3 チャオを消費して動かす機械
夢だ。
些細な幸せこそ、末森未来の夢だった。自分の力で手に入れた幸福こそが末森未来の最高の幸福だったのだ。
自由。なにものにも強制されない自分だけの人生。
しかし、その夢は儚くも散ることになる。
何があったかは憶えていない。それはほんの些細な、本当に些細なことだったのだろう。憶える価値のない記憶だったはずだ。
夢。
末森未来は願っている。
大切な人の幸せだけを。
自分の好きな人が、笑って過ごす日々を。
未来は自室で目を覚ました。体が軋んでいる。憂鬱な気分が晴れない。
自分で選んだ道を進んでいるはずだ。未来は自覚している。間違いのない道である。なのに、どうして気分が晴れないのか。未来には分からない。
"チャオ・ウォーカー"の感触が、今でも残っている。
"サイボーグ"を打ち砕く瞬間の快感が残っている。世界を守っているという実感が未来に自信をつける。学校の生徒も、教員も、軍人ですら未来に守られているのだ。
それは庭瀬恵夢ですら例外ではない。
なのに気分は晴れず、冷たい針が心の底に住み着いている。針は少しずつ、自分の心の奥底に踏み込んで行く。その実態を未来は掴めない。
外は雨だった。
しばらくは止みそうにない。
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世界で唯一"チャオ・ウォーカー"を扱える人間。内津孝蔵は未来のことをそう称し、賞賛した。
"チャオ・ウォーカー"には生体認証システムが採用されており、その生体認証に適合したものが末森未来しか存在しなかったというのだ。
なんとも出来過ぎた、乗せる為の理由だと未来は思って、逆に好都合だと考えた。
"サイボーグ"対策本部の目的は"サイボーグ"に対抗し、世界を守ることだ。"サイボーグ"に対抗するためには"チャオ・ウォーカー"の力が必要である。
望まれるなら吝かではない。未来が守らなければ世界はいずれ滅んでしまう可能性を含有しているのだ。
自分は、自分で選んでここにいる。実感がある。
「えー、本当に学校あるの?」
「大講堂使えないらしいよ。昨日、"サイボーグ"が来たんだって」
「迂回して行けってことか」
「十二組どこ?」
「ああ、特別教室で授業だってさ」
特別教室まで行くことに若干の憂鬱を覚えて、未来は仕方無しに足を向かわせる。
心の中で、庭瀬恵夢とどう話そうかと期待している自分がいた。少しは関係性に進歩が見えたのではないだろうか。
どう話題を振って行こう、そう考えていた時だ。唐突に右手を取られ、未来の体ががくんと右側に傾く。
「付いて来てくれないかい?」
金髪からほのかに花の香りがした。ゼラだ。彼は未来の右手を取ったままぐんぐんと突き進む。
「おい、僕、これから授業なんだけど」
周りの注目を気にしつつ、未来が指摘する。ゼラは答えなかった。答えず、ただ進んで行く。
職員用のエレベーターに乗り込んで、地下一階のボタンを押した。未来は疑問を抱く。地下一階。この学校に地下一階という階層はないはずだ。
少なくともこの三年間で、未来は見たことがない。
それになんだか様子がおかしい。いつものゼラよりも遙かに義務的、事務的な様子が見て取れる。
地下一階。
扉が開く。
もう一つ扉があった。ゼラは学生証を取り出して、カードリーダーに読み込ませる。扉が開く。
未来は驚いた。
確かに位置的な問題を考えると、そうなるだろう。昨日は別の出口から学校の外部に直接出たが、そうだ、確かにこういった出入口がないと不便に違いない。
そこはエントランスだった。未来にとって、ここは一夜ぶりである。
「変わらぬお気持ちを感謝しますよ、末森くん。些末な任務でしたが、ありがとうございます、ゼラフィーネさん」
「いえ、ご心配には及びません」
未来が聞き逃すことはなかった。
白衣を着た中年の男――歳がいくつなのかは分からないが、いやに老け顔である――内津孝蔵はゼラのことをゼラフィーネさんと言ったのだ。
この国以外の名前に詳しくない未来だが、その響きである程度察することは出来る。加えて未来は「くん」なのにゼラは「さん」だ。
未来は思いがけず苦笑した。よもやそんなことはあるまい。
「本日より正式に"サイボーグ"対策本部の一員となっていただく末森くんには、まず本部の雰囲気に慣れてもらいたいのです。お話しておかなければならないことも多いでしょう」
「ご丁寧にどうも」
「では改めて。私、"サイボーグ"対策本部本部長の内津孝蔵です。主に"サイボーグ"対策として兵器の開発、作戦の発案、組織の運営などを行なっております」
歩きながら紹介を受ける。未来の隣を歩くゼラの表情は、普段の彼からは想像もつかないほど厳格だった。
「そちらのゼラフィーネさんは既にご存知かと思います。"ヒーローチャオ・ウォーカー"の搭乗者をやってもらっていますね。一ヶ月ほど前から」
