No.4

 やってきたのは、城の地下にある大きな図書室だった。私が本の虫だったら永住を決意するくらいとんでもない図書室だ。テーブルの上の燭台に灯したロウソクに照らされ、ちょっとした幻想を垣間見る。これに浸れようものならなんとも幸せだったのだろうが、私が流していたのは感涙ではなく冷や汗だった。
 なにせ、射抜くような目線をした執事さんとテーブルを挟んで向かい合わせているからだ。まるで取り調べでも受けてるみたいだ。だだっ広い図書室の暗がりまでもが私を押し潰そうとする。いつぎゃふんと言わせられてもおかしくない。
「単刀直入に聞きましょう」
 一、二分も黙って私のことを観察していた彼がいよいよ口を開いた。こちとら猫のように体をびくっとさせてしまう。どうして私は必要以上に動揺しているのか――その答えに、私は意外なほど早く気づいた。
 場数だ。向こうの方が場数を踏んでいるからだ。人と人の対峙、腹の内を探る洞察力、相手を脅威と思わぬ精神力。それらが私よりも優れている。
 そんなの当たり前だ。私はまだ十数年ぽっちしか生きていないしがない少女だ。老人に敵うわけがない。ないのだが……どういうわけか、そんな単純な話ではないような気がする。確かに目の前の御仁は私よりも年上だ。よっぽど人嫌いでない限り、他人との駆け引きは得意だろう。
 だが、それにしたってこの老人は別格だ。
「記憶喪失というのは、嘘ですね?」
 やはり、この嘘は看破された。まあ嘘っつーか、宿屋の店主と言ったか、あの人が勝手に騒ぎ出したこと。方向性は違えど、私は姫じゃないという証明には利用できるかな、とはチラと考えたけども。
 それでもなんとなく「はいそうです」と言う気にはなれず、私は口を開かなかった。ただ、目は逸らさないように努める。言い返さない時点で大した意味もないけど。
 そう、本当に大した意味がなかった。
「ですが、問題はそこではありません」
「……」
「あなた、お嬢様ではありませんね?」
「っ……」
 私はこの世界に来た時に、最初から自分は姫ではないと公言していた。だから今さらお前は姫じゃないなとか言われても問題はないっていうか、むしろ喜ばしいことだ。
 それなのになんだ? この人に言われると、不意に手に力が入る。この人の言葉はナイフのようだ。手馴れたように振り回し、私の喉元を正確に突っついてくる。思うように喋れない。一端ながらも元探偵の私がこのザマだ。
「あなた、何者です?」
「……」
「何が目的なのです?」
「あ、あのっ!」
 声をあげ、私はがたっと音をたてて立ち上がった。
「あの、この度はご迷惑をおかけしました! 私、すぐにこの城から立ち去らせていただきますのでっ!」
 そういってばっと頭を下げた。
 そうだ。そもそも私はこんな場所に長居する気なんてさらさら無かったんだ。幸か不幸か、ここに私を姫と認識しない人がいる。どうやらこの城でかなりの発言権を持っているようだし、この人が私と姫ではないと言えば晴れて私は城を出られる。
「そういう訳には参りません」
 だと思ったのに、彼は私の足を地面に縫いつけた。
「お嬢様に成りすまし、この城に立ち入る。何か裏があって然りと思うのは当然のことでしょう。我々にはそれを知る権利がある」
「あ、の……」
「話しなさい。あなたはなぜこの城にやってきたのか」
 どうしてここにやってきたかだって? そんなの知るかよ。気づいたら勝手に連れて来られただけだ。まるで私が悪いみたいな言い方しやがって。
 でも、ありのままを話してこの人が納得するわけがない。自分が本当は別の世界の人間で、目が覚めたら自分の見知らぬ世界で、お姫様だと勘違いされて連れて来られて。そんな話を誰が信用するんだ?
