第34章:その熱の残滓、頬を伝わって
同盟と連合の境界線付近。
第4艦隊に合流後、そのまま編入されたクロスバードは、今は境界線宙域のパトロール任務に就いている。
今はオリトの乗るリゲルが出撃し、パトロールしていた。
【オリト】「なんか…今まで色々あったのが嘘みたいに静かですね…」
【カンナ】『とはいえ油断しちゃダメよ、しっかり見なさい』
【オリト】「はい、分かってます」
全銀河に中継される中での、連合大統領の暗殺。
そのあまりにも大きすぎる事件のせいか、この宙域は連合との境界線付近にも関わらず、嘘のように静かだった。
結局、中継は暗殺直後に打ち切られてしまい、当の連合も「狙撃犯は撃破した」とだけ伝えるのみで、あの後マースゲントで何があったのか、当事者以外に知る者はほとんどいない。
「同盟がやった」、「共和国がやった」、「国内の不満分子がやった」と噂だけはいくらでも流れてくるが、そのどれもが確たるものではなく、そのまま時間だけが過ぎていた。
【オリト】「でも本当に、大統領は誰がやったんだろう…ん?」
オリトがふとレーダーに目をやると、人型兵器のようなものが漂流しているのが見えた。
【第34章 その熱の残滓、頬を伝わって】
一方、クロスバードのブリッジ。
ジェイクとアネッタが療養を終え、ブリッジに姿を見せていた。
【カンナ】「ジェイクもアネッタも、もう大丈夫みたいね」
【ジェイク】「あぁ、お陰様でな。俺とアネッタが休んでる間に色々あったみてぇだが…」
【クーリア】「あの録画一本見ればだいたい説明できる気はしますけどね…」
【アネッタ】「一応あの中継はあたしもベッドで見てたけどね。さすがに転げ落ちそうになったわよ」
【カンナ】「それはぬいぐるみが心配ね!」
【アネッタ】「ちょっと、あたしの心配は!?」
冗談を飛ばすカンナに対応するアネッタ。その時、オリトから通信が飛び込んできた。
【オリト】『すいません、オリトです!パトロール中に、漂流している人型兵器の残骸を発見しました!』
…それだけなら、過去の戦闘での残骸だろう、で済ますこともできた。だが、事情が違った。
【カンナ】「落ち着いて。機体はどこの機体か分かるかしら?」
【オリト】『それが…損傷しているんですけど、間違いなく共和国のカペラなんです!』
カペラ。共和国のワンオフ機。そのパイロットといえば、そう、
【クーリア】「パトリシア=ファン=フロージア…!?」
【オリト】『はい、恐らくそのパトリシアって人だと思うんですけど、機体の中に生命反応があるんです!』
そこまでオリトが説明して、さすがにクロスバードのブリッジもざわついた。
【カンナ】「…こっちから回収にいくわ!ミレア、急いでオリトの方へ!!」
【ミレア】「了解、です!」
急いでカンナがブリッジに座り、ミレアに指示を出した。
それから、およそ1週間後。クロスバード・休憩室。
「ん…」
「…あぁ、気が付きましたか」
彼女、パトリシア=ファン=フロージアが目を覚ました。
ベッドの横で椅子に座っていたのは、クーリア。クロスバードのクルーが持ち回りで様子を見ており、たまたまクーリアの番だったのだ。
クーリアは見ていた個人端末をしまい、パトリシアに顔を近づける。
【パトリシア】「…っ!貴様、スイーツガールの…っ!」
それでようやくパトリシアは目の前にいるのが誰か判別できた。クーリアはクロスバードの副長として名が知られているというのもあるが、何よりグロリアで直接殺し合っている。顔はよく覚えていた。
パトリシアはクーリアに掴みかかろうと体を起こそうとするが、その瞬間に体中に激痛が走り、呻き声をあげベッドに倒れ込む。クーリアは一切動じることなく、こう返した。
【クーリア】「すいません、少し近すぎましたね。悪い癖なので。…とにかく、私相手に掴みかかろうとするということは記憶は問題無さそうですね。…とりあえず、これをお返しします。血で汚れてたので洗っておきました」
と、テーブルに置いてあったクリシアクロスと眼鏡を見せる。先ほどのような状態でまだパトリシアの体は動かないので、見せるだけでテーブルに戻したが。
【パトリシア】「改めて聞くまでもなさそうだが…ここはどこだ?」
ようやく落ち着いてきたのか、パトリシアが静かに尋ねる。
【クーリア】「“スイーツガール”こと、クロスバードの休憩室です。地理的な話をすると、同盟と連合の境界線付近です」
【パトリシア】「…そうか」
クーリアの回答に、パトリシアはそう軽く返した。
【クーリア】「こちらからも伺ってよろしいですか?…無理に答えろとは言いませんが」
今度はクーリアが様子を見つつ尋ねると、パトリシアはこう返した。
