No.10

 所変わって、ステーションスクエア南東。スーパーに向かう私達は、四人仲良く傘を差して移動していた。その隊列の最後尾で、私は空模様を見て思慮に耽っていた。ズバリ、カズマのことだ。ハルミちゃん捜索の最中になんだけど。
 私は先日、カズマの行方を当てずっぽうで南東であると言い当てた。その理由が「雨雲を避けられる為」という、それ単体で聞けば水アレルギーなのかと唸る弱い根拠。そこで私は、ラリパラの原因が雨であると言う結論に辿り着いた。いや、デッチ上げたと言っても過言ではないだろう。そしてカズマはそれを知り南東に逃げたと推論した。
 しかし――まだ誰にも詳しく話してはいないが――私の推論は間違い、そして奇妙に当たっていた。
 まだ詳しいことはわからないが、カズマがこの地域へやってきた理由は、謎のメールに呼び出されてのことだった。ラリパラだったカズマはそれに対して深い疑問を抱かず、誘われるようにしてこの地域へやってきたということになる。
 つまり、私は計算式を間違えたのに答えだけ当てたというわけだ。学校のテストなら己の幸運に喜ぶところだが、こればっかりは喜びもできないし苦笑いもでてこない。ただただ、自分の頭脳を不思議に思うだけだ。
 我ながら、危なっかしい頭脳を持ち合わせていると思う。命知らずの走り屋が、ガードレールの無い道で後輪を崖っぷちに浮かせて曲がっているくらい。そして当の本人は、そんなことも露知らずに走っている。
 何事も普通に、慎重に、平穏に済ませたいと思っている私。でも、土壇場で信じられないことをやっちゃっている私。
「……二重人格?」
 それらの矛盾を解決できそうな単語は、それくらいのものだった。


 そうこうしているうちに、ヤイバ達が雨宿りしていたスーパーのところまでやってきた。
 カズマの家で見たメール、そしてヤイバからの報告を鑑みるに、このスーパーの横を通り過ぎて歩いていけば、恐らくはカズマとハルミちゃんが見つかるだろう。多分。
「それじゃ、ここからは案内よろしくね」
 ここで隊列を並び替え、先頭が私になる。RPGで言うところの、防御力の高い仲間を盾にするのと似たようなもの。例えでこれを引き出したのは、私の今の心情を表していると思っていただきたい。
 背後の入り混じる視線にひしひしとプレッシャーを感じながら、過ぎ行く交差点の数に注意を払う。
 一つ。
 通り過ぎた先は閑散としたもので、空き地や駐車場が多い。主要都市の外れの珍しい光景と言ったところか。ちょっとした田舎っぽさを感じる。
 二つ。
 その先に視線を向けると、やけに小汚さが浮き出た空きビルなんかが見えてきた。雨のじとっとした空気に彩られ、やけにジメジメしているようにも見える。誰かに呼び出されるにはオアツラエ……という奴か。
 そして、三つ。
 緩いブレーキをかけて減速し、車の来ない交差点のど真ん中で私は足を止めた。
「ここか?」
 所長の尋ねる声に、私は曖昧に頭を縦に振る。
「多分ここら辺、だと思い、ます」
 話す言葉も途切れ途切れで実に釈然としない私に、それでも一同は文句を押し殺してくれた。
「じゃあ、手分けして探すか。俺はあっちを探すから、パウはそっちに。ミキはここで待機だ。あの二人以外にも不審そうな奴がいたら捕まえとけ」
「おっけー」
 返事を待たずに所長はあっちに、パウもそれにならってそっちに探しに言った。ミキはこっちでカカシよろしく黙々と突っ立っていることに。
 さて、私はどっちに行こうか。
 周囲のボロっちい風貌の空きビルを眺めて、私はあのメールに添付されていた地図を思い出す。道路をじっと見つめて頭の中の物差しを合わせる。大体何メートルだったっけなと、どうせ表せない数字を測定する。
 右手を突き出し、一般には可視できないチャオの人差し指を突き立てる。三つ目の交差点。ここを右に曲がって、どれくらいか歩いたところの地点に○印があったと思う。そこにあるのは、いくつかの空きビル。そのどれかに、カズマ達がいる。感覚で、指を、腕をスライドさせて。
 その三つ目の建物で、なんとなく手を止めた。
「あそこかな」
