6 見上げることしか出来なかった

 何故、あんなことにしてしまったのか。誰にも言えなかった。
 "サイボーグ"が"ヒーローチャオ・ウォーカー"を、ゼラを貫く光景が見えたから、なんて。
 苦痛を与える悲痛な叫び声が、どこからともなく聞こえて来るから、だなんて。
 誰も信じてくれるはずがなかった。
 未来は恐怖に震える。あの声が恐ろしかった。あの声。あの声は未来をどこか遠くへ連れて行こうとしていた。未来を封じ込め、乗っ取ろうとしていた。
 未来にはそう感じられた。
 それほど恐ろしかった。
「いけませんねえ末森くん。これは始末書ものです」
 一拍を置いて、
「と言いたいところですが、"サイボーグ"は強化されていたそうですし、今回は大目に見ましょう」
 内津孝蔵はいやらしい笑みを浮かべていた。
 それがどうにも、未来は自分を責めているように感じてしまう。
 たくさんの人が死んだ。たくさんのものがなくなった。今まで、犠牲にしていたのはチャオだけで、それ以外のものは未来が直接関与しているわけではなかったのだ。
 ところが、今回の件ばかりは違う。
 未来は自分の手で、引き金を引いた。街を焼き尽くし、人を殺めたのは他でもない、未来自身である。
 実感が伴わない殺人。
 人が死んだかどうかも分からない事故。
 そのはずなのに、なぜか未来は苛まれる。
「私は事後処理に向かいます。あとのことはパストール、任せましたよ」
「分かった」
 鉄の擦れる音がして、孝蔵が去った。残された三人――ゼラとパストール、未来――の間には重たい空気が充満している。
 慰めの言葉はない。励ましの言葉もない。どう声をかけていいか分からないというほどに、未来は悄然たる面持ちであった。
 心のなかに残る、あの恐ろしい叫び。まるで絶望から逃れられぬ自らの運命を呪うような、あるいは苦痛に耐え忍ぶような、呪いの叫び。
 それが聞こえている。聞こえて来る。心のなかに残っている。
 耳を澄ませば、いつだって聞こえて来てしまう。
「未来くん、失敗は付き物だ。今回は"サイボーグ"も変化していた。君だけのミスではない。我々にも責任がある。それを忘れるな」
「はい」
 気遣う言葉の隙間に、自分を非難する意志を感じる。感じてしまう。
 「我々にも責任がある」とはいえ、実際に撃ったのは未来である。あくまで、「にも」だ。「に」ではない。
 燃え盛る地上の光景。それを見下ろす自分。
 自分が奪ったもの。
「未来くん」
 パストールが未来の肩に手を置く。虚ろな未来の目が驚きに見開いた。
「君は背負い過ぎだ。君は奪っただけだろうか。助けもしたはずだ。違うか?」
「違わない、ですけど」
「ならば塞ぎこむな。君は正しいことをした。あのまま戦闘が長引けば被害が大きくなったとも言える。君は最善の行動をしたんだ」
 ――しかし、失ったものは二度と返って来ない。
 未来は彼の言葉の裏に隠された思いを感じる。表立って責められないことが、もどかしくてたまらなかった。


