其の一
※この話に出てくる個人名はすべて仮名です。
――12月22日、朝。
若干側溝に雪が残る田舎道を車で走らせてきた俺は、息を白くさせながら父方の実家の裏口を叩く。間もなく鍵が開いて、半開きの扉から祖母がぬっと顔を出す。
「いらっしゃい。寒いから早く中に入りんしゃい」
「お邪魔します」
昔ながらな平屋の、昔ながらな裏口は相変わらず段差が高い。久々なもので靴を脱ぐのにも若干手こずる。木造家屋の廊下は独特の冷気が漂う。この時期は屋外よりも屋内のほうが寒いのだ。俺はとりあえず温い部屋で一服しようと、入ってすぐの台所の扉を開ける。ダイニングテーブルで一人、雑煮の餅をすすりながら、従姉の娘(つまり姪)が朝のテレビアニメを見ていたが、俺に気づいてこっちのほうに顔を向けてくる。
「こんにちは、それがし!」
「こんちゃ、ユズちゃん」
元気のよい挨拶が返ってくる。御年6歳の少女に呼び捨てにされるのは――、オジサンと呼ばれるよりはマシかもしれないが。きっと従姉を真似ているのだろう。
俺はひとまず荷物を隅に置き、彼女の隣に座り、途中コンビニで買ってきた朝食を広げる。鮭のおにぎりと、から揚げ、それから500mlの緑茶を一本。
「からあげクン!」
ユズちゃんは嬉しそうにそう言う。実は、ファミマの和風から揚げ(5個入り)である。彼女にとってコンビニのから揚げ=からあげクン。固有名詞と名詞の区別がつかないのは子供によくあることである。
「いっこ、ちょーだい」「3個あげるよ」「まじで?」「マジで」
大人も子供もそしてユズちゃんも、から揚げは大好きだ。そういえば、彼女とは今年で3年目のお付き合いだが、初めて会った時もお土産でから揚げを買ってきて、たいそう喜ばれた覚えがある。
「お母さん(従姉)は、ユズちゃんを買い物に連れて行かなかったのか?」
「わたしは、それがしと買い物行くっていってたじゃん!」
「おう、約束してたからな。あとから一緒に太鼓の達人買いに行こうな」
「うん!」
そうして嬉しそうにから揚げを頬張るユズちゃんの後ろから、いつの間にか台所に戻っていた祖母の、ため息交じりぼやきが聞こえる。
「髪の毛また金髪だったよ、リサ(従姉)はいったい何を考えているんだか……」
「まーだ言っとるんかいな、ええ加減慣れなさいな」
「できんよ、私にゃ。孫世代で子供持ってる人はみんなこんなものなんかいな」
「知らんよ、俺独身だし」
従姉とは長い付き合いだ。金髪ではあるが、個人店の店長に信頼を得て色々やってると聞くし、しっかりしている人ではあるんだろう。ただ、実家で会う彼女は至って適当な人だから、その行動規範の真意はよく分からない。
ちなみに今日は、ユズちゃんが妙に俺に懐いているのをいいことに、俺に彼女の今日一日の世話役を押し付け、地元の友人と買い物に繰り出している。
「……雑煮食うかい?」「もらう」「餅は何個?」「二個」
湯気の立った雑煮がごとんと目の前に置かれる。なんだか、正月にでもなった気分だ。
12月もあと1週間。世間では明後日がクリスマスイヴ。でも、この家にとって、この時期は正月を迎える準備期間だ。祖母はおせちはよく作るが、なにぶんテレビはNHKしか見ないような人なので、自分自身にクリスマスとかそういった習慣がないのである。
「おばあちゃん、おかわり!」
俺もユズちゃんも餅は大好きなので、それは一向に構わない。
「ああ、それで某(仮名)、ユズと一緒に出掛けるついでに、夕飯の買い物行ってきておくれ。これで足りるかな」
