No.2

「まったく、今回で何度目でしょうね。姫が城を抜け出すのは」
「…………」
「元気が良いのは結構ですが、朝の稽古や勉強をすっぽかしては一国の恥でございます」
「…………」
「姫はもっと王家の者としての自覚を持っていただかなければいけません。……姫、聞いていますか?」
「…………」
「姫!」
「え、あ」
 適当に聞き流していた言葉の内容よりも私の目に映っていた物の方がよっぽどおかしかったので、私は言葉を失っていた。
 デカい――城。
 そう、お城だ。まさしくおとぎ話の世界にでも出てくるような、立派なお城の後ろ姿があった。私の目の前に、だ。
「あの、なんですかここ」
「なんですかって、お城に決まっているじゃないですか。あなたの家ですよ」
 ここが家? 文化遺産の間違いじゃないのか。
 私が呆気に取られているのも気にせず、青年は私の手を引いて堂々と城の裏口らしき扉から中へと入った。
 その中の様子ときたらこれまた言葉を失うほどで、贅沢なほどに広い廊下、これ見よがしに置かれた陶器だの鎧だの、名画らしき絵もそこかしこに飾られている。こいつは間違いなく博物館だ。そうだと言ってくれ。
「まあ、姫様!」
「どこに行かれていたのですか! 心配していたのですよ!」
「あう、えと、その」
 混乱している私の元へ、掃除用具を握り締めたメイドらしき人達まで二人ほどやってくるもんだからもうわけがわからない。
「今回は事が事なので、王様がお呼びです。さ、行きましょう」
 お呼びじゃねえよ。何が王様だよ。もう勘弁してくれ。


 何はともあれ、私が目を覚ましてからのツッコミどころは益々増えていくばかり。
 見た感じ何十階あるだろうなと思っていた私の覚悟は、階段を登り終えた頃には別の意味で覆された。この城、馬鹿デカいクセにたったの三階建てだった。天井にどれだけスペース作ってるんだっていう。
 心身共にいろいろと打ちのめされたつつも階段を登ったかと思えば、王様に会いに行く途中の廊下に出くわすメイドさん達も好き勝手に言葉を投げかけてくる。
「姫様、今度はどこに行っていらしたのですか?」
「わたくしの母にはお会いしませんでしたか? 何か言っておられませんでした?」
「城下町の猫達に餌はお与えになってくださいました? いつも心配で心配で」
「あ、そういえば前に話していたお買い物の件なのですが……」
 声高々に叫びたかった。おめーらの都合なんざ知るかっつーか一国の姫をなんだと思ってるんだと。私べつに姫じゃないけどおかしいだろそういうの。バケモノ騒ぎとやらの件で心配してたんじゃないのかよ。
 掛けられる声には生返事で返し、私は姫じゃないという主張には生返事で返され、あれよあれよという間に私は一際大きな観音開きの扉の前までやってきてしまった。私の想像では、この先にはご大層な椅子が用意されていてそこに王様が腰を降ろして踏ん反り返っているものと思われる。んで、その横に並ぶ兵士達、といった構成に違いない。
「さ、入りますよ」
 入るのか……嫌だなぁ。
 私の気持ちなんか欠片も気にしてない青年は扉を開いた。すると私の想像通りに配置されていた兵士達が、私の姿を見るなり頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
 もう泣けてきた。私、姫じゃないし……ここ、家じゃないし……
「アンリ王、ただいま戻りました」
「おお、よくぞ帰ってきた」
 想像通り、ご大層な椅子に腰掛けた王様がいた。風格というか威厳というか、そういうものを感じる。白い髭を生やして王冠を被り、王様ですと自己主張している服装をしている。歳の程はよくわからない。六十くらいか? あまりにも年配の人の歳を目で計るのは個人的に苦手だ。
「どこへ行っていたのだ、クリスティーヌよ。わしは心配していたぞ」
「えっと、クリスティーヌって……私、ですか?」
「他に誰がおるというのだ」
 アンリにクリスティーヌね。どっちも大昔、フランス語圏の王族の名前に使われたものだ。兵士達の姿からも察するに、ここは中世ヨーロッパか何かか? その割には言葉が通じているのが気になるのだが……どういうことだろう。まあ何はともあれ弁解だ。
「あのですね、私はクリスティーヌって人じゃないんですけど」
「ほっほ、それなら先週に聞いたぞ」
 どういう事だよ、どんだけ捻くれて育ってるんだよクリスティーヌさん狼少女かよ!
「いつもなら叱ってやらねばならぬところだが、今日はよくぞ無事に戻ってきた。おまえの身に何かあったら、わしは……」
「……ええと、バケモノ騒ぎでしたっけ」
「おお、そうであった。ミレイよ」
「はっ」
 ミレイって、この青年の事か。女っぽい名前だが、フランス語圏では専ら男性名だったっけね。
「討伐にあたった衛兵からの報告によりますと、件のバケモノどもは我々の追尾を振り切って逃げた様子。また、そのバケモノに乗じてか新手が少しづつ増えております。まだ小規模ではありますが、このまま手を打たねばいずれは……」
 なんて現実味のない話をしてるんだ。バケモノがどうのこうのってRPGのお話だろう。私が横で溜め息を吐いていると、王様は不思議そうな顔で尋ねてきた。
「クリスティーヌよ、おまえは知らなんだか」
 私は肩を竦めた。バケモノどころか、貴方様のこともよく存じておりませんよ。
「何はともあれ、おまえが無事で良かった。よいか、しばらく外は危険じゃ。くれぐれも、くれぐれも抜け出してはいかん」
「いや、そう言われましても」
「クリスティーヌよ!」
 何か言おうと思ったら、王様が唐突に顔をしかめて大声を出した。威厳に満ちたその声に私は驚く。
「今回ばかりは話が違うのだ。おまえも大人だと言うのなら聞き分けてくれ。わしは……わしはおまえを失いたくはない」
 そう言われても、ねえ。
「……少し疲れてしまったな。ミレイ、後の事は頼めるか」
「はっ。お任せください」
「すまぬな、このように不甲斐無い王で」
「とんでもございません。ごゆっくりお休みください。では、これで」
 青年は頭を下げ、私の手を取ってこの広々とした部屋を出た。


