No.14

 ここ最近、コーラの味をずっと味わってなかった気がする。
 という言い方をすると、私が事務所に戻ってきたみたいな物言いに聞こえるだろう。だからしめやかに補足しておくと、私はまだ病院にいる。それも自分の病室の前だ。
 定義上病人である身分としては、こうして炭酸飲料を飲んでいるという事実は基本的によろしくない。詳しいことについては説明を省く。興味のある方は、直接医師に聞いてみるなり入院してみるなりすればいいと思うよ。オレンジジュースとかはセーフだけどね。確か。
 そんな私がそんなコーラを飲んでいる理由は、こいつが奢りであるからだ。断る前に投げ渡されたので、まぁ飲んじまえと。そういうことである。
「……で、どこまで聞いてたの?」
「一部と言わず、始終をね」
 そうやって私の隣で同じようにコーラを飲みながら笑みを見せたヤイバがそう言った。
 この男、なんと私とハルミちゃんがカズマの病室に入ってからの会話を全て聞いていたらしい。壁に耳ありとはこのことだ。
「良い趣味してるね」
「恐悦至極」
 とんだ皮肉屋だと思うよ、コイツ。
「あんな良いタイミングでヒカルを入れたのも、ヤイバの仕業?」
「いやいや、そればっかりは偶然だわさ。神の采配とはこういうことを言うんだのぉ」
 うんうん、と自分の言葉に納得を見せながら、自分のコーラ缶をちゃっちゃと空にした。そんな「我関せずを地で行く」みたいな顔をしたヤイバが癪にでも障ったんだろう。私は少しヤイバにつっかかってみることに。
「どうして聞き耳なんて立ててたの?」
「事、面白そうな話には野次馬根性が唸りをあげるもんでね」
 そんな「ああ言えばこう言うを地で行く」みたいな態度も癪に障ったんだろう。私はヤイバの顔をじっと注視した。するとヤイバが苦笑いでもって首を振る。
「そう不満そうな顔しなさんなって。わかったわかった。隠す理由もないから、特別にユリサマには情報を提供して差し上げよう。それがフェアって奴だ」
 そんな「知ったかを地で行く」みたいな態度も多分癪に障った。ヤイバってヒール向きな性格してるんだな。わざとなんだろうか。
「とは言っても、情報って程の情報じゃないんだけどさ。オレ達が元は人間だったって話は、もう何度も聞いてるよな」
 頷きを返して、コーラを一口飲んで続きを促す。
「その時の障害なのかは知らんけど、オレ達は過去の記憶が曖昧なんだ。だから過去の話には敏感なワケ。さっき聞き耳立ててたのも、それが理由だ」
 そう言って、もう中身のないコーラの缶を口につけて傾ける。まるでコーンポタージュの缶の中に残ったコーンを食べようとするようなその振る舞いに、私はもどかしいナニカを感じつつ放置。
「……で、それだけ?」
「それだけ」
 本当に情報って程の情報じゃなかった。特に期待してなかったわけだが、なんだか裏切られた感があったので缶に口をつけて一気に傾け……やっぱりゆっくり飲むことにした。
 気になるワードを選んで抽出して、それをコーラの味と一緒に吟味して、口を離す。
「過去の記憶が曖昧って?」
 それから私は気になったワードをヤイバにぶつけた。確かに元人間と言う情報は何度も聞いていたが、記憶障害の件は今回初めて聞いた。
「なんでい、それだけとか言うからてっきり流すかと思ったわ」
 関心したような、怪訝そうな、そんな曖昧な笑みを浮かべた。
「まあ、そのまんまの意味だよ。カズマと、多分ヒカルもだけど、あの二人はそれほど過去の記憶をなくしてるわけじゃない。部分的なところとか、ちょっとしたところが抜け落ちてるんだ」
 ハルミちゃんの件について、のことだろう。本当にキッチリと聞き耳を立ててたみたいだ。
「それと、ハルミの立派な記憶喪失も……いや、それは別かな」
「え、なんで別なの?」
「だってあれはカズマが頭を殴った時に失った記憶だろ? オレの言う記憶障害は、あくまで助長的なものなんだ」
