第15章:小さな世界の果てで嘘と踊る
グロリア首都郊外の、小さなビル。
数日前に、グレイス王女がここに連れ去られたと示された場所。
…の、小さな通気口を進むチャオが1匹。オリトである。
【第15章 小さな世界の果てで嘘と踊る】
【オリト】(グレイス様はどこだ…!?)
小柄なチャオである身を活かして、ビル内に潜入したのである。
最も、チャオは基本的にはきれいな環境を好む生物であり、本来こういう場所は不得手。
それでもオリトが潜入したのは、自らこういう役目を買って出たからだ。スラム育ちのチャオであるオリトにとって、こんな環境は慣れたものである。
【オリト】(この部屋には…武装した共和国兵が数人…)
そのビルはグロリア王国の共和国系企業、という建前で建っているビルではあるが、中は完全に共和国の諜報基地と化していた。
もちろん、一番の目的はグレイス王女の捜索であるが、敵の状況をある程度把握できるのであれば、それだけで大きなアドバンテージを得ることができる。
オリトは必死に構造と状況を覚える。小さな録画用カメラで録画もしているが、やはり活きた記憶に勝るものはない。
いくつかの部屋を天井裏からチェックしていき、やがてある部屋の近くに辿り着いた。
部屋の中をチェックすると、人が何人か座っている。そして、そのうちの1人の姿が目に入った時、オリトは驚いた。
【オリト】(あれは…!)
思わず声を上げそうになるのを、必死で口を抑えて止める。
先日、オリトとシャーロットを襲った眼鏡の少女がそこにいたのだ。
オリトは音を立てないように深呼吸をし、落ち着かせる。
そして、改めて部屋の中を確認する。眼鏡の少女の他に、同年代と思われる少年が1人と、少し年下、10歳前後と思われる少女が1人、中年の男性が1人の計4人がいる。
オリトが様子を見ていると、少年が少女に声をかけた。
【少年】「パトリシア、ケガはもういいのか?」
【オリト】(パトリシア…あの時シャーロットさんが拾ったクリシアクロスに刻まれた名前!)
オリトはすぐにその名前を思い出す。点と点が繋がり線になる。あのクリシアクロスは本人のもので、パトリシア=ファン=フロージアは彼女の本名であること(仮に本名でなくても、周囲からそう呼ばれていること)はほぼ間違いない。オリトは確信した。
【パトリシア】「脇腹かすったぐらいでぎゃーぎゃー騒ぐなよミッチェル、あんまり自分から言いたくはないがあたしらは試験管生まれなんだぞ?」
それに対しパトリシアに声をかけた少年、ミッチェル=グレンフォードが返事をする。
【ミッチェル】「そうか、なら問題ない。すまなかった」
【オリト】(あのパトリシアって少女は軽傷、話している少年の名前はミッチェル、試験管生まれってことは…元々は研究対象として生まれた…?)
もちろん先ほどの録画用カメラで録音もしているが、改めて内容を自分の中で咀嚼する。でなければ、自分がここに来た意味がない。
次に、彼らを監督する立場にあると思われる中年の男性、アンドリュー=マルティネスが口を挟む。
【アンドリュー】「シャーロットを仕留められれば良かったんだが…まぁ相手が相手だからな。牽制できればそれでいい」
【パトリシア】「あの程度で牽制ができる相手とも思えねぇが…まぁなるようにしかならねぇ、か。そうだろ、エカテリーナ?」
と、パトリシアが話を振ったのが、10歳くらいの少女、エカテリーナ=キースリング。
【エカテリーナ】「ええ、クリシアの神の意思のままに…って、あれ?…パトリシアさん、クリシアクロスは?」
エカテリーナが、パトリシアが普段身に着けているクリシアクロスが無い事に気が付き指摘する。パトリシアは慌てた様子で衣服の中を探し回るが、
【パトリシア】「やべぇ、恐らくあん時に落としちまったかねぇ…シャーロットに拾われてなきゃいいんだがな…本国帰ったら作り直してもらうか…」
すぐに諦めたように探すのをやめた。
…そのクリシアクロスは、すぐそこで隠れているオリトが持っている。さすがにオリトはドキリとしたが、平静になるように努める。
【ミッチェル】「そういえば、カルマンとイズミルは?」
【アンドリュー】「カルマンは4階、イズミルはメグレズで待機だ。この2ヵ所を空ける訳にはいくまい」
【パトリシア】「4階…あぁ、王女殿下か」
【オリト】(4階…!!)