「話せないのですか?」
「…………」
「話せないのでしたら、我々も相応の手段を取らなければなりません」
 相応の手段、ね? 完全に悪者扱いか。探偵だった頃を思い出す。最初の頃は尾行をする度にいつも緊張しっ放しだった。だってバレれば仕事は失敗するしストーカー扱いもされるしで、本当は探偵って悪い奴なんじゃないのかって思った。
 なんなら、逃げるか。
 私が履いているブーツはエクストリームギアだ。空気を吹かして超低空を高速で滑走できるというシロモノ。これほど便利なものはない。単純に考えて、この世界の何者にだって負けない速さを持ってることになる。逃げるくらいお手の物だ。
「逃げる気ですか?」
 急に老人が見透かしたように言ったものだから、私は一瞬の驚きを抑えるのに必死だった。どうやら無意識の内にこの人の背後、図書室の扉に目線を移していたようだ。
「言っておきますが、鍵は私が持っています」
 そう、そこが問題なんだ。私達がここに入った時、私は鍵を閉めた時の音を聞いた。内側から開けるのに鍵が必要とか、なんで図書室如きがそんな面倒な扉つけてんだよって話だ。
 こうなれば力ずくで奪うより他に方法はない。老人一人くらい、変に強くなければ相手するのは容易い。私も長い間使わなかったが、だらしない事この上ない探偵の師匠から教わった格闘技の心得がある。加えて私は不死身だ。この老人が何をしようがダメージにはならない。簡単にねじ伏せられる。それで鍵を奪って、城から逃げて――

 力が抜けたように、私は椅子に座った。
 何を考えているんだ、私は。これじゃ本当にただの悪者じゃないかよ。確かに探偵は時として悪いことの一つや二つはする。でも、それはただ私腹を肥やすとかのためではなく一種の必要悪なのだ。情けない事この上ない探偵の師匠から何度も教わったことじゃないか。
 でも、それならどうすればいいんだろう?
 この人は既に私を不審者としか見ていない。私自身、この僅かな時間で不審な面はいくつも見せた。この異様な威圧感を持つ老人にどう弁解しろっていうんだか。ぱっと思いつかないってことは、私もその程度ってことなのかね。
「……言えません」
「なぜです?」
「言っても信じてくれませんから」
 何も取り繕わず、ただそれだけ白状した。
「信じる信じないはこちらの判断することです。話してごらんなさい」
 よく聞くフレーズだ。そんなのこっちの立場を知らないからそう言えるんだ。仕方ないから、この人の納得しそうな話を考えてみることにした。
 どうやって納得してもらおうか。当たり前だが、頭から爪先まで嘘なのはよくない。上手な騙し方というのはぶっちゃけた話、本当のことをどれだけ話すかにある。自分にとっても嘘ではないこと。それがポイントだ。嘘ではないこと、嘘ではないこと……
「……友達を」
 そう考えたらふと、あっさりこの場を丸め込むストーリーを思いついた。
「友達を探してるんです」
「お友達ですか?」
「ええ」
 頭の中で段取りを整理しながら、ぽつりぽつりと話していく。
「私、ここから遠い国に暮らしていた者なんですけど、ある日友達が行き先を告げずにいなくなってしまったんです」
「それを探しに?」
「ええ」
「一人で、ですか?」
「みんなからは止められたんで、こっそり。それではるばるこんな場所までやってきたんですけど、なぜか町はバケモノだらけだし、お姫様だなんて勘違いされるし、もう何がなんだか」
「なるほど」
「お願いです、見逃してもらえませんか? 何も悪いことをするつもりはありません。私はただ、友達と一緒に帰りたいだけなんです」
 言い切ってみて、なんだ、案外簡単な話だったなと思った。面倒なとこを軽くぼかしただけで、八割方本当のことを話しただけだ。やっぱりさっきまでは必要以上に焦っていたらしい。
 私の話を聞いた彼は、さっきよりは幾許か表情を緩めてくれた。
「まあ、実害も被っていないことですし、もし本当に勘違いだったのならこちらにも非はあります」
「信じてくれるんですかっ」
「一応、事前に話は聞いています。お嬢様が今日も他人の振りをしていると。そして事実、他人であった」
 安心の溜め息が漏れた。ようやく話のわかる人と会えてよかった。
「……それにしても、自分から他人だって名乗ってるのに、どうして悪意を持ってこの城にやってきただとか」
「非常事態だからです」
「それはわかりますよ。町がバケモノだらけだとかなんとか」
「それもそうですが、この城の人間として問題はもう一つあるのです」
「問題?」
「あなたがお嬢様ではない……つまり、お嬢様は今、行方が知れない」
「あっ」
 そうだ、すっかり失念していた。冷静に考えたらこの状況はお城の人からすれば実におもしろくない。城にお姫様がいないのなら、当然本物のお姫様は城の外、バケモノだらけの無法地帯。一国の王の娘の危機だ。