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 未来は行き場もなく、さ迷い続ける。"サイボーグ"対策本部の廊下を歩いているが、目的地はない。
 どこかに行きたかったが、どこに行くべきか分からず、せめてこの場所にはいたくなかった。自分のいるべき場所は、ここではないのだ。
 人殺し。
 もちろん、理屈では分かっていた。"チャオ・ウォーカー"は大義のため、世界のために"サイボーグ"を撃破している。本来なら、犠牲はもっと多くても不思議ではない。
 それがチャオという、都合のいい犠牲がいただけである。チャオは力をもって生まれ、その力を利用された。
 無限の生命力。
 チャオ。
 だが、チャオは不完全なシステムの影響で生命力を一気に消費し、ついには失ってしまう。けれどシステムを完成させる猶予は少ない。
 次々と"サイボーグ"は現れ、鬱憤をはらすように破壊活動を繰り返す。
「チャオを殺すだけでは飽き足らず、人まで殺したか。やっぱり僕の言ったとおりじゃないか」
 ライトカオスチャオが言った。
 未来はようやく"チャオ・ウォーカー"の収納されている部屋までやって来たことに気が付く。
「お前たちは化け物だよ。人間じゃない」
 人間じゃない――未来は肯定した。自分は人間じゃない。人を殺して罪を受けず、のうのうと過ごしているのだから。
 罪悪感なんて必要ない。未来の中の誰かがそう言う。仕方がないことだったのだ。わざとやったわけではない。不可抗力だった。みんな分かってくれる。
 一方で、未来の中の誰かは、未来を責める。
「お前たちが死ぬべきなんだ。何でそれが分からない」
「そうだな」
 未来は頷いた。
 ライトカオスチャオのポヨが「びっくりマーク」になる。分かりやすいな、と未来は思った。
 死ぬべきなのは未来である。あのとき"チャオ・ウォーカー"のレーザーによって、殺されてしまった人たちではない。まして、チャオなどではない。
 死ぬべきなのは未来だ。
 自分の中で、誰かがそう言っていた。悲痛な叫び声である。叫び声は未来を呪っていた。未来を恨んでいた。憎んでいたのだ。
「お前、お前には。プライドってものがないのか?」
 ライトカオスチャオは迫力のある声色で尋ねた。
「ないよ」
 即答する。
 しばらく二人は向かい合っていた。未来の目は虚ろなままだ。ただ、未来にはライトカオスチャオのポヨが眩しくてしかたなかった。
 自分にはまばゆいばかりの光。希望。そう、夢。それらが音を立てて崩れゆく。
 苦痛が差し迫っていた。直接、心に語りかけ、伝わって来る。それは嘆きの声。自分の運命を呪う、嘆きの声だ。
「見損なった。お前に、チャオ・ウォーカーの資格はない」
「なにいってんだよ。お前たちが乗せたくせに」
 自分の口から出る言葉は、自分の声とは思えなかった。
 ライトカオスチャオは未来の横を通りすぎて、曲がり角に姿を消す。
 静かになった。
 未来の心は苦痛に沈む。
 "チャオ・ウォーカー"の姿を見る。
 宇宙人のような、頭の長い鋼の機体。この機体に乗ったとき、自分は確かに何かを感じ、感じさせられている。あの叫びは一体。
 未来には守るものがない。
 意志を持って、夢をもって、守るべきものがない。欲しい物がない。何もいらない。
 だから、自分をこの苦痛から解放して欲しかった。
 未来は哀しむ。
 哀しんで、恨んで、呪い、嘆く。
「ここにいたのか、未来くん」
 パストールだった。聞こえの良い優しい言葉に装って、本心を隠す男。未来は彼を疑っていた。彼は執拗に自分やゼラを庇っている。偽善だ。偽善である。
 偽善に意味はない。中身のない優しさだと未来は感じた。彼のしていることは、優しさの押し付けである。
「今、君は一人になるべきじゃない」
「いいです。一人にしてください」
「未来くん」
 真摯な表情だ。だが、未来にはそれが偽善者の仮面をかぶっているように見える。みえている。
「自暴自棄になるな。一人になりたいときこそ一人になるべきじゃないんだ」
「誰のするべき、なんですか?」
 彼は一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。未来の言っていることが理解できなかったためで、その反論が予想外であったためだ。
 確かに未来は反論をするような人間ではなかった。純粋で、素直で、優しい人間。未来はそういった人間として捉えられていた。
 そして、それは決して間違いではなかったのだ。
「誰にとってのするべき、なるべきなんですか?」
 パストールは理解する。
「気分が落ち込んでいる人にとっての、だ。大人の忠告は聞いておけ」
「あなたたちは分かってない。僕は落ち込んでなんかいません」
「しかし」
「誰が"チャオ・ウォーカー"に乗ってると思ってるんですか? 僕です。僕が乗って、守ってあげてるんですよ。あなたたちは何もしてないじゃないか」
 彼は何も言わなかった。これならまだライトカオスチャオの方が良い、と未来は思う。なぜなら、ライトカオスチャオは嘘をつかないからだ。
 人を殺し、街を焼き尽くした未来を責めないわけがない。未来を人殺しとして扱わないわけがない。
 そうでない人間はいないのだ。
「そうか」
 パストールは納得して、背を向ける。
 ところが、いつまで経ってもその場を動かない。未来は疑問に思って、しかし何も言わずに待った。
「私はかつて、世界を守ろうとしたことがあった」
 未来は聞くに徹する。
「だが私が守ったものは世界であって、そこに住む人々ではなかったのだ。大人の矜持や利権は守れても、私は……私が守りたかったものは、全て失うことになった」
 哀しい声色だった。その感情を散々に知っている未来だからこそ、彼がどのような気持ちで言っているのか想像に難くない。
 後悔だ。
 あのとき、ああしておけばよかった。
 あのとき、ああすべきではなかった。
 あのとき、未来はレールの上を歩くのを止めて、自分の意志で、自分の力で歩むべきだったのだ。
「必要とされないヒーローほど邪魔なものはない。自由社会となった今、個人の絶対的な正義など無価値だ。だから私は正義であることを止めた」
 偽善だ、とパストールは続けた。
「しかし今、世界に危機が迫っている。私に出来ることは限られ、本来であれば守るべきものに守られ、年端も行かない子供に全てを託すしかない」
 それでも、未来にはもはやどうしようもなかった。
 きっとパストールは未来を励ましているのだ。それは分かった。頭では分かっている。分かっているのだ。だが感情が、心が言うことを聞かない。
 絶望の底で、恐怖に怯え、一人縮こまっている。もうそれは動かない。あの声を聞くことを、未来は恐れていた。
「君は望まれている。必要とされているんだ。それだけは憶えておいて欲しい」
 あの声が。
 あの声さえなければ。
 未来は体が震えた。
 パストールはそれを見て、無言で去って行く。
 ひとりだけになった。


