No.13
カズマの病室には先客がいた。
「あ、ユリ! ちょうど良かった、こいつやっと目を覚ましたの」
ヒカルが嬉しそうな顔でカズマを指差す。まだ寝起きの気だるい表情が残ったカズマが、私達の他に誰もいない病室を見回していた。
その視線が、私の方へと向いて固まった。
「…………」
……訂正しよう。
私の後ろにいるハルミちゃんへと向いて固まった。
「そう、良かった。安心したよ」
おかしな空気が漂う前に、場を取り繕うべく無難な言葉を並べておく。ヒカルは歓喜の中で何も察していないのか、暢気にうんうん頷いていた。面倒でなくて助かる。
「ヒカル」
開口一番、カズマがヒカルを呼んだ。
「なぁに?」
その声に何も違和感を感じないのか、上擦った声でヒカルがカズマの言葉に耳を傾ける。
「オレンジジュースが飲みたい」
凄く暢気が言葉が飛び出した。思わずズッコケそうになったが、なんとか堪える。
「なーによ、ワガママねぇ。水で我慢しなさいよ、全く」
「だって飲みたいし」
「だってもマサムネもないの」
「……駄目かな」
ちょっとしおらしい声に、ヒカルがピクリと反応した。そんな中で、私は素直に関心を示していた。こやつ、こんなマネもできるのか。恐ろしい少年よ。
「もう、しょうがないわねぇ。買ってきてあげるから、待ってなさい」
「うん。純水でお願い」
「おっけーオッケー、ヒカルお姉さんにまっかせなさい!」
同い年じゃなかったっけか。という余計な言葉も控える。ヒカルは嬉々として私達の横を通り過ぎ、病室を出て行った。
……時間稼ぎにしちゃ、オレンジジュースは早いんじゃないかなと思いながら、私は病室の扉をじっと見つめていた。
「ユリ」
そんな私に、カズマからお声がかかる。はてさて、私は何を買わされるのやら。
だが、今この場で奢りだなんてマッピラゴメンなので先に釘を刺しておいた。
「悪いけど、今さら遅いよ。もういろいろ聞いちゃったし」
ハルミちゃんの頭をぽんぽんと叩きながらそう告げると、カズマは仕方無さそうに首を横に振って溜め息を吐いた。
「何が聞きたいの?」
長話はヤッパリゴメンだ、という顔で言ってくるので、私は一番重要なことを聞くことにした。
あのメールはなんだったのか。違う。
あの場でいったい何があったのか。違う。
あの男とは何を話していたのか。違う。
補完すべきは、この一点。
「どうしてハルミちゃんと会った?」
何年間、このことが謎に包まれていたのだろうか。
ようやく全ての問題が解決に向かおうとしている。葬られた記憶を何もかも引っ張り出し、その全てを清算する。
そして私達は、日常を取り戻すんだ。
私には、事件も問題も似合わない。束の間でも構わないから、ゆっくり身を預けられる平穏の時を過ごしたい。だから私は、事件にも問題にも挑む。
その為ならば、この子達の心にメスを入れることだって躊躇わない。
「……僕も、よく覚えてなかったんだ。でも、確かに何かあったことは覚えてる」
躊躇わず、かといって淡々と言うでもなく、カズマは過去を振り返り始めた。私もハルミちゃんの手を引いて空いたベッドに腰掛けた。ハルミちゃんはと言えば、ちょっと居心地が悪そうにしている。
「ハルミ。君は確か、二回記憶を失ったね」
「え、うん。……はい」
二回、記憶を失った。また新しい情報が舞い込んでくるが、今は頭を働かせるよりも冷静にカズマの話に耳を傾ける。
「二回とも、僕がハルミの記憶を失わせたんだ。その件についてだけど……この事件が起こる前に覚えていたのは、二回目の時のことだけだ。その時、僕達はお互いにチャオだった。事務所で働き始めて間もない頃だね」
私と同じ、ペーペーの新米時代というわけだ。私も入所したてが懐かしい。
「僕はハルミと事務所で出会ったんだけど、ハルミがね。僕と同じ名字だったんだ」
「みょうじ?」
ちなみにチャオに名字は、大体において無い。人間と同じように社会進出しておいて、だ。これらはチャオの個人情報を曖昧にしており、チャオの犯罪者を増やすのにも影響している。現在、政治において最もアツい議論内容。
「で、なんて名字?」
「クラミネ」
「クラミネ? それって、日本名字?」
「うん。珍しいというか、探してもあんまり見つからないと思うよ、同じ名字の人は。『ネ』のせいでね」
なるほど、クラミネ・カズマ。あのメールに書かれたK.K殿の意味がようやくわかった。もう一つのKは名字のことだったのか。
