No.6

 ――視線が霞んでいるのは、疲れのせいだ。
 迫り来るバケモノたちを命からがら蹴散らし終えた僕は、樹木に背を預けてひたすら荒い息を吐いていた。
 自分をごまかすので精一杯だった。右腕をやられている。冷たい雨が血を洗い流してくれているけど、体が冷えてしょうがない。
 瞼が重い。まさか死ぬってことはないだろう。悪くて貧血だ。頭ではそう納得させてみても、バッドケースが頭から消えない。
「……っ」
 立ち上がった途端、めまいがしてまた木に背をもたれる。このまま歩いて帰れるのか、ちょっと不安になってきた。それでも雨に打たれて眠るよりは遥かにマシなので、なんとかして森を抜けようとする。
 幸い、これ以上敵が現れなかった。無尽蔵に湧いてくるかと思っていたバケモノは、目に見える数を倒しただけですぐに打ち止めになった。いったい奴らはどこから現れているんだろう? 見た目が草木だから、やっぱり森から生まれてるんだろうか。でもそうすると、僕を仕留める為の増援がないというのはちょっとおかしな話だ。網にかかった獲物を中途半端に傷つけておいて泳がすなんてまるで意味がない。
 ――と、急に僕の足音が変わった。
 立ち止まって足元を見てみると、どういうわけか枯れ葉がたまっていた。顔をあげてみると、そこには大きな枯れ木があった。それも一本だけじゃない。二本、三本……
「……っ?」
 そんな時、いきなり強風に煽られた僕は下り坂の向こうを振り返った。そこには信じられないものがあった。炎だ。とんでもない規模のファイアウォールが森の中からでも見える。やがてその炎は一分足らずで消え、台風のような風と雨のせいでよく見えなかったが、なぜか波の音が聞こえたような気がした。
 あれはきっと所長達のしわざだ。やっぱり所長達もここに来ていたんだ。みんな合流できたのかな。
 安心して気が緩んだのか、体から力が抜けてしまう。汚れるのとかどうでもよくなって、そのままうつぶせに倒れた。瞼が一気に重くなる。この眠気があまりにも心地良くて、このまま寝たらいけないとか、そんなことも考えなかった。


 ̄ ̄ ̄ ̄


 所長室が明るくなり始めた。
 あれだけ重かった瞼を薄目に開くと、窓から鮮やかな青のグラデーションが差し込んでいた。
 綺麗だ。
 曖昧な意識の中、その美しさに惹かれるように、惚けた目で窓の外ばかりを眺める。