4階。王女殿下。直接見た訳ではないが、オリトはついに決定的なセリフを掴んだ。
それと同時に、彼はビルから撤退することにした。作戦を立案したクーリアとの約束で潜入時間を決めていたのだが、そろそろタイムリミットが近づいていたのだ。
一方、クロスバードのクルーは、そこから数百メートルほど離れた別のビルの一室で待機していた。
【カンナ】「オリト君、本当に大丈夫なのよね…?」
【レイラ】「生体スキャンシステムのハッキングは問題ないはずです。あとは、オリト君の頑張り次第だと思います」
この時代、ある程度のセキュリティが必要な建築物などには、建物全体の生命反応をスキャンできる生体スキャン機能がある場所が多い。この物語の最初、オリトがクロスバードに迷い込んだ際もそれに反応したのが生体スキャンシステムだった。
例に漏れずオリトが潜入したビルにも生体スキャンシステムが備わっているが、レイラはそれをあっさりハッキングして解除してみせたのだ。
【ジェイク】「しかし、敵国のシステムなんてよくハッキングできたな?」
感心しつつ首を傾げるジェイクに、レイラが気持ち小声で説明する。
【レイラ】「ここだけの話なんですけど…魔女艦隊にいた時に、こっそり共和国の暗号システムの一部を覗き見してコピペしたんです。ドゥイエット家系のシステムがハーラバード家系のシステムでも普通に通用するとはさすがに思いませんでしたけども…」
【ジャレオ】「い、いつの間にそんなことを…」
【ゲルト】(地味に恐ろしいなコイツ…)
【ミレア】「…そろそろ、時間、です」
ミレアが時計を見ながらつぶやく。潜入のタイムリミットの時間のことである。
【フランツ】「グレイス王女殿下の居場所は無理でも、最悪ビル内の構造だけでも分かれば大きな収穫なのですが…」
【レイラ】「でもオリト君の性格を考えると、無理して長居しちゃいそうな気がするけど…大丈夫?」
【クーリア】「念のために色々仕込んだり教えたりはしていますが…通信系の機器が一切使えない以上、最終的には彼次第です」
通信に気づかれてバレるのを防ぐため、オリトには通信系の機器は一切持たせていない。小型の録画用カメラも、ジャレオが通信機能を全て取り外した特製のものだ。
【カンナ】「…とにかく、今はオリト君を信じて待つしかないわ」
【パトリシア】「…で、結局これからどうするんだ?グロリアの連中だって馬鹿じゃあるまいし、例の時間までのんびりしてる訳じゃないだろう?」
パトリシアが話を続ける。いかにも続きを聞きたい話題であるが、オリトはぐっと我慢し、音を立てないように引き返す。…ここから先の会話は、オリトは聞いていないし、録音データにも入っていない。
【アンドリュー】「そうだな…パトリシア、カルマンと代わってくれるか?ついでに例の情報について聞き出せるといいが、そっちはまぁ二の次でいい」
【パトリシア】「それは構わねぇが…」
【アンドリュー】「ミッチェルとエカテリーナは今夜を目途にここから「動いて」もらう。D48地区の第6ビルだ…っと、エカテリーナは?」
アンドリューがふと気が付くと、部屋からエカテリーナがいなくなっていた。
【ミッチェル】「理由は解らないが、先ほど部屋から出ていった。動くことに関しては後で私から伝えておこう」
【アンドリュー】「頼むぞ」
ミッチェルの返答に、アンドリューは納得したように軽く回答した。
実際のところ、エカテリーナが部屋から出て行ったのに特に理由は無かった。強いて言えば、「飽きた」というところか。
エカテリーナはまだ11歳である。座って大人(最もミッチェルもパトリシアも18歳なのだが)が小難しい話をしているだけ、というのは飽きるというものだ。
彼女はお気に入りの人形を持ちながら、特に目的も無く廊下を歩く。周囲には誰もいない…はずだった。
…その時、ふと「気配」に気が付いた。
【エカテリーナ】「…誰か、いるの?」
その声に反応するかのように、廊下の天井にあった通気口からガタリと音がし、…1匹のチャオが『落ちてきた』。オリトである。
【エカテリーナ】「…チャオ?」
【オリト】「うわあっ!?」
オリトは想定外の事態にかなり慌てた様子で、意思疎通がすぐにできる状況ではない。ただ、それはエカテリーナも同様。予感があったとはいえ、突然天井からチャオが落ちてきたのだ。互いに冷静な状態ではなかった。
しばらくして、ようやくエカテリーナが尋ねる。
【エカテリーナ】「ま、迷子?」
【オリト】「…え、あ、はい!」
オリトは咄嗟に肯定したものの、パニック状態が収まらず、質問の内容をよく理解しないまま頷いてしまっている。
【エカテリーナ】「…そう。出口はあっち。気を付けて」
と、エカテリーナも親切に出口を教えたが、そんなことをした彼女も冷静ではなかった。そもそもにして、このビルは共和国兵が厳重に警備しており、迷子のチャオが入り込む余裕なんかないはずなのだ。
【オリト】「あ、ありがとうございます!」
オリトも訳が分からないままお礼を述べて、エカテリーナが指した出口の方へまっすぐ歩いていった。
【エカテリーナ】(こんなところに迷子のチャオなんて…あれ?)
