第12章:流転の渦を飲み込むように
【レイラ】「あーあ、結局お留守番かー…」
クロスバードの通路。レイラが一人歩いていた。
終わっていなかったクロスバードのソフトウェア更新をするため、休みを取らずにこの艦にいるのだ。
【レイラ】「艦長もグロリアで流行ってるとかいうドーナツの店に突っ走っちゃったし…そういえばケーキおごるって約束どうなったのよ…ぶつぶつ…」
などと愚痴りながら、休憩を終えてブリッジへ戻る。
【レイラ】「そもそもミレーナ先生だって留守番するって言ってたのに結局医務室で寝てるじゃない…結局あたしがこういう役回りを…って!?」
ブリッジの扉を開けたレイラは、思わず言葉を詰まらせた。
【レイラ】「あ…あの…どちら様ですか!?」
そう、知らない人がいたのだ。しかも、またまた(?)彼女たちとそう年の変わらない、少女が。
【第12章 流転の渦を飲み込むように】
【少女】「こ、これは、あの、その…も、申し訳ありません!面白そうで、つい!」
慌てて謝る少女。
【レイラ】「面白そうって…」
困惑するレイラ。だが落ち着いて、少し冷静になって考える。
現在クロスバードは首都付近にある王国軍の基地内に停泊している。つまり、一般人はそう簡単には入れない。彼女の服装は私服であることから、自分達のような軍関係者というのも考えにくい。
【レイラ】(となれば…政府関係者の娘とか、そういうポジションの人かしら?)
そんなことをレイラが推測していると、突如背後に少女がクルリと回り込み、レイラの首にナイフを突きつけた。
【レイラ】「!?」
驚くレイラに、少女は小声で話しかける。
【少女】(安心して下さい、おもちゃです。少しの間、私の『演技』に付き合って頂けますか?)
突然の展開に呆然とするレイラ。しかし状況を整理する間もなく、数人の男がレイラを追うようにしてブリッジへと駆け込んできた。
【男性A】「見つけましたよ!」
【男性B】「まさかこんな場所に来るなんて…早く戻られないとどうなるか…!」
すると少女は毅然とこう返す。
【少女】「黙りなさい!今私はこの方を人質に取りました。今すぐこの戦艦から降りなさい。さもなくば…分かりますね?」
【男性C】「人質って…子供の遊びじゃないんですよ!?どうせブラフなんでしょう!」
【少女】「いいえ、本気です!」
すると彼女は腕を少し動かす。レイラの首筋から、赤い血がわずかに流れる。…というように見えるというよくできたおもちゃで、実際にはレイラは無傷である。
【男性A】「!?」
【少女】「この状況でこの戦艦の乗組員を殺してしまえば…外交問題どころか、グロリアの存続それ自体に関わりますのは、皆さんもお分かりになりますわよね?」
【男性B】「ぐっ…!」
同盟と共和国に挟まれた場所という元々不安定な地理条件の中で上手く立ち回ってきたグロリア王国。だからこそ、王国民、特に政府関係者は外交問題に対して非常に敏感である。わずかなミスや失敗でも、国家間のパワーバランスを崩してしまえば、即ちグロリア王国の存続に関わるのだ。
また、クロスバードのクルーが同盟の超エリート揃いというのは今回の事態に対処している王国関係者も承知している。レイラも実家は同盟における大手通信企業の経営者一族であり、そんな家族の一員に何らかの危害が及んだとなれば…後の展開を想像するのは難しいことではない。
【男性B】「仕方ない…一旦下がるぞ!」
【男性A】「で、ですが!」
【男性B】「我々が数百年かけた努力を一瞬で無に還す訳にはいかんのだよ!」
【男性C】「くっ…仕方がない…」
男達は相談の上、一旦撤収することを決断した。いくら状況が状況といえど、クロスバードが同盟軍の戦艦である以上、本来は無断で入るだけで殺されてもおかしくないのだ。
そして撤退間際、彼らのうち1人がその少女の方を向いて叫んだ。
【男性B】「この戦艦を巻き込んだ以上、もう後戻りはできませんよ!分かっていらっしゃるんでしょうね、『王女殿下』!!」
…そう言い残し、彼らはクロスバードから降りた。
【レイラ】「…王女殿下?」
時間にして10分ぐらいだろうか。レイラがブリッジへ戻ってきてからの怒涛の展開に、未だに頭がついていってないが、最後のフレーズだけは耳に残った。そして、半ば呆然としたまま、何となくそのフレーズを繰り返す。
そのつぶやきに対し、その少女はこう答えた。
【少女】「失礼、自己紹介が遅れました。わたくし、マリエッタ=ネーヴル…グロリア王国の王家たるネーヴル家の第二王女でございます」
【レイラ】「…は、はいぃぃぃ!?」
今度こそ、レイラの思考が完全に停止した。
一方、そんな事になっているとは全く知らないオリトと、偶然出会ったシャロン。公園で雑談しながらドーナツを食べる。
【オリト】「シャロンさんはどこの人なんですか?」
【シャロン】「あたし?…教えたいのは山々なんだけど、本名と同じで教える訳にはいかないんだよねぇ…」
