No.8

 何の因果か。私が時間潰しの為に立ち寄った場所はカズマの住むマンションだった。
 これで四度目の訪問になる。家宅捜査なら前回すでに行ったのだが、もし私がラリパラだった可能性が本当だとしたら何か見落としがあるかもしれない。というのは建前で、なんかそれらしい場所に行けば時間潰しになるかなぁというのが本音だ。俗に言う「なんとなく」という奴。
「おお、そうかいそうかい。それなら構わんよ。お仕事頑張ってね」
「ありがとうございます」
 所長にならって、ちゃんと管理人のお爺さんに許可を貰ってから通してもらった。マンションの外のパイプを登っていた事実は知らないであろうお爺さんには、ちょっと申し訳ない気持ちが芽生える。なんだかそんな事をしていたのがずいぶん昔の事のようだ。
 すっかり疎遠になろうとしているエレベーターに乗り込み、18階へのボタンをなんとなく二回押す。ん、間違ったかなと疑問を抱きながら、緩やかな昇降に身を任せる。チンとかポンとか何の音も無くに到着した最上階の廊下を歩き、鍵のかかっていない1ダースハウスへ合法進入。
 それから。
「……どうしようかな」
 とりあえず、朝食かな。ということで、FPの回復しない味とウワサのカロリーメイトを無断で食べる事にした。
 建前は建前。何度同じ場所にやってこようが、同じは同じ。変わるものと言ったら、たった今食べているカロリーメイトの数ぐらいなもの。結局、ただの時間潰し。
 妙な甘さのクッキーみたいなブロックを口の中でむしゃむしゃして、なんとなく足を自由に動かさせる。意思とかそういうのをほどほどに手放して歩いた先は、やっぱりというかカズマの自室だった。
「まあ、何かあるとしたらここしかないし」
 誰に言い聞かせるわけでもなく、そんな言い訳が漏れた。これでもし大事なものが別のところにあったら、私は先入観の恐ろしさというものを再認識せざるを得ないのだろう。
 遠慮無しにがちゃっと戸を開くと、やっぱりいつもと変わらない部屋があった。局地的に散らかっている、違う意味で整理された部屋。探偵ばりに虫眼鏡を使っても、多分散らかってるところ以外は何にもないと思う。というか実際にあれって役に立つのかな。
 恐らくカズマがいなくなってからずっとつけっぱなしであろうパソコンも、一応チェックしておいた。表示されたブラウザの更新ボタンを押して、映っていた天気予報の情報を最新のものにする。降水確率100%の予報に偽りはなく、今日も元気にお空は雨を降らしている。
「なんだかなぁ」
 こうやって自分でも自覚できるほど平静でいると、本当に私の仮説通りにラリパラが蔓延するのか心配になってきた。いや、蔓延しない方が遥かにマシなんだけど、周囲に不安の可能性をばら撒いた責任とか、ね。
 お天道さまの機嫌を見る意味もなくなったので、なんとなく個人情報でも探れないかなとスタートメニューを開いた。青少年その他のトップシークレットとウワサされるDドライブとはなんぞやというくだらない事とか調べようかと思ったが、やっぱりやる気がなくなって断念。
 後遺症でやる気でもなくなったかなとか思いながら、天気予報を備えたページのホームへと移るべくマウスを動かした。そこで映った画面を見て、はたとある事に気がつく。
「これを忘れてた」
 右側にあったメールの項目で、カズマがログインをしたまま放置しているのを発見した。躊躇無くプライバシーを侵害すべくマウスをポチって、メール漁りに勤しもうかとしてその目は一点に留まった。
 一番上のメールの件名が「K.K殿へ」となっていた。送信者は不明。
「……迷惑メール?」
 真っ先に検討した可能性がそれだった。開いたらウイルスとかに感染するのかなとか考えて、よく見たらとっくに既読メッセージになっていたので躊躇無く開いてみた。
 最初に目についたのは、地図の画像。ある場所が○で囲まれていて、見るからにどこかの場所を示しているようだった。
 そして、左上の地区に見覚えがある事に気付く。
「こっちって、ステーションスクエア?」
 左上にステーションスクエア。その右下はつまり……南東の方角。
 一瞬、目を疑う前に自分を疑った。
 まさか、そんなわけがない。でも、その可能性を見出したのは私だ。その可能性を自分で否定するのか。でも、これは……これは、あまりにも出来過ぎている。
 ページを下にスクロールした。何か他に書いてある事はないのか。そう思ってマウスのホイールをひたすらに回し――それは、すぐに見つかった。