祖母が財布から2万取り出し、俺に手渡す。買い物の内訳には灯油代も含まれているとはいえ、やはりこの時期のスーパー、なかなか刺身やら焼き肉やら美味しそうで、全体的に高価なものが多く売られているので、2万くらいは毎回すぐに無くなってしまう。
「十分だ。ユズちゃんはもういいかい?」
「まだ食べてる!」
「おっけー、じゃ、10時回ったら出よう」
… … …
車で近くの街に繰り出した俺とユズちゃんは、まず最寄りのBOOK-OFFに立ち寄る。ユズちゃんが前々から目をつけていたWiiのソフト(太鼓の達人の一番新しいやつ)を俺のクリスマスプレゼントという名目で買うためだ。
せっかくのプレゼントを中古屋で済ませるなよという話だが、ユズちゃんにとってゲームを買う=BOOK-OFFなので、これで良いのだ。……従姉夫婦の経済面を推し量ってしまうのはさすがに下衆な妄想なので止めておこう。
「それがし、こっち!」
「あー、ちょっと待ってくれよー……行っちゃった」
店に入ってすぐに駆け出したユズちゃんは、俺が追いつく間もなく、お目当てのソフトがある棚のスペースに消えて、すぐに商品を胸に抱えて俺のほうに駆け寄ってくる。
俺も子供の時はこんな風に親からゲームを買ってもらったのかなぁ、と思いつつ、テンション最高調なユズちゃんと一緒にでレジへ向かう。
「毎度ありがとうございましたー」
会計を済ませ、何の気なしにしばらくBOOK-OFF店内を散策する。白い子供用コートに身を包んだユズちゃんは、右手でゲームの入った袋、左手で俺の手を握りながらご機嫌だ。
「太鼓好きかい」
買ったソフトがそんな感じのものなんで、そんな感じの話題を振ってみる。
「大好き!うち、おんがくのじかんはいつもタイコたたいてるんよ」
「楽しいもんな、太鼓叩くの」
「うん、めっちゃ楽しい!それでな――」
音楽の時間はいつもみんなで演奏すること、木琴と鉄筋とシンバルの係はいつも取り合いになること、友達のあやちゃんがピアノごっつい上手いこと、先生に太鼓上手いとほめられたことなど、いろんなことを話してくれる。
ああ……、こんな感じで子供がいろんなこと話してくれるのを聞くと、娘と話するのは本当に楽しいと言っていた従姉の気持ちがよく分かる。
「お?」
そうやって、話に花を咲かせつつ、Wiiソフトの棚を一通り見て、よし次スーパー行こうか、と出口に向かう途中、俺はふと視界に懐かしいあるものを発見する。今は昔となってしまったゲームキューブのソフトが陳列された棚、そのまた端っこの裸売り(箱なし、説明書なし)されたソフト群。
「おお、懐かしい……」
「何? それがし、何?」
俺の目線に一緒になって、ユズちゃんも目線をそちらの方向へと向ける。先頭に立てかけてあったソフトは、忘れもしない、ソニックアドベンチャー2バトルのそれだった。
買う気はなかったが、値段は確認する。巷で聞くところによると、相当なプレミアものだということだが――あら、なんと525円。さすが田舎のBOOK-OFF。安い。
「ほぼワンコインで買えてしまうのかぁ……」
新品買ったときは、お年玉から6800円も崩して使ったのになぁ……。
とはいえ、今ユズちゃん世代が夢中になっているWiiが、当時の俺たち世代にとってのゲームキューブやPS2だったわけで、今姪と同じ世代の子がこんな棚の、こんな僻地に裸に向かれたソフト群に目をつけることはないのだろう。だからこその低価格。
「それがしもゲーム買うの?」
「うーん……どうしまひょ」
実際、うちのゲームキューブは当の昔にドナドナされたが、実家には生前祖父が買ってくれた、従姉弟用(俺は父に買ってもらった)のゲームキューブが備え付けてある。だから、遊べないことはない。年に数度しか実家にはいかないので稼働率はひどく悪いが。
