No.11

 目の前に人間が立っていた

 その人間は私と名乗った

 私はそうには思えないと言った

 するとその人間はあっさりと納得した

 何故簡単に納得したのか聞いてみた

 その人間はこう言った


 ――この世には一人たりとも同じ人はいないの。それが例え過去の、未来の自分であっても。


 私はあっさりと納得した

 するとその人間は微笑みながら私を撫でた

 綺麗に色の無くなった繭越しに


 私は過去の人となった


――――


 目が覚めたとき、ここは天国かと思った。
 壁は白いし、天井も白いし、窓越しに部屋を照らす明かりですら何故か白い。私が寝ていたベッドも漂白そのもので、ある意味目が悪い。もうちょっとグリーンな成分を含ませて目に優しくすればいいのに、と余計なことを考える。
「気がついた?」
 聞いたことはあるけど、聞き慣れた声ではないそれの元へ顔を向ける。
 ミキだった。
「……これはいよいよマジかもしれない」
「何が?」
 天国説。果たしてミキは天使か死神か。
「目立った外傷もないし、精神異常もなければすぐに退院できる」
「退院? ……ああ」
 体を起こして改めて部屋を見回し、ようやくここが病院だということに気付いた。そりゃ白いわけだ。外まで白い理由にはならないけど……外?
「雪、降ってる」
 職場のあまりのフリーダムさに、平日休日なんて関係ない生活を送っていたので、天気予報を見る習慣はあってもカレンダーを見る習慣はすっかり抜けきっていた。もう雪の降る時期だったのか。
「もうすぐ年越し」
「そっかぁ……早いなぁ」
 年寄りっぽくうんうん頷くが、ミキからは特に何の反応もなかった。別に何の期待もしちゃいないけど。
「ここに来る前のこと、覚えてる?」
 しばし悩み、埋もれた記憶をサルベージする。UFOキャッチャーよりは難しくない過程を経て、すぐに回収に成功した。
「覚えてるよ。カズマ達を探しに行った時のことでしょ?」
「何があった?」
「んーと。変なニオイのするビルの地下に入って水溜りの道を見つけて、一番奥に進んだら二人がいたの。あと、知らない男の人間さんが血を流してた」
 ……ここまで話して、淡々と説明し終えた自分に違和感を感じた。
 確かに淡々と説明した。いやしかし、淡々すぎる。あの時の私は、あの悲惨な状況下で混乱していた――ような気がする。それなのに、何故こうして思い出して何も感慨が湧かない?
「それで?」
「えーっとね、カズマは気絶してて、ハルミちゃんがちょっとおかしくなってたみたいだから、どうにかして落ち着かせたの。後は覚えてない」
 やはり淡々と説明し終えて、自分でも気味が悪く思える。その時のことを、いやにハッキリと覚えている。それなのに、その時のことに対して何も感じない。読書感想文が書けないとかそういう問題じゃない。誰だって悲惨な状況を前にすれば嫌悪感だとかいろいろ湧いてくるはずなのに。
 状況は鮮明に覚えている。映像を見返すかのように。ただ、その時の私の感情を思い出せない。
 いくら思い出そうとしても何も甦ってはこない。さっき言った精神異常がなければ云々の言葉が頭の中で反復する。いやだなぁ、入院するとなればイコール寝泊りということになる。ホラーは苦手ではないけど、それでも夜の病院は好きかと言われたら私は首を横に振るね。
「あの後、所長達が戻ってきてあなたの所在を尋ねたから、私はあなたの足跡を追った。そしたらあなたが、あの空きビルの地下室で気絶していた」
「はぁ。それで、なんで病院?」
「地下にあった水溜りはラリパラの雨と同じ成分だった。それもとても強力なもの」
「ああ……なるほどね」
 あの時の目眩や立ち眩み、錯乱の原因はそれだったのか。そりゃ後遺症でも心配して病院送りにもなる。特にハルミちゃんとか、凄く酷かったと思う。あの狂いように関しては今まで会ってきたどのラリパラ患者と比べてもレベルが違う。私のことを見てお兄ちゃんとか言われても――。
「ねぇ、ハルミちゃんは?」
「他の病室で寝てる。カズマもそうだけど、まだ目を覚ましていない」
「そっか」
 視線を雪の降る窓の外に泳がせ、私は同じ言葉を反復させた。
 ――お兄ちゃん。
 そういえば、最近ソニックチャオだからって男扱いされる機会が少なくなった。その要因としてはもちろん、私のこの白いリボン付きカチューシャが挙げられる。今までずっと悩みの種にしていた問題が解決したからいいんだけど、ねぇ。リボンはいらないよ、リボンは。
 閑話休題。再びハルミちゃんの言葉を思い出す。何か重要そうなことを言っていなかったか、じっくりと。
 が、いくら思い出してもイマイチピンと来ない。痛いよお母さんとか、助けてお父さんとか、ごめんねお兄ちゃんとか、ちょっと漠然とし過ぎだし。そういう推測でしかモノがわからなそうなのじゃなくて、確かに気になること。