「で、それが?」
「ハルミがね、僕と同じ名字だったんだ。クラミネ・ハルカ。さっきも言ったように、そうそういない名字だったから、つい気になったんだ。で、調べてみたの」
「どうやって?」
「警察機関の情報を覗いただけ。普通に籍探ししたって面倒だからね」
世間ではこういう奴をハッカーと呼ぶ。悪意性の強い奴はクラッカーとか呼ぶらしいが、果たしてカズマはどちらに入るのやら。
「興味深いことが書いてあったよ。クラミネ・ハルカは幼い頃に母親と共に失踪。僕は父親と二人暮らしだったんだけど、母親や妹のことなんて知らなかった。偶然にしちゃ出来過ぎてるって思ったね」
そうやってカズマが話すたび、ハルミちゃんの目がクリクリと動くのを私は横目で眺めていた。目に見えて、気になっているのがよくわかる。感情が表に出る子だ。
「それともう一つ、面白いことが書いてあるのを見つけたんだ。クラミネ・ハルカがいなくなって何年か経った頃に、ある地域で殺人事件が多発。目撃証言は有力なものが少なかったんだけど……犯人は失踪したクラミネ・ハルカじゃないかって、ね」
ハルミちゃんが、顔を俯かせた。さっきハルミちゃんの語った過去と相違ない。私はハルミちゃんの頭を撫でながら、続きを促した。
「で、それを調べた日に、見事にハルミにバレた。記憶も戻ったみたい」
「ぶっ」
あまりの急展開っぷりに吹いた。カズマを中心として、情報の間に壁が無さ過ぎる。警察機関の情報は見られるわ、その様すらも見られるわ。プライバシーとかいう言葉が霞んできた。
「その時、ハルミが言ったんだよ。「よくもわたしを殴ったな」とか、そんなこと。僕は当然覚えがなかったんだけど、結局もう一回記憶をなくしてもらった」
なんて素敵な兄妹関係。
「それ以来、ずっと悩んでたんだ。ハルミの言葉に嘘があるようには見えなかった。でも、僕はそのことに覚えがない。思い出したのは、今回の事件がきっかけなんだよ」
そうやって話していくカズマの目線は、だんだんと私達から離れてベッドや窓の外をうろつくようになる。昔のことを思い出しながら話している様と言って全くその通りのものだ。それが、普段から見てきたカズマのイメージとことごとく異なっていて、なんというか……不思議な感じ。
「当時殺人事件が起こってから、父さんの様子がおかしくなった。時々悩んだりすることが多くなって。僕がどうしたのって聞く度に、なんでもないって返されたんだけど。事件が二回、三回と起こる度にどんどんおかしくなっていったんだ。コーヒーをこぼしたのに気付かなかったりならまだしも、一人で急に泣き出すことすら多くなってね」
「はあ」
「思い切って、ちゃんと問い質してみたんだ。そしたら諦めて教えてくれた。最近起きてる殺人事件の犯人は、間違いなくお前の妹だって。信じられなかったけど、嘘言ってるふうじゃなかった」
「それで……どうしたの?」
「止めに行ったんだ。ハルミのこと」
淡々と告げられたカズマの言葉に、私は驚く。
「どうして?」
「父さんの姿が見てられなくってさ。それに、妹が殺人してるなんて言われたら、止めないわけにはいかないだろ?」
立派な長男精神には感服せざるを得ないが、普通はそんなことは考えない。身内に犯罪者が出た場合、大抵の家族は悲しむか遠ざかるかの二択だ。体を張って止めに行く家族なんていない。
「それで、頑張ってハルミを見つけたんだ。地元の近くで助かったよ。でも……会って後悔した。自分よりちっちゃい女の子がナイフを持ってるだけなのに、怖くて仕方なかった。それが僕に近づいてくるもんだからさ……拾った鉄パイプで、殴っちゃったんだ」
「…………ぁ……」
そう話した時、ハルミちゃんが何か声を漏らした気がした。チラと見てみても、ハルミちゃんは俯いた顔を動かそうとしない。仕方ないのでなるべく気にしないことに。
「わけわかんないまま、家に帰った。父さんには、包み隠さず何してきたか言った」
「……お父さんは、なんて?」
「忘れなさい、ってさ。何度も強く言い聞かされた。だから、本当に忘れた」
そこまで話して、カズマは彷徨わせていた視線を私達の方へと向き直した。
これで話はお終いだ、と。
沈黙が場を支配し始めた。最近はこんな沈黙を味わう機会が多い。何度体験しても、切り出し方がわからない。だから、思考に逃げるしかない。
