12:再会部

「…………」
「…………」

 お互いに顔を見合わせて、僕らはただ沈黙していた。今日が何月何日か。朝に何を食べたのか。必死に覚えた高校の受験勉強まで。全部ぜんぶ頭の中から飛んでいってしまった。
 どうすればいいんだろう。喜べばいいんだろうか。怒ればいいんだろうか。しばらく固まったまま考えて、それでもわからなくて、とりあえずなんでもいいから言わなくちゃと思って、口を開いた。
「……なにしてんだお前」
 それだけだった。多分いまの僕の顔は、初めてこの子に会ったときよりも無感動かもしれない。
「ぼーるで、あそんでた」
 僕らの間を転がるボールを、僕らは目で追いかける。平らじゃない地面をころころと転がっていって、そこいらに倒れている柱にぶつかって止まった。僕らを照らす夕陽があまりにも眩しくて、冬だというのにセミの鳴き声まで聞こえてきてしまった。
「いつからここにいた?」
「おととい、だったかな。みんなでいっしょに、ここにきた」
「おねえさんと一緒にか?」
「しってる、の?」
「……いや。どうだろう」
 体を支える力がなくなる感覚が襲ってきた。二日酔いのおっさんなみに危うい足取りでダークチャオに近寄り、力無く頭を撫でてやる。ポヨはハートマークになるけど、チャオの表情は変わらなかった。
「かってに、いなくなって、おこってる?」
「どうだろう。わかんなくなっちゃった」
 もしこの子に会えたらどうしようとかは全然考えてなかった。出てくるのは涙でも怒りの言葉でもなく、ただただ溜め息ばかり。もっといろんな感情を胸の中にしまいこんでいたはずだけど、全部あの世界に吐き出してきてしまったんだろう。
「ただ、ビックリした。管理人にいきなりお前が死んだって聞かされてわけわかんなかった。なんで誰にも言わずにここにきたんだ?」
「だって、かってにそとに、でちゃだめって。だからだまって、ここにきたの」
「バカだなお前。言えばここまで連れてきてくれたんじゃないのか? 別に閉じ込められてるわけじゃないんだからさ」
「でも、ここにいるって、わかってたら、ここにきちゃう。でしょ?」
「当たり前だろ」
 力の入らない手でダークチャオの頭を叩いた。
「だってお前、友達が死んだって聞かされたんだぞ。お前はいいかもしれないけど、言われたこっちは凄くビックリしたし、寂しかったんだぞ」
「でも、きみ、ないてない」
「もう泣いたよ。たくさんな」
 それもこの場所で。冷たい雪の感覚が、まだ体に残っている気がする。
「ごめんなさい」
「……もういいよ」
 僕はダークチャオを二年越しに抱きしめた。あの世界から唯一持ち帰った、たったひとつの感情の残りかすが、そのときになってようやく目から零れ落ちた。