まぁ、でも、そこは525円だ。すぐペイできるだろう。それに――
「……よし決めた」
「うん?」
「購入します」
… … …
「あら、懐かしい。ソニックじゃん」
台所の向かいにある和室で胡坐をかきながらソニアド2を早速プレーしていると、ガラッと引き戸が開いて、従姉のリサちゃんがぬっと顔を出した。
「おう、リサちゃん。ソニアド2がBOOK-OFFに売ってたからさー、ユズちゃんにプレゼント買うついでに衝動買いしちゃった」
「いくらしたのー?」
「525円」
「安っ、昔あんなに高かったのに」
「ホントにね」
リサちゃんは隅に重ねてあった座布団を一枚持ってくると、俺の隣にどすっと座る。ちなみに反対側ではユズちゃんが俺のまねをしてぎこちない胡坐をかいている。
7時ごろフラッと帰ってきた彼女は、さっきまでお風呂に入っていたのか、ジャージ姿で頭にはタオルを巻いている。ベージュ色のそれからはみ出た髪の毛は本当に見事なくらいの金髪だ。
「その金髪。……お祖母ちゃん、うるさかったやろ?」
「だからここに逃げてきたんじゃん。見たいドラマ終わったし」
「アハハ、なるほど」
「もう本当に勘弁してほしいわ。もう26の女に髪の色言ってどーすんねんって話。そう思うよなぁ、ゆずちんも、……あれ、ユズちん?どしたん」
ユズちゃんが無言でブスッとしていることに気づいたリサちゃんが首をかしげる。
「ああ、拗ねてんのさ。ほら、自分の買ったゲームは家に帰るまでお預けで、俺だけが買った当日にゲームできてるから」
「あー、なるほど」
Wiiなんていうナウいものはさすがにこの家にはない。あるのは、俺が置いたままにしてた64と、生前祖父が従姉弟に買ってあげた、銀色のゲームキューブ(となぜか紫色のコントローラー)。和室に置きっぱなしだったので勝手に使わせてもらっている。
「来週にはできるんやから、そんなに怒らんでもええやろー」
頭を撫でようとして伸ばした俺の手を、ユズちゃんが無言でパシィッとはたく。なんだか妙にいい音が出てしまったので、一瞬ユズちゃんも俺の目を申し訳なさげに見るが、すぐにぷいっと顔を反らせてしまった。
「あら可愛い」
「ホントにな。でも、ゲーム買ったときはめっちゃお話ししてくれたんよ。学校のこととか、音楽のこととか。……それはもう、すごい地元弁で」
「あはは。私が地元弁まったくとれんからなー。ユズもそうなっちゃうんだよねー?」
「……ぶー」
従姉の振りにも構わず、じーっと太鼓の達人のパッケージを見ながら不機嫌顔を崩さずにいるユズちゃん。俺と従姉からすれば、これはこれで可愛いワンシーンだ。なので、あまり目いっぱい構わずに、そのままにしておくことにした。
「なあ、次、そこの64出してきてスマブラしよーや」
「待ってくれよ。今からチャオに会いに行くんだから」
俺のふと漏らしたチャオという言葉に、従姉が反応する。
「チャオ!懐かしすぎるやろ」
「知ってんの」
「そりゃ知ってるわ、昔弟に育てさせたし、ソニックチャオとか」
さりげなく語られる姉特権な一面。今でこそ野球で筋肉ついた従弟も、昔は小柄で姉にべったりな末っ子らしい男の子だった。姉の命令のために必死こいて小動物やドライブを集めている姿が目に浮かぶ。
「そんなのいたなー、どうやるんだっけ」
「あー、確か――」
時計は8時過ぎ。ソニックチャオの話で色々と思い出したらしい従姉はちょうど俺がプレイしてたソニックのコースを、あーこれむずかったわー、なんて言いながら画面を見ている。
「ぶー……」
反対サイドからは相変わらずの可愛いうなり声。