「助長的なもの?」
「そうそう。厳密に言うと、抜け落ちた記憶のピースに、代理として辻褄の合うピースが用意されること。そうすれば、一応は不備の無い記憶が完成するわけだ」
 代理としての、辻褄の合うピース。私は頭の中で、試しに風景画のジグソーパズルを用意して、その中のピースの一つ二つを抜き出し、別のピースを埋め込むという想像をしてみた。我ながら大した想像力を持っているなとどこかで感心を覚えながら、なんとなく理解する。
「つまり、自分では記憶がないことに気付かない?」
「ご明察」
 パンパンパン、と拍手が三回返ってきた。
 つまり、それはカズマの記憶がないケースに当てはまる。カズマの人間だった頃の過去は知らないが、少なくとも共に過ごしてきたヒカルが特に問題なく一緒に過ごしていることから考えれば、カズマの記憶喪失は人間からチャオに変わった時に成立したことになる。だって、実の妹の頭を鉄パイプで殴って記憶を失わせたなんてことを忘れ去るのは、ハッキリ言って無理がある。そこまで行けば人格崩壊レベルに違いない。
 つまり、カズマがハルミに関する記憶がなかったのは、チャオになったことが原因だと考えられる。と、そういうことだろう。
「じゃあ、ヤイバやミキも?」
「うんにゃ。確かにオレは人間だった頃の記憶なんてもはや無いに等しいよ。辛うじて人間だったかなーって覚えてるレベルだ。なんでそうなっちまったかも知らない。ただ、ミキは純正のアンドロイドだったよーな」
 なんとなく肩透かし。
「そっか、ありがと」
 そこから先はもう興味がなかったので、ちょうど飲み終えていたコーラの缶を押し付けて話を終わらせた。多少不満そうなヤイバが抗議してくる。
「なんだよー、これから面白くする予定だったのによー」
 予定だったのね。
「大体さぁ、解き明かしたくはないのかね? この超弩級の謎(当社比)をさ」
 そう言うヤイバの顔が既に「そうに決まっている!」と断言していた。というか、謎っていったいなんだ?
「そりゃあもちろん、オレ達の謎さ。人間だった頃のこととか、何故チャオにされてしまったのかとか、いったい誰がそんなことをとか、エトセトラ」
「いや、別にいいけど」
「何を言っているかね。ワシには見えるぞ、ヌシの心がウズウズしている様が!」
「いやしてないし」
「じゃあなんでなんだよー、言ってみてくれよ」
 逆になんで私が謎を解き明かしたくてウズウズしていると思っているのか聞いてみたい。ヤイバのそんな態度が気になりながらも、私は彼の確信を突き放した。
「だって、問題は解決したじゃない」
「…………えっ」
 そうすると、とても珍しいものが見れた。ヤイバが、本物の唖然とした表情を見せたのだ。地味にこんな顔は今まで見たことがなかったので、私も多少驚いた。だがヤイバも紡ぐ言葉が出てこないようなので、私の方からべらべらと喋る。
「だってさ、依頼の件についてはGUNに十分なくらい情報提供はしたし、カズマもハルミちゃんも見つかったじゃん。予後……って言うとちょっとおかしいけど、後のことにも支障が無いように問題はまとまったわけで」
「はあ」
「これ以上、何かする必要あるの?」
 私としては、なんともない言葉。しかしヤイバはそれが納得いかないのか「えー」とか「うー」とか言いながらしきりに唸りまくっていた。私としては逆にそれがおかしいわけで。
「逆に聞くけどさ、なんで私が……えーっと、謎を解き明かしたいーだなんて考えてると思ったの?」
「いや、まあ……」
 答えの代わりに、視線が返ってきた。私の顔をなんだと思っているのか、あらゆる角度からジロジロと見てくる。
 風の噂で聞いたのだが、セクハラの定義は被害者が「セクハラを受けた」と認知して成立するらしい。つまり私がこれをセクハラだと思って訴えれば通るということになるっぽい。女性諸君は覚えておくといい。