でも、事実を全て話された後では考えることもなかった。
唯一残っている謎と言えば、クラミネ家の母のことくらいだ。ハルミちゃんが頑張って教えてくれた記憶を参照すれば、何かと憶測は立てられる。
母の人物像。
母の行っていたこと。
母の関わりのあった人物、組織。
母の共にいた灰色のチャオのこと。
だが、今そんなことを考えても意味がない。今解決すべきは、謎ではなく問題なのだ。
カズマは、ハルミちゃんの記憶を失わせ、そのことを忘れた。
ハルミちゃんは、それを知ってカズマに復讐を企てた。
カズマは、そんなハルミちゃんの記憶を再び奪った。
そして二人は失った記憶をお互いに持ち合わせ、今こうして面を合わせている。
お互いに、どうすればいいのかわからない状態で。
……こんなに痛々しい沈黙は、初めてだ。
二人とも、顔を俯かせたまま、何も切り出さない。
かける言葉が、見つから――いや、見つかってはいるのだろう。
ただ、怖いのだろう。
「…………」
多分、この二人はとても辛い立場にあるのだろう。
自分の過去の勇み足のせいで、ハルミちゃんの記憶を奪ってしまった挙句、それを忘れてしまうという失態を悔やむカズマ。
相手の真意も知らず、ただ盲目に復讐を行ったことにより、さらに事態を混迷させた責任を感じるハルミちゃん。
両者の感じていることは、第三者の私にもよくわかる。よぉくわかる。だが。
「……こうしてお互いに黙られてると、私も私で困るんだけど」
堪えきれなくなった私は、とうとう口を開いた。
確かに私は第三者だ。今回の件に関しても、兄妹の問題に私が勝手に首を突っ込んだようなものだ。だが、それを踏まえた上であえて言わせてもらう。
問題の解決はもう目の前なのに、いつまで居心地の悪い空気のままにする気なんだ、と。
「あっ、その、ごめん。迷惑だよね」
「す、すみません。ほんと、ユリさんは関係ないのに」
ようやく顔を上げた二人は、揃って私に謝罪の言葉を投げかけた。私は笑ってそれを――受け取らなかった。
「私に謝る前に、先に謝るべき人がいるでしょ?」
そう、私が望んでいるのは二人の謝罪なんかじゃない。兄妹二人の、歪みのない姿。私が身勝手に望む平穏な世界において、この二人が最も見栄えの良い姿。
「あ、うん。そう、だよね」
「はい、その、えっと」
ばつの悪そうに、お互いが顔を合わせる。その目線同士はなかなかどうして向き合わない。合ったと気付いて外しては、また合って外して。それを傍から見る私は、知らずに笑みが漏れていた。自分で言うのもなんだけど、私は保護者か先生の類かね。
「あのさ」
「あのっ」
お約束の如く、口が開くは同じ時。
「あ、じゃあそっちから」
「いえいえ、そっちからで」
「お見合いかよ」
おっと、口が滑った。
「えっ、いや、そんなんじゃないって」
「ゆ、ユリさん! 変なこと言わないでください!」
この一瞬、私は自分のいるこの世界を疑った。即ちフィクションか否か。こんな展開、最近のラノベにすらそうそうないぞ。多分。
「あー、えーっと、ですね!」
恐らくさっきの私の発言で一番取り乱したハルミちゃんが、背水の陣よろしくベッドから飛び降り、カズマの目の前で直立し声を張り上げた。カズマはそれを聞き入れる体制をとる。
「あ、その……ですね……」
が、あっさりとシボむ。さながら平地でこぐのをやめた自転車。勢いを失い、緩やかに停車していく。
「ごめんね、ハルミ」
「えっ」
代わりにそれを引っ張ってあげたのは、兄たるカズマだった。驚くハルミちゃんの顔をじっと見て、カズマが語る。
「酷い兄ちゃんだよな。お前のこと、何にも知らなくて。それどころか、自分の妹を見て怖がった挙句、酷いことしちゃってさ……本当にごめん」
そう言って頭を下げたカズマを見て、ハルミちゃんが大慌て。
「いえ、そんなっ、やめてください! 悪いのはわたしです。わたしこそ勝手に逆恨みして襲い掛かっちゃって、殴られてトーゼンですっ」
「でも、僕が最初に君を殴ったりしなければそんなこともなかった。あれは僕のせいだよ」
「違いますっ、わたしが悪いんですっ。わたしが――」
お互いに謝罪合戦をする中で、ハルミちゃんは再び顔を俯かせて……震えだした。手が、肩が、弱々しく戦慄いている。
「わたしが、人殺し、だから……」
――ここにきて、大きな障害が立ち塞がった。
クラミネ家が、何故これまで歪むようになったのか?
