1 一部
―「魔法」―
僕が憧れて、ずっと本の中でしか会えないと思っていたモノ。
その憧れが、本当は自分の中に向けられていたなんて、誰が信じる?
「見た」のは夢だったのかもしれないけれど、それでも僕は、その経験が夢では無いと信じている。
―それは、僕にとっても、彼にとっても、最後の大冒険だったから。
彼は、書斎で慌しく動いていた。始めは時間に追いかけられている様だった仕草も、今はゆったりと読書に励んでいる。
時計の短針と長針は、丁度、七夕当りの語呂が良い数字にぴったりと填まっていた。
彼―僕が幼い頃に、本当に幼い頃に一度だけ見た、小さな生命。
……「チャオ」、だ。
ゆっくりと読書する彼は、時計を見てから、長針が短針に迫り来るのを見止めて、椅子から飛び降りた。
熟読していた本に栞を挟んで、鞄に仕舞ってから、彼は鞄を、軽々と持ち上げる。
頭上の球体―僕らはそれを、「ポヨ」と呼んでいたが、後から知るところ、この世界では「フローリング(浮かぶ、輪)」と呼ばれているらしい。
…僕はどうにも、焦げ茶色の床を思い浮かべてしまうけども。
その「フローリング」を世話しなく揺らす様に歩きつつ、彼は太陽に照らされた路地、その上の
空を、僅かな笑みと共に見上げた。
―青く染まった、空を。
『運命 の 十字架』
THE DESTINY CROSS
1…空を仰いで…
瞬きしながら、彼は、自身の100倍はありそうな校舎の門を潜る。
「久し振りだなぁ…皆、元気にしてるかな…。」
思わず呟いた、という感じに、彼は口を開いた。
木々の生い茂る中庭を見据えると、そのまま校舎の中へと入っていく。
相変わらず、必要の無い下駄箱が広々と場所を取り、人混み、この場合はチャオの中を掻き分ける様に、彼は校舎を上に登って行った。
気が付けば、目の前には1−1の文字。次いで、彼の頭に右拳が飛ぶ。
「『始業式』に1年生の教室の前に行くなんて、あんたらしいっちゃぁ、らしいけど。」
「痛たた…え…?あれ、レイユ…?あ!…進級したんだっけ。」
「はぁ…全く…。さ、付いて来なさい、スペル!」
スペル。それが彼の「名前」だった。
その彼はと言うと、たった今、引きずられるようにして、レイユ、そう呼ばれるチャオに連れて行かれた。
2−1の文字…今度は無事に到着できたらしい。最も、スペルはかなりの天然で、進級時に教室を間違えた者として語り継がれるだろう。他にそんな者はいない。
「ふぅ…じゃ、言わせてもらうけど…。」
「どうしたの?」
「フローリング」を、疑問符に変化させてから、スペルは首を傾げて言う。
呆れた様に、レイユは頭を抱えて、
「…遅刻よ。何で『始業式』に遅刻すんのよ?」
「え?でも、僕はちゃんと…八百屋さんの前を通って、橋を渡っ…」
「橋は反対側よ!それに、道に迷って『始業式』に遅刻って、バカ?」
「…ご、ごめん、ね?とにかく教室に入ろ…。」
怯えからか、それともこれ以上話し合っても無駄だと自負したのか、僕の予想では前者だが、ともかく2人…及び2匹は、教室へ入った。
教師は幸か不幸か未だ会議から戻っておらず、スペルはほっとする。
が、次の瞬間で安堵は疑問符に変わった。
「何で違うクラスの生徒がここに…?」
「バカッ!進級時に、クラス替えでしょ!」
「って、ここ、確か特進クラスじゃあ…。」
つまり、クラス替え等は関係無いはず…スペルはそう言いたかったが、教師の一言で着席。
それからと言うもの、至って通常の教師の挨拶を兼ねて、注意事項を述べた。
勿論、生徒達はマジメに聞いていない。こんな無駄話、早く終わらないかな、と。
そして、下校寸前に、教師が言った最後の一言は、
「最近、「魔法」を使った不審者が出るから気をつけろ。」
だった。
―「魔法」?それって、良くあるファンタジーとか、冒険モノの旅するちょっとミステリーなストーリーの介在するRPGに出てくるようなあれ?―
僕は不意にも、そんな事しか考えられずにいた。
最後の言葉は、何と全員に行き渡ったみたいで、スペルを始めとする気弱な生徒は、挙動が不審である。
けれども、レイユは全く以って自然。…どうやら、彼女は気が強いらしい。
「よう!スペル!」
「おはよう、フリア。今日も元気だね。」
「まぁな。それより、放課後、一緒に遊ばねーか?…「魔法」レースで!」
フリア。スペルはただ1人の親友の名を呼んだ。
放課後に遊ぶ約束をしたスペルは、今度は道に迷わないぞ、と心に固く決めて、学校を出ようとした。
その所で…。
「スペルお兄ちゃん、久し振りっ!」
「ルーン!久し振り。」
正門の位置で、誰かを待合しているかの如く、彼女―ルーンが、スペルに挨拶を交わした。
お兄ちゃんと呼ばれているが、決して血縁関係にある訳ではなく、親しい間柄からだ。
眠たそうなスペルの表情から、彼女は首をかしげる。
二部へ。