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 翌日の昼休みが終わる頃に、未来は登校した。未来が入った途端に静まる教室。斎藤朱美は未来と目が合うと、すぐに目を逸らした。
 自分の席に座って、じっと黒板を見る。ちらちらと周りの人間が自分を気にしているのが分かった。
 五時間目が始まるという頃になっても、担当の教師は姿を現さない。不穏な空気を感じ取った生徒たちが、ひそひそと噂話を始めた。
 人殺し。
 そういう単語が聞こえる。
 がらりと変わってしまった、自分を取り巻く環境。
 そして、それらを台無しにする、警報の音が響く。
 "サイボーグ"の襲来を告げる警報。
 教室の女子のひとりが耳をふさいで頭を抱えた。非難の眼差しを感じて未来は机の端をじっと見る。
 未来は動かない。
 警報は響き続ける。
 それでも動かない。
 "サイボーグ"の咆哮が聞こえて、騒ぎ声が四方八方から聞こえた。
 未来は動けない。
 あの声が聞こえるから。聞こえて来るから。心を揺さぶるから。
 教室のドアが開いて、内津孝蔵が現れる。未来は怖気が立った。自分は"チャオ・ウォーカー"に乗るしかない。嫌だとしても、世界を守るためにはしかたのないことなのだ。
「さあ、末森くん、行きましょう。"サイボーグ"は二機です。ゼラフィーネさんだけでは心許ない」
「おい、待てよ」
 友達だ。友達が立ち上がって、未来に面と向かっている。
 怒りの表情を浮かべていた。無理もないことだと未来は思う。
「お前、チャオを殺して、たくさん人殺して、なんとも思わないのかよ!」
 やはりそうだ。
 誰も自分のことなど分かってはくれない。
 分かってはくれない。
「そんなやつだなんて!」
「仕方ないだろ」
 未来は言い捨てた。
 そこには「じゃあ、お前がどうにかしろよ」というニュアンスが含まれている。誰もがそれを汲み取った。そして、誰にもどうにも出来ないのだ。
 だから当事者である未来が責められている。それは分かる。しかし未来は望んで"チャオ・ウォーカー"に乗っているわけではないのだった。
「てめえ! チャオの、人の命をなんだと思ってるんだ!」
「ならば人だけを犠牲にするようにしましょうか。出来ますよ? 例えば、あなたが犠牲になってはいかがでしょう?」
 くくっと笑う孝蔵に、友達は黙する。
 そう、本当に、本心から命の大切さを分かって、知っているなら、自分が犠牲になることを選ばなければおかしいのだ。
 未来は偽善者だらけだと思った。偽物の善は悪と何ら変わりがない。
 じゃあ、何が本物の善なのか。
 それすらも考えられない。
 思いつかない。
「さ、末森くん、行きましょうか」
 教室にいる間、未来はずっと彼女の顔が見られなかった。
 恵夢が未来をずっと見ていたことにも、気が付かなかった。


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 "チャオ・ウォーカー"が恐ろしい何かに見えて、一瞬、乗るのを躊躇してしまう。パストールは無言で未来を見ていた。
 しかし、未来は腕をつたって、"チャオ・ウォーカー"のコクピットに乗り込む。仕方がないという言葉が自分を縛り付けていた。
「機能正常。ニュートラルヒコウタイプを接続します。エネルギー還元を開始。コンプリート」
 未来はコクピットの中で、すうと深呼吸をする。自分がやらなければ、"サイボーグ"は全てを奪いつくしてしまう。だからやる。自分しかいないから。
 周りは自分に期待する。
「未来くん、大丈夫か」
 パストールが言うが、未来に答える余裕はなかった。
 ただ、必死でやらなければ自分には居場所がなくなってしまうことを本能的に理解する。
 "チャオ・ウォーカー"は駆けて、地上へ飛び立つ。紫色の残光がみえて、消えて行く。
 "サイボーグ"の姿が二機、"ヒーローチャオ・ウォーカー"が一機、戦闘していた。"ヒーローチャオ・ウォーカー"がやや防御姿勢に見える。
 未来は必死で飛び抜けて、"サイボーグ"を分断する。一対一ならば"チャオ・ウォーカー"が有利だと考えたからだ。
 その飛行速度を維持したまま、右腕のレーザーで"サイボーグ"を狙い撃つ。