 ――おにいちゃん、そにっくちゃおになったんだって。

 これだ。
「ねぇ、一つ言い忘れてたんだけどさ」
「なに?」
「カズマの居場所について。あれね、カズマの部屋のパソコンを弄ってたらメールを見つけたの。そこに書いてあった」
「どういうこと?」
「送信者は不明だったんだけど、題名がK.K殿へってなってた。で、地図に○印と、妹が待っているよって」
「妹?」
「うん。妹」
「……そう」
 ここで「それが?」と返さないのがミキ。自ら話すことが無ければとにかく黙る。話しかけられる事柄については一言単位で返事を返すのみ。
 仕方ないので、勝手に話を続けた。
「ハルミちゃんがね」
 一泊止めて、一応ミキの顔を見てみた。チャオの中では史上最強のポーカーフェイスが、私のことを黙ってじっと見つめている。
「私を見て、お兄ちゃんだって」
「…………」
「違うよって言ったら、お兄ちゃんはソニックチャオになったって、例の怪我してた男の人に言われたみたいで」
「…………」
「これもラリパラのせいなのかな。それで本当のことだと思い込んだとか」
「…………」
 終始だんまり。一人でベラベラ喋ってる私の方がおかしいんじゃないかとも思い始めたので、動かしている口をぼそぼそと小さくしていく私。
 それを察知したのか、ミキは唐突に喋り始めた。
「地下室にいた、あの男」
「うえっ?」
 実に唐突だったので、私は酷く驚いた。ミキがいきなり喋り出すと決まって驚いているのだが、どうにかならないだろうかこれ。
「あの男は非常識派の一人だった」
「ひじょうしきは? って……まさか、アレ?」
「アレ」
 らしい。その奇妙な響きの名を聞いて、私は懐かしむように溜め息を吐いた。
 非常識派。主だった対立組織として常識派が存在する、裏の過激派組織の一つ。といっても常識派も非常識派も所長が付けた非公式名称で、組織名は無いらしい。
 簡単に言うと、非常識派は現代の政治に憂いを覚えた過激派の集まる組織。常識派はそれを鎮圧する為に生まれた対抗組織だけど、取る手法が過激なので世間的に言えばどちらも悪人の集まる組織だ。
 私が小説事務所に入ったばかりの最初の仕事の時に、その組織の一員と接触する機会があったのだが、それっきり話題にあがらなかったのですっかり忘れていた。
「表向きは心理学者としてマインドメカニズムを研究していた一人」
 もう一つ、重要っぽい単語登場。
 チャオは人の心に敏感に反応する。受け取った感情を糧に異なる進化もする。つまりは心理学においては人間よりも圧倒的にウワテ。人間と共に社会を過ごすようになってから多少なりとも鈍ったとは言われているけども。
 で、チャオが社会へ進出するにあたって心理学問が飛躍的な進歩を遂げた。その代償としてかどうかは知らないが、転生を行うチャオが圧倒的に少なくなってしまった。そんなチャオを救う為、転生促進運動が生まれる。それは進歩した心理学を学び、生かすことを推奨している運動だ。
 そうやって更に進歩した心理というジャンルは、やがて科学の干渉する余地を生み出すようになった――と、ニュースで見たような覚えがある。漠然と言ってしまえば、心の力で機械を動かしたり、逆に心をコントロールしてみようというのがマインドメカニズムだったと思う。
「じゃあ、偉い学者さんだったんだ」
 まだ広く知られているわけではないが、マインドメカニズムは次世代の科学とも言われている。それを研究していたということは、ズイブンとスゴイ人ではないか。漠然としててピンと来ないけど。
「あの男はマインドメカニズムで手に入れた技術を使ってあの水を生み出し、数年前から世界中にばら撒き続けた。本人はそう供述している」
 数年前から、という言葉に私は少なからずとも驚いた。確かに世界中に振り撒き効果を出そうと言うのだからそれくらいは苦労しそうなものだが、よくやるもんだ。
「動機は?」
「今の世界の醜さを露見させてやりたかった、と言っていた」
 なるほど非常識派らしいその犯行動機に、私は少しなりとも感心した。考えなしの犯罪というわけではなく、思想や理念に沿った行動だったのだなと感服しているのだ。冗談で、だけどな! 犯罪は犯罪である。
「でも、あなたの言っていた通り、固定された夢に関しては本人は知らないと言っていた」
「ああ、そう」
 どうやら私のデッチ上げた推論は今度こそ当たったらしい。嬉しくともなんともないが、ようやく事件が解決したなと満足できた。ようやく平和な日常が戻ってくるわけだ……。

「だから、あなたの思っていることは杞憂」

 ……ん?

「え、なにが?」
「……?」
 私がさぞ間抜けであろう顔で聞き返すと、ミキが首を傾げるという素晴らしく珍しい光景が拝めた。
「私の杞憂って、何のこと?」
「…………」
 今度はまたいつものフェイスでじっと見つめ返してくる。
 じっと。
 じーっと。
 席を立った。
「え、ちょっと」
 私の呼び止める声にも構わず、ミキは病室を去ってしまった。
 一人取り残された病室で、しばらく私は固まったまま何も考えられずにいた。たっぷり三分。カップ麺は三分待たなくても食えるとは、確かヒカルの言葉だったような。
 さっきまでの会話を思い出してみる。私の思っていることは杞憂。私は何か口走っただろうか? 確かマインドメカニズムの話をした。犯人の話をして――あ。
「まさか」
 自分が病人という立場にあることを忘れ、私はベッドから飛び降りて病室を出た。

このページについて
掲載日
2011年2月3日
ページ番号
12 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日