Escape from the Girl 2
鍵は公園だ。
学校から詩音の家までを結んだ直線の中に、小さな公園があった。
それは学校から走って二分くらいの所にあった。
詩音はそこに向かった。
校内で稼いだリードでこの二分を作る。
「袋小路じゃないか?」
と黒いジャージの男は聞く。
晃はすぐ後ろまで迫っていた。
詩音が見ているのは、またフェンスだった。
それを飛び越えて再び突き放すつもりなのだ。
晃は公園には入らずに迂回する。
フェンスを越えられない晃にとって、公園は行き止まりと同義だった。
「お?」
晃が迂回した理由を知らないジャージの男が不思議そうな顔をした。
しかし詩音の方も、単にフェンスを越えればいいというわけではなかった。
詩音が目指す場所までの間には、ジャングルジムとブランコがある。
ドーム型のジャングルジムを詩音は走ったまま登り、階段の時のように飛び降りる。
肩を寄せてブランコの鎖にぶつからないようにしながら、ブランコを低いハードルのように飛び越える。
そうして真っ直ぐに進んだ詩音は目的のフェンスを掴む。
飛び降りた地点のすぐ前には横断歩道がある。
詩音はそれを渡るが、晃がそこまで来た時には信号が赤になっていて、追いかけられなくなった。
「あの少年、やるなあ」
公園のフェンスに手をかけて、黒いジャージの男は晃に声をかけた。
「君もかなり速いね。陸上部?」
「はい、そうです」
息を切らしながも、晃は答える。
そしてフェンス越しに話しかけてきた男の顔をよく見て、驚愕する。
「あなたはもしかして、立花剣選手!?」
「そう。立花、元選手」
と男は笑って自分を指した。
彼は長距離走で有名な選手だった。
大きな大会でメダルも取っている。
「お会いできて光栄です。え、なんで立花選手がここに?」
「知らないの。俺の地元、ここらへんなんだけど」
「えっ、そうなんですか」
「うん。まさか地元で有望な若者二人に出会えるとは、嬉しいね」
「あはは。でもシオちゃんは陸上する気ないんですよ」
「そうなの?」
「いくら誘っても逃げられるんです」
「なるほど。今日も逃げられたっていうわけだ」
「はい」
立花は信号を見た。
もう青に変わっていた。
晃もそれを見たが、追いかける気は失せていた。
「ところで君たちは、チャオを飼ってるのかな」
「チャオですか? 私は飼ってます」
「そうか。レースはするのかい?」
「しますよ。うちのチャオ、走るのが速いんです。それも帰宅部のシオちゃんが駆けっこして遊んでくれてるからなんですけど」
もはや詩音のチャオと言ってもいいくらい、詩音は晃のチャオをよく世話していた。
「なら、いいことを教えてあげよう。これは噂なんだが、今度新しいチャオレースが発表されるそうだよ」
「えっ、そうなんですか」
「俺のところにはそういう話がちらほらと入ってくるのさ。本当か嘘かは知らないけどね」
「本当だったらいいなあ。新しいチャオレースなんて、もうないかと思ってました」
「十年前にできたアレキサンドライトレースは、チャオレースの完成形と名高いからね」
「あの、立花さんもチャオを飼ってるんですか?」
「いや、俺は飼ってないよ」
「それにしては詳しいじゃないですか」
「チャオレースには興味があったんだよ、元々。陸上選手としてね」
と立花は微笑んだ。
「噂が本当だといいね。それじゃあ」
立花は走り去った。
フェンスの向こうの立花の背中を晃はじっと見ていた。
サインもらいたかったなあ、と晃は思っていた。
一方逃げ切った詩音は、自分の家に帰らず、晃の家に寄っていた。
「どうも、詩音でーす」
ドアチャイムを鳴らし、家の中に呼びかける。
少し待つと玄関ドアが開いて、晃の母親が出た。
「おかえり、詩音君」
「チャオ!」
晃の母の足下にいたチャオが詩音に駆け寄った。
晃が飼っているチャオ、ビームだ。
ニュートラルハシリタイプに進化して、いわゆるソニックチャオと呼ばれている状態に近付いてる。
「おっす、ただいま。ただいまです」
と詩音はチャオと晃の母に挨拶する。
「いつも悪いわねえ」
「いいえ。俺もこいつのこと好きですから」
「チャオ~」
ビームは詩音の脚に頬ずりする。
いつも世話をしているから、ビームは詩音にもだいぶ懐いている。
「じゃあ、ビームのこと今日もよろしくお願いします」
晃の母はお辞儀をした。
「こちらこそ」
と詩音もお辞儀をすると、ビームも真似して頭を下げた。
そして詩音はビームとチャオガーデンに向かう。
「よしビーム、ダッシュで行くぞ」
「チャア!」
詩音とビームは併走する。
ビームは走るのが得意だ。
歩幅の差があるから詩音の全力には付いてこられないが、まるで小さな自転車といったふうなスピード感のある走りをした。
詩音はビームのペースに合わせながら、しかしトレーニングであることを意識してやや速めに走る。
ビームはチャオレースに出ている。
まだ賞金が出るレースに出たことがないが、いずれテレビ放送されるようなレースに参加させるのが晃の夢で、詩音はそれを手伝っていた。
自分が走るわけじゃないから苦痛にならない。
飽きたらやめればいい、と思いながらも、しかしビームを可愛がっているうちに愛着がわいて、こんなふうにビームのトレーニングに付き合っていた。