WALKIN' IN THE DARK.
夢にまで見たチャオをついに購入した。
孵化器みたいなところでオレンジ色の光を浴びた卵には、それなりの値段が印刷された値札シールがべたっと貼ってあった。
隣には、何も知らないような表情をした、あどけないチャオたちが狭い空間の中で、数匹、えいさほいさと、よちよち歩きをしていた。
店員曰く、ああして生まれてしまうと、やや値崩れするらしい。
「新品と中古品みたいなものッスかね?」
口の悪い店員の、口の過ぎた言葉に、内心顔を顰める。
けれど僕も、何となくその"価値が落ちる感"に同調してしまう。
そして、僕は新品派だ。
「じゃあ、こっちを」
しばし財布と相談した挙句、彼らでは無く、値札付きの卵のままのチャオを購入した。
ちなみに孵化後の卵の殻はある程度の値段で引き取ってくれるとのこと。
あの素材を色々と加工すると、一種の甘味料として用いられるらしい。
内容はともかく、キャッシュバックを使わない手はなく、翌週、殻は回収してもらった。
きっと、あの殻は、僕が朝食のパンに塗る赤いジャムの原料にでもなるのかもしれない。
さて、チャオの育て方は簡単だ。
何せ、彼らは毛も落とさないし、エサも散らかさないし、糞尿を床にまき散らすことも無い。
しかも、他の動物に比べて、感情表現が分かりやすい。
頭に浮かぶ正体不明の何かがぐるぐるとしたら、エサの時間。
それがハート形を浮かべるまで撫でてあげれば、しつけはオッケー。
僕みたいなペット初心者でも何の問題も無い。
だから、彼らは最近よく出荷される。
本当によく、出荷されている。
そして、僕も彼を、購入したのだ。
「よしよし、こっちにおいで、ハッポー」
チャオは順調に育っていった。
名前も付けた。
昔、チャオを飼っていなかった頃、憂さ晴らしに描いたチャオの小説のタイトルが「八方チャオ」だったから、そう名付けた。
なんでそんな小説タイトルにしたかは分からないが、昔から"8"という数字が好きだったのでその辺りの影響だとは思う。
今のところ、このハッポーに与えられた特徴はそれくらいで、あとは特に何の特徴も無い、普通のチャオのままだ。
人の趣味によっては、別売のカオスドライブと言う栄養ドリンクや、小動物と呼ばれる栄養素を混合させたチャオ用ドラッグを用いることで彼らを変幻自在な形態に弄ることも可能らしい。
僕はしない。
そう言う趣味に興味が有るわけではない。
単純に、お金が足りない。
ペットと言うのは、そもそも金持ちの道楽だ。
ちょっとした努力をもってインターネットを調べれば、変わった形をしたチャオはいくらでもいる。
やれツイッター。
やれインスタ。
SNSに公開されたチャオは、ネット環境がある限りいくらでも目にすることができる。
何ならTikTokでチャオが躍っている映像すら最近のトレンドだ。
一体誰が見るのだろうか?
