No.6

『なんとー、南東であったかー。……いや、冗談っす。うん。人手は足らないけど、多分見つかるから問題ねーですだ。明日か明後日に帰るように努力す、あっちぃあっちぃ! あふぅ、水うめぇ。ん? あぁ、大丈夫だって。おいしいグラタンだって。ヒャッハー!』

 やかましいから、その辺で切っておいた。


――――


 そんなこんなで、これ以上調べる事が無くなった私達は事務所に戻ってきた。
 カズマの行方。雨雲の運ぶ悪夢。これらに私が下した仮説が、果たして当たっているのかいないのか。待ち遠しくもあり、聞きたくもない。そんな葛藤が私の中にはあった。
 とりあえず、そわそわが止まらない。
「良い言葉があるよ。千里の道も一歩から。急がば回れ。慌てるな、車は急に止まれない」
 パウの有り難くない言葉が有り難く無く感じた。

 結局、私達は所長室に籠もる事になる。来客用ソファの上で、私は床をじっと注視していた。
 こんな状況にも関わらず、いつも通りの就寝体制で待つ所長の神経を疑う。なんでこんな時にもそうしていられるんだ? 所員の危機だって言うのに心配じゃないのか?
「あなたは、心配し過ぎ」
「うわわわ」
 そんな肩を叩いたのがミキだったから、私は余計に焦った。
「覚えている? あなたが所長達の事を信じると言ったあの時の事を」
 さっくりと、後ろから刺されたような気がした。
「……うん、覚えてる」
 嫌と言うほど。忘れたいくらいに。
「この事務所の所員達の信頼関係は固い。それはあなたが証明した。だから、みんな心配していないわけじゃない」
「それは、わかるけど……」
「ただあなたと私達で違う事が一つある。それは、あなたが私達について何もかも知っているわけじゃない」
 いつになく喋るミキが珍しくて、私も黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「私達も付き合いは長い。だからカズマの事もよく知ってる。だから信頼できる。でも、あなたはそうじゃない。よく知ってるほどでもないのに、過剰な信頼を寄せている。その分、誰よりも心配する」
「過剰な信頼?」
「そう。あなたは今、未知を信頼するという無茶をしている」
 未知を信頼する。
 普段生活していて聞かないフレーズだが、その言葉の意味を噛み締めてみると、確かに私はおかしな事をしているのかもしれない。よく知りもしないのに、勝手に信頼を寄せている。だから私は、こうも心が落ち着かない。
「……あぁ」
 こうしてわかってみると、なんだか落ち着いてきた。
「理解が早くて助かる」
 それだけ言って、ミキは部屋の隅の椅子に座って読書に戻った。……なんだか、先生に諭された生徒みたいになってしまった。事実そうだったのかもしれないが、あまり考えたくない。平たく言ってしまえば、私が未熟みたいじゃないか。未熟だけども。
 それでも落ち着いたのは確かだ。だから向かいのソファに座るハルミちゃんの事を、私はようやく思い出した。
「うーむ」
 唸る私の声も、ハルミちゃんはこれっぽっちも気にしなかった。
 というより、気付いていないという方が正しいのかもしれない。今のハルミちゃんをなんと言い表せばいいのかずっとわからなかった、今になってようやく最適な言葉が見つかった。
 虚ろ、だ。
 何も捉えていない目。その視線の先は、風のように揺らぐ。そしてきっと、見るもの全てに何も感じていない。彼女の世界は、今は頭の中にあるんだろう。……と、私の詩的センスが告げる。
 要は、見るからに考え事に没頭し過ぎてるという事だ。この事件に私達が関わってから、ハルミちゃんはずっとこんな調子だ。というよりも、段々と酷くなってる気がする。
「ハルミちゃん」
 試しに声をかけてみた。……やっぱりというか、全然聞いていない。
 試しに立ち上がってみた。これにも反応しない。よっぽど思案の世界にいるのが楽しいらしい。
 立ち上がってしまったし、これは動かざるを得ない。自然に、かつ足音を立てずに歩いてソファの後ろに回る。センチ単位で距離を調整し、ハルミちゃんの真後ろにまで到着。
 ぽん、と肩を叩いた。
「あっ、えっ」
 期待通りに驚いてくれた。まるでさっきの私だな。
「ユリさんっ、いつの間に」
 重症である。
「どうしたの? 何か考え事?」
「いえいえっ、別にユリさんには関係ないことですからっ」
「何か悩み事? なんだったら相談に乗るけど」
「そんなっ、ゆゆゆユリさんの貴重な時間を無駄にするわけにも」
「どうせ暇だし」
「いいですってばっ、構わなくて」
「あー、言えないのー? なんだろー、気になるなー」
 さっきまでそわそわしていた私はどこへやら。つつけばつつくほど面白い反応をしてくれるハルミちゃんにすっかり夢中になってしまった。オモチャに病み付きになる子供みたいなもんだが、面白いもんは面白いのである。
「もおっ、ユリさんのばかっ」
 とかなんとか言っていたら怒ってしまった。そのまま所長室を出ていき、所長室は静まり返った。
「やれやれ」
 張本人たる私は、ただその場で苦笑いをするのみだった。
「さて、帰ろうかな」
 外もすっかり暗くなっている。事務所に泊まり込む理由もないし、さっさと帰宅する事にした。実質一人の事務所に居座る理由なんてない。机で寝てるのとか、部屋の隅で本を読んでるのとか、いないのと一緒だし。
「……おつかれさまでした」
 でも、一応挨拶は残しておいた。