 当然、私の頭の中では抗議が起こる。おおかた、そんな不確かな情報で何してるんだと言ったような内容だ。でも、今日の私はこれを勤めて無視した。どうせ騒いでるのは保守派の私なんだろう。
 都合良く二重人格説を取り入れ、悩む頭に構わず歩く。後ろからのミキの視線もあまり気にならず、傘を持ち直して視点を一点集中。交差点を過ぎるほどの時間を要さず、二つの建物を通り過ぎる。
 そして横から三つ目の空きビルの前で、私はピタリと足を止めた。窓ガラスでできた扉から中を見ると、当然のように照明は点いている様子はない。だが、本当にいるのかなんていう疑問はこれっぽっちも追求せず、躊躇なく扉に手をかけた。鍵はかかっていない。
 軋みの音もあげず、すんなりと開いた扉をくぐった私は、思わず立ち止まって鼻を押さえた。
「くっさ」
 変なニオイがする。甘いようで、腐ったような。嫌な臭いと断言はできないが、嗅ぎ続けたくはない匂いだ。――変に頭がぼーっとする。とりあえず、長居はするべきではないだろう。
 案内板に書かれた「B1-3F」の表記を眺めながら素通りし、奥にあるエレベーター……の、横にある階段へと向かう。途中、エレベーターのボタンをポチってはみたが、見事に動かなかった。予想通りではあるが、こうも昇降機に冷たくされると泣ける。
 埃の目立つ廊下を歩き、階段を下りる。まずは地下から。3階もあるんじゃ、上り下りが面倒臭い。あとで調べるから同じことだけど。
 そう思っていた私の鼻は、階段を下りるにつれて更にニオイを取り込む。あまりのニオイに多少目が眩む。
 そして、そのニオイの正体は呆気なくわかった。
 地下一階にやってきて、目についたのは非常灯に照らされた水溜りだった。室内には似つかわしくないそれの元に屈むと、漂うニオイが一層強くなる。どうやら発生源はこの水らしい。
「なんの水だろう」
 得体の知れない水の正体に思考をめぐらせ、2秒で打ち切る。考えるだけ無駄だと判断した私は、一応水溜りを避けながら先へ――進もうとして、あることに気付いた。
 水溜りが、道を作っていた。
 なんとも不吉な光景に、私は背筋を冷やす。まるで怪物の足跡に似たソレが非常灯に照らされて妖しく光り、恐怖心を煽る。
 だが、これも貴重な手がかりだ。私はいろんな意味で震える体を抑え、手に持った傘をぎゅっと握り締める。武器としては心もとないことこの上ないが、それでも私の手に馴染んだ装備だ。傘は私のような民間人の味方だ。異論は認める。
 壁伝いに暗い廊下を進み、奥へ、奥へと進む。水溜りを見ながら、早く途切れてくれ、このまま途切れないでくれと自分でもどうしてほしいのかわからない願望が渦巻く。
 奥へ。
 奥へ。
 奥、へ。
 そしてそのまま、最奥へ。
「最悪だ」
 如何にも待ち構えてる感が漂いまくっている。何がって、ラスボスっぽい展開が。会話イベントだといいな。
 少なくとも、戦闘だけはありませんように。ドアノブに手を乗せてそう願い、私は腹を括った。
「っ!」
 たのもー、くらいは言ってみせたかった私は、見事に回らない舌を持て余してドアを荒々しく開けるに収まった。閉じた目をゆっくり開き、部屋の中に目を、目を、目、目が、目を疑った。
 混乱しそうになる、暴走しそうになる思考を、なんとかして、どうにでもして、なんとか抑え込んだ。慣れ、慣れてはいないけど、慣れたくないけど、慣れてないけど、見たことはあるし。それだけだけど、それだけで抑える。
 息が荒くなっている。深呼吸をして、荒くなっている、深呼吸をして呼吸を整える。状況を知るために、わからないために、知る、知るために、ああ、うぜぇ。打ち付けるか、頭。でも、ふらつく。それに壁はどれだ。どれが壁だ。壁ってなんだ。私の思考の限界の壁か。詩的だな。本当に混乱しているのか。いやしていないない。抑えてるもん。私大人だもん。それくらいできるもん。
 叫んで、気絶すれば、楽になれるはずなのに。喉が過労を嫌がって、脳が映像に噛り付いていた。
 ――はは、無理すんなよ、私さん。
「はは、無理に決まってるじゃん」
 部屋の中で、水溜りが、赤色に模様替えしていた。それを見て、そういえばクリスマスって最近だったじゃないかと思い出した。無理に平静を保とうとして、認識を嫌がる。逃げる。逃げる。