 そんな僕の頬を、枯れ葉が撫でた。


 ̄ ̄ ̄ ̄


「……ん」
 またなにか意味深な夢を見ていたようだ。
 雨の降る森の中、うつぶせに眠る僕。状況がしばらく飲み込めず、たっぷり何十秒も掛けて、鈍い痛みを伴う右腕の現状を思い出して苦しい息を吐き出した。
 寝転がって仰向けになる。雨は激しさを、夜は深みを増している。どれくらい寝たんだろうか。あれから誰も迎えに来ていないようだ。ちょっと寂しい。
 起き上がる気力もなかった。このまま二度寝してしまおうかと思うくらい体が重く感じる。右腕の傷のせいかなと思ったが、よくよく考えてみれば起きれないのはいつものことだというのに気づいた。
 安心して欠伸が漏れた。ふっと気が楽になる。こんなとこをヒカルにでも見られたら、余計な心配をさせたことを咎められるだろうか。そう思うと、なぜかすぐそこまでヒカルが来ているような気がして寒気がした。
「――カズマ!」
 あれれ? ほんとに聞こえてきた。幻聴かこれ。
「返事してっ! カズマってばあ!」
「お兄ちゃーん!」
 やべえ、レアなことにお兄ちゃん呼ばわりする子までいる。ひょっとしてあれか。お迎えか。これってお迎えなのか。どうりで異様に気が楽だと思った。
「カズマーッ! オレだーッ! 爆発してくれー!」おおよそお迎えに適任ではない輩の声まで聞こえてきた。どうやら僕はもうダメらしい。なにもかも諦めて目を閉じた。草や小枝を踏む足音が近付いてくる。最近のお迎えは地に足をつけてるんだなあ。
「いた!」ああ、見つかった。「カズマっ!」
 上半身を起こされる。渋々目を開けると、そこには紛れもなくヒカルの張り詰めた顔があった。ヤイバやハルミ、それにクリスティーヌとあのチャオも一緒だ。
「ああ……来てくれたんだ」
 ようやくその事実を認めることができた。寝起きで意識が酷く朦朧としていたらしい。
「ばかっ、ばかやろおっ! そんな傷まで負ってっ」
「ああ、これ? 別にそんなに痛くないよ」
「何言ってるんですかっ」
 ハルミに右腕を持たれる。痛みが急に増して思わず顔をしかめた。
「出血だけじゃないんですっ、これだけ傷口が大きかったらばい菌だって入り放題なんです! ほっといたら死んでもおかしくないんですよ!」
「……ごめ」
「ごめんなさい」
 心配させたことを謝ろうと思ったら、急にクリスティーヌが僕の言葉を遮って顔を俯かせてしまった。体が震えている。抱き抱えられたチャオも同様に思い詰めた顔だ。
「どうしたのさ、急に」
「だって、こうなったのは全部、私のせい……だもの」
「運が悪かっただけだよ。それに僕、こういうのには慣れてるから。ね?」
「えっ……あ、うん。そう、ですね」
 突然話を振られて、ハルミが困った顔をした。ちょっといじわるだったかな。
「でも、私があなた達と一緒にこんなところに来なければ」
「ああっくそが、お前らリア充ごっこもそこまでにしろよ!」
 校長先生怒りますよ、とヤイバが話の流れをぶった切った。人一倍面倒くさいキャラをしているが、空気だけは読める良いやつだ。
「今それどころじゃねえんだろが! 世界の危機なんだろうが!」
 あれ? 僕が思ってたのとなんか事情が違う? なんだ世界の危機って?

 ――その時、獣の咆哮のようなものの響きが聞こえた。
 いや、今にして思えばそれは獣ではなかったのだろうが、その時の僕にはそうとしか聞こえなかった。
 揺れる木々の合間から見える王国。そこにまるで大怪獣の人形でも置いたような光景が目に映った。
 町で、大きなバケモノが咆えていた。

 右腕の痛みなんか忘れてしまうほど、僕はその姿に釘付けになった。
 山を降りてくると、そいつの巨体がよく見えた。あれは確かに人の上半身のようだ。それが駄々っ子のように、地面に手と思しき部位をめちゃくちゃに叩きつけている。
「……なんだ、あれ」
「あの森よ」
 クリスティーヌがぽつりと呟いた。
「あの森?」
「ええ。あなたたちと出会った、あの森」
 僕らとクリスティーヌが出会った森。それって、僕らが目覚めた森? あれが?
「な、なんで? どういうこと?」
「知るかよ。いきなりあの野郎、森からドでかいバケモノに変形しやがった。今、先輩達があれとやりあってんだ」
「あれと?」
 たしかに、よく見ると目に見えるほどの風や、炎とか水とかが見える。
「でも、どうするの? あのままじゃ所長達やられちゃうわよ」
「え、どうして?」
「あいつ、死なないのよ。どういう仕掛けなのかしらないけど」
「はあ? し、死なない?」
「信じられないかもしれないけど死なないのよ!」
 どういうことだ、と問うことも許さず、ただヒカルは強い語気で言い放った。死なない? 燃やしたりしてもか? そんなバカなことがあるかよ。ここの木だって枯れてるのに――
「枯れてる?」
 その時の僕は、傷を負って出血していたにも関わらず冴えていた。
「……僕、天才かもしんない」
「はあ? 何がよ?」
 なんだか知らないけど、確信があった。まるで誰かに教えてもらったみたいだ。なんでだろう? こんな根拠も何もない思いつきが、僕の背中を強く後押ししている気がする。誰かが、それで間違ってないって言ってる気がする。
「クリスティーヌ、あの森の地下に通路はある?」
「えっ……ええ、あるわ。あなたたちと会った時も、ちょうど地下通路から出た後だったの」
「案内して。あいつを倒せるかもしれない」