【パトリシア】「大方、尋ねたいことの見当はついてる…大統領を殺ったのは、あたしらだ」
そして、パトリシアはゆっくりと「その後」のことを語りだした。
Σ小隊は何とかアンドリューが待つ潜入艦まで戻り、大気圏外へと脱出。同盟圏内へ逃走することで逃げ切ろうとしたものの、境界線付近で連合軍に感付かれ、戦闘に突入。
最初は5人の超人的な能力もあり、何とか逃げ切れそうだ、というところまで差し掛かっていたが、そこで現れたのが他でもない、シャーロット=ワーグナーだった。
彼女の駆る新型、フォーマルハウトの性能に加え、一連の出来事でフラストレーションを溜めていたシャーロット。その動きは既に人間のそれを遥かに凌駕しており、5機、そして潜入艦はあっという間に撃破された。…それは、まるで子供のおもちゃのような扱いだった、という。
【パトリシア】「…あたしだけは奇跡的に助かったけど、隊長、それに他の4人は…あっさり殺されたよ」
【クーリア】「そうだったのですね…」
今度はパトリシアが、逆に1つ尋ねた。
【パトリシア】「ぬいぐるみ…カペラのコクピットに、ぬいぐるみ、なかったか?」
【クーリア】「あぁ、確か…」
クーリアは立ち上がり、壁の棚の引き出しを開け、ぬいぐるみを取り出した。
【クーリア】「これも洗ったんですが…かなり深くまで染みついてて、きれいには取れませんでした」
そう言いながら、パトリシアの胸の上に置く。
本来は白いはずのそのぬいぐるみは、やや茶色に染まってしまっている。
【パトリシア】「あれだよ、あの小さい女の子…エカテリーナのものだよ。原型を留めてないスピカ…あの子の機体のコクピットで、血で真っ赤になって…」
圧倒的な、戦闘とすら言えないただの殺戮が終わった後、パトリシアはボロボロのカペラで何とか皆の遺品だけでも、と跡地で必死に探し回った。
…結論から言えば、回収できたのはこのぬいぐるみだけだったが。やがて自らも意識を失い、オリトに拾われるに至る。
【パトリシア】「あたしらはまだいいさ。罪の自覚もあるしそれなりに覚悟もある。その結果がこれだ。でもあの子はまだ11歳だったんだぞ…!それが…!あんな変わり果てて…っ!」
そこまで言葉を紡いだところで、再び激痛が走り、呻き声に変わった。
【クーリア】「分かりました、痛いほど…分かりました…もうしばらく、休みましょう…」
さすがのクーリアも、そう声をかけることしかできなかった。
クロスバード・艦長室。カンナが個人端末で読書をしている。
【クーリア】「…失礼します」
【カンナ】「どうだったかしら?」
報告をしに艦長室を訪れたクーリアに、カンナがパトリシアの様子を尋ねた。
【クーリア】「あの宙域をボロボロの状態で漂流していた時点で凡その予想はついていましたが…ちょっと言葉にできかねます」
【カンナ】「…そう」
カンナは軽くそう答えると、少し考え込み、こう続けた。
【カンナ】「クーリア、悪いけど、しばらく彼女のことを見てもらえるかしら?…そんな精神状態でクルーが入れ代わり立ち代わり、じゃ良くないでしょうし」
【クーリア】「承知しました。…それでは、失礼します」
そう言い、クーリアは退室した。
【カンナ】「さて…、報告書をどう仕上げたものか…もう録音データそのままぶん投げていいかしら…?」
静かになった艦長室で、そうにつぶやいた。今回の事態は当然報告する必要がある。そして先ほどのパトリシアの言葉は、ほぼ全て録音してある。しかし、どう報告すべきか。
…いや、そもそも、敵とはいえ浅からぬ縁もあり、自分と同年代の女の子であるパトリシアを、通常通り報告してしまっていいものかどうか。
しばらく悩んだが、答えは出そうになかった。
数日後。
パトリシアが再び目覚めたと聞き、クーリアが休憩室に入った。
【クーリア】「失礼します」
【パトリシア】「お前か。えーと…」
【クーリア】「クーリア=アレクサンドラ=オルセン。クーリアで構いません」
パトリシアはわざと迷う素振りを見せたものの、クーリア自身もクロスバードの副長としてそこそこ名前が知れているので、パトリシアも何度か名前は聞いている。念のため、という意味付けが強かった。
【パトリシア】「クーリアか。…なぁ、体、動くようになったんだが…」
【クーリア】「そうですか。良かったです」
【パトリシア】「…分かってる、分かってるんだが、敢えて聞く。…説明してくれ、この右手は、どういうことだよ…!」
そう言い、上着を脱いで、右腕を見せた。
…いや、厳密には、それは右腕ではなかった。
右の肩から先は銀色で無機質な、機械の腕が伸びていた。