No.110011100
結局、酷い大雨になってしまった。
「帰り難くなっちゃったわね」
そういえば、昨日の今日と天気予報なんて確認する暇もなかった。あの傍迷惑な掲示板にずっと張り付いてたせいで。
「通り雨ってわけでもないし、こりゃ夜通し降ってるだろうな……」
「じゃあ、今日は泊まってく?」
「えっ、いいんすか!」
なぜか必要以上に驚くヤイバ。ちょっと舞い上がり過ぎじゃないのか。
「あ、でもベッド一つしかないのよね……」
「一つ? あの、未咲さんと一緒に住んでたんですよね?」
「ええ、そうだけど」
「寝る時は?」
「一緒に寝てたわよ」
「なん……だと……」
とても必要以上に驚くヤイバ。まあこれに関してはわからんでもないが……普通の親子でもあまり聞かない話だ。中学生くらいにもなれば一緒になんて寝ないぞ。
「なんだったら一緒に寝る?」
「な、な、な、な!?」
すごく必要以上に驚くヤイバ。という私もちょっと驚いた。冗談で言ってるんだよな?
「……じゃ、私はここのソファで寝るんで」
「え、ちょ、ま」
やはり必要以上に驚くヤイバ。
「…………」
とうとう口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。実に初心な男だ。これがいつぞやにアツく恋愛を語ったわけだから、正に滑稽というもの。機会があったらカズマ達にでもバラして鼻で笑ってやろ。
「……じゃ、ヤイバくんを連れてくわね」
そう言ってアンジュさんは、なんと固まったヤイバをそのまま抱き上げてしまった。本当に一緒に寝るのかよ。
「別にいいじゃない? チャオと一緒に寝るってだけよ?」
「うん、まあ……」
ここでヤイバが元人間であることをバラしたら、アンジュさんはどんな顔をするだろうか。そんな事をチラと考えたが、この人の余裕が有り余っているような表情を前にすると意味ないんじゃないかと思えてしまう。なんだか凄い人だな。
「あの、アンジュさん」
「なあに? ユリちゃんも一緒に寝る?」
「いえ、別に。……おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
そう言って、アンジュさんはヤイバを抱き抱えて扉の向こうへと消えてしまった。
「……よい夢を」
健闘を祈るような面持ちで、私はそう呟いた。なんとなく。
____
……二人はもう寝てしまっただろうか。
しばらく経っても頭の中でいろんなものが渦巻き、私は全くに眠れずにいた。昨日の夜更かしで生活リズムを本格的に崩してしまったのだろうか。
「……はぁ」
溜め息が漏れ出る。
結局私は寝付かせようとしていた頭を再び起こし、事故について今一度整理してみることにした。
私はアンジュさんに「未咲と関係がある」と言って事故の話を聞いた。でも、そんなのは本人も知っているだろう。
ちょっと考えればすぐにわかることだ。我が子のように可愛がっていた女の子が失踪した矢先、不可解な交通事故が起こった。その被害者が人間であると知ってしまえば、嫌な予感ぐらいはする。探偵として、そして親代わりとして調べないはずはない。そして二年もかけておきながら、答えを出してないはずもない。
最初はそう思っていた。
でも、実際は違ったようだ。確かに彼女は事件について調べた。でも、そのあまりの手掛かりの少なさのせいで何も答えを見つけていない。交通事故の実態、被害者と加害者の正体、そして未咲の件との関わり。彼女は、答えを出さないまま完結してしまっている。
無理もない。探偵であるアンジュさんがわからないというのだから、私にだってこの謎はわからない。そもそも情報がないのに何かわかるわけがないのだ。痕跡、証拠、それらが無ければ、推理、推測、それらは憶測どころか空想にしかならない。
こんなの、解決しようがないんだ。
――低い轟きの音が聞こえる。
「…………」
むかしむかし、私の心を抉った雷鳴。いつまで経っても、傷口は塞がらない。
不思議なものだ。私が明確に覚えている昔の事といえばただ一つ、嵐の夜のトラウマだけ。学校に通っていた時の事なんか、そのトラウマのインパクトのせいか何もかも漠然としていて覚えちゃいない。仲の良かった友達の顔や名前も。
おもいで、よろこび、だれかの命。私がそれらを失った背景では、いつも雷の音が轟いていた。
……思えば、今回の事故も同じだ。嵐の夜に、被害者はトラックに轢かれて……。
「あれ?」
そういえば、かなり似ている。私の好きだったあの人もトラックに轢かれて知んでしまったっけ。あれは確か……いつ頃だ?