なんて思いつつも、僕は僕なりの愛情をもってハッポーを育てている。
僕のチャオ、ハッポーは順調に、僕になついた。
そして。
順調に、次第に。
彼の身体は黒くなっていった。
「――まー、大抵はみんな、チャオはダークになるんですよ」
少し僕の好みの顔をした、"女の子"呼びがまだ通じるくらいの若い女性店員が、努めて営業スマイルでそんな説明をしてくれる。
別に彼女の言葉で言う"ダーク"になったチャオに心配して店に訪れたわけではなく、これは只の世間話の一環だ。
本当は僕に給料が入って、少しだけ、本当に少しだけ、チャオの変形に興味が湧いて、エサ売りコーナーを物色していたのだ。
したらば、彼女はまるで衣料品店の店員のごとくこちらにすっ飛んできた。
理由は何となくわかる。
このコーナーで一度買えば、次も又来る客が多いのだろう。
これを喩えるなら、何だろう。
無課金ユーザが課金を始めてしまうか否かの瀬戸際に僕はいるのだろうか。
彼女とすれば、僕を引きずり込めばしめたものに違いない。
「大抵は、ってことは、他にも?」
僕は首を傾げる。
と言うのも、先ほどやり玉に挙げたSNSにしても、ほとんどのチャオはダークに成長する。
そのほかに成長するなんて考えもしなかった。
僕の問いに、女性店員が頷く。
彼女が言うには、ダーク以外にも、ヒーローなんていう成長もあるらしい。
実際に、彼女のSNSを見せて貰うと、真っ白なチャオがそこにはいた。
その両隣には、角度をしっかり調整した彼女と、彼女の息子らしい子供がふてぶてしい表情でピースをしていた。
腕にはやけにばんそうこうやらが多い。
育ち盛りの息子と言うのは、こんなものなのだろうか。
独身族の僕には知る由も無いが……。
「ふうん……」
特段彼女らの自己主張の強い画像に興味はなかったが、何となく唸るフリをする。
「私以外にも何人かヒーローに育てることができたんですよー。でも中々レアだと思いませんか?」
「あ、ええ、まあ」
当初はエサの販促に来たのであろう彼女が、僕の頷きに段々とヒートアップして、すっかりヒーローチャオ自慢大会を開いてしまう。
自慢げ、あるいは傲慢ともとれるような口調に、僕は思わず口ごもる。
顔はタイプだが、中身は申し訳ないけど、がっかりだ。
そう言う押しの強さが、こうして販売員ができる素養とも言えるのかもしれないが、あまり好きになれる相手では内容に思う。
「後ですねぇ――」
苦い表情を浮かべているだろう僕にはお構いなしで、スッスッ、とスワイプする彼女の画像が僕の目に映り込んでくる。
やがて、画像に頻繁に登場するようになった彼女の夫(?)と思われるガタイのいい男が、気弱なシステムエンジニアを決め込んでいる僕を大いに怯えさせる。
なんたって腕に"動物"が彫ってあるのだ。
最近はタトゥー容認なんて動きもあるらしいが、とんでもない。
僕は思わず目を逸らし、腕時計を見るふりをして、また来ますと慌てるふりをして、そそくさと店を出ることにした。
購入元なので、何度かお世話になるとは思うが、次からは、あのチャラそうな若い男の店員で妥協しようと、僕は心に決めた。
と、そんなことが有ってから数か月。
チャオ育成サイト曰く"進化"という過程を通して、僕のチャオもすっかり立派なダークチャオになった。
特に何を強化しているという訳でもないので、どこにでもいる、フツーのチャオだ。
少なくともインスタ映えはしない。
ましてや、あの真っ白なヒーローチャオにもならなかった。
別に、昔からヒーロー戦隊ものよりも、ハイジが好きな男の子だったので、そういう願望が強いことはない。
ただ、やっぱり、僕も男の子なので、どうやったらあーいうチャオになるんだろう、なんていう妄想にし足ることは良くあった。
ちなみに、チャオ育成サイトの統計によると、ヒーローチャオは貧乏な国、地域の方が発生しやすいらしい。
なんだか意外な結果だ。彼らの、
「チャオは人々と共生する生き物なので、彼らには人を守ろうという気概に溢れているのかもしれません。
弱者たる貧乏な人々を救うために、彼らはヒーローとなるのです!」
との言葉は、にわかには信じがたい。
イルカやクジラが人と心を通わせる何て言う動物愛護団体推奨の映画を大学時代に強制的に視聴させられたが、とても同意はし難い。
一応、その時は単位が欲しかったので「彼らを保全するべきだ!」なんていう英作文を書いて提出はしたが……。
が、そんな疑問がある日晴れる出来事があった。