「……って、お姫様が危ないのはわかるんですけど、それでもやっぱり私に悪意があるとかないとか、そういう話にはならないんじゃ?」
「それほど単純な話ではありません。この騒ぎ、誰かがキッカケになることが可能な出来事なのです」
「は?」
 誰かがキッカケになれる? それってまるで……
「あのバケモノを誰かが作りだした、みたいな言い方じゃないですか」
「なぜあれらが生まれたのかは謎です。それは安心してください」
「だったらどういう」
「あなた、名前は?」
 脈絡もなく、急に話題を逸らされた。むやみやたらに話せないことなのだろうか。
「ユリです。未咲ユリ」
 特に追求することもないだろうと思い、素直に自己紹介をする。
「ミサキユリ……あなたは遠い国からやってきたと言いましたね」
「はい」
「あなたのお友達とは、どういう方でしょう?」
 どうも話の整合性というものを感じられず、内心小首を傾げてしまう。それを問う気になれないのは正直、探偵として失格だろうか。でも空気に流されて、なんとなく聞くのを遠慮してしまう。
「えっと、チャオが四人と人間四人です。いつも一緒に仕事とか……あの?」
 今度は考え事らしい。さっきからいったいなんなんだろう。情報を断片的に引き出すだけ引き出して、一人だけで納得している。
「失礼、確認させていただきたいことが」
「はい?」
「あなたのお友達は、なぜ旅に出てしまったのでしょうか?」
「え……さあ、本当に何も言わずにいなくなってしまって」
「何か思い当たる節は?」
 首を振るより他にない。だってその部分はデタラメだし。
「わかりました」
 何がだろう。本当にこの人だけが何もかも納得していて置いてけぼりにされてる。
「ユリさん、あなたのお友達はこの国にやってきている」
「はあ」
「我々もあなたのお友達を探すのに協力しましょう」
「ええ?」
 本当に何から何まで突然だ。さっきまであんなに邪険そうだったのに、どういう風の吹き回しなんだ。
「あの、いいんですか? それどころじゃないんじゃ? その、そちらとしては」
「誰であれ、助けなくてはいけない人がいるのなら助けるべきでしょう。ですがその代償として、あなたにも協力してもらいたいことがあります」
「協力?」
 なるほど、ギブ・アンド・テイクってわけだ。さしずめお姫様を探すのに協力してもらおうってつもりなんだろう。別にそれくらいなら問題ないかな。
「あなたには、ある場所にいって、ある事をしてもらいたい」
「へ?」
 そういうと彼は立ち上がって、少し離れた場所の本棚まで行ってしまった。
「あの、お姫様の捜索とかじゃないんですか?」
「それなら問題はありません」
 少しして、彼はやや大きめの紙を持って帰ってきた。
「これを」
 手渡されたその紙を見ると、まるで迷路か何かみたいなものが描かれている。遊ぶ分にはあまり難しくない迷路ってくらいだろうか。特徴として、道のところどころに小さな丸印と、一箇所に大きく丸が描かれていることか。これがゴールなのかな。そうすると他の小さな丸はなんだろう。
「……って、これなんですか?」
「それはある通路の見取り図です」
 なんだ迷路じゃないのか。
「あなたにはこれから、この場所に行ってもらいたい」
 そういって彼は見取図の大きな丸を指差した。
「この場所って、いったい何があるんですか?」
「木の根です」
「キノネ?」
「根っこですよ。樹木の」
 なんじゃそら。木の根っこってどういうことだ?
「あなたには、この場所にある木の根を全て切り落としてもらいたい」
「木の根を、切り落とす?」
「そうです。ただ、注意しなければなりません」
「なんですか?」
「この木は死なないのです」
「はあ?」
「ですから、木の根を切っても意味がないのです」
 えっと、えっとえっと? ちょっと整理してみよう。
 この見取り図の場所に行くと、そこには木の根っこがある。その木は死なないから、根っこを切っても意味がない。でも、私はその根っこを切り落とさなきゃいけない。
 …………ダメだ、全然意味がわかんねえ。大体木の根があるってなんだ? 普通、根っこって土に埋まってるもんじゃないのか? それに死なない木の根を切り落とせって、これってとんちみたいな話なの?
「行ってみればわかりますよ」
 そう言って彼はいつの間にか用意したカンテラと、刃渡りの大きなナイフを渡してくれた。
「入り口はこのテーブルの下です」
「下?」
「ええ。それでは、ご武運を」
 大きなテーブルの下を覗いてみると、そこには確かに床に取り付けられた扉があった。

このページについて
掲載日
2011年12月23日
ページ番号
21 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日