「うーん?」
 で、結局は首を傾げて終わる。さっきのファッションチェックで何を査定していたのやら。私自身すらも気になってきたが、もうこの話題には触れない方がいいかなと思って話を逸らした。
「そういえば、一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
「おっおっおっ。なになに?」
 途端に嬉しそうにしやがった。意味がわからん。
「あの日の、ヤイバ達がハルミちゃんを見つけた後のことなんだけどさ」
「うんうん」
「あの後、私から通信かけても出なかったじゃない。何があったの?」
「…………」
 みるみるうちに、というのはこういうことを言うのだろう。ヤイバの顔が、それはそれは期待を裏切れたというように沈んでいった。意味がわからん。
「あーあれね。うんうん。別に防水加工してるわけじゃないからさ。水溜りでポチャよ。それだけ」
「それじゃ、あの後どこにいたの?」
「ハルミを探して三千里。ユリ達の探してた場所とは見当違いの場所までオサンポしてましたとさ」
 実にやる気無さげにそう告げてきた。何が残念なのかは知らないが、一応残っていた疑問は一通り解消されたかな。
「で? 話は終わり?」
「うん、まあ、お終いだけど」
「※本日のヤイバは全て終了しました」
 相も変わらず脈絡のない言葉が飛び出し、ヤイバは「じゃあ退院手続きしとくわー……」と絶望すらも背負っていない寂しい背中を見せ、力無く手を振りながら去っていった。
 当の私は気になることは気になるのだが、かける言葉なんてこれっぽっちも見つからないわけで。とりあえず無視するしかないと悟った。
「なんだったんだろ」
 一つの謎を心に残し、さて病室で暇を貪るかなと振り返ろうとした時。
 ヤイバがムーンウォークで戻ってきていた。
「いや行けよ」
 心に秘めておこうと思ったツッコミが勢いで漏れた。何しに戻ってきたんだコイツ。
 そんな反応に困って立ち尽くしていた私に向かって、振り向きざま指を突きつけたヤイバ。その様が「ビシィッ」という擬音が聞こえそうなくらいと思った頃にはわざわざヤイバも自分で言っていた。擬音を口にするのが流行ってるのかね。
 挙句、ヤイバの口から飛び出した言葉は実に理解に苦しんだ。
「自らを価値無しと思っている者こそが、真に価値無き人間なのだ」
「は?」
 唐突にも程があって、私は言葉の意味を噛み砕くことをすっかり失念していた。そんな私に、ご丁寧にヤイバの解説がくだる。
「嘘と出鱈目に塗れた辞書に、唯一嘘を吐かせなかった男の言葉だ」
 ますます意味がわからなくなった。だが、それを追求する前にヤイバは既に踵を返していた。
「では、これで失礼させてもらおう。オレはこれから藁と五寸釘を調達せねばならんのだ」
「え、なんで?」
 異様に不吉な組み合わせを聞いて、反射的に追求してしまった。するとヤイバは不気味な笑い声を響かせる。
「クックック……当然だろう? 奴は誓いを破った男……」
「は? 誓い?」
「一人までなら、オレでも許せた。しかぁし! 二人以上は……許せん!」
 許せると聞き間違えた気がした。聞き取り辛い舌の回しかたしてるな。
 そんなことを思いながら、その言葉から連想される事柄を模索して……それはあっけなくヒットした。
「まさか……カズマのこと?」
「見ていろよ……必ずや、彼奴めをリア充の座から引き摺り下ろしてみせる! ハァーッハッハッハッハ!」
 そんな高笑いの声をあげながら、ヤイバは走り去っていった。
「いや静かにせぇよ」
 心底付き合いきれなくなってきたので、私はさっさと病室に避難しましたとさ。

このページについて
掲載日
2011年2月8日
ページ番号
16 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日