No.12


 まず最初にやってきたのは、ハルミちゃんのいる病室だった。
 特徴的なところは私のいた病室とまるで変わらず壁も天井も窓の外も白い。そして静かだ。先客は……誰もいない。
「ハルミちゃん?」
 私のいた病室と同じで他に誰もいない病室。その奥のベッドで、ハルミちゃんが布団に包まってこちらに背を向けていた。寝てるのだろうか。
「ハルミちゃん、起きてる?」
 もう一度呼びかけ、近寄ってみる。するともぞもぞと動き出して、布団から頭だけ出してこちらを向いた。その様はまさに蓑虫。
「カズマみたいだね」
「……そうですか」
 誰が見てもわかるくらい、ハルミちゃんは沈んだ顔をしていた。恐らく健康体ではあるのだろうが、気持ちの方は優れちゃいないだろう。まさに病人、という感じだ。
 ――ん。まさか、カズマをさっさと病院送りにしておけば、こんな事態にはならなかったんじゃ……。
 とまで考えて、すぐにやめた。こういうのをアフターカーニバルと言う。事件だけは解決したんだから、ぐだぐだ言ってもしょうがない。
 そう、解決したのは『事件』だけだ。まだ『問題』は解決していない。
「ハルミちゃん」
「……なんですか」
 なんとなく、何を聞かれるのかわかってはいるのだろう。あまり喜ばしくないような、それでいて諦めているような顔をしている。まぁ、擦り傷程度だって消毒液かけると痛いしね。そういうのと同じだよ。そう割り切って、聞いてみた。
「何があったのか、教えてくれないかな」
「…………」
「夢の中で、何か見たんでしょ?」
 そして、溜め息を吐かれる。
「……ユリさんって、凄いですよね」
「え?」
 急に突拍子の無い言葉をかけられてしまって、思わず言葉が詰まる。凄いって、何がだ。
「事務所に入ったばかりの頃は、パウさんとばっかり話してましたよね」
「あれ、そうだったかな」
 言われてみて、よくよく思い出してみると確かにそうだった気がする。彼女の研究所で楽しくお話したり小説読んでたり。
「人見知りで人付き合いが苦手なのかなって思ったら、この前の所長さん達の悩みを一蹴したり。それに今回のことも。理解力があるって言うのかな」
「いや、別にそんなこと」
 心から謙遜した。最近、買い被られることが多い。頼むからこれ以上持ち上げないでくれ。
 微かな笑みを見せたハルミちゃんは、またすぐに表情を冷めさせる。……こんなの、前にもあった気がする。
「わたし、記憶が無いんです」
「えっ?」
 突拍子な言葉、第二段。露見される新事実に、私はただ固まるばかり。
「詳しく話してませんでしたよね。わたしもカズマさん達と同じように、元人間なんですけど。ただ、例外としてわたしとヤイバさんは人工体なんですよ。ミキさんは完全にロボットみたいなものですけど」
 そこら辺の事情はなんとなく知っている。初めて事務所に来た日のカズマとの会話で、まぁなんとなく。
「で、わたしは人間だった頃の記憶がないんです」
「はあ」
 キオクソーシツ。この言葉は誰しも一度は聞いたことがあると思う。だが、実際にそんな人物が身近にいるなんてことは非常に稀だ。私も生涯出会うことはないと思っていたくらいだし。それがこんなにも身近にいたとは。
「ただ、今回の事件で大体思い出しちゃいまして」
「えっ」
 急に私の中の価値観とかいうのが下がった気がした。いや何のだよ不謹慎な、と暗黙に自分へツッコミするのも忘れない。
「えーと……おめでとう?」
 初めて疑問系で祝福の言葉を言った。どうも話が急展開な気がして、自分でも何をどう言ったものかわからない。ただ、私の言葉を受けてハルミちゃんは苦笑しながら首を横に振った。
「いえいえ、別に喜ばしいことじゃないですよ。できれば思い出さない方がよかったとさえ思っています」
 どうやら失敗だったらしい。
「あ、じゃあごめんね」
「別に謝らなくてもいいですよ」
 さっきから情けない私が可笑しくてしょうがないのか、漏れる笑みを抑えないハルミちゃん。その顔のおかげで、こちらの緊張も多少解れる。