「はぁ」
 最強の溜め息を吐いた。私の持つ固有スキルだ。全てをどうでもよくする究極の魔法。先の問題は気にならなくなるし、過去の失態も考えなくなる。ただ目に映る光景は絵であり、聴こえる喧騒は一つの音楽と知る。誰にも真似できない現実逃避、いや『感情放棄』だ。
 血が水溜りを作っている。それがどうした。それの元は見知らぬスーツ姿の男だった。それがどうした。その近くでソニックチャオが倒れていた。それがどうした。もう一人、雨合羽を着たチャオがいた。それがどうした。そのチャオが右手に握っていたのはナイフだった。それがどうした。振り向くと、それは灰色のヒーローコドモチャオだった。それがどうした。その子は紛れもなくハルミちゃんだった。それがどうした。
「おに、ちゃん?」
 その子は私を見てお兄ちゃんと呼んだ。それがどうした。
 ――どうした、私? らしくないじゃないか。
 だって私には関係のないことだ。
 ――無理すんなよ。目が震えてるじゃないか。
 無理するなだって? 誰が無理をしているって言うんだ。無理をしているのは、
 思考を投げ捨てた。
「ハルミちゃん!」
 私は駆け寄る。ハルミは視線が定まっていない。ナイフは握ったままでいる。ふらつきながらも私に近寄ってくる。
「おにいちゃん、ふたりだぁ。おにいちゃんだぁ。おにいちゃんでしょお?」
 ハルミは私に抱きつく。ナイフは握ったままでいる。私はその手を握り、身の安全を確保する。私は声をかける。
「ハルミちゃん、どうしたの? 何があったの?」
「かぞく、かえりたい、おとうさん、おかあさん、かぞく、おにいちゃん、いない」
 ハルミの目は虚ろになっている。言葉として成立していない。
「落ち着いて。ハルミちゃん、私がわかる?」
「うん、おにいちゃん、ふたりめ、わたしおにいちゃんたくさんいるね」
「お兄ちゃんじゃないよ。ユリだよ」
「だって、このひとがいってたもん。おにいちゃん、そにっくちゃおになったんだって。だから、おにいちゃんでしょ?」
 私は奥で血を流している男に目を向ける。まだ息をしている。目がギョロギョロと動いている。
「お、おれは悪くねぇ……おれのせいじゃねぇ……全部、この世界が……」
 意味のわからないことを喋っている。うつ伏せで倒れているソニックチャオへと視線を移す。十中八九カズマである。外傷はないように見える。気絶しているようだ。私は再びハルミに話しかける。
「ハルミちゃん、あの人を刺したの?」
「だって、おにいちゃんをいじめるんだもん。かぞくはだいじだもん。だから、だから、だから」
 ハルミが私に抱きつく手に力を込める。ハルミから涙が溢れ出す。
「いやだ」
「ハルミちゃん?」
「いやだ、いやだ、いやだ! いやだよ! 痛いよ! 痛いよ!」
 耳元で叫び出す。私の耳が痛む。気にしないことにする。
「嫌だよ! やめてよ! 痛いよ!」
「ハルミちゃん、落ち着いて。私は何もしてないよ」
「わたし、何もしてないよ! 痛いよ! やだよ! お母さん! お母さん!」
 今度はお母さんと呼び始める。しかし、それはもはや私に向けた言葉ではないように見える。
「助けて、お父さん、お父さん、ごめん、お兄ちゃん、違う、違う、違う――」
 聞くだけ無駄だと判断する。私はハルミを強く抱きしめる。
「大丈夫、お兄ちゃんが付いてる。だからもう大丈夫」
 偽る。
「ごめんね、お兄ちゃん、わたし」
「大丈夫、お兄ちゃんが守ってあげる。ハルミは誰にも傷付けさせない」
 偽る。
「もう、お兄ちゃんしかいないよ。お父さんも、お母さんもいないよ。お兄ちゃんしか、お兄ちゃんしか」
「大丈夫、お兄ちゃんがいるから。もう一人ぼっちにはさせないよ」
 偽る。
「お兄ちゃん」
「ハルミ」
「お兄ちゃん」
「ハルミ」
「お兄ちゃん
 ハルミ
 お兄ちゃん
 ハルミ
 お兄ちゃん
 ハルミ
 以下loop.


 situation end.

このページについて
掲載日
2011年1月24日
ページ番号
11 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日