【オリト】「あぁ、そうでした、すいません」
【シャロン】「まぁ、グロリアにはちょっとした仕事みたいなもんでね…」
彼女はそこまで喋りかけたところで、突然言葉が止まった。強烈な「違和感」を感じたからだ。グロリア王都の一角にあるのどかな公園、という雰囲気が、気がつくと消え失せていたのを感じ取った。
【シャロン】「…まずいっ!」
次の瞬間、彼女は慌ててオリトを引っ張るようにしてベンチから飛び上がる。刹那、そこに一筋の赤い光線が走り、その射線上でベンチに穴を開けていた。
明らかに、自分を狙ってきた。そう感じたシャロンは、チャオであるオリトを有無を言わせず自分のバッグに無理矢理押し込むと、一気に駆け出した。
だがその目前に、どこからともなく1人の少女が飛び降りてくる。少女は眼鏡をかけていたが、シャロンが見る限り、レンズ越しに見える瞳は明らかに常人のそれではなかった。
【少女】「あの狙撃を躱すとは…さすが連合のエース様ってところかねぇ?シャロン=イェーガーこと、シャーロット=ワーグナー?」
と、その少女は「シャロン」に対し、連合のエースの名を呼ぶ。シャロン…いや、シャーロットは、それに対し否定するまでもなく、こう返す。
【シャーロット】「そりゃいつかはバレるとは思ってたけど、まさかこんなに早いとは…ったく、ウチの軍はもうちょっとセキュリティしっかりして欲しいわねぇ」
【少女】「さすがにレグルスに乗られると手がつけられないけど、生身なら…あたしらでもぶっ壊せるからねぇ!!」
シャーロットの愚痴混じりのつぶやきを無視するかのように、少女はそう叫びながら右脚を大きく振り、強烈な蹴りを叩き込もうとする。だがそれに対しても、シャーロットは素早く反応してかわした。
【少女】「ちぃっ!」
【シャーロット】(これは…まずい!)
この蹴りの一連の動き、そして今までの言動でシャーロットは確信した。彼女は恐らく、「ただの人間」ではない。そして人型兵器に乗ってない自分が、まず勝てる相手ではない。
人型兵器での戦闘においては間違いなく銀河トップクラスの才能を持つシャーロットだが、いわゆる生身では彼女も1人の人間である。軍人であるため人並みの訓練は受けており、また超人的な反応速度を持ち合わせているため素人に比べれば強いのは間違いないが、こういう専門の訓練を受けた手合いに対して勝てる程の強さは持ち合わせていなかった。それに、
【シャーロット】(このチャオもいるしなぁ…)
あまりの突然な展開に気絶してしまっているが、これ以上巻き込む訳にはいかない。となれば、とるべき行動は1つである。
シャーロットは上着の右ポケットに手を入れ、何かを探す仕草をする。当然、相対する少女はそれをチャンスとばかりに飛び掛ってくるが、その右手はフェイク。咄嗟に左手で護身用のスタンガンを撃ち込んだ。
【少女】「っ!?」
さすがの彼女も一瞬動きが止まる。そのスキに、
【シャーロット】「事情を聞いてる余裕はなさそうだし…ここで死んでもらうよ!」
右手で携帯している小型の光線銃を抜き、彼女の額に向かって一発撃ち込んだ…つもりだったが、その直後に彼女は言葉にならない呻き声をあげる。当然額に銃を撃ち込んでいれば声を出す余裕もなく死んでいるはずなので、その声はシャーロットの一発が外れた事を意味していた。
シャーロットはそれを察して素早く飛び退こうとするが、次の瞬間、少女の左腕からナイフが舞い上がり、シャーロットの右腕に刺さった。
【シャーロット】「ぐっ…!」
慌てて右腕を抑え、ナイフを抜いて止血するシャーロット。連合のエースパイロットである彼女が右腕を失うということは、即ちそれだけで連合の戦力が半減することを意味するのだ。彼女は不本意ではあるがそれを自覚している。ここでまず何よりもやるべきなのは、傷を深くさせずに止めることだった。
一方、眼鏡の少女も先ほどの光線銃の一撃で脇腹を撃たれ、やはり流血していた。いくら人間離れした彼女といえどとても追撃できる状態ではなかったようで、シャーロットが右腕を抑えているのを確認すると脇腹を抑えながら逃げるようにその場から消えていった。
【シャーロット】「くっ…まさに痛み分けか…」
そう愚痴りながら服の袖で止血をする。そこで、ようやくオリトが気が付いた。
【オリト】「う、うう…」
【シャーロット】「っと、大丈夫?」
【オリト】「あ、はい…って、あなたは…!」
オリトは彼女の顔を見て絶句した。先ほどの眼鏡の少女の襲撃のためサングラスやウィッグでの変装が外れたため、オリトもニュースサイトなどで見たことのある「蒼き流星」の顔そのものが、オリトの目の前に現れたのだ。
シャーロットも驚くオリトの様子を見てその状況を理解し、こう返した。
【シャーロット】「あ、あぁ、悪い、まぁこういう訳で顔や名前を隠さなきゃいけなかったんだよ」
【オリト】「あ、そう、そうですよね…」
