No.7
――どれくらい経っただろう。
あれから私達は、この暗い部屋で動こうともしなかった。まるで時でも止まったかのように、一度も。
誰とも知れない科学者の声だけが、ずっと同じ言葉を続けていた。
オーバードキャプチャー。
人工チャオ。
自己防衛機能の無力化。
同じ概要の説明を何度も繰り返す音声データを、それでも彼は止めようとはしなかった。
何か、考えてみようか。
今の今までずっとぼーっとしていた頭を働かせてみようと思ったが、なかなかそんな気にはなれなかった。
だって、答えを知ってしまったから。
私を殺したのは彼――ゼロであると。
これ以上に何を望む?
恨みでもぶつければいいのか?
この場で呪い殺せばいいのか?
そんな気にもなれなかった。わけもわからず殺されたというのに、なんの怒りも湧かない自分がある意味凄い。いや、自分のことだから、だろうか。
もしこれが親しい他人であるとすれば、どんなことをしてでもその罪を追求していたかもしれない。だが、私は自分のことには興味がないという自覚がある。自分がどんなに酷い目に合わされても、無気力な程になんでも赦してしまう。
自分に興味がないというより、自分を愛していない。だから自分が傷付いても、それほど怒りを覚えない。殺されても怒らないとは、流石に自分でも驚いているけど。
ただ……寂しいだけだ。
そんな時の止まったような部屋に、また来訪者がやってきた。
「……こんなところにいたのか」
その人物はまたしてもチャオで、この暗い部屋の中で輪をかけて暗い体をしていた。その特徴と言葉のみで、なんとなくシャドウさんだと認識する。
「……なんか用でもあんのかよ?」
寄るな来るな近付くなの三拍子が揃った不機嫌な声にも臆さず、シャドウさんは言葉を続ける。所長は露骨に嫌そうに顔を逸らした。
「お前が何をしたのか、大体は知っているつもりだ」
「それがなんだよ。説教でもしにきたか」
「そういうわけじゃない。これからお前がどうするのかが気になってな」
これから。そんな単純な言葉が、私にも圧し掛かった。
私にはこれからなんてない。天に召されるか地獄に落ちるか、この世を彷徨い続けるか。先の見えない運命を受け入れるのを待つだけだ。
ただ、所長はどうするつもりだろう。自分の罪を隠したまま小説事務所に戻るのだろうか、それともこのまま完全に姿をくらますのか。
「さあな」
所長は、何も答えを出さなかった。これから何をすればいいのか、本人にもわからないのだろう。
「一つ聞きたいことがある」
「…………」
「何故、ユリを殺した?」
「……今言ったって言い訳にしか聞こえねえよ」
「構わん。話せ」
シャドウさんが促しても、所長はしばらく口を開かなかった。彼が動機を語り始めたのは、たっぷり一、二分は経ってからだ。
「俺があいつと連絡を取ったのは、もう二週間くらい前か」
「フロウル・ミルか」
「フロウル・ミル?」
その名前を聞いて、聞く気のない動機話に耳を傾けた。所長が、フロウルと接点を持っていたなんて考えもしなかった。
「……依頼を受けた。小説事務所に所属しているユリを殺してほしいってな」
「何故殺してほしいと?」
「平たく言えば蘇らせようってつもりだったらしい」
殺してから、蘇らせるつもりだったのか。いったいなんの意味があるんだ。理解が少しずつ及ばなくなる話に、私は頑張ってついていく。
「どうして受けた」
「どういうつもりか知らないが、ミキが協力する気満々だったんだ。理由を聞いても答えやしねえ」
そういえば、ミキの存在をすっかり忘れていた。彼女も所長と一緒に姿をくらましていたな。私かミスティさんか、どちらかの尾行をしていたはずだ。
「お前が協力する必要があったのか?」
「どうしても必要だとは言われた。代役を立てることもできたらしいが、そこまで都合の良い奴はいないとさ」
「どういうことだ」
「協力者としてソニックチャオが絶対に必要だ……そうすれば、蘇る確立は飛躍的に増大する」
ソニックチャオがいれば、蘇る確率が上がる? 一体全体どういう理屈が働けばそんなことになるんだ。私の知らない間に、科学は摩訶不思議な発展を遂げていたんだな。
「……話の筋がわからんな」
「俺もさ。当然俺は協力を突っぱねたが、別に突っ立ってるだけで良いってしつこく頼まれたもんだからな。ミキに」