こればかりは未来の想像を遙かに超えていた。あやうく腰を抜かすところである。
白い機体。黄金の光を放つ"ヒーローチャオ・ウォーカー"の搭乗者。そうだ、考えて見れば"チャオ・ウォーカー"に搭乗者が必要なのだから、もう一機にも必要に決まっている。
そこまで話して、孝蔵はとあるドアの前で立ち止まる。
カードキーをリーダーに滑らせて、ドアは開いた。
会議室。未来の脳裏にその単語がよぎる。
その部屋には既にメンバーが揃っているようだった。孝蔵に勧められ、未来は慌ててゼラの隣に座る。
「お待たせしました! これでひと通りのメンバーは揃いましたね」
「"彼"がまだです」
「ああ、"彼"は構わないでしょう。色々とお忙しいのでしょうし」
未来は孝蔵の口調から敵意に似た何かを感じた。
「それでは新たに"チャオ・ウォーカー"のパイロットも手に入ったことです! 本腰を入れてゆきましょうではありませんか!」
「では私から報告をさせていただこう」
癖のある金髪の男が立ち上がる。体格の良い男だった。それに若い。瞳の色は目立つブルーである。未来は彼に威厳を見た。
「損害報告は結構ですよ。どうせお国の方々が払ってくれます!」
「分かった。前回の出撃時、"チャオ・ウォーカー"の生体認証システムは正常に作動し、今後も正常に作動する見込みがある。更に"チャオ・ウォーカー"のCOSTも問題なく作動していた。パイロットとして考えれば、末森未来くんだったかな、君はとても優秀な子だ」
照れくささを感じて、未来は居た堪れなくなる。だが、男は眉間に皺を寄せ厳しい声で続けた。
「しかしだ、またこのような年端も行かん子供をパイロットとして採用するのは、内津、私は反対するぞ」
「本人が了承してるんですし、いいじゃないですかパストール」
「そういう問題ではない!」
「それで他の報告は?」
渋々と言った様子で金髪の男が食い下がる。
その間、ずっと内津孝蔵は笑っていた。未来はやはり信頼できるに足らない人間だと感じる。
「チャオガーデンにおけるチャオ総数は二千三百二十一。今後も問題なく使用することが可能だ」
未来は首を傾げる。
聞きなれない単語があったからだ。チャオを使用。どう、いかにして使用するのだろうか。ひやりとしたものを感じて、恐ろしくなる。
チャオ行方不明事件。"サイボーグ"対策本部と二機の"チャオ・ウォーカー"。チャオを使用する。
気になって、未来は手を上げた。
「どうしたね、末森くん」
会議室中の目が未来を貫く。しかし聞かずにはいられなかった。一度に様々な問題が起こるときは、それらが全て関係性を持っていると考えることが最も正解に近い。
「チャオを、使用するんですか? どうやって?」
「ああ、そういえば話していませんでしたか」
金髪の男が目を逸らした。不快そうな顔をしている。反面、内津孝蔵は満面の笑みを浮かべて、さぞかし嬉しそうに豪語した。
「チャオを消費して動かす機械! それがチャオ・ウォーカーなんですよ!」
呆気にとられる。
聞いたことを忘れてしまいたくなる。理解が追いつかないとは言うが、この場合は単純に、理解したくないだけだ。
チャオを消費して動かす機械――"チャオ・ウォーカー"――だという。もしやとは思っていた。全てが関係性を持っていると考えていないわけではなかった。
ところが事実、全ては繋がっていたのだ。
"チャオ・ウォーカー"はチャオを消費して起動する。それがチャオ行方不明事件の真相である。
そうと決まったわけではない。また別の可能性があるかもしれない。思い込もうとして、どうしてか辻褄があってしまう。
信じたくはなかった。しかし信じる以外に手段を持たない。
彼らには真実を話さない理由がないのだ。
「でも、それって、犯罪じゃないですか?」
罪悪感に負けて、つい意味のない反論をする。孝蔵はにんまりと笑った。
「いえいえ、"サイボーグ"を破壊するには必要のことです。それとも君は、人が"サイボーグ"の圧倒的暴力を甘んじて受けろと言うのですか?」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
「犠牲なくして平和は得られません。悲しいことですがね、人を犠牲にするよりはマシでしょう」
黙るしかなかった。知識も知恵もない未来には、反論する術がない。反論したところで、一体、何が解決するというのだろう。
"サイボーグ"は人の意志とは無関係に襲来する。こちらの対抗手段は"チャオ・ウォーカー"のみ。その"チャオ・ウォーカー"はチャオを原動力として起動する。
何も不自然ではない。
人の為の世の中なのだ。
それを言うなら、人は何も食べてはいけなくなってしまう。
「分かっていただけて幸いですよ! それでは会議を続けましょう!」