その全ては、クラミネ家両親の離縁から始まった。
何故、クラミネ母はハルミを連れて消えてしまったのか? その理由は、今は確認する術がない。しかしそれは、全ての悲劇の根源だ。
それが理由で、母は死んだ。
それが理由で、ハルミちゃんは人殺しになった。
それが理由で、カズマはハルミちゃんを殴った。
だから、本来この二人に罪はないはずだ。本当の罪人はこの二人の母――あるいは、母に失踪を決意させた、誰かか、何かかもしれない。
だが、償うべき者は消えてしまった。残された罪を、子供達に遺して。二人は今、その罪の重さに苦しんでいる。
一人で。
「カンケーないよ」
「……え?」
カズマの努めて明るい声が、ハルミちゃんの顔を上げさせた。カズマが、笑っている。優しく。
「ハルミが今まで何人殺してようが、そんなのカンケーないよ。ハルミが僕の妹だって事実は変わんない」
「で、でもっ、だって、どうして」
「だって」
口のうまく回らないハルミちゃんを、カズマは優しく撫でた。ハルミちゃんは驚いて、そのまま固まってしまう。
「僕、子供だから」
「子供……だから……?」
その言葉の意味を理解できず、ハルミちゃんはボケた顔になってしまう。それを見て笑いながら、カズマは自信満々に言ってみせた。
「そう。だから、僕にはハルミの罪を罰する権利なんてない。それどころか、もしもそんなことしたら」
頭を撫でる手を、後頭部へ移す。そして、有無を言わさずカズマはハルミちゃんの頭を抱き寄せた。
「僕、家族がいなくなっちゃうよ」
「かぞく……?」
「当然だろ? 子供には家族がいて然りだ。少なくとも、僕はハルミと離れたくはないと思ってる」
抱き寄せたハルミちゃんの顔を、目を、カズマは自分の目でしっかりと見た。今度は、逸らそうとしない。逸らさない。
「ハルミは、どうだろう?」
――ハルミちゃんは、目から涙を零した。
そこまで言葉を貰えば、もう十分だったろう。自分の罪を許容してくれるどころか、自分自身を認めてくれた。更には自分が、必要とされた。拒絶されて、当たり前だと思っていたのに。
泣かない理由は、なかったろう。
「……わたし、も……」
ハルミちゃんは、カズマの胸に顔を埋めた。
カズマは、その頭を優しく撫でた。
「はなれ、たく、ないよぉ……」
「よしよし」
「もう、お兄ちゃんしか、いないよ」
「そうだね。僕も、ハルミしかいないよ」
「ごめん、ね。ごめんね」
「こちらこそ、ごめんね。今までずっと気付いてやれなくて。もう、大丈夫だから」
「うん……うん……!」
……傍から聞いてる身として、しかしハルミちゃんの気持ちが私にも圧し掛かった。
あの時の光景に、私の感情は未だに甦らない。ただ、圧し掛かってきた感情を、私は確かに『二度』味わっていた。
私が気絶する前のこと。私を兄と偽った時のこと。あの時感じたことが、ようやく甦ってきた。今になって。
ハルミちゃんが、私を信じて離そうとしなかった時のこと。
この時の私は、特に意識はしなかった。ハルミちゃんの気持ちが、ハルミちゃんの姿を見て伝わってくるなんて、当たり前だと思っていた。
ただ、この時の私は、あまりにも――そう。
その時の感情を、安易に受け入れていたような気がした。
「あ……あの」
「ん、どうしたの?」
言葉をかけられた後、ハルミちゃんがカズマの腕の中でもぞもぞと動く。慌ててカズマは「ゴメンゴメン」とハルミちゃんを放してあげた。ハルミちゃんは流した涙を拭い――もう一度、カズマに抱きつく。
「えへへ」
純正の笑み。それを受けたカズマが、今になって恥ずかしそうに頭を掻く。
「ハルミ、もうそろそろ病室に戻ったら? 怪我もないとはいえ、一応病人なわけだし」
「もうちょっとこうしてます」
そうやって幸せそうな顔をしているハルミちゃんを拒むこともできずに、カズマは困った顔を私の方へと向けてきた。助け舟がほしいのだろうが、まぁそんなことをする道理なんてないわけで。
