バシストと引きこもりJK

〈プロローグ〉


「少女1245、保護に参りました」

今日も、雪が降る。
歩いた道、見上げた街、すべて覆い隠していきながら。

お父様とお母様は人形のように着飾った私を玄関まで送り届ける。

「娘を、よろしくお願いします」

見知らぬ人に頭を下げる二人。

私は、泣きそうな顔をしていたのだろうか。
お母様がそっと彼女を抱きよせ、大丈夫よ、と耳元に囁いてくれた。

「……はい」

そうやって頷いた私のカラダを、お母様はもっと強く抱いた。
お父様が威厳と悲しみを混ぜたような声でそれを叱る。

「もう、離れなさい」

お父様が私たちをそっと引きはがそうとした瞬間。
耳元で急にお母様は泣きだした。
泣いている私を、いつも慰めてくれたお母様が、今は私に泣いている。
子供のように、ワンワンと。
それは新鮮な気もしたし、すごく、後ろめたいような気もした。

お父様の口調が厳しくなる。

「母親のお前がそれでは、行きたくないと言い出すだろう」
「……」
「……さぁ、もう、離れなさい」

お母様は何も言わず、さらに抱く力を強くした。
無言で寂しそうにうつむくお父様が片目に見える。

「お母様——」

私はそんなお母様を慰めようと思ったのだろうか。
今になっては分からないけれども。

「いつかまた、きっと、私は戻ってきます」

話すのが苦手な私が精一杯編んだ言葉が彼女に響いたのか。
——それとも、別の何かに気がついたのか。
お母様はそっとその力を緩めてくれた。

「お嬢ちゃん。外は寒いから」

見知らぬ人は私に大きな黒いフードをかぶせてくれる。
無骨で荒っぽいデザインのそれが、その時だけはとても温かく感じた。

「では、参ります。お二人も、どうぞご無事で」

見知らぬ人はそう言ってお父様とお母様に頭を下げる。

大きな手だった。
大きくて、優しくて、ぬくもりのある手。
私はただ引っ張られるまま、雪の道を歩き始めた。

——夜の街は星空に抱かれて今日も静かに眠っていた。
数少ない家々の窓から穏やかな光が漏れている。
黒いカップに注がれた、黄色いカクテルが、
一つの屋敷から伸びていく、小さく儚い雪の足跡を照らす。

「……」
「どうかされましたか?」

無言で立ち止まってしまった私に、見知らぬ人は声をかける。
彼は私たちが付けてきた雪の足跡を見て何かに気付いたのか、ふと微笑みを浮かべたかと想うと、私が再び歩き始めるまで、そっとそのまま隣で立っていてくれた。

「あっ——」

白い雪が視界を埋めていく。
もう住みなれたあの屋敷の玄関は見えない。

「ダメ……」

ラフ絵にパンくずを摺ったかのように、元の白いキャンパスに戻りつつある街の中央通り。
先ほどまで刻んでいた足跡も沢山の新雪に覆われ、そのカタチを失いかけている。

「ダメだよ、止めて……」

お父様とお母様の前では決して泣かなかったのに。
冷たく凍りついた頬を溶かしていくように、温い涙が両目から溢れてくる。
何故だろう?
何がそんなに悲しいのだろう。
転んだわけでも、怒られたわけでもないのに。

——そうか。

もう戻れないことに、気づいてしまったんだ。
遠くの街に連れていかれて、もう二度と、ここには戻れないことに、気づいてしまったんだ。
唯一の道しるべである足跡は、たった数時間で消えてしまい。
この街に私がいたというしるしが、無くなってしまう。

お母様を泣かしたまま、自分が何もできない。
私は空っぽで、便利な道具も、強い力もなくて。

だから、私は泣いているのだ。

「お父様、お母様——」
「……。さぁ、行きましょうか」

彼はひょいっと私を持ちあげて背中に乗せてくれた。
これ以上我儘を言ってはいけないことに、私もうすうす気づいていた。
……私は物分かりが良い。
良い意味でも、悪い意味でも。
でも、泣くことだけはどうしても止められないから。
彼の羽織るローブを私はただただ濡らしていく。

そうして、ふと、目を閉じる。

すべての景色が光から遠ざかっていく中、私もすべてを忘れるように。
ただ、暖かいゆりかごで抱かれることを望む赤ん坊のように。
純粋無垢に、人の愛情を求める手をかざすように。

——もう寝よう。寝てしまおう。

そう決めた時には、既にその意識は遠ざかって止まらない。

「おやすみ。お嬢さん」

誰かの優しい声が聞こえてきた気がした。


——その日は、私が12歳になった日だった。

このページについて
掲載日
2010年7月14日
ページ番号
1 / 5
この作品について
タイトル
バシストと引きこもりJK
作者
それがし(某,緑茶オ,りょーちゃ)
初回掲載
2010年7月14日
最終掲載
2010年7月15日
連載期間
約2日