でも、なんだかんだ画面を見ている限り、少しは興味もあるのかもしれない。
「よーし、やっとたどり着いたー」
「下手くそやん」
Dランクをとって〈OH...No problem.〉とソニックが言ってるのを聞いて、従姉がダメ出しをする。数年前従弟が辿った道と、なんだか同じ道を通っている気がした。
「あれ、階段とかなかったっけ」
俺も数年ぶりとなるチャオロビーを見ながら、従姉が首をかしげる。
「メモリーカード、ソニアド2のデータなかったし、初めからやってんのさ」
ちなみに、ある程度進んだコースになるまでチャオワールドに行けなかったのは、チャオキーを手に入れないといけないということをすっかり忘れていたからである。
「マジで。めんどくさー。卵投げ割るとこから始めないとアカンやん」
俺は思わずオイと突っ込みそうになったが、百聞は一見にしかずということで、黙ってソニックで卵をあやしてみせる。
「え、嘘、こんな方法あったの!?」
「知らんかったん?」
「うわ、やば、いつも壁に叩きつけてたわ」
「性格が窺い知れますな」「うるさい!」
俺がバシッと背中に一発もらう一方で地面に『優しく』置かれた卵は、数秒して、ピキピキとヒビを作り、次の瞬間ぱかっと割れる。中から飛び出てきたのは懐かしい面影。
「かわいい!」
と、その姿が目に入った瞬間、隣でずっと不機嫌面をしていた姪が弾んだ声色でその水色の面影――チャオの映っている画面を指さす。
「お、興味あるか。こいつはチャオって言うんだよ」
「チャオ?すごい、めっちゃかわいい!」
さっきまでの態度はなんだったのかという感じで、ユズちゃんは俺の袖を引っ張りながら矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。とりあえず、小動物つかんでキャプチャさせてみた。ちょうどユズちゃんの興味を引く感じでクマ耳がくっつく。
「かわいい!ねぇママ、クマみみかわいい!」
いつの間にやら従姉の膝に移動したユズちゃんがまたもや感嘆の声を上げる。
「そうだねー。ユズちん、クマモンだいすきやもんなー」
「ううん。ママ、これクマモンよりかわいいよ!」
「……おろ。思った以上に、チャオ、娘にどストライクみたい」
「せやね」
というわけで、ユズちゃんにコントローラを貸して、チャオに餌やりをさせてみることにする。おぼつかない感じでBボタンで餌をつかむ姿に、かつて、餌とろうとして攻撃してチャオの機嫌を直すためにチャオの頭が擦り切れるくらい撫でまくったことを思い出す。
「うわぁ!ねぇそれがし、しっぽついたよ!しっぽ!かわいいー!」
かわいい連呼のユズちゃんの気持ちが俺にはよく分かる。かつていやというほど聞いたキャプチャのSEすらとても懐かしい。数匹小動物与えて、だんだん見たくれがカオスになるのはご愛嬌だ。
「ねぇ、ママ。これぶどうシロップ?おいしそー」
ドライブをつかんだだけなのに、ユズちゃんはニコニコ顔である。
「アハハ、そうそう。で、それがレモンシロップで、メロンシロップ。イチゴシロップもあるんよー」
「おいおい、ずいぶんと甘そうだな」
「ドライブゆーても分からんやろうし」
「まぁ、なぁ」
ぶどうシロップなんてもの、見たこともないけど。あるのだろうか?
……と、あー!という声が聞こえてきたので、再び画面に目を戻す。止まる画面に〈セーブしています。メモリーカードを抜かないでください〉の文字。逃げてく小動物を追いかけてたら、入り口のところに足を踏み入れてしまったようだ。
――うん、これはよく見た光景である。
… … …