チャオワールド (B)
アオコが一日に解体する動物の量は増えていた。
さばくのが上手くなったというのもあるが、アオコが入ってからというもの屋台は人気になっていた。
それで店主の女は気分を良くして、仕入れる量を増やしたのだった。
アオコは豚も牛も、そしてたまに入荷される馬もさばいた。
珍しく馬が入荷された時も、店主の女は特に値上げすることなく焼いた肉を売っていて、この人には商売の才能がないなとアオコは感じた。
もしかして馬を売った人もまたなかったのかもしれない。
どうあれこの店には固定客が溢れんばかりにいて、それで採算は十分に取れていたし、アオコが来てからその客数はうなぎ登りに増えていたのだから、儲かっていることには違いなかった。
アオコのファンというのは、アオコが動物をさばくのを見物して、そのついでに肉を買っていく。
興味本位で見て、たまに失神してしまう者もいる。
だけどおおむねの人はアオコが慣れた手つきで肉を切り分けて骨を抜いていく様に感心するのだった。
見られていると、アオコの胸にはある期待が膨らんでくる。
そのうちに誰かが俺にもやらせてくれと言ってくるのではないか。
そして今まで動物を解体することに抵抗のあった人々がどんどん解体をするようになり、果てには狩りまでできるようになったら、なんと素敵だろう。
世界がスピアの生き方に染めてしまいたい。
だからアオコは、自分の身につけた技術や工程を、小さな声で呟きながら作業をしていた。
いつ誰が志願してきても、きちんと教えられるように、呟いて手順を整理する。
家畜の骨格を描いてみせることだってできるだろう、とアオコは思った。
だけども今のところ、そのような人は一人も現れてはこないのだった。
それとは別に、異変が起きた。
客が倒れた。
初めは、また誰かが失神したのかと思ったのだが、倒れた中年の男性はアオコも見た覚えのある人だった。
アオコがここに来る前から、この屋台に通っていたという人だった。
店主の女も、他の常連客も、その人の名前を叫んだ。
ちょっと、おい、大丈夫か。
ねえ、大丈夫?
反応がない。
アオコは作業を中断して、倒れた男を救護する。
外傷はない。
そして胸部を観察すると上下動がなく、どうやら呼吸もなかった。
服をはだけさせて、心音を聞こうとしてみる。
だが聞こえてこない。
「死んでいます」
確証はないけども、アオコは断言した。
だが人間ではないとはいえ解体をしているアオコの言うこと、疑う者はいなかった。
惜しむ声もしばらくは上がらなかった。
人の死に、どういう態度を取ればいいのか、わからないというふうだった。
「よかったら、私が引き取ります」
アオコは挙手をした。
すると周りはぎょっとした顔になった。
「別に解体するわけじゃないですから。ハートの木の肥料にするんです」
アオコは、人の死体がハートの木の養分によくされているということを話した。
アパートの近くにハートの木を植えているので、そこに彼の死体を埋めてあげるつもりだ。
そうすれば彼の死は少しも無駄にならない。
それにチャオに生まれ変わることもできるだろうと思ったが、そのことはアオコは話さないでおいた。
チャオのことを知っている人がどれだけいるか、わからない。
知らないと言う人にいちいち説明するのも面倒だった。
アオコの提案は受け入れられた。
みんなが賛同したわけのではない。
他にどうしようも思い付かなかったから、アオコに任せようという空気になっただけだった。
ともあれアオコは人間の死体を手に入れることができた。
仕事が終わるまで死体は、売り物となる動物たちの死体と共に置かれていた。
経緯を知らない見物人たちは、まさか人間を食わされるのではないかと顔を青白くした。
だけどもパニックが起こる前に、男が倒れるのに居合わせた者たちが説明をして、なんとか収まるのだった。
そして仕事が終わって、夜、アオコは死体を運ぼうとしたが、ここで困ったことが出来た。
死体はとても重かった。
魂が抜けて軽くなるなんて話を聞いたことがあったのだけれども、死体には依然として何十キログラムの重量があって、ただそのうちの一グラムもはねのける筋肉の動きがなくなっているのだった。
それでもアオコは必死に死体を引きずった。
途中、何人かにその姿を見られた。
誰も手伝う者はなく、おそらくは奇異の目を向けられた。
しかしアオコは死体を引きずり続けた。
腕が疲れきっても、休憩を入れることなく、アパートに向かって歩いた。
私はチャオを産む。
異生物の母となる幻想がアオコに力を与えていた。
ハートの木が一本育ったところで、チャオが生まれるわけじゃない。
私の腹からチャオが生まれるわけでもない。
そんなことはアオコにもわかっていた。
だけどもこうしてハートの木を育てようとする行為が、果てにはチャオの誕生につながるのだと思った。
その幻想を見続けるために、冷静になってしまわないように、アオコは疲労した腕の筋肉をさらに酷使して、死体を引っ張っていった。