ソファから立ち上がって、私は部屋をうろうろしだした。必死に頭を回転させる。あれは確か、あれは確か。
……ダメだ。何年前だったか覚えてない。そもそも、どこで起きた事故かも覚えてない。
おかしい。忘れるはずはないのに。忘れたいくらい覚えてるのに、思い出せないくらい忘れている。
いったい何故? 前までは普通に思い出せたじゃないか。どうして今になって思い出せないんだ。
あれ?
おかしいな。
どうして何も覚えてないんだ。
なんだか、寒気がする。
頭の中がぐるぐるする。
不安……不安だ。私の体が、不安で疼いている。
怖い。いてもたってもいられない。
衝動のままに、私は事務所を飛び出した。外が嵐だという事など、カケラも気にせず。
____
「っ、はあ……はあ……」
足を滑らせそうになりながらも、結局全力疾走してきてしまった。すっかり息切れしている。
ここは……あの事故現場だ。こんなところまでやってきてしまったのか。
目をまともに開けられない。雨が容赦なく私の体中を打ってくる。私はそれを手で遮り、改めて事故現場を眺めた。じっと、じいっと。
「……間違いない」
根拠の無い確信があった。
ここは間違いなく事故現場だ。私の……私の彼氏が死んだ場所。この辺境の町で、私は彼に助けられ、彼はトラックに轢かれた。それ以上の事は思い出せないけど……それだけは間違いない。
でも、一体全体どういうことだ?
私はこんな町に住んでいた覚えはない。だからこんなところにだって来るはずはない。それにここは何年も前にゴーストタウン化していたはずだ。そんな都合よくトラックが通りかかるわけがない。こんな交通の便の悪い町を経由する理由はない。
考えれば考えるほど、考えは深みにはまっていく。もう、わけがわからない。
「ユリ」
「えっ……」
私を呼ぶ声がする。
酷い大嵐なのに、静かな声が確かに私の耳に聞こえる。
ゆっくりと、振り向いてみた。
そこに、誰かが立っていた。
街灯に照らされたその姿を見て……私は、現実を疑った。
ソニックチャオだった。
私と同じ、ソニックチャオだった。
彼と同じ、ソニックチャオだった。
――もう、わけがわからなかった。
「……どうして?」
「…………」
「どうして生きてるの? 死んだんじゃなかったの?」
「…………」
「何か言ってよ!」
「……悪いな」
彼はいきなり謝った。
「どうして謝るの?」
「……もう、会えないだろうから」
その時、後ろから光が迫ってくるのに気付いた。
恐る恐る振り返ると、眩しい双眼がこちらに向かってくるのに気付いた。
それは大きなトラックだというのに気付いた。
そこまで気付いても、私は猫のように動けなかった。
ただ、轢かれるのを待つだけだった。
待って。
待って。
待って、世界が反転した。
そういえば、去年の冬頃におかしな事を考えてたな。
確か、チャオの転生についてだったか。
その時は、自分は転生できずに死ぬんだろうなとか考えていた気がするけど。
――こんなに早く死ぬとは思わなかった。
雨が降っているのが見える。
でも、雨に打たれている感じはしない。
どうしてだろ 。
もう、繭が私を包んでる かな。
体 痛くないけど。
やっぱ 死んでる かな。
でも、ど して?
死んだ は私 ゃなくて。
彼 ったんじゃ いの?
あ ?
し な。
うし 私が んで の?
「大丈夫」
誰 が を見て る
な か わか な けど
覚え ある
「私は、あなたを待ってる」
待 て ?
言 てる ?
って う――
私 死ん だ 。