会社の昼休みの時間に公園でくつろいでいると、汚い身なりをしたチャオに石を投げている子供が数人いるのが目に付いた。
このご時世、外で遊ぶ子供が減ったとか、塾通う子供が増えたとか、子供の生活スタイルは大きく変わったなんてよく言われるが、本質的にクソガキな部分は昔のままだ。
一方、きっと、あのチャオは野良チャオなのだろう。
そう、あんなに育てやすいチャオですら、誰かは捨てるのだ。
そして、捨てられた彼らは野良になる。
……なったところで、彼らが人無しでできることは限られているから、ああして、どんくさく子供に虐められている。
チャオ情報サイトでいる"死"の眉に包まれるまで、彼らはこの世の生き地獄を一心に背負うに違いない。
そして、そんなチャオの些細な変化が、僕の目に留まった。
「白い……」
遠目にいるチャオの身体の色が、明らかに白く変色したのだ。
それはきっと、誰もがすぐに気づく変化ではなく、その姿をじっと見ていた人間だけが気づく、些細な変化。
子供たちは何を言うでもなく石を投げ続けるし、チャオは何も言えず、石をぶつけられている。
まだ幼いだろう子供の親と見られる姿はない。
チャオを積極的に助けてやろうなんて言う、浦島太郎ばりのいい子が現れる気配もない。
昼飯を食い終わり、弁当がらを詰め込んだコンビニの袋と寄り添いながら休憩していた傍観者の僕だけが、白い身体に変化しようとする彼の姿を捉えることができたに違いない。
少しだけ喉が渇いて、僕は緑茶のペットボトルを開けて、口にづける。
そして、緑茶を飲みながら、不意に気づく。
「……あ」
不意に気が付いて、僕はふと、気が付いた。
気が付いて、そして、いろいろなことに気が付いた。
気が付いて、そして、これが僕が初めて発見した事象でないことに気が付いた。
気が付いて、そして、これを誰も口にしようとしない理由に気が付いた。
ダーク。
ヒーロー。
言い方がすべてだ。
この世に生きる、面倒くさがりで、少しだけ小賢しい大人たちが大半で、彼らに愛情を受けたチャオが大半で、だから、ダークなんて言い方を皮肉っぽくされる。
けれど、それの何がいけないのか。
我々の大半は、いや、すべてがダークだ。
ダークイズダークだ。
それ以上でも以下でもない。
だから、我々に倣って、チャオも、ダークになるのだ。
ヒーローは理想でしかない。
いや、理想であるべきだ。
さもなくば、この世にいるヒーローは何かしら歪み、暴走し、そして、取り返しのつかない傷を誰かに与えることになるのだから。
そう言う世の中だ。
ヒーローはダークよりも良いということではないのだ。
ダークイズノットヒーローという事象の一端でしかないのだ。
「――相変わらず、幸せな妄想をしているものだ」
自分で自分を嘲るようにして、スーツを着た僕は足を組み替えて、もうしばらく昼寝をしようと画策する。
今回の一連の出来事を通して、僕ができることは僅かしかない。
僕が育てているダークチャオを何度でも"転生"させて、僕と共に長生きできることを目指すこと。
そして、公園で見た内容を綺麗に忘れて、午後からの仕事のためにしっかりと休息をとること。
後、強いて言うなら、恋愛や結婚の相手を顔で選ばないこと。
「うん……」
それ以上は何もしない。
それ以上は何も知らない。
だから、それ以上は、何もできない。
目を閉じる。
どこからか、チャオの楽しそうな声が聞こえてくる。
だとすれば、彼はきっとダークチャオなのだろう。
ダークな僕らの愛情をいっぱい胸に抱えた、幸せのダークチャオだ。
「……」
眠りに落ちる。
もう考えられることは少ない。
何も考える気力も無いし、眠ってしまえば、もう何も考えられない。
夢の中で、仮にチャオが出てきたとしても、それはハッポー、いわゆる只のダークチャオだ。
また、夢の中で、仮に恋人が出てきたとしても、彼女のチャオもきっとダークチャオだ。
今の僕には彼女がいないから想像しようも無いが。
けど、そうであってほしい。
――ところで、ただ一つだけ、僕は意識と無意識の狭間で静かに祈る。
それはまだ、ダークになる前の、小さい子供のこと。
"あの子"が、どうか"あの子"が無事でありますように、と。
ただ、僕は、そっと祈る。
それ以上は何もしない。
それ以上は何も知らない。
だから、それ以上は、何もできない。
きっとそれは、僕が、ダークだからなのだろう。
けど、それが理由になるというのであれば――
――それでいいと、僕は、そっと、意識を手放した。