 都会の街は、基本的に明るい。街灯、お店の明かり、残業している人がいるビルなどなど。
 だが、夜はやっぱり暗い。路地裏、閉店したお店、残業をサボった人のビルなどなど。
 大方において、人は明るいところにいる。まるで蛾みたいだ。……別に大した意味ではない。民間人のアホさ加減とか、平和ボケとか無知っぷりとか、そんな皮肉は一切含まれていない。何故ならば、そんなの当たり前だからだ。
 陽のあたる場所で、みんなしてのうのうと人生を送っている。だから、陰に生きる人達の事なんかこれっぽっちも知らない。だが、それが陰に生きる者の宿命だ。暗い闇の中で、誰にも理解されない戦いを続けている。
「はあ」
 ……我ながらあんまりセンスのない事を考えているもんだ。最近はこういうフレーズを並べると鼻で笑われる傾向にある。こういうのはヤイバ曰く「厨二病」に準ずる発想なのだそうだ。要は日蔭者は嘆いても無駄って事だ。
「前までは私も鼻で笑う側だったのになぁ」
 嘆くだけならタダなので、スキあらば私はいつだって嘆く。
 だが、辞めようと思えば辞められるのだが、この先生きるのに全く不自由しない好待遇な職場を失うのと、たまに訪れる危険なリスクを比べると、どうも迷いが止まらない。止まらないから、くよくよしたままずっと事務所にいる。事務所に入る前のバイトも辞めてしまったし。
「別にいいかなあ」
 住めば都だ。例え薄暗い路地裏だって、住む人にとっては何にも代え難い家となる。と、通りかかった路地裏を眺めながら、流石にそれはないかなぁと思った。ゴミ箱から漏れる腐臭が気になってしょうがない。

――そう思った瞬間、目の前のゴミ箱がガタンと物音を立てた。
「ふえっ」
 酷く驚いてしまった。ちょうど腐臭が云々考えていたところだったから、何か良からぬものの怒りでも買ったかと思ってしまった。

――うう。
「うええっ?」
 また驚いてしまった。何かを怒らせたかと考えていたから、正しくそうなのではないかと内心焦ってしまった。
「って! ちょっと待ってよっ」
 流石に冗談じゃ済まされない。物音? 呻き声? どう考えても普通じゃない。
 ……まさか、本当に何かいるのか?
 何はともあれ、確認しなければなるまい。未知を未知のまま放っておけば、恐怖の元凶は消え去りはしない。
 意を決して、一歩を踏み出す。凍る背筋と震える手足に鞭打って、じりじりとゴミ箱の陰へと歩み寄る。
 黒いものが見えた。夏場にはとぅるとぅる光るあの虫かと考えたが、更に近付くと大き過ぎて違うものだとわかった。ある意味そっちの方が平和なのに、でも黒くて平らなアイツでも嫌だしと、八方塞踏んだり蹴ったり。ええいここまで来たら一気に行ってしまえと、私は大胆にもゴミ箱の陰へと自らの体を投げるような勢いで歩を進めた。
「……あれ?」
 そこにいたのは未知の生物でも、今にも動き出しそうな死体でもなかった。黒く小さな体で、髪に該当する部位には赤いラインが通っていて、頭の上にはトゲのある球体が浮いていて。
 シャドウチャオだ。……何かの偶然なんだろうか。ひょっとしたらと思い、衝動のままに聞いてみた。
「あの、シャドウさんですか?」
 壁に背を預け、力無く項垂れるそのシャドウチャオは、声をかけた私に気付いたのか顔を上げた。だが、目は虚ろで口を開こうともしない。
 何かおかしい。特に外傷を負っているわけではなさそうだが、とても健康体と言い張れる状態じゃない事は確かだ。
「大丈夫ですか? 私の事がわかりますか?」
 心配になってきた私は、シャドウチャオの肩を揺すったり顔を軽く叩いたりしてみた。肯定するかのような呻き声だけが返ってくるが、それ以外は反応が無い。
「何かあったんですか? どこか、悪い所でも?」
「……ユリ……」
 ようやく明確な言葉が返ってきた。私の事を知っているシャドウチャオと言う事は、十中八九私の知っているシャドウチャオで間違いないはずだ。所長の義理の兄である――
「俺は……誰だ?」
――一瞬、私の意識が揺らいだ。
「え?」
 その問い掛けを聞いて、私はわけがわからなくなってしまった。
「あの、なんて?」
「俺はいったい誰なんだ、ユリ?」
「ええ?」
 どういうことだ。私の事は知っているのに、自分の事がわからないのか? そんな中途半端な記憶喪失は聞いた事がない。それとも思考実験の類なのか?
「あの、シャドウさんですよね?」
 だんだん状況が見えなくなってきた。心配になってきたので、もう一度名前を確認してみた。だが本人は、またも力無く顔を床に伏せる。
「……わからない。俺がいったいどういう存在なのか。俺の本当の名前も。それに意味があるのかも。意味とはなんだ? 俺という意味は? ユリ、お前ならわかるか。俺はもう、自分では何もわからない」
 わかるか。……そんな簡単な言葉も吐けなかった。あまりにもわからないからだ。彼の状態も、質問の意図も、言葉の意味も、あらゆる意味で理解できない。
 いったいどうしてしまったのか? 彼の虚ろで視線の定まらない目を、私はたっぷり十秒は見つめていた。そこまでして、ようやく一つだけ理解できた。

 この人も、ラリパラ患者だ。

このページについて
掲載日
2011年1月18日
ページ番号
7 / 20
この作品について
タイトル
小説事務所 「開かずの心で笑う君」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年1月16日
最終掲載
2011年2月8日
連載期間
約24日