 >>妹が待っているよ。

「……妹?」
 一時の緊張が、予想もしなかった言葉を前に緩く溶ける。即ち、妹って誰よ? という簡単な疑問を前にしたのだ。
 いやしかし、カズマに妹がいないとは言い切れないだろうなぁ。いないとか言ったわけじゃないし。でもK.Kって誰よ? 片方はカズマでも、もう片方のKは? 送信先間違えたとか? でも現にカズマはいないし。
「わからん」
 結論がそれだった。
 しかし、やっぱり見落としがあった事に関しては少なからず収穫と言える。果たしてこれが手がかりになるか否かはよくわからないけど。とりあえず連絡してみるかなとカチューシャの横の小さなスイッチを押した。少し雑音じみた音が聞こえたが、すぐに土砂降りの音だとわかる。ちゃんと応答してくれるかな。
「もしもし聞こえますかー?」
 数秒応答を待って、返事がない事を確認する。
「おーい!」
『――ぁ、ごめんごめん! 土砂降りで聞こえなくってさー! ユリだよねー?』
 雨にかき消されまいと、大声でヤイバからの応答が返ってきた。その後、雑音じみた土砂降りの音がぱったりと遠くなる。どこかで雨宿りしたのだろう。
「どう? カズマは見つかった?」
『カズマの居場所はワシにもわからん……。あいつ、ビッグボスの称号の為に一日費やしただけあるわ』
 何の話だよ。言葉に脈絡もないし。
「今、スクエアの南東にいるんだよね?」
『いるお。でも全く収穫がないお……。だから別のところに行こうと思ってるお!』
 奇妙な喋り方に変わってきた。手短に用件を伝えて、耳に悪影響のないウチに切っておかねば。
「あの、カズマがいるっぽい場所がわかったんだけど」
『な、なんだってー!?』
 うるせえ。
「えっとねぇ、スーパーが近くにあると思うんだけど」
『スーパーなう』
「ああ、そう。そのスーパーを出て右の交差点を右に曲がって、そのまま三つ交差点をまっすぐ進んだ……あたり?」
『なるほど、わからん』
 ですよねー。 自分でもちょっとわかんないし。
「んー、とりあえず行ってみて。いなかったら、多分間違いだと思うから――」
『ん、ちょ、待った!』
 曖昧に喋る私の声を遮り、ヤイバは突然大声を出した。いきなりの事なので、私もつい驚いて声を引っ込める。誰も映ったりはしないけど、カチューシャの左側に内臓されたマイクの方向に目が向く。いわゆる、受話器を相手に見立てて話すような状態。
『どっちに向かった? あっち? ああ――わかった、先に追って。すぐ行く』
「どうしたの?」
『ハルミがいた』
 今度は、耳を疑った。ハルミちゃんが、カズマと同じとこにか?
『ちょうどスーパーの中から、一人で道路を歩いているのが見えた。多分、ユリが言ってたのと同じとこ歩いてる』
 ますます信じられなくなってきた。霧の中でおぼろげなそれを確信を持って掴み取った事実を、手にしてから疑うという矛盾。打ってみたらホールインワン、回してみたらスリーセブン、槓してみたら嶺上開花、引いてみたらロイヤルストレートフラッシュ。そんな感情と似て非なるモノが私の中を駆け巡る。
「どうして?」
『わかんないな。雨合羽も着てて本当にハルミなのかよくわかんないけど……灰色の体でヒーローコドモチャオなんて、そうそういないだろ』
 しかも、核心に迫りつつあるのに中途半端にはぐらかされているようで更に焦らされる。ラリパラの原因やカズマの居場所も本当に正しいのか未だにわからないし、これ以上悩みの種を増やさないでほしい。不安をミキサーしたって出来上がるのは不安だろうが。
『また何かあったら連絡する。先輩によろしく言っといて』
「うん、わかった」
 その言葉を踏み切りにして、遠い土砂降りの音が耳から消えた。