「しかしまぁ」
さっきまで沈黙を守り通していた私も、そろそろいいかなと口を開いた。気になったハルミちゃんもこっちを向いて、二人とも私の話を聞く体制になっている。ハルミちゃんが抱きついた体勢のまんま。
ただ、今このことについて発言するとこの空気は軽くぶち壊しになるだろう。そんな不粋な私にはKYのレッテルが貼られてしまうわけである。だが、この時の私は別にいいかなぁとか考えたまま、深く考えずに口を開いた。
「こうして見てるとさ――」
そこで、私の言葉は止まった。
病室のドアが開いた音。世界はそれを期に、一度短く時間を止めた。ような錯覚を覚えた。
部屋にいた一同が、病室の入り口を見やる。
ヒカルがいた。大きなペットボトルに入ったオレンジジュースを持って。
果たして、その顔は笑っているのか否か。それを考えていたもんだから、私の口にしようとした言葉は結局ウヤムヤになって消えた。
――こうして見てると、恋路を歩む若者同士にしか見えない。そんな言葉が。
「あぁ、おかえり」
先に口を開いたのは、なんとカズマ。私に貼られる予定のKYのレッテルは見事にカズマに移った。
「…………」
当の、声をかけられたヒカルは真顔のまんま無言。どうやら最初にこの意味を理解したのは私だけのようで、どうしたもんかと横目にちらちらと二人を見ても、よく理解してなさそうな二人の顔があるばかり。
……と思いきや、そのウチの一人が急にパッと顔を明るくした。
「おかえりなさい、ヒカルさん」
次に口を開いたのは、なんとハルミちゃん。カズマに貼られる予定のKYのレッテルが今度はハルミちゃんに移った。……と思った。
しかし、こいつは確信犯だった。
「あ、うん、ただいま」
ようやく返すべき言葉を見つけたヒカルが、愛想笑いのようなソレで帰還を告げる。そして、恐る恐るといった風にハルミちゃんに尋ねた。
「あの、何してるの?」
多少震えているような、いるような、いないような、いるような手がカズマ達を指差した。お互いにぎゅうっと抱き合った仲良し二人組を。
そこでハルミちゃんは、さらに笑顔になった。
「別に、なんにもありませんよー」
ぎゅぎゅっ。
「のわっ、ハルミ?」
――ビキビキ。
そんな音が、聞こえたような聞こえたような。
「ああ、そう? ならいいんだけど」
努めて、笑顔。
「そうですかー、えへへ」
極めて、笑顔。
だが、カズマだけがこの状況を何も理解してなさそうな顔だった。しかし、見える。私にも見える。この部屋に漂う威容で異様なアレコレが。詳細な言及は避ける。
そして、努めて笑顔が動き出す。すたすたと擬音が聞こえてきそうなくらい「すたすた」言うんじゃねーよ。ともかくカズマの前までやってきたヒカルがペットボトルのフタをくるくると回して開けた。そのフタは酒瓶を開けた時のように跳ねとんだ。
「カズマ」
「なに?」
「口開けて。飲ませてあげるから」
「へ、なんでわざわゴフッ!?」
有無を言わさずぶち込んだ。
「きゃあっ!? だ、大丈夫ですか!?」
「ごふっ、がはっ、大丈夫じゃなゲフッ」
「大丈夫よ。死ななきゃ安いわ」
「ちょっとヒカルさん、タンマですタンマっ」
そうやって楽しそうにしか見えないと考えざるを得ない光景を、ちょっと遠くから眺めている私が、誰にも聞こえないくらいの声で一言。
「……まるで物語の主人公みたい」
差し詰め、めちゃくちゃな展開の多い恋物語か。
頭の中でそう結論付けて言葉も無しに私は立ち上がった。擬音も何もない足音でもって移動して、病室のドアノブに手をかけ。
一度、振り返ってみた。
苦しそうにむせ、ベッドに倒れ込むカズマ。何故かどや顔を見せるヒカル。慌ててカズマの肩をがくがくと揺らすハルミちゃん。
物語の、一風景。
それを眺めてから、私は気付かれないままに病室から出た。
そう。
私はただの引き立て役。
平穏の似合う、一人の脇役。