。未来はうらやましがられるような人間じゃない。
では、どういう人間なのか。
未来は答えられない。
「やあ、こんなところで何をしているんだい?」
非常に紳士的な素振りで、彼女は手を振り上げた。
寒さで唇が震える。手がかじかむ。春だというのに、まるで冬のようだ。
「どうせ行くところがないんだろう? 付いて来なよ。そのままじゃ風邪を引いてしまうよ」
ゼラは微笑んだ。
柔和な微笑みだ。
彼女だけは、未来が変わっても、何一つ変わらない。
そう感じた。