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 しばらくは倒れた柱に腰掛けて、ガーデンの様子をぼーっと眺めていた。
 雪で埋もれたコドモチャオばかりのあの時と違って、緑溢れる自然の中をオトナチャオたちが駆け回っている。ちょっと数えるのに苦労したが、たぶんあの時より三匹くらいは多いと思う。
「お前らどうやってここまで来たんだ? 電車か?」
「そうだよ。ねこのはいる、あれにはいって。すごくせまかった」
 あほくさ。そんな窮屈な思いしてまでここに来たのか。
「こっちとあっち、どっちがいい?」
「どうだろ。たぶんあんまり、かわんないかも。でも、こっちのほうが、すずしいかな」
「涼しいもなにも今は冬じゃんか。暖房暑かったのか?」
「ううん……そうかも」
 他愛もない会話を重ねる。二年ぶりだけど、ついこの前にもこうしていた。やっぱり変な感覚だ。
「聞きたいことがあるんだけどさ」
「なーに?」
「遺言……じゃないか。伝言残してったよな。大切な人を見つけてねって。あれってどういう意味?」
「えっとね。おとなのつきあい、できるひとのこと、さがしてねって」
 お前僕に彼女作れって言いたかったのか? そんなに独りがいけないことですかね。
「きみ、きょようしてくれるひと、いないでしょ? それでいつも、つかれてるから」
「なんだよそういう意味か……」
 思わず寒空を仰いでしまう。こいつは僕が独りぼっちなことをなんとなく察していたんじゃなくて、それ以上に僕がどんな人生を送り続けてきたのか、もっと深いところまでわかっていたんだ。
「ぼくらみたいな、くろいちゃおのともだち、みんなおなじようなこと、なやんでたから」
「友達がいないとか?」
「うん。それはたぶん、ぼくらがであったのが、まちがいだったんじゃないかな、って」
 否定してやりたいけど、否定できなかった。僕がこの子をダークチャオに育ててから、僕の人生は大きく変わったのは事実だったから。
「でもそれは、ちがったんだね。やっとわかったよ」
 表情はなかったけど、力強い言葉を感じた。
「わるいのは、ぼくらのことをしりもしないで、いっぽうてきにばかにする、なにもしらないやつ。ぼくらのであいが、まちがってるっていうのは、おかどちがいってやつなんだ」
 それは僕のようなコドモの持つ力ではなく、オトナの持つ言葉の力だった。
「それなのに、ぼくらのであいが、まちがってるって、そうおもったのは、ぼくらがまだまだ、よわいこどもだったから、なんだね」
 わかっていた。そんなことはわかっていたはずだ。胸を張って生きればよかったんだ。僕がこの子と過ごした時間は掛け替えのないものだって、笑い飛ばせばよかったんだ。それができなかったのは、ひとえに僕の未熟さだ。
 間違っていたのは僕らの出会いじゃない。何も知らずに嗤う連中と、何もできない僕自身だったんだ。その間違いを正せる強さを、もっと早く手に入れたかった。
「ねえ。たいせつなひと、みつかりそう?」
「どうだろう。わかんないな」
 僕の言葉は、とても弱々しかった。体だけ大きくなっても、やっぱり僕は子供なんだな。
「……見つかったらいいな」
 先の見えない未来に向かって、僕は小さな願いを飛ばした。