「姫、何故あなたはもっと人の事を気遣わないのですか」
 廊下に出るなり、青年はいきなり顔をしかめて私――というか、姫に対してのお説教を始めた。
「……どういう意味ですか」
 これ以上確たる証拠のない弁解をしても無駄だと悟った私は、仕方なくそのお説教を聞き入れる事にした。聞き流す、と言った方が正しいか。
「王はこの頃体調が悪いというのに」
「へえ」
「へえ、ではありません! 姫もよく知っている事ではないですか!」
 姫は知っていても、私は知らないんだよ。と言っても栓無いだろうけど。
 わざわざ私の目を見ながら話す青年の目を、私は酷く無感情な瞳で見つめ返す。次第に青年の表情が陰り、諦めを含んだ溜め息を漏らした。
「……お部屋に戻りましょう」
 そう言って、青年はまた私の手を引っ張って歩き出した。
「いちいち手を繋ぐんですね」
「こうしないと、どこかへ行ってしまいますからね」
 どうやらとんだおてんば娘みたいだ。そのクリスティーヌというお姫様は。


 ̄ ̄ ̄ ̄


 その後、ミレイという青年に案内された場所は……まあ、なんというか豪華な部屋だった。バカみたいに広くて、バカみたいに大きなベッドもあって、バカみたいに綺麗なテーブルもあって……まあ、なんというか豪華な部屋だった。王家の者の自室と説明して誰も疑わないくらい。
「はあ」
 感嘆の溜め息が漏れた。これが映画のセットだとすれば随分と凝っている方だろう。今腰掛けている椅子も、座る前に躊躇したレベルだ。
「あらあら、また溜め息ですか」
 そんな私を見かねて、部屋のお掃除をしていたメイドさんが声をかけてきた。青年ミレイ氏とのちょっとした会話を傍らで聞いた限りでは、どうやら姫の側近のメイドらしい。廊下で見かけたメイドさん達よりもお姉さんといった風が強く、俗に言うメイド長の立ち位置の人に見える。
「また、って?」
「いつも退屈そうにしているか困っている時は、必ず溜め息を吐くじゃないですか」
 どうやら姫のお世話をしていた時期は長いらしい。一通りのクセは覚えていると言った感じだ。それならそれで私はクリスティーヌという人物ではないとわかるはずなのだが。……溜め息を吐いた理由は合ってるけど。
「実は私、姫じゃないんですけど」
「あら、不思議ですね。先週に同じことを聞いた覚えがあります」
 何やってんだ先週のクリスティーヌさんはよ!
「そもそもそんなにそっくりなんですか? 私とクリスティーヌさん」
「少なくとも昨日見た顔とは違いませんね」
「む……いやだって、そもそもこんな服装してるんですよ?」
「そうじゃないと他人のフリができませんからね」
「いやいやいや、この国っていうかこの世界にこんな服装がありますか?」
「そうじゃないと他人のフリに信憑性ができませんからね……あら」
 しどろもどろな弁解だったが、私の服装に何かおかしな点でもあるのかメイドさんが私をじっと注視してきた。爪先のブーツから、某高校指定の制服、頭のパウ特製白いリボン付きカチューシャまで。
「……確かに、見た事のない服装をしてますね」
「でしょう?」
「面白いデザインを思いつきましたね。どこで作ってもらったんですか?」