「だが、断ることもできたはずだ。断る問題もない」
「……ユリはな」
所長が言葉を一泊置いた。シャドウさんと私は、その次の言葉にじっと聞き入る。
「ユリは、人工チャオなんだ」
「…………」
反応は静かなものだった。シャドウさんも――私も。
疑っているわけじゃない。ただ、少なくとも私にとってはどうでも良すぎた。自分が本当は人工チャオだった。とても重大な事実なのに、すんなり受け入れ、更なる言葉を待った。我ながら実に不気味なくらい利己的に。
もっと核心を聞きたい。それだけを考えていた。
「どういったタイプの人工チャオだったんだ」
「そこで垂れ流されてんだろ?」
所長はつけたままのパソコンを顎で示した。
「知ってるか?」
「……ああ。プロトタイプの少量生産を最後に、責任者が死んで凍結されたプロジェクトだろう」
「凍結はされたが、プロトタイプの廃棄はされなかった。それをフロウルが何匹かちょろまかしてたわけだ」
「その中にユリが?」
「正確にはユリなのかもわからんが……ともかくあいつは元々フロウルの“私物”だったんだろう」
私物、ね。もう少しマシは言い方はないものか。流石の私も響くものがある。しかしそうすると、このオーバードキャプチャーとやらのプロジェクトの責任者が私の生みの親で、フロウルが育ての親になるわけか? 残念だが、私はどっちの顔も覚えちゃいない。
「私物だったから殺すのに協力しても構わなかったと?」
「んなわけあるかよ」
言うと思った、とでも言う風に所長は否定した。そして所長は、こう言った。
「あいつにも本当の人生がある。それを返してやるだけだ。……そう言われた」
その言葉を紡いだ所長の声が、気のせいか――ほんの僅かに、かすれていた気がした。
そしてその言葉を聞いたシャドウさんが、僅かに言葉を失った。
「……本当の人生、か」
「ああ」
シャドウさんは、それ以上は聞かなかった。
本物の人生。その言葉の意味を理解して、私も言い知れない感情にとらわれた。
思えば、小説事務所のみんなは偽者ばかりだった。
本当は魔法の世界で生きていた所長達。
本当は人間の姿で生きていたカズマ達。
私は自分を普通のチャオだと思っていたけど、結局私も偽者だった。
そんな私達が一堂に会したのは、何かの運命だったのだろうか。それはわからない。だけど、一つだけわかることがある。
小説事務所のみんなは、本当の人生に未練がないわけではない。
だから所長達は、かつて自分を見失いかけて絶望の淵に落とされかけた。
だから兄妹達は、かつて自分達の身に降りかかった境遇に心を蝕まれた。
偽者の人生を過ごすのは、あまりにも苦しい。だから所長は、無意識に私を“助けよう”とした。
結果的に私は帰らぬ人になってしまった。全ては所長の空回りで、余計な同情をされた私は身に覚えの無い事で殺された。それでも私は怒りを覚えず、あろうことか同情を覚えた。
――ああ、いつかに気づいたこともあった気がしたけど、私はどうしようもないお人好しなんだろう。どうしようもなく自分を愛していなくて、余った愛情を寛容さに換えてばらまいている。
そんな想いは、誰にも、何もかも届かなかった。
所長はただ私を殺しただけ。
私はただ所長を哀れむだけ。
奇跡は起こらない。
常識は覆らない。
賭け事は、うまくいかないから賭け事なんだ。
本当の人生を手に入れようとしただけなのに、その欲目は現実に叩き潰された。
「今、ユリはどこに?」
沈黙を静かに破って、シャドウさんが尋ねた。所長は、懐から小さな紙切れを渡す。
「そこに書いてある場所にいる」
「あいつは、何が好きだった?」
何気無い質問にも、所長は力無く「さあな」と答えた。
「百合の花でも供えてやったらどうだ」
「……それが無難か」
シャドウさんは踵を返して、酷く暗いこの部屋を出ようとする。私も一緒に憑いて行こうと立ち上がった。
「お前は来なくていいのか?」
部屋から出る前に、シャドウさんは所長に一声かけた。でも、所長は手を振るのみで立ち上がろうとはしなかった。
「あいつの墓前に行って何をしろってんだよ。呪われに行けってか」
「……心配しなくとも、呪いやしませんよ」
聞こえちゃいないのはわかってるけど、私は彼の言葉に返事をした。