 それから改めて、ハルミちゃんが事の次第を語り始めた。
「夢を見たんです」
「どんな夢? 悪夢?」
「はい、多分悪夢です。ナイフを握ってて、人間の男の子と殺し合いをしているんです。最初はただの夢だと思って気にしなかったんですけど……ラリパラの人は過去のトラウマを見ているって聞いて、ひょっとしたらわたしの記憶の一つなんじゃないかって、妙に納得してたんです」
 殺し合い。私とは似て非なるジャンルの夢を見続けていたこの子に、私は少なからず畏怖を覚えた。そんなのを見せられながら、この子は今まで気狂いの一つもなかった。それが自分の記憶なのではないかと、逆に馴染ませるほどだ。
「日が経つにつれて、だんだん夢の内容もハッキリしてきたんです。それである日、その夢の男の子はわたしの兄なんだと気付き始めました。ただ、やっぱり殺し合いをしている理由だけはわからなくて……」
「ははあ」
「そのうち、ひょっとしたらお兄ちゃんってカズマさんのことじゃないのかなって思い始めたんです」
「どうして?」
「その、カズマさんがラリパラだったから、だと思います」
「だったから、だけ?」
「すみません、わたしにもよくわかんなくて。なんとなくとしか」
 まぁ、それなら仕方ないかと思い、先を促す。いつの間にか私も空いたベッドに腰を降ろして、怪談話でも聞くかのように聞き入っていた。
「それで、家宅捜査をしたあの日に、一人でカズマさんの部屋に行ったんです」
 家宅捜査をした日というと、恐らく私がハルミちゃんをいじめて遊んでいたあの日だろうか。一人でというと、多分ハルミちゃんが怒って帰ってしまった時に違いない。
「その時に、カズマさんのメールを勝手に見たんです。そしたら、あの場所が書いてあったメールが」
「え、あのメール見たの?」
「え?」
 お互いに驚きの声をあげ、お互いに間抜けな面を合わせた。
「……あ、だからわたし達の居場所がわかったんですね。納得しました」
 一足先に納得されて、私はちょっと困った。
「待って、それじゃあのメールに書いてあった妹って?」
「多分、出しに使ったんじゃないでしょうか。犯人はカズマさんのことを知っていてあのメールを送って、カズマさんはそれを信じたとか」
「でもハルミちゃんは? そのメールを見て、自分はカズマの妹じゃないって思わなかったの?」
 そこを突くと、ハルミちゃんは気恥ずかしそうに顔を伏せる。
「その時にはもう、わたしはカズマさんの妹なんだって妄信してました。あはは、ラリパラのせいかな」
 ――ラリパラだったから。
 犯人が安易にメールを出してカズマを誘ったことも、カズマがその誘いに乗ったことも含めて。こうも物事がややこしい方向へと猛進したのは、全てそれが原因なのだろうか。判断能力の欠如とは、実に恐ろしいなとしみじみ。
「それで、次の日にその場所に一人で行ったわけだね」
「はい」
「なるほどなるほど、納得。……じゃなくて」
 大事なことをころっと忘れそうになり、私は少し焦る。
「なんでナイフを持ってたの?」
「ああ、あれですか? 護身用ですけど」
「護身用?」
「はい、護身用です。今思うと、ちょっとやりすぎかなって思いますけど。夢の中では普通に握ってたし」
 これもラリパラだったから、で片付けられるんだろうか。なんと過激。スタンガンが泣いてるよ。
「で、あの空きビルで何が?」
 多少時間はかけたが、ようやく気になる場面の話に移ることができた。ここからが本番、みたいな。私は幼い少女から語られる言葉に耳を傾けるべく、じっと見つめながら待つ。
 かくして、ハルミちゃんは淡々と話した。
「地下に降りた時、あの男の人とばったり会ったんです。わたしのことを見て、どうしてここにいるんだって言ってきました」
「どうしてここにって……じゃあ、犯人はハルミちゃんのことも知ってたの?」
「みたいです。多分、ヒカルさんやヤイバさんのことも知ってるんじゃないかな」