「あっ! おねえさんだ!」
 夢と同じ言葉が聞こえて、僕は思わず飛び上がった。ガーデン中のオトナチャオたちが、トンネルの方へと駆けていく。
 そこにいた“おねえさん”と目が合った。僕がさっき落とした帽子を手に持っていて、僕と目が合うとぽかんと口を開けて固まっていた。
 眼鏡はない。髪も少し短い。だけどそれは間違いなく文学少女だった。あの世界で最後に見た少女の姿。
 やっぱり、夢じゃなかったのか。
「……あなた、もしかして」
「え?」
 少女は僕の元に駆け寄り、まじまじと顔を見つめてくる。女の子にじろじろ見られるような経験はないので、恥ずかしくて目を逸らしてしまう。
「ねえ、わたしのこと覚えてる?」
「え、え、それってどういう」
 おかしい。この世界で僕は少女と会ったことなんてないはずだ。もしかして、少女もあの世界からこっちに?
「ほら、小学校の頃の」
「へ? 小学校?」
 全然違った。しかし小学校の頃だって? いかんせん当時のことはあまり覚えてない。覚えてるのはあの優等生――あ。
「ええっ!? ひょっとして、どっかに引っ越しちゃった、あの……?」
 ダークチャオを育てて、連中にいじめられて、そのままいなくなってしまった優等生。あの弱々しい顔が、目の前の少女と重なる。
「ひょっとしてそのダークチャオ、あなたの友達?」
「えっ、まあ、うん、そうだけど」
「そっか……ごめんなさいね、勝手なことして」
 少女の印象は、あの世界で見たときとはかなり違っていた。なんというか、気が弱くて押しの強いアンバランスな性格ではなくなっていて、誰に対しても分け隔てなく接することのできる、大人のような印象だった。僕と同い年だとも、昔いじめられていたとも思えない。
「勝手なことって?」
「あなたの友達を連れ出したこと。わたしも断ったんだけど、この子たちがどうしてもって聞かなくて」
「ここにいるオトナのチャオ、全部?」
「だいたいはそう。みんなこっちに帰りたいって言った子たち。理由はいろいろあったみたいだけど」
「あ、あのさ」
 聞きたいことがいろいろあった気がするけど、何を言えばいいのか全然わからない。とにかく急いで落ち着いて、なんとかして口を動かしてみる。
「……戻って、きてたんだ」
「うん。わたし、転勤族の娘だから」
 こっちはいじめられたのをキッカケに引っ越したものと勝手に思っていたけど。
「えっと、確か君もチャオを育ててたよね。その子は?」
「ああ、あの子ね。死んじゃってた」
 なんの躊躇いもなく、少女はそう言った。顔こそ気にしてなさそうだったけど、声色は少し寂しそうだった。
「こっちに戻ってきたときにガーデンに寄ったんだけど、やっぱりっていうか、転生はできなかったみたい」
「……そうなんだ」
「うん。でもそんな気はしてたから、思ったより大丈夫だった」
 そんな気はしてた、という言葉に僕の方が寂しくなった。彼女はその寂しさを受け止められているのに、僕には荷が重すぎるみたいだ。
「でも、ビックリした。あなたがチャオを育ててたなんて」
「いやその、僕の方がビックリだよ。なんで僕のこと覚えてたの? 全然話したこともないのに」
「えーっ、ひょっとして覚えてないの? あなたクラスじゃ物凄く有名だったのよ。トラックに轢かれてひょっこり起き上がったって逸話で。一年生の頃だっけ」
「え゛」
 言われてようやく思い出した。確か、ゲームをする時間を稼ぐために急いで帰ってて、それで飛び出したところをトラックに轢かれた。けど骨が折れたわけじゃなかったからさっさと起き上がって猛ダッシュで帰ったんだった。しかもそのことを誰にも言わなかったから、翌日に学校でクラスメイトが騒いだことで先生に知られて怒られて、しかもそのあと親に電話されてまた怒られたんだ。
「それから凄い注目されてたのよね。勉強もできて凄く運動神経が良いの。特に足の速さなんて学年でずっと一番だったじゃない」
「あー、うん。そうだった気がする」
 タイムイズマネーを地で行く小学生だったから、登下校だろうとお使いだろうといつも全力疾走だった。たぶんその影響だろう。
「それでいて口数が少なかったでしょ? 女の子の間じゃクールな男の子って言われて結構人気だったんだから」
「え、えええ?」
 知らなかったぞ僕は。廊下を歩くたびに女子が気味の悪い視線をちらちらと寄越すくらいだったから、嫌われているものだと思ってたのだが。
「あなた、自分のことどう思ってたの?」
「えぇ? それは、その。友達がいなくて、口数少なくて、冷たいやつ……かな」
 嘘偽りのない自己分析を述べると、少女は「やっぱりね」とでも言いたげに笑った。なんだか凄く恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまう。
「でも、そっかぁ。あなたがダークチャオをね……」
 僕の育てたチャオを、少女はまじまじと眺める。チャオもポヨをハテナにしながら、少女のことを見つめ返す。
「確かにそんな印象あるかも」
「え……そ、そう?」
「うん。ヒーローよりもダークって感じ。というか、退廃的? ああ、悪い意味じゃないから」
「そうかな。変じゃない、かな」
「全然。まあ、ヒーローチャオを育てても不思議じゃないけど」
 そう……そうなのか。変じゃないのか。ずっと自分の汚点みたいに思ってたけど……何もおかしくないのか。
 なんだか、肩に乗っていた重いものがすっと消えた気がした。自然と顔が綻んでしまう。
「そっか、平気だったんだ。なんだよ。ははは……あぁ……」
 仰いだ空は、すっかり日が暮れていた。