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"チャオ・ウォーカー"を目の前にして、未来は佇んでいた。
頭の中にぐるんぐるんと事実が巡る。チャオを消費して動かす機械。チャオを使用して動かす兵器。それは、チャオを殺すことで人類は生きながらえているということだ。
他に方法があったのではないか。どうしてもそう言いたくなってしまうのは、未来が甘えているせいである。
知識がなく、知恵もない。他の方法を考えなかったはずがないのだ。考えて見れば、確かにおかしいことはあった。
例えば青白い光線だ。動力は何なのだろう。"チャオ・ウォーカー"を動かしている力の源は。
電力。原子力。風力。水力。いや、そのどれでもない。
チャオだ。理屈は分からないが、チャオなのだ。
「チャオを殺せて嬉しいか?」
未来の背後にライトカオスチャオが立っている。未来は否定しようとした。
「これでお前も立派な人殺しだよ。おめでとう」
「僕はそんなこと望んでない。仕方ないだろ」
仕方がない。素晴らしく便利な言葉だ。全てを解決する魔法の言葉。あれもこれもそれもどれも、全て仕方がない。
その通りだった。チャオを犠牲にする他ないのならば、犠牲にすればいい。仕方がない。人類が滅ぶよりかは遙かにマシだ。
確かにマシなのだから。
「まったく、これだから人間は駄目なんだ。尊い犠牲とかいう偽善を隠れ蓑にして罪悪感から逃げている。お前たちが犠牲になればよかった。チャオの為にね」
「じゃあ、お前がなんとかしろよ! チャオのくせに、偉そうなんだよ!」
ライトカオスチャオは黙り込む。
誰かに、誰にもどうすることは出来ない非情な現実がある。それは事実だ。"チャオ・ウォーカー"はチャオを犠牲にして動く。それによって世界は守られている。それも事実だ。
事実が事実である以上は、どうすることも出来ない。
「お前たちに、僕たちチャオの何が分かるんだ」
ライトカオスチャオは言い残して去る。未来は憤慨した。なぜ単なる搭乗者でしかない自分がこのような仕打ちを受けなければならないのか。
世界を守ってやっているのは誰か。少し考えれば分かることだ。
ライトカオスチャオの去って行った先、ひょこりとゼラが顔を覗かせる。
地団駄を踏む未来を見て、ゼラは腹を抱えて笑った。
「君がそんなに怒ったところを初めて見たよ。いやあ、人は見かけによらぬものだね」
ゼラは飄々としている。やはり皆、割り切っているのだ。未来もそうしなければならないと思った。
「やあ、"ヒーローチャオ・ウォーカー"のパイロット、ゼラフィーネ=オステンドルフだ。今後ともよろしく」
すっと差し出された手を見てはっと思い出す。
未来は彼の手を取らず、彼の目をじっと見つめて尋ねた。
「お前、お前って、女の子なの?」
「はは、何かの冗談? 僕は女だよ。全く気付かなかったのかい?」
今度こそ未来は腰を抜かした。上から見ても下から見ても、男の制服である。確かに中性的な顔立ちと声色をしてはいるが、未来は孝蔵の呼称で初めて気が付いたのだった。
「というか、気づけっていう方がおかしいだろ。どう見ても」
男に見える。そう言いかけて、未来はようやく気が付いた。
どう見ても男に見えるわけではない。女の子らしいところが割とあった。いや、なかったのかもしれない。どちらなのかはよく分かっていなかった。
ただ、そう、男に対してどきどきするわけがないのだ。未来は自分が正常だということに気がついてほっと溜息をつく。
「任務でね。"チャオ・ウォーカー"の生体認証システムに適合する可能性のある人物に近づかなくちゃならなかったからさ。騙していて悪かったよ。でも君のこと、嫌いじゃないな、僕」
「最初から言ってくれよ。でも、不思議だな。その口調は演技じゃないの?」
「うん。この国に来てからずっとこうさ」
もう一度、未来は深い溜息を付いた。今度はさきほどとは違う理由である。
未来の心に巣食っていた憂鬱な雲は振り払われていた。思ったことを溜め込むのは良くないことだと未来は思う。ついつい溜め込んでしまうのは、自分がそういうことに慣れていないからだ。
ふと鑑みれば、いつの間にか罪悪感も消えている。チャオを犠牲にするという罪悪感は胡散霧消し、期待感が心に溢れる。
期待。自分への期待。自分の足で歩いて行くことへの期待。
未来は確かに自由を望んだ。
その代償として、茨の道を進むことになった。
いつの時代も、いずれの道も、尊い犠牲はやはり必要なのだ。
そう思った。
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レールの上にはいつも笑顔がある。
レールの向こうにはいつも笑顔がある。
どこへ行こうと、僕はこの笑顔に包まれて生きている。
ずっと。