 即ち、元人間であるチャオの面々について関わりのある人物だった、ということになる。マインドメカニズム研究者だったり非常識派だったり、なんとも肩書きの多いことで。
「カズマさんがどこにいるのか聞いたんですけど、何も言わずに何かの水をかけられて――ラリパラの雨と同じものだと思うんですけど――それで、頭がぼーっとして、目が眩んで」
 それはつまり、自衛の為にハルミちゃんにラリパラの水をかけたのだろうか。判断能力さえ失わせてしまえば優位に立てると踏んでの行動だということだ。あの廊下の水溜りは、ハルミちゃんが自分で移動して作ったものと考えられる。
「その後は?」
「あの、それだけです。後はよく覚えてません。わたし、その人の脇腹を刺したみたいなんですけど、それもピンと来なくて」
 そう言うハルミちゃんの顔は、事務仕事をこなすかのように淡々としていた。私と同じで、狂っていた時の感情が甦ってこないのだろうか。気になることではあるが、自分でもよくわからないことなのでハルミちゃんにそのことを追求するのはやめた。
「それでお終い?」
「はい。ここで目を覚ますまで、ずっと寝たきりだったと思いますけど」
 つまり、その後の経緯は私と同じ、と。
 一通りの話を終えて、私はその内容を頭の中で吟味する。
 まとめると、こういうことだ。
 ハルミちゃんは記憶喪失だった。
 だが、つい最近のラリパラの雨の影響で自分の記憶らしき夢を見た。
 更にカズマがラリパラであるということを知り、気になったハルミちゃんは独自にカズマの部屋を調査。
 そこでカズマ宛に送られたメールを見つけ、妹が待っているの一文を見つける。
 それを調べる為に添付された地図に書かれた場所へ単身調査へ向かったところ、空きビルにて犯人と遭遇。
 カズマの所在を尋ねたが、ナイフ片手にやってきたハルミちゃんに身の危険を感じた犯人が、偶然持ち合わせていたラリパラの症状を引き出す水をかける。
 と、ハルミちゃんの記憶はここまでだ。そこから先は何があったのか詳細にはわからないが、恐らくは理性の大半を失ったハルミちゃんが、自分へ攻撃してきた犯人を危険人物と認識して反撃したのだろう。犯人は奥の部屋へと逃げたが、そこには誘い出して気絶させたカズマがいたので、ハルミちゃんはそれを見て「お兄ちゃんを守らなければ」という一心でナイフを振るった……という推測ができる。
「ちょっと確認したいことがあるんだけど、良いかな」
「良いですよ。なんですか?」
「あの時、お兄ちゃんはソニックチャオになったって犯人に言われたみたいなんだけど、覚えてる?」
 ハルミちゃんは首を傾げ、その後すぐに首を横に振った。覚えてはいないらしい。ここで事の真偽がわからないと、ちょっと頭の整理がつかないのだが。
「あの、それ本当なんですか?」
「まあね。ハルミちゃん自身がそう言ってたから」
 その言葉を受け、ハルミちゃんは私を視界から外して窓の外を見やる。
 ハルミちゃんも自分の中で整理できていないのだろう。何せ記憶喪失だったわけだ。自分の過去を知らず、長いあいだ事務所生活の日々の記憶を沢山詰め込んできた。そこへふっと自分の知らない過去が出てくれば、その不整合に混乱せざるを得ない。と思う。
 だから、私は言葉を躊躇った。
「……聞いて、いい?」
 改めて、問う。
「何を、ですか?」
 わかってはいるのだろう。その目がそう言っている。
 飾られた言葉。その本質はなんなのか、お互いによくわかっている。だからこの時ばかりは、お互いの言葉が邪魔でしょうがなかった。
 だけど、こうでもしないと人は脆い。言葉の障壁がないと、人はただ崩れ去るばかり。
 それでも私は、その脆い人の部分――ジェンガのパーツにゆっくりと手を触れた。
「ハルミちゃんの、過去の記憶――こどものころ――のこと」

このページについて
掲載日
2011年2月3日
ページ番号
13 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日