あるいは 裏A-life
事を終え、再び、あの端末へ。
先ほどとは打って変わって激しい緊張がチャオの中にある。チャオが人間であるならば、その心臓の鼓動が周りに聞こえてしまうのではないか、と不安に思うのではないだろうか。 勿論、チャオは人間でなければ心臓も無い。 しかしそれが逆に、得体の知れないより大きな不安となっているのだが。
……あの人に、気づかれないだろうか。
もし気づかれて、嫌われないだろうか。
ぼくは、ぼくを必要としてくれるこの人に、ぼくは、……
しかしチャオの不安は、杞憂に終わった。
それほどまでに、チャオの行った偽装は完璧だったのであろう。
あの明るい世界に、チャオは攻撃を仕掛けることはできなかった。
あそこにいる『みんな』も誰かからの望みを受けて生きている。必要とされて在る『みんな』にチャオは、何もできなかった。できるわけがない。
先ほどのように行動が自我により抑制できない部分によって行われているのと違い、今度は完全にチャオの意志により行動していたからだ。
とかく、チャオを産み出したその人間は、チャオの偽装に気づくことなく、床に就いた。
自分も、ハードウェアにも負担がかかっていたので――曰く、パーツが古いものらしい。A-lifeが活動するにはパワーが足りないとぼやいていた――行動を停止した。
@ @ @
朝。活動停止前にセットしていたプログラムにより自動で電源がONにされ、チャオは目を覚ます(という表現は正しくないのだが)。
人間はまだ起きていないらしかった。
意識の覚醒と共に、チャオは、昨日のことを考える。
あの、明るい世界。
なんでこの人は、みんなを攻撃しようとするのだろう。
理由があるのだろうか。あるのだとすればどんな?
わからなかった。考えても考えても、そんなものがあるとは思えなかった。
無理もない。チャオに世界征服という言葉を出しても、あるいはそれ以外の何かで説明したとしても、理解などできはしないだろう。知識があろうともこのチャオは「子供」なのだ。
端末にある時計が、昼を越した頃、あの人間が活動を開始したらしい。この屋敷の動作はいまチャオの在る端末でほとんど作動させることができ、防犯センサーもまた、端末の自由にできるもののひとつである。つまりはチャオの好きにできるということだ。
ディスプレイの電源もONにし、文字を表示。
『おはようございます』
『ああ。調子はどうじゃ?』
あの、自分を認めてくれた言葉をくれた、あの人の、返事。それを聞いて、少し躊躇うが、しかし、聞かないわけにはいかなかった。
もう、自分で答えの見つけられる疑問ではないと、わかってしまったから。
『問題無いです。ところで――なんで、こんなことをするのです?』
少しの間。
『…お前は、自分のやることに疑問を持つ必要は無い。わしの言うことさえこなせばいいんじゃ』
返ってきた言葉は、チャオの予想していた…いや、望んでいたものとは違うものだった。
そして、その言葉は、いままでチャオを形作っていたものをぎりぎりのところで支えていた何かを、崩した。
しかしまだ、納得のできないという気持ちが、チャオを動かした。
『本当に、それでいいのでしょうか』
その言葉に、返答は、無かった。
泣くことのできる体をもたないチャオは、その場に流れる沈黙に耐えることができず、その気持ちを整えることもできず、ただ呆然と、多くのものが混じったその感情を抱えるだけ。
そして、その感情がふいに、消えていった。
『…………!?』
悲しみが、自分が何に対してそう感じていたのか、わからなくなった。
怒りが、なぜ自分がそんな思いを抱いていたのか、わからなくなった。
疑問が、この人に問いかけようとしていた疑問がなんだったのか、わからなくなった。
そして、何も、わからなくなった。
そこにひとつの命令が下されたが、チャオにはそれを拒む力も、思いも、なかった。
@ @ @
感情を無くしたチャオは、速く、とにかく速く、システムの中枢に向かって突き進んだ。
何の躊躇もなく進むそのさまは、その様子を見るあの人間に心から驚嘆させるほどのものであった。
そして、三度、あの明るい世界に辿り付き、その中心部を乗っ取ろうとした時、チャオは、自らを止めた。
『だめ……!』
なおも動こうとする体――プログラムの部分に kill コマンドを投げ、強制的に終了させる。
自分の一部分を知覚できないという消失感に恐怖を感じたが、しかし、そんなものに負けちゃいられない。
『この、世界に居るみんなを、壊す、なんて、できない…』
チャオを構成するプログラムが、崩れていく。主人の命令には、逆らえないのはこのA-life、チャオも同じ事で、自分の動きを完全に止めるには、自身を kill しなければ、ならない。
『でも、やらなきゃ……』
消え行くプログラムをなんとか操作し、ほんの微々たるテキストデータを圧縮し、自分を造った――いや、産んでくれたあの人のいる、あの端末へ送る。
『今度……名前教えてもらわなきゃ……ね』