未だにオリトは上手く言葉を返せない。目の前にいるのが銀河レベルでの超有名人だということももちろんだが、何せクロスバードは数週間前に彼女と戦っているのだ。バレたら殺される、という思いがオリトの中を巡る。
その様子を見たシャーロットが、襲撃前の会話を思い出して、さらに続けた。
【シャーロット】「あー、そういえば同盟のチャオなんだっけか。心配すんな、面倒事は起こすなって上からきつーく言われてるし、同盟のチャオだからってすぐに殺したり捕まえたりするようなことはしないよ」
【オリト】「そ、そうですか…」
その言葉が本当である確証は無かったが、オリトはとりあえず安心した。今までの会話から、とりあえず信用できる人だと半ば無意識に判断していた。一方、シャーロットは苦笑いしながらこう続ける。
【シャーロット】「とはいえ、向こうから襲われるのはちょっとどうしようもないけどね…あたしがここにいるのを知ってるって一体どこの連中なんだか」
その時、オリトが地面に見慣れないものが落ちていることに気が付いた。先ほど襲ってきた眼鏡の少女の血の跡が赤く残っている、そのすぐ横である。
オリトは数歩だけ歩いて、それを拾い上げる。×印のような形をした金属のネックレスのようだった。それにシャーロットが気が付き、オリトに声をかける。
【シャーロット】「ん、ちょっと見せてくれるか?」
オリトがシャーロットにそのネックレスを見せた瞬間、シャーロットの表情が固まった。
【シャーロット】「こ、これは…」
【オリト】「何ですか、これ?」
【シャーロット】「『クリシアクロス』、クリシア教の象徴…ってことはほぼ間違いない…奴ら、共和国のハーラバード家だ」
クリシア教。共和国で広く信仰されている宗教である。特にハーラバード家は代々クリシア教の熱心な信者、そして庇護者であることが知られており、今回の襲撃がもし組織的なものであれば、ほぼ間違いなくハーラバード家の手引きだとシャーロットは結論付けた。そこでさらに、シャーロットはあることを思い出す。
【シャーロット】「確かクリシアの信者は、身に着けているクリシアクロスに自分の名前を彫るって習わしがあったはず…」
と、先ほどのクリシアクロスを裏返す。そこには確かに、女性の名前らしき文字が彫ってあった。
【シャーロット】「人を襲ってくるぐらいだから偽名や盗品の可能性もそれなりにあるだろうけど…恐らくこの名前の女ね」
【オリト】「『パトリシア=ファン=フロージア』…」
【ミレーナ】「なんだか騒がしいけど、どうしたのー?」
マリエッタが自己紹介し、レイラの思考が吹っ飛んだそのタイミングで、完全に出遅れた形でミレーナ先生がブリッジに現れる。
【レイラ】「そ、それが、あの、その…」
レイラが返す言葉に困っている間に、ミレーナ先生の視線がマリエッタ王女の方へ向かい、それだけでミレーナ先生は大体何が起こったかを察した。
【ミレーナ】「あー、なるほどねぇー…」
【マリエッタ】「ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません」
【レイラ】「え、先生、知ってるんですか?」
その様子を見たレイラが驚き、2人は知り合いなのかと問う。だがそうではない。
【ミレーナ】「いやー、ニュース見てない?ほら」
と、ミレーナ先生の個人端末をレイラに見せる。その画面には、グロリアのニュースサイトが表示されていた。
【レイラ】「『マリエッタ第二王女、高齢者介護施設を訪問』…」
その記事と共に載せられていた写真には、目の前の少女と同じ顔をした「王女様」が写っていた。
【レイラ】「正直、同盟のニュースばかり読んでてグロリアのニュースサイトはほんんど見てなかったわ…」
レイラがそうぼやく。
ミレーナ先生は自分の端末をポケットに戻すと、ふと表情を変えてマリエッタ王女にこう尋ねた。
【ミレーナ】「ところで王女殿下…いきなりこんな事聞くのは失礼かも知れないけど、ズバリここに来た『本当の理由』をそろそろ教えてくれないー?」
【レイラ】「え…?」
【ミレーナ】「どう見ても『面白そうだから遊びに来た』ってのは建前だよねー?」
戸惑うレイラ。だがそんなレイラをよそに、ミレーナ先生はマリエッタ王女の方をじっと見つめる。その表情は、先生がごくたまに見せる本気の表情である。
しかしマリエッタ王女は動揺する様子は全くなく、しばらくは笑顔のまま沈黙していたが、やがて我慢しきれなかったかのようにこうつぶやいた。
【マリエッタ】「…やはり、誤魔化せないようですね…話すと長くなるのですが、よろしいですか…?」
【ミレーナ】「こっちは暇だし、もう巻き込まれちゃったしねー。いくらでも聞くよー」
ミレーナ先生のその言葉を受けて、マリエッタ王女はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。