「ココハドコナノ?」


 がくん、とレーザーの照準がずれて、未来は高度が下がっていることに気が付いた。
 "チャオ・ウォーカー"の挙動は不審である。ゼラは気づいていたが、強化された"サイボーグ"の相手で精一杯だった。
 "ヒーローチャオ・ウォーカー"は黄金の光を展開して、"サイボーグ"の赤い光線を防ぐ。防ぎ切ると、黄金の光が一閃し、"サイボーグ"の片腕を粉砕した。
 未来は体制を立て直す。
 "チャオ・ウォーカー"は空中を紫色の光を残して飛行し、片腕のない"サイボーグ"に急接近した。至近距離で右腕の砲口を突きつけ、レーザーを放つ。一機が消散し、もう一機の"サイボーグ"が地上に向かって行った。
 下降速度なら"チャオ・ウォーカー"の方が勝ると考えた未来は、それを追いかける。


「ヤメテ、クライ、コワイ、ボクハドウナッテルノ?」


 意識を繋ぎ止め、地上に降り立った"サイボーグ"に対峙した。


「ボクヲタスケテ、ボクヲ」


 "ヒーローチャオ・ウォーカー"が"サイボーグ"に向かって行く。
 未来には何が起こっているのか分からなかった。朦朧とする意識で、なんとか視界だけが機能していた。
 赤い光が"サイボーグ"に集中している。"ヒーローチャオ・ウォーカー"は間に合わない。
 赤い光線が放たれる。
 寸前、コクピットハッチが開き、未来は体がふわりと浮いて、"チャオ・ウォーカー"の内部から投げ出され、地面に全身を強打する。
 痛みで朦朧としていた意識が現実感を伴った。
 紫色の光を残して、"チャオ・ウォーカー"が飛び立つ。赤い光線は紫色の光に飲み込まれ、かき消されのだった。
 未来はそれを地上から見上げている。
 意識が覚醒する。
「パストール!!」
 確かに、未来は見た。朦朧とする意識ではあったが、パストールがコクピットハッチを開け、未来を投げ飛ばしたのだ。
 "チャオ・ウォーカー"は搭乗者の意識に反するように、奇妙な動きをする。"チャオ・ウォーカー"と照合するのは未来だけだ。生体認証システムの関係上、未来以外は乗ることが出来ない。
 パストールは乗ることができない。
 未来は地上から見上げていることしか出来なかった。
 "チャオ・ウォーカー"が"サイボーグ"に組み付いて、機能を停止する。"ヒーローチャオ・ウォーカー"が黄金の光を展開し、"サイボーグ"に突進した。組み付いた"チャオ・ウォーカー"と共に空へ飛び上がる。
 "サイボーグ"から赤い光が放出する。今までにない、強力な放射攻撃であった。
 "チャオ・ウォーカー"の頭部と左腕が消し飛び、"ヒーローチャオ・ウォーカー"が黄金の光で防ぐ。
 力なく、"チャオ・ウォーカー"は地上へ落ちて行く。
 "ヒーローチャオ・ウォーカー"の放ったレーザーが"サイボーグ"の半身を砕いて、苦し紛れに青白い光線を放つ"サイボーグ"だが、それを容易に防ぎ、黄金の光が一閃する。
 未来はその光景を、ただみていることしか出来なかった。
 墜落していく"チャオ・ウォーカー"。それを追う"ヒーローチャオ・ウォーカー"。
 未来はその光景を、ただ。
 見上げることしか、出来なかった。


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 コドモのピュアチャオと僕は、よく話があった。
 コドモのピュアチャオには主がいなくて、すごく寂しい思いをしているように感じた。
 だから僕は、コドモのピュアチャオの友達になってあげることにした。
 そうしたらコドモのピュアチャオは喜んでくれた。
 僕は喜んだ。
 僕の力で、僕のやり方で、僕の望むものが手に入ったから。
 僕はその日から、レールを避け続けた。
 今の今まで、ずっと。

このページについて
掲載日
2011年2月4日
ページ番号
6 / 11
この作品について
タイトル
チャオ・ウォーカー
作者
ろっど(ロッド,DoorAurar)
初回掲載
2011年1月1日
最終掲載
2011年2月7日
連載期間
約1ヵ月7日