 溜め息を吐いて、ふと窓の方を見てみる。さっきまでは気にしてもいなかった、窓を激しく叩く音に聞き入る。
 昔は、雨の音は嫌いじゃなかった。むしろ心を落ち着かせるBGMとして気に入っていた。雨上がりの雲の下で、窓の外を蒼く染める霧も好きだった。
 でも、少なくとも今は好きになれない。雨が強く降り出す度に、私の心は不安で支配される。何か良からぬ事が起きる前兆なのではないかと錯覚してしまう。
 このまま、雷が落ちてくるのではないかと。
 このまま、誰かが命を落とすのではないかと。
 雨という足音は、私の神経を蝕む。雷という死神が現れるのを恐れて。
――私は、雨が怖い。

 すぐに首を振って、泥濘にはまろうとした自分の思考を引き上げた。
 またラリパラにでも逆戻りするかと思った。確かに冷静だけど、ラリパラの本質を知った分マイナス思考に敏感になってしまった気がする。
 本当に私もラリパラだったのかな? 今もラリパラじゃないのかな? そもそもラリパラってなんだろう?
 この思考すらも深みにはまらぬように放棄して、そこでまた悩む。こうやって思考の放棄しかできなくなるのがラリパラなんじゃないか。そうやって、抜け出せない底無し沼にはまる。
「……思春期、か」
 人はどこから来てどこへ行くのか。人類の成長過程においてぶつかる疑問。終わらぬ禅問答。それと似た状態の今の私は、チャオにとって深い意味を持つ三文字の言葉を連想した。
 私はソニックチャオ故、いわゆるオトナだ。でも、チャオは人間と違って転生を除くと短命だから、僅かな人生を全て思春期に過ごすと言う。それが人の心を映し出す鏡と言われたチャオの特性、即ちアタリマエ。チャオは人間並かそれ以上に感性が豊かで、そして悩む。それを何度も繰り返す。
 物事を考える。やがて本質を疑う。悩む。悩む。悩み抜いて、答えを出さない限り、自信が出ない。そうすると、転生できない。
 チャオの転生は人の愛情を受け取って満たされる事により起きると言われていた。それが近年、人間と同じように暮らすようになった事でその定義は塗り替えられた。私みたいに、みんな哲学的な思考をするようになったからだ。
 チャオが求めるものは、愛情だけではなくなった。支えてくれる人、未来への希望、過去の重荷、あらゆる要素をクリアしなければ、チャオは安易に転生しない。その本質は、生きる理由として認識が改められた。
 当時チャオの人口は人間をあっという間に追い越すと言われていたのに、その予想は容易く裏切られた。チャオにとって、思春期を越える事は死線を越える事とイコールなのだ。
 そして、桃色の繭は希少価値となった。もう昔とは違う。哲学の深みにはまったチャオは、生きる理由を探して呆気なくつまづくから。
「私も、死んじゃうんだろうな」
 自分もそんなチャオの一人だ。生きる理由なら、とっくの昔に跳ね飛ばされてしまった。無駄に世間を知らず、ただ『彼』だけを生きる理由にしていた私も、きっと一緒に。
 ……私も、ずいぶんとリアリストになってしまったな。
「あーあ、何考えてるんだろ」
 放っておくとこのまま人様の部屋で一日を潰してしまいそうになったので、今度こそ考える事をやめた。何はともあれ、今は事務所に行かなければならない。
 目の前に問題があるのに、それを放棄して先の事と向き合っても仕方ないのだから。
 先なんて、無いのかもしれないけど。

このページについて
掲載日
2011年1月24日
ページ番号
9 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日