 結局、僕の今までの学生生活は無駄だということがよくわかった。
 なんて虚しいんだろう。過去の自分の尻を蹴っ飛ばして、笑い飛ばしてやりたい。バッカじゃねえの、って。
「……やれやれ」
 本日は晴天、気温8度。交通量は事も無げ、インフルエンザに気を付けよう。平たく言うと、世界は平和だ。僕のチンケな人生の悩みを、いちいち気にする奴なんてどこにもいない。冷たいなあ。冷たいなあ。冬の夜風が冷たいよお。
「ねえねえ、ねえねえ」
 からからと笑う僕のズボンの裾を、ダークチャオがぐいぐいと引っ張った。
「なんだよ。どうした」
「きょようしてくれるひと、みつかったね!」
「え、おい、お前それどういう」
「きょよう? どういうこと?」
「えーっとね、むぐ」
 ぺらぺらと喋りそうになるその口を大慌てで塞いだ。お前女の子相手になんて恥ずかしいこと言おうとしてやがりますかね!?
「な、なんでもない。なんでもないから。いやほんとに」
「えー? なぁにそれ。あなたがいないときに聞き出しちゃおうかな」
「だ、だめ。絶対だめ。ほんと頼む。気にしないで」
 くそ、不公平だ。なんで僕だけこんなに酷い目に遭うんだ。おい二人とも笑うな、僕をバカにするなよ!


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 ステーションスクエアに逃げ帰る頃には、もうすっかり夜になっていた。人の少なくなったホームをぼーっと眺めながら、ベンチに座ってうなだれる。
「はあぁぁ……ぁぁ……」
 雑巾を絞るような溜め息。一生かけて溜め込んだ疲れをどっと吐き出した。もうこのまま起き上がれなくなりそうだ。ここで死んでも後悔はないかもなぁとバカげたことを考える。
 終わってしまえば、まるで夢物語みたいだった。今まで体験した怒りや喜び、悲しみや苦しみが、なにもかも僕のものでなくなったような気がする。僕の過ごした二年は無かったことになって、友達を失った傷跡は一日もしないで塞がったことになった。
 でも、あの二年の結末がなければ、僕はもう二度とあの子に会えなかっただろう。それを思うと、あの二年は決して意味のないものではなかったはずだ。文学少女には感謝しなければならない。あの二年の世界で少女と出会わなければ、僕はここに帰ってこれなかったはずだ。
 それにしてもあっちとこっちで少女が全然違ったのは驚いた。あっちの少女は僕のことは覚えてなかったみたいだし。二年で僕の印象も違っていたのだろうか。それともあっちの少女はこっちの少女と設定が違うとか……今となってはもうわからないけど。
 いや、それよりも。体を起こして、口に手を添える。
 そもそも、あの黒いスーツの女はなんだったんだろう?
 よくよく考えたら、彼女といつ、どこで、どんなふうに出会ったのか、その記憶がちっとも見当たらない。気付いたら僕の傍にいて、引っ付いてきて、面倒を押し付けていた。なんかあいつにボコボコにされたとかいう話だったけど、いくら思い出そうとしても具体的な記憶が呼び起こせない。
 でも、あいつはとても重要な奴だったというのはわかる。そもそもステーションスクエアに向かう直接の手段を用意したのはあいつだったし、あいつがいたから少女の頼みを断ることができなかった。あいつがいなければ、あの二年の結末はそもそも破綻していただろう。
 彼女も、過去にどこかで会ったことがあるんだろうか。思いつく限りの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えてゆく。ダメだ。ちーっともアテがない。あいつだけ見事にアンノウンだ。
「まあいいか」
 もう終わったことだ。いろいろと丸く収まったあとで、こんなことを考えるのは無粋だろう。差し当たっては、どうやって少女に“きょよう”の件を隠し通すかを考えた方が建設的だろう。あの子に賄賂でも渡すか。何がいいんだろう。ううん……。
「……ん?」
 割と真剣にうんうん唸っていると、ベンチの影に隠れるようにして何かが落ちていた。なんだろうと思ってつまみ上げた瞬間、驚きのあまり吹き出してしまう。
「こ、これっ……!?」
 誰も見ていないのを確認して、つまんだものをホームの外側へ助走をつけて思いっきり投げ捨てた。
 いや、さすがに冗談だろ? なんであれがあるんだ? あれは確かあの世界の、二年後の世界の物じゃないか。こんなところにあるはずがないのに。

 あれは間違いなく、ここで僕が踏み潰した官能小説だった。

このページについて
掲載日
2013年8月29日
ページ番号
13 / 15
この作品について
タイトル
つづきから
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2013年8月29日