 ̄ ̄ ̄ ̄


 地下通路の強行は予想以上に困難だった。敵がいるわけではないが、とにかく揺れる。あのバケモノがしこたま地面を揺らすせいだ。そんな状況で地下を進むというのは一種の自殺行為のようなものだった。通路がいくつか崩れているのだ。おかげで何度も回り道をするハメになった。クリスティーヌがいなければ、目的地につく前にさんざ迷った挙句お陀仏だったろう。
 途中、崩れる石のブロックに潰されそうになるアクシデントを何度も体験しながら、僕らはとうとう目的の場所までやってきた。
 そこは他と同じように崩れてぐしゃぐしゃになった通路だった。だが、その瓦礫の中に鉄扉が埋もれていた。崩れた通路に横道が生まれている。
「ここだ!」
 横道に飛び込むと、そこは思った以上に壮絶な光景だった。土の中の空洞に、特大の蜘蛛の巣みたいな木の根っこが張り巡らされていた。ここがあのバケモノの真下だ。
 それだけに、どこよりも危険な場所だった。バケモノがまた地面を叩いたようだ。その振動がダイレクトに伝わってきて、僕らは体制を崩してしまう。
「やだ……やだ……」
 クリスティーヌの腕の中にいたチャオが、目に見えた恐怖を隠すように顔を埋めた。この子の為にも今すぐ終わらせないと。
「カズマ、どうするの?」
「斬るんだ。こいつを」
「こいつって、根っこをか? どうして」
「説明は後だ! 僕の考えが正しければ、これでバケモノを倒せる!」
 我ながら滑稽な台詞だけど、そんなこと気にしている場合じゃない。腕の痛みを堪えて剣を引き抜く。他の三人も武器を手に取り、クリスティーヌは躊躇いがちにチャオを肩に乗せて剣を抜いた。
 そして、手当たり次第に木の根っこをぶった斬っていった。傘を開いたような形をしたそれは本当に蜘蛛の巣みたいに脆くて、斬ること自体は何も難しくはなかった。腕の痛みをアドレナリンでごまかし、とにかく斬って斬って斬りまくって、最後の一本を断ち斬った。
 咆哮が僕らの耳を穿つ。上の土がボロボロと落ちてきて、顔を上げていられなくなる。そんな僕らの背中を雨が打った。驚いてまた顔を上げると、雨を降らす空が見えた。大きな穴が開いたんだ。支えを無くして、あいつが倒れたんだ。
 ――やった。
 張り詰めたものが一気に抜けてその場にへたり込んだ。晴れない空とは対照的に、僕の心は達成感で晴れ晴れとしていた。

 でも、それは気のせいだった。ちっとも晴れちゃいなかった。
 大きな振動が聞こえる。あいつが地に伏した音だろうと思った。けど、振動がそれで終わらなかった。二度、三度と地を揺るがしている。
 何かおかしい。
 また奴の咆哮が響き渡った。続く振動はあいつが地に伏せる音とはとても思えず、どちらかといえば怪獣の歩くような音に聞こえた。
 ……うそだろ?
 僕を嘲笑うように、もう一度奴が咆えた。
 あいつはまだ――生きてるのか?
 だって、おかしいだろ?
 あいつの生命線は叩き斬ってやったんだぞ。
 どうして死なないんだよ?
「カズマ、どういうことよ! あいつ死んでないじゃない!」
「…………」
「カズマってば!」
 振り向いた僕の顔を見て、途端にヒカルは怒ったような表情を萎ませた。どうも今の僕の顔、酷いらしい。
「お兄ちゃんの考えって、どんなだったんですか?」
 ハルミが比較的優しい顔で尋ねてきた。的を外した考えを話すなんて言い訳みたいになって嫌だった。
「……枯れている木を見たんだ」
「木、ですか?」
「うん、外の森でね。それで思いついたんだ。ここの木は、外の森の命を奪って生きてるんだって」
 あの時見た枯れ木。あれは生きる力に飢えたバケモノが地中深くで繋がった根っこで命を奪っていたせいだ。そのはずなのに、なんなんだよ。どうしてあいつは死なないんだよ。どんな木かは知らないけど、齢百年くらいのクソジジイなんだろ? それがどうして地面から離れて元気に暴れるんだ。
 どうして。

このページについて
掲載日
2011年12月23日
ページ番号
16 / 27
この作品について
タイトル
小説事務所聖誕祭特別篇「Turn To History」
作者
冬木野(冬きゅん,カズ,ソニカズ)
初回掲載
2011年12月23日
最終掲載
2011年12月24日
連載期間
約2日