一話 ガラスの町

 また玄関のドアノブが割れた。足元に銀色のガラスの大きな破片から、粉のように砕けた破片まで、一瞬で散らかった。ドアノブのついていない扉よりも、依然として散らかったままのガラスを見ている方がよほど絶望的だと思った。ガラス片を思い切り踏み潰したくなったが、集めるのが大変になるのでやめた。
 家の前まで帰ってくると安心してしまって、つい力加減をせずにドアを開こうとしてしまう。ドアノブを割るのは何度目だろうか、三回目以降は数えていないからわからない。週に二回か三回は割っているように思う。その度に俺は家に入ることができず、割れたガラスを扉の脇にあるガラスの箒とガラスのチリトリを使ってガラス箱に入れ、細工師のミヨ婆のところまで持って行かなくてはいけなくなる。ガラスでできているものは溢れたようにたくさんあるというのに、どうしてこのドアノブばかりを壊してしまうのだろう。
 俺はいつものように割れたドアノブの入った箱を持って、ミヨ婆のいる細工屋に行く。丸っこく、色も白い建物なので、見た目はかまくらのようだけど古びた小さな煙突が一つ取って付けたように付いている。
 でも中に入ると、寧ろ煙突の方が似合う小さな工場のようだ。様々な形や色をした工具や金型が棚に置いてあったり掛けてあったりする。金型だけは一見しただけだとどれも黒っぽい直方体で、大きさだけが違うように見える。様々な形のものが棚に置いてあるのも工場らしく見えるけど、同じ形のものが並んでいるのも工場らしく見える。俺はここ以外の工場を見たことがないので、工場らしさというものがどんなものかよくわかっていないのだけど、なんとなく工場らしさを覚える。
 それと、入口から真っ直ぐのところに見える大きな暖炉のような窯がある。窯というものがどういうものなのか詳しくは知らないが、ミヨ婆が使っているのを見た感じでは、ガラスを溶かしてまた一つのドロドロのガラスの素にする、という感じだ。
 ミヨ婆は窯からは少し離れた、型がいくつも置いてある棚の前にある場違いな洋風の一人掛けの黄色いソファに座っていた。ミヨ婆は小太りなニュートラルオヨギタイプのチャオだが、そんなミヨ婆が座ってもスペースにいくらか余裕のあるソファだ。ミヨ婆はいつもそこに偉そうな顔をして座っている。でもそれは威張っている訳じゃなくて、普段している顔が俺には偉そうに見えるというだけらしい。以前ミヨ婆に言ったら「偉そうな顔ってどういう顔なんだ」と返されたので、考えてみたけど答えは出てこなかった。でも答えが出せなくても、俺がそう感じたんだからしょうがない。
「またお前か」
 手元を見ていたミヨ婆は、入口に箱を持って立っている俺を見て言った。よく見るとミヨ婆はただ座っていただけではなく金型を修理していたようで、ソファの横に置いてあるキャスター付きの小さな机の上に工具が散らかっている。
「でもさすがに俺が来るのにも慣れただろ?」
「あたしが慣れてどうするんだよ。お前がドアノブに慣れなさい」
 そう言ってミヨ婆は持っていた金型を作業机の上に置いて、俺から箱を受け取った。
「お前のせいでドアノブの金型だけ劣化が早いんだよ」
「そういうときってどうするんだ?」
「研磨するんだよ。ただ、研磨だってほとんど手作業だ。一部は機械も使うけど、説明したってしょうがないからいいだろう? とにかく、作業も大変だし採寸も大変だ。見たければ今丁度やってるから私の作業を見てな。もし研磨でも直んないようだったら金型から作り直しだけどね」
 金型が並んでいる棚の横の棚には、様々な色のファイルが並んでいる。あれが何なのか見たことはないけど、金型の採寸データとかも入っているのかもしれない。
「そうなのか、大変だな」
「他人事だと思ってテキトウなこというんじゃないよ」
「いや、そうとしか言えないし」
「まあいい、お前はそういうやつだ。ちょっと待ってな」
 ミヨ婆は金型の棚からドアノブ用の金型を取り出し、窯の近くにある小さな台の上に置いた。そして窯の横にある棚の中にあるヤカンのような形をしたものの中から小さなものを選んでその近くに置く。さらに俺が持ってきたガラスをハンマーで砕いて粉々にしてそのヤカンに入れ、また別の棚から銀色のガラス片が入った袋から一掴みほどヤカンに入れた。窯の淵に立て掛けてあった先がカエシになっている棒を持ち、そのカエシ部分をヤカンの取っ手部分に引っ掛けて窯の中にヤカンを入れた。
 それからいつも十分くらい待つのだが、その間ミヨ婆はまたいつものソファに戻り、金型の修理を続けた。
「その金型はどうしたんだ?」
「さっきミンティに置物の修理を頼まれてな。修理が終わって棚に戻すときに落として変形しちまったんだよ」
「ミヨ婆も人のこと言えないな」
「ものを壊しちまうのは当たり前のことだ。だけどお前は度が過ぎるんだよ。どうしたらそんなにうっかりできるんだ」
「俺だってうっかりしたくてうっかりしてる訳じゃない。気づいたときにうっかりしちゃってるからうっかりなんじゃないか」
「またテキトウなことばかり言いやがって。ガラス人形にしてやろうか」
「勘弁してくれよ」
 そこからミヨ婆はまた作業に戻った。置物の金型はどこが変形しているのかよくわからないが、金型の窪んでいる部分を様々な形のヤスリを使って削っては採寸、削っては採寸を繰り返した。一息ついたと思ったら、機械にその金型を何やらセットして、ウォンウォンと機械を動かしたと思ったらまたソファに戻ってきた。丁度その頃十分くらい経った頃だった。
 ミヨ婆はまたカエシ棒を使ってヤカンを取り出し、そのままヤカンを傾けてヤカンの口のところから溶けたガラスを出して型の中に入れた。型の上の面の丁度真ん中に溶けたガラスの素を流し込むための小さな穴が空いている。型の中は型によって様々な形に切り抜かれていて、溶けたガラスの素を流し込むことで元の形に戻す。そして型ごと氷水の中に入れて冷やす。冷やした後は、型をカチと開いてモノを取り出す(型は箱のように開くのだ)。その時点だと、まだ流し込み口に入っていた分のガラスがついているので、その余計な部分と本来必要な部分の境目を小型バーナーで溶かして取る。形はまだガラスが熱いうちにナイフで整える。これで終わり。今日もそんな手順で、俺のドアノブは俺の元に戻ってきた。
「ありがとな」
 金型を修理する機械のウォンウォンという音がまだ鳴り続けていて、大きな声で話さなくてはならない。
「はいよ。ネジはあるのかい」
「ネジと土台はまだ玄関側についてるから、それを使うよ」
「そうかい」
 俺はお金を払い、細工屋を後にした。
 結局、俺が出て行くときもウォンウォンという音は鳴り続けていた。

このページについて
掲載日
2017年7月11日
ページ番号
1 / 20
この作品について
タイトル
ステンドグラス
作者
ダーク
初回掲載
2017年7月11日
最終掲載
2018年8月16日
連載期間
約1年1ヵ月6日