ふと彼女が気が付くと、オリトが去っていった床に、光るものが落ちていた。
【オリト】「…オリト、戻りました!」
【カンナ】「!!…お帰り、良くやったわ!!」
戻ってきたオリトの姿を見て、歓声が沸くビルの一室。
【ジャレオ】「早速カメラデータの解析に入ります」
【オリト】「お願いします。直接見た訳ではないんですけど、あのビルにグレイス王女殿下がいるのは間違いないみたいです。そういう会話を聞きました」
そう言いながらオリトは機材をジャレオに渡す。
【クーリア】「…!正直無事に帰ってくるだけでも合格点だと思っていたのですが…」
【カンナ】「オリト君はゆっくり休んどいて!ジャレオとクーリア、レイラは解析をお願い!それが終わり次第、作戦会議に入るわ」
テキパキと話を進めるカンナと、それに従うクロスバードのクルー。だが、その雰囲気を止める人がいた。
【ミレーナ】「…なんかみんな完全にやる気だけど、本当にいいのー?止めるなら今のうちだよ?」
【アネッタ】「え?」
【ミレーナ】「銀河の反対側に飛ばされて彷徨っておよそ1ヵ月、やっと帰れそうってところで他の国の争いに首を突っ込んで…下手すれば命を落とすかもしれないんだよ?」
その疑問に対し、カンナがゆっくりと喋りだした。
【カンナ】「…正直、似たようなことは、ずっと考えてます。…この争いにあたしらが首を突っ込むことがどれだけ無謀か、どれだけ無駄か、どれだけ無意味か…でも、それでも、あたしらは首を突っ込む人でありたい。困ってる者を放っておく訳にはいかない…!」
それは、確固たる決意だった。そしてそれは、クロスバードのクルー全員の意思である。
【ミレーナ】「…そう。そこまで言うなら、もう止めないわよー。その代わり、その後始末をするのが、教師の仕事ってやつなのかねー…」
それを聞いたミレーナ先生は、半分諦めたような笑顔を見せ、ビルの一室を去ろうとする。
【カンナ】「先生…大丈夫です。必ず、全員、生きて戻ってきます」
【ミレーナ】「りょーかい。よろしくねー?」
そう言うと、ミレーナ先生は背中を見せたまま軽く手を振り、歩いて去っていった。
一方、エカテリーナはミッチェルから移動についての話を聞き、その準備のために別の部屋へと移動していた。
そこで、偶然パトリシアとすれ違う。
【パトリシア】「お、エカテリーナか。ミッチェルから話は聞いたか?」
【エカテリーナ】「ええ、D48の第6ビルに移動ですね」
【パトリシア】「あぁ…っと、そういえばお前、あん時何処行ってたんだ?」
【エカテリーナ】「いえ、深い理由は…あ、でも、その途中で見知らぬ迷子のチャオと会いました」
【パトリシア】「迷子のチャオ!?」
パトリシアが面食らったような表情で聞き返す。繰り返しになるが、いくら体格の小さいチャオといえど、警備が厳重なこのビルに偶然迷い込む、なんて話は基本的にある訳がないのだ。
【エカテリーナ】「ええ。それでパトリシアさん、そのチャオが落としていったようなんですが、これを…」
と、ポケットからあるものを出してパトリシアに渡す。
【パトリシア】「これは…!」
…それは、パトリシアの名前が刻まれた、クリシアクロス。
パトリシアは一瞬『何故』と思考を巡らせたが、その回答は1秒ほどで解けた。
【パトリシア】「まずい!!そいつは…敵だ!!!」
思わず叫ぶパトリシア。そう、クリシアクロスを落としたと思われるシャーロットとの戦いの最中にいたチャオ…それが、他でもないオリトなのだ。
【エカテリーナ】「!?」
パトリシアの叫びに思わずたじろぐエカテリーナ。そしてその次の瞬間、ビルを大きな爆発音が襲った。