 ダメだ。お姫様発の新しいファッションだと思ってやがる。ここまで来ると身分証チラつかせたってなんの効果もないだろう。

 待てよ。

 あまりにも現実味の無い状況に付き合わされたせいで、冷静に考える事をすっかり忘れていた。今最も解決すべき事は、私はクリスティーヌというお姫様ではないという証明ではない。いやそれも重要極まりないんだけど、その前に整理しておかなければならない事がある。
 そもそも、ここはいったいどこなのか。いつであるかも確認しなければならない。
「あの、すみません。今って何年ですか?」
「あらあら、勉強不足が祟って今がいつかも忘れてしまいましたか?」
 なんでお姫様に毒吐いてんだよ。そんなに出来損ないですかクリスティーヌさん。
「……勉強不足ってことでいいです」
「ダメですよ、自分で調べるってことを覚えてくださいね」
「じゃあ、ここはどこか」
「とうとう自分の家もわからなくなりましたか?」
「いえ、この国のことについてなんですけど」
「ダメです。一から勉強し直してください」
 ……これが王家の側近かよ? 私が想像していたものとはとことん異なる。主が赤と言えば従者も赤とかまではいかないけど、友達に聞いてもそれなりに教えてくれそうなことを何一つ教えないとはどういう了見だ。
 聞き込みを諦め、豪華な作りの椅子から立ち上がる。目に付いたのは、酔狂なほど大きな窓ガラス。無駄にデカいこの城からなら、街の様子くらいは見て取れるだろう。そう思って窓辺に近寄り、外の世界を垣間見た。
 そして目に映った情景は、私の心を強く振るわせた。今まで見たことがないとか思う所はいろいろとあったけど、一番は予想を裏切って欲しかった、だろうか。あまりにも――古臭い。昔の西洋とか、城下町とか、そういう表現の似合う街が、窓の向こう側にあった。幻想的とも取れる、おとぎ話の世界みたいだ。
「……おとぎ話か」
 自分にしか聞こえない独り言が漏れ出る。最初に目が覚めた小川でも同じことを考えた。およそ私の知らない、現実のものとは思えない世界だと。
 じゃあ、ここは現実ではないのだろうか? でも、これは夢じゃない。今ここで確かに私が感じている現実だ。となると、ここは大昔か、はたまた異世界か? すぐにその可能性から目を逸らした。元探偵ともあろう者が、そんな可能性を鵜呑みにしていいはずがない。そうでないと、万人を納得させる事ができない。万人の納得無くしては探偵には成り得ない。でも、この世界の人々を納得させるには、これらの状況を認めざるを得ないかもしれない。ここは私の知らない世界なのだと。
 では、私はここから帰らなくてはならない。どうしてここにやってきたのかは知らないが、長居する気なんかさらさらない。なんとしてもクリスティーヌ姫を見つけ出して、私は姫じゃないと証明し、大手を振って帰ってやろう。私の居るべき――いや、居たい場所はここじゃない。みんなのいる小説事務所だ。

このページについて
掲載日
